【番外編】サフォーノフの独白(1885年)

 シューマンの《パピヨン》だった。飛ぶような、不安定なルバート。それはまさに蝶々パピヨンで、彼の演奏は、そのコンサートの中で異彩を払っていた。

 モスクワ音楽院の生徒が市民に演奏を披露するコンサート。ペテルブルク音楽院の教授職に就いている僕にとって、いわば敵情視察のようなものだった。

 僕は、彼から目が離せなかった。彼の演奏を、一瞬も見逃さないように、耳を澄まし、目を凝らした。まだあどけないとしか言いようのない、その小さな身体の中から生まれる音楽は、僕の心を掴むのに十分だった。

 もちろんテクニックは未熟で、パワーもない。けれど彼の持つリズム感覚と音楽性、それに聴くものを幻の世界に誘うペダリングの妙は、天性のものというよりほかならなかった。

 僕以外で、果たして彼の才能をこれほど見抜いている人間がほかにいるだろうか。僕はあたりを見回す。いずれも、少年の愛らしい演奏に心地よく聴き入ってはいるが、僕ほどの興奮をもって彼の演奏を受け止めているものは一人もいない。

 僅かな既視感が、俯いた彼の横顔に漂う。低すぎず高すぎない鼻梁、青味がかったヘイゼルの瞳。……それはまだ、僕がペテルブルクの大学で法律の勉強をしていたころだ。誘われたコンサートで偶然聴いた、彼女の演奏。

 リュボーフィ・シチェチーニナ。ペテルブルク音楽院を卒業し〈自由芸術家〉として活躍する彼女のショパンは素晴らしかった。その華奢な身体から生み出される音色は、聴くものの心を恍惚とした桃源郷へと誘う。軽やかなタッチ、かと思うと、深く染み渡る和声の連なり。ハーフペダルを駆使した、メロディとハーモニーのあわい……。

 僕は法律の道を捨て、それまで趣味にとどめていた音楽を志すことを決めた。両親は反対した。法律の学士号を取得することが条件になった。

 僕は大学を卒業すると、その足でペテルブルク音楽院の門を叩いた。しかし、すぐに入学するには、僕には知識も技術も足りなかった。僕の幸運は、リュボーフィ・シチェチーニナを教えたレシェティツキ教授に出会えたこと。彼が入学までの個人レッスンを請け負ってくれた。教授は彼女の身体の弱さを残念がった。僕が音楽院に入学する前に、彼女は結婚し、出産で身体を壊して若い命を散らした。……いや、待て。彼女の結婚相手は、確かスクリャービンという名の男ではなかったか。

 彼の演奏が終わった。彼は上気した頬に笑みを浮かべて、客席に向かって礼をした。

 僕はすぐに、モスクワ音楽院の院長に就任したばかりのセルゲイ・イワノヴィチ・タネーエフに連絡を取り、教授職のポストを求めた。そのころモスクワ音楽院では貴族の邸宅を校舎代わりに間借りしていたが、新たな建物の建設が計画されていた。しかし思うように資金が集まらず、計画は遅々として進んでいないと聞いている。僕の妻は財務大臣の娘だった。僕はそれをもとにタネーエフにゆさぶりをかけ、彼は最終的に僕の要求を飲んだ。

 しかしタネーエフは、彼は正規の生徒ではなく、音楽理論を学びにモスクワ音楽院に通っているに過ぎないのだと言った。僕は彼が音楽院を訪うたびに彼への接触を図ろうとした。彼は官営の陸軍幼年学校に通っていた。軍人になどしてたまるか。彼は音楽をめざすべきなのだ。

 スクリャービンのモスクワ音楽院への転学は、陸軍学校での中等教育が終了したあとの1887年秋と決まった。僕はその年のクリスマスまで遠征コンサートツアーの予定を入れてしまっていた。彼にほかの誰かの手垢が付くのは耐えられない。僕は彼の入学を遅らせた。

 1888年1月、アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンはモスクワ音楽院に入学した。セルゲイ・ワシリエヴィチ・ラフマニノフが本科に上がるのは、その9カ月後のこととなる。

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