第15話(終)

 ロシア皇帝ニコライ二世は廃位され、代わってペトログラードには新政府が樹立された。けれど、国内の情勢はいまだ混乱の渦の中にあった。新政府は、ブルジョワジーが権力を握るべきだと考え、彼らに反感を抱いた労働者や兵士たちは抗議デモを繰り返した。

 僕はこの国の〈自由〉のためにモスクワで慈善コンサートを開き、チャイコフスキーや自作の協奏曲を演奏した。

 四月、別荘ダーチャのあるイワノフカに向かった。革命の波はここにも及んでいた。別荘ダーチャは小作人たちによって蹂躙され、これまでの稼ぎをつぎ込んで丹精した畑は荒らされた。ピアノも書きかけの楽譜も、大切にしていた愛車も、可愛がっていた馬や犬も、すべての財産を失った。

 ジロティは国外に避難することを勧めた。しかし、国外はおろか、国内のビザを取得することさえ困難だった。夏の間はクリミアに避難し、九月にヤルタでコンサートを開いた。シャギニヤンが聴きに来てくれた。

 僕はしばらく国外に避難しようと考えていると彼女に伝えた。

「セリョージャ、それはかえって危険だわ。今この国から出て行けば、貴方は二度と戻れなくなるかもしれない」

 彼女は詩人である傍ら、社会運動家としても活動していた。

「貴方の音楽の源はここロシアにしかないわ。ロシアを離れるべきではない」

 彼女の言葉は真摯で、僕を思ってのことだとはわかっていた。けれど、今この国で落ち着いて音楽ができるとは思えなかった。僕の決心が固いと見ると、シャギニヤンは悲しげに瞳を曇らせた。

「……お元気で、セリョージャ。どこにいても貴方の活躍をお祈りしています」

 僕とシャギニヤンは固く握手を交わし、別れた。これが彼女の顔を見た最後となった。

 秋、モスクワのアパートに戻った。ちょうど北欧でのリサイタルのオファーがあり、僕はそれに飛びついた。

 十月、労働者たちが立ち上がり、政府は再び打ち倒された。

 十一月の終わり、モスクワを発った。アパートの机の抽斗に、交響曲第一番のスコアを入れっぱなしにしていたのを思い出したが、もう遅かった。

 十二月、僕は家族とともに祖国を離れた。そして二度と、ロシアに戻ることはなかった。

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