7月28日〜8月6日

7/28 第一夜「バッファロー’66」


「これから毎晩、お兄ちゃんと一緒に映画を観ないか? 」

「えっ、映画? 」


 お兄ちゃんの突然の提案に思わず驚いたような返事をしちゃったけど、実はそれを聞いた瞬間からなんとなく合点がいっていた。お兄ちゃんは大の映画好きで、DVDをコレクションしている。映画を一緒に観て、私の気を紛らわせようというのだろう。

「ほら、お兄ちゃんいつも一人で映画観てるだろ。ちょっと寂しかったんだよね。洋画でも吹き替えにしたら活字見なくて済むし、物語作りの参考にもなるだろ。本が読めないなら映画観りゃいい。気を紛らわせてさ。2時間ぼーっと座ってりゃいいんだから」

 うん、そう、いいかもしれない。お兄ちゃんの”ちょっと寂しかった”っていう言葉が少し沁みた。

「うん、いいよ」

 私は微笑みながら頷いた。

「よし、じゃあご飯食べたら一緒に観よう」

 お兄ちゃんも嬉しそうに笑う。

「なにか観たい映画あるか? 」

「私映画全然知らないんだ」

「じゃあ昨日届いてたやつを観よう」

 お兄ちゃんはさっさと食事を済ませてお皿を洗いはじめる。私も食べ終わってお兄ちゃんを手伝った。

 お兄ちゃんは物質至上主義のオタクなので、映画はDVDを購入して観る。Blu-rayもいくつか持ってるけど、安いから大抵DVDを買う。公開から長い日にちを経た廉価盤ならネット通販で新品でも1000円前後で購入できるらしい。お兄ちゃんは何度も同じ映画を観るので元は直ぐとれると言っていた。

 お皿を洗い終えてお兄ちゃんは一旦自室に入った。なんの曲か分からないけど鼻歌を歌いながら部屋から出てきて、コーラを用意してリビングのソファで待機していた私の隣に座る。お兄ちゃんの持ってきたDVDのタイトルは、「バッファロー’66」。



 ◇『バッファロー’66』◇



「これ、昔レンタルで3回くらい観たんだよ」

 お兄ちゃんはBlu-rayレコーダーにDVDを装填しながら喋り始めた。

「1998年のアメリカ映画。110分。監督、主演、脚本、音楽をヴィンセント・ギャロが務めてる。多才だ。この映画の舞台はニューヨーク州バッファローなんだけど、ギャロの出身地なんだ。自伝的な要素がある彼の代表作だよ」

 DVDのパッケージでは髭を生やし長めの髪をオールバックにした、ワイルドだけどナイーブそうな風貌の青年が、もの凄い美女に肩を抱かれてこちらを見ている。洗練されたパッケージデザインだ。お兄ちゃんは喋り続けている。

「ヒロインはクリスティーナ・リッチ。『アダムスファミリー』で有名になった元子役だな」

 知らなかったけれど、条件反射で頷いてしまった。ハイセンスなパッケージデザインに心を奪われていた。映画が始まる。


            ◇


 ヴィンセント・ギャロが演じる主人公のビリーが5年の刑期を終え、刑務所を釈放される。かなり粗暴な人物だ。彼はおしっこを我慢して用を足せるところを求めて彷徨う。見た目は凄くカッコイイ。しかし……

「ひぃっ……」

 思わず声をあげてしまった。ヒロインの登場シーンで私の躰に稲妻が走った。クリスティーナ・リッチが演じるレイラの登場。ビビっときて時間が止まる。彼女はダンススクールでレッスン中。透き通るような白い肌にプラチナブロンド。豊満な胸元を露出したアイスブルーのレッスン着に白タイツ。物凄い透明感。

「ここここ、この人がクリスティーナ・リッチ? 」

 解っているのにお兄ちゃんに確認せずにはいられなかった。お兄ちゃんは頷く。


 主人公のビリーはダンススクールのトイレで用を足し、実家に電話をかけるのだけど、彼の親は彼が投獄されていた事を知らず、ビリーは今高級ホテルにいると嘘を吐いて、これから嫁を連れて帰ると、成り行きで約束してしまう。困ったビリーはレイラを拉致し、自分のために嫁を演じることを強要する。そして二人の物語が始まる。

 映画の種類としてはロードムービーっていうのに分類されるのかな。あっ、レイラのパンツ見えた……

 ビリーは5年前の投獄の原因を作ったある男に復讐を誓っており、ビリーとレイラの関係を中心に物語が、旅が、進行していく。二人はぎこちなく、不器用に距離を縮め……最後はとっても感傷的になってしまった。


            ◇


「どうだった? 」

 お兄ちゃんは上映中コーラに全く手をつけず集中していて、終わった瞬間一気に飲み干してから言った。

「よ、よかったよ……」

 私の声は上ずっている。正直平静ではいられなかった。

「ひ、ひろいんの……レイラが素敵だね」

 お兄ちゃんはうんうんと頷きスイッチが入ったように話し始める。

「レイラな。彼女は物凄く速い段階でビリーが純粋な人間だって見抜くんだ。もしかしたらファーストコンタクトで解ったのかもしれない。男にいきなりあれだけ乱暴なことをされたら、普通好感は持たないだろ? ビリーは終始乱暴な言葉を使う。レイラはそんな粗暴極まりない言動からちゃんと本質を救い取るんだ。人間を見る目が、ちゃんとあるんだ。ビリーにとっちゃ天使みたいな女の子だよ」

 私はうんうんと頷く。本当にレイラは、クリスティーナ・リッチは、ヤバすぎた。完璧すぎた。ついさっきまでは、百合先輩が世界で一番きれいだと思っていた。私は知らなかった。沢山本を読んでいると、物語に美女は、魅力的な女性は、沢山出てくる。想像上の私の理想の女性の姿は、最高の形で百合先輩が体現していた。私は世界を知らなかった。映画、女優、想像上のキャラクターの魂を演じる仕事。今までまともに映画を観たことはなかった。クリスティーナ・リッチ、レイラという天使は新しい世界に私を招待してくれた。其処は天使の住処すみか。つまり…… 


「お兄ちゃんが好きなシーンはな、実家での家族のやり取りなんだよ。絶望的じゃないか。ビリーがあんななのも納得できる。血の繋がった家族でも分かりあえないなんて、最悪の悲劇だよ。血縁の地獄、DNAの束縛から抜け出せず、ビリーは苦しみ続けてきたんだ。後半のトイレの鏡の前のシーン……あそこはとても見てられない……」

 お兄ちゃんは感傷に浸っている。あのシーンは本当に胸が締め付けられた。でもそのときビリーは天使に見初められていたのだ。ボーリング場での、クリスティーナ・リッチのぎこちないタップダンスのシーンはもう一つの見せ場だ。ビリーと同様、彼女もまた、孤独なことを表現している。あのタップは彼女の心だ。ああレイラ……クリスティーナ・リッチ……


「僕ら兄妹は血が繋がってないけど、互いを尊重しながら分かりあえてるよな。それはとても幸せなことだと思う。どうして小百合がここまで落ち込んでるのか無理に聞こうとはしないけど、いつでもお兄ちゃんを頼ってくれて良……」

「ねえお兄ちゃん、このDVD、貸してくれない? 明日お兄ちゃんが仕事に行ってる間、もう一回観たい」

「……う、うんいいよ」

「やったぁ、お兄ちゃん大好き! 」

 明日も、クリスティーナ・リッチに、レイラに、また会える。

 

 天国のドアが、今開いた。

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