密約
エイミーが戻って来た。手には鍵を持っている。チェックインの手続きも済ませてくれたようだ。
与沢たちもようやく車から出て来た。
「二階の部屋に変えてもらいました。ここエレベーターないですから」
「これホテルなの?」
藤堂は文句を言いながらも鍵を受け取って建物の中に入って行った。朝からの移動で疲れ切っているはずだ。文句を言うよりも一刻も早くベッドに横になりたいのだろう。
俺も後に続いた。
広い階段を歩いて二階に上がり、薄暗い廊下の奥に行くと、鍵の番号と同じルームナンバーの部屋があった。
「エイミーはこれからどうするんだ?」
「実家に泊まります。明日、何時に待ち合わせしますか?」
「八時」
与沢の意見に誰も異存はなかった。俺たちは部屋の前で別れた。
部屋の中は思ったよりも清潔だった。シャワーもある。これなら日本のビジネスホテルと大して変わらない。
俺は一人だからこれで十分だが、与沢たちは同じ広さの部屋に二人だ。かなり窮屈だろう。
俺は移動の疲れを洗い流すためにシャワーを浴びてスウェットに着替えた。
金庫もない無防備な部屋だ。村の治安状況もわからない。七万元の現金をどうするか……
結局、俺はリュックを抱えて布団を被った。
まだ電灯を消すには早い。普段なら外で飲み歩いている時間だ。眠くはない。ただ体を休ませたかった。
上海なら、この時間から外に出ても、飲み食いに困らない。だが、この村はもう寝静まっている。せめてビールでもあれば気持ちよく寝れるが、このままだと寝つけそうもない。
部屋にはテレビもなければ雑誌もない。スマホでゲームでもしようかと思って起き上がったとき、ノックの音が聞こえた。
俺は静かにドアに近づいた。ドアにはのぞき穴がない。ドアチェーンもなかった。七万元の現金が気にかかる。
無視するか?
またノックの音がして、ささやくような声が聞こえた。
「渋沢さん、俺っす。開けてもらえますか?」
俺はドアを開けた。
「どうした?」
「ちょっと聞いていいっすか?」
「何だよ?」
「エイミーって、渋沢さんの彼女じゃないっすよね?」
「違う、ただの友達だ」
「だったら俺が食っても文句ないっすよね?」
何が言いたい? 俺は黙ったまま次の言葉を待った。
「実は俺、今晩エイミーと寝る約束してるんすよ。だけどスマホのバッテリーが切れて連絡とれないんすよね。渋沢さんのスマホ貸してもらえませんか?」
「充電すればいいだろう」
「アダプターないっすもん?」
「アダプターって何だ?」
「コンセントの形見てくださいよ。マジ有り得ねえから」
俺は部屋の中に戻ってコンセントを探した。見たこともない形だ。差し込み口が丸い穴になっている。
与沢は勝手に部屋に入って来た。
「その形だとアダプターがないと充電できないっすよ。頼むからスマホ貸してください」
俺は苦々しく思いながらもエイミーの番号をタップしてから与沢にスマホを渡した。
「だめっすね。出ません。やっぱ、俺からの電話じゃないと出ないか……」
「残念だったな」
「こんなところに来た意味がマジわからねえ」
「いつ帰るつもりだ?」
「明日帰るつもりだったけど、このままじゃ帰れねえっすよ」
「まさか明日もここに泊まるつもりじゃないだろうな?」
「泊まるに決まってるじゃないっすか。こんな所まで来て何もしないで帰れねえっすよ」
そんなことをされたら工場に行く日が一日遅れる。
「彼女が帰りたがるだろう」
「由香っすか? あいつのことは関係ないっす。俺が黙らせます」
与沢はスマホを俺に突き返して部屋を出て行った。
ベッドに横になり天井を見つめていると、薄い壁の向こうから藤堂の喘ぎ声が聞こえて来た。
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