巨富への入り口
ジャッキーとエイミーの豊かさの意味がわかったような気がする。二人の富は決して合法的なものではない。
やはり中国には、常人を縛る倫理や法を突破したやつらだけが圧倒的な財をなす世界がある。その突破口が今俺の目の前に見えている。
「俺もやりたいんだけど」
「何を?」
「売人」
「仕入れ先がなければ無理ですよ」
「エイミーの地元で作っているんだろう?」
「湖北まで行くつもりですか? 遠いですよ」
「構わない。頼む」
俺は手を合わせた。
「誰にも言わないならいいですよ」
「言うわけないだろう。俺たちだけの秘密だよ」
「いくら用意できますか?」
咄嗟に百万円という数字が頭に浮かんだ。俺は頭の中ですぐにそれを人民元に換算した。
「とりあえず七万元」
十倍の値段で売れれば九百万円の利益になる。
「わかりました。帰ったら故郷の友達に訊いてみます」
いつものように飲んでいたら帰るのは深夜だ。そうなると故郷への電話は一日遅れることになる。いや、泥酔するようなことになれば、この約束自体を忘れるかもしれない。
「どうする?」
「どうするって、何がですか?」
「ジャッキーが戻って来ないみたいだから今日は切り上げないか? 俺たちが待っているとジャッキーも気を使うだろうし」
「そうですね。ここはうるさくて話がよく聞こえないし、そろそろ出ましょうか」
俺たちは乾杯して席を立った。
店の客はさっきよりも増えている。入り口付近の雑踏をかき分けるようにして外に出ると淀んでいた空気が透明になった。
エイミーをタクシーに乗せてから俺はジャッキーに先に帰るという内容のショートメールを送信した。
「渋沢さん」
振り向くと与沢がにやにやしながら俺のすぐ後ろに立っていた。
小太りの丸顔。日系の美容室で整えているという相変わらずの髪型。こういう男のアップバングショートは暑苦しい。
「見ましたよ。やっぱ、彼女いたんすね」
「違うよ」
「隠さなくてもいいじゃないっすか。あの人、中国人っすよね?」
「どうでもいいだろう」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。それよりちょっと飲みません?」
「彼女はどうしたんだよ?」
「知ってたんすか?」
「さっき見かけた」
「なんだ、それならひと言声かけて下さいよ。由香は先に帰りました。今日は実家に電話する日なんで」
「だったら一緒に帰ってやればいいだろう」
「飽きるんすよね、同じ女とずっと一緒だと。せっかく中国に来たんだから中国人とも付き合いたいっす」
「付き合ってたんじゃないのか?」
「復旦にいたときには最大五人と同時に付き合ってました。遊んでる留学生はたくさんいるけど、五人同時に孕ませたのって俺くらいっすよ。だけど由香と同棲してからはぜんぜんダメっす。あいつチェックが厳しいんすよね」
「お前、復旦大学にいたのか?」
「そうっすよ。授業サボってたらクビになりましたけど。渋沢さんもたぶんクビになりますよ華東師範も厳しいらしいっすから」
「クビになったところでどうってことはない。最悪帰国すればいいだけだ」
「そうっすよね。やっぱ、俺が思った通りだ。渋沢さんの実家、会社かなんか経営してるでしょう?」
「実家は自営業だよ」
「俺の親父も経営者なんすよ。車のディーラー。これでも俺、親父が経営している会社の役員」
与沢は名刺を差し出した。
「俺たちみたいな経営者の跡継ぎは一般人とはマジ感覚が違うんすよね。大学をクビになったらどうしようとか、マジメに勉強しようとか、そういうのは労働者が考えることっしょ。俺たちは楽しいことをする。勉強しなくても、学歴がなくても、俺は親父の会社を引き継いで、勉強を頑張った連中を雇用する立場なんすから」
「そういう話はカネが大好きなバカ女にしろよ」
「バカに限らず女はみんなカネっすよ。カネさえあればどんな女でも落とせます」
「お前がバカな女しか知らないだけだ」
「もしかして、さっきの人、本当に彼女じゃないんすか?」
「違うと言ってるだろ」
「へー、じゃあ次に見かけたら俺が食っちゃいますよ」
「あいつは大金持ちだ。カネではなびかないよ」
「金持ちほどカネを持っている男しか相手にしないんすよ。それに、どんな女も自分ではカネが目当てだとは思ってないっす。別の魅力に引かれたと自分で思い込むんすよ。だから尊敬されるような話をすればいくらでも釣れますって。俺の場合は経済の話とか酒の蘊蓄とかっすね。マジ効果ありますよ。上海だけで十人以上堕胎させた俺の実績が全てを物語ってます」
やっとタクシーが来た。
俺は与沢の話を無視してタクシーを止め、無言のまま乗り込んだ。
女の目から見ると与沢にも魅力があるのかもしれないが、俺からすれば一番関わり合いたくないタイプの人間だ。
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