夏休み。お兄ちゃんと小百合と映画(と美女)。

刀篤(かたなあつし)

プロローグ

お兄ちゃんと私。

【プロローグ】お兄ちゃんと私。


 中学二年生の初夏、私の人生は早くも終わりを迎えた。目の前は真っ暗で、頭の中は真っ白。眩しかった世界は一気に暗転した。


 告白するんじゃなかった……


 文芸部の白鳥百合しらとりゆり先輩。どうして脈があるなんて勘違いしちゃったんだろう……うう……嫌われちゃったかな。でももう取り返しがつかない。『覆水盆に返らず』っていうんだよね。彼女は優しいから、私の秘密、言いふらしたりはしないだろうけど……


 文芸部は終業式の日に退部届を提出した。先輩と同じ空間になんて、気まずくて居られない。今でも告白した時の先輩の表情が頭に浮かぶ。綺麗な顔に一瞬ひらめいた驚きと優しい笑顔。「うれしい」って言ってくれた。でもそのあとの言葉は……

 

 やっぱり気遣ってくれたんだよね。どこまでも優しいね。ずるいよ。



              ◇



 夏休みに入って一週間、私は夏期講習をサボって家に引きこもった。唯一の家族であるお兄ちゃんは、日中は仕事に行ってて、夜は9時前に帰ってくる。買い込んだ食糧を一緒に調理して一緒に食べる。今日はハンバーグ。

「小百合、今日も一日中寝てたのか? 」

 香ばしい香りを漂わせながらお兄ちゃんはハンバーグを口に運ぶ。

「うん……」

 私を気遣う優しい瞳。どうして私の周りは優しい人ばっかりなんだろう。お兄ちゃんは私が文芸部を辞めたことに凄く驚いていた。私が小説家志望だってことを知ってたのはお兄ちゃんだけだった。

「本も読んでないのか? 」

 顔色を窺っている。私がずっと落ち込んでるから当然気になるよね。

「本は……全部捨てちゃった……」

 お兄ちゃんには嘘をつきたくない。聞かれたら正直に答えるか、何も言わないかの二択しかない。

「えっ……全部? 」

 お兄ちゃんは食事の手をとめて目を見張る。

「うん……」

 私は目を伏せる。ハンバーグに添えられたポテトを見る。

「ドストエフスキーもディケンズもシェイクスピアもジイドも? 」

「うん……」

「ナボコフもラディゲもゲーテもフィッツジェラルドも? 」

「うん……」

「サリンジャーもデュマもポーもキャロルも? 」

「全部だよ」

「マルキド……」

「それは残した」

「おう……」

 お兄ちゃんはゴクリと唾を飲み込んだ。

「サド以外全部捨てたのか? 宝物じゃなかったのか……」


 ようやくお兄ちゃんは事の重大さに気付いたようだった。お兄ちゃんに余計な心配はかけたくなかったけれど、私自身がどうにもならなかった。

「もう活字を見るのが嫌なの」

「うーむ……」

 お兄ちゃんは腕を組んで考え込み、しばらくして言った。

「小説家になる夢は諦めたのか? 」

「そういう訳じゃないけど……もう本は読みたくないの」

 活字を見ると先輩との楽しい部活動の日々を思い出してしまう。それは今となっては最もつらい思い出たちだった。

「それで一日中寝てるのか。うーむ……」

 お兄ちゃんは再び腕を組んで考え込んでいたが、突然瞳に光を瞬かせて、私の目を見据えてこう言った。

「お兄ちゃんにちょっとした考えがあるんだが……」

 私はちょっとびっくりしたけど、お兄ちゃんがポジティブシンキングなことは知っていたから、何か良いことを思いついたんだろうと思って期待した。

「なぁに? 」

 お兄ちゃんはちょっと勿体ぶったあと、ますます瞳を輝かせながらこう言った。


「これから毎晩、お兄ちゃんと一緒に映画を観ないか? 」

「えっ、映画? 」


 お兄ちゃんと私の、夏休みが始まった。


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