第15話 特別な理由

 今年も残すところあと一日になった。師走の忙しさも今日までだ。

 それにしても、師走とはよく言ったものだ。確かに、誰も彼もが急いで駆け走っているように時が進む。

 私がタケシの部屋に居付いてから、もう一ヶ月弱が過ぎている。





 昨日は、一日掛けて大掃除をした。……とは言っても、部屋の何処も綺麗に片付いているこの家で、汚れているところはあまりなかったが……。ベランダの倉庫とキッチンの換気扇、水回りの配管部分など、探して見つけなかったら分らないほどの汚れしか見あたらなかった。


 掃除をした訳ではないが、大掃除の過程で、この一ヶ月で初めて入った部屋があった。それは、タケシの書斎だと思っていた四畳半の部屋だった。

 四畳半の部屋には、私が今使っている和室の以前の状態同様、何も置かれてはいなかった。しかし、和室と違って、こちらには明らかに生活をした跡があった。戸棚やタンスの跡と思しき壁の汚れ方や、何かを掛けるために壁に設置したと思われるフック……。フローリングの床には、家具の数々が傷つけたと思われる跡などが点在していた。


 私が大掃除をしている間に、タケシは仕事の合間を縫いながら、お節料理の準備に取りかかっていた。


 普段の食材は、生協で全て間に合わせるタケシも、お正月に向けてだけはそうはいかないらしい。以前も言っていたが、生協は欠品が多く、注文した食材が届かないことも少なくないようなのだ。

 具体的に何が足りないかと言うと、タケノコ、牛肉、三つ葉、魚介類等らしい。野菜類は収穫の問題とかで分るような気もするし、魚介類は天候にも左右されるので分るのだが、牛肉が欠品と言うのは、門外漢の私には疑問でしかなかった。


 ……と言うことで、昨日の夜は、タケシは買い出しに行き、私が初めてこの家で夕食を作った。

 夕食のメニューは親子丼……。

 本当は鍋にしたかった。鍋ならタケシの料理と較べられても技術のなさが分らないし……。しかし、先日飲みに行ったときに、ますみさんがアリスに言っていた言葉が引っ掛かり、鍋料理を断念したのだった。





「いい、アリスちゃん……。男を捕まえておくのには、大事な袋が三つあるのよ」

「あ、それ、知ってます~ッ。給料袋と胃袋とお袋ですよね~ッ」

「違うわよ、そんな結婚式の祝辞みたいなこと言ってるから、彼と口を利いてもらえないのよ」

「もう、ますみちゃん、それを言わないでよ……。本気で凹んでるんだから」

「良く覚えておくのよ。大事な袋は、給料袋と胃袋と……、金の玉袋よ」

「うふふ……。やだー、ますみちゃん、下ネタなの? お下品なんだから~ッ」

「何を言ってるのよ、あなたは彼の金の玉袋ばかり握ってるくせに……。それじゃダメなのよ。大事なのは胃袋。つまり、手間を掛けて相手に尽くすことよ」

「え~ッ?、私、ちゃんとお料理も作ってるよ」

「そうなの? 仕事が忙しいからって、鍋ばかり作って楽をしてない? アリスの料理はカレーと鍋ばかり……、って噂よ」

「えっ?、どうしてますみちゃんってそんなことまで……」

「ほら当った」

「もう、またカマをかけて……。ますみちゃんズルい」

「ダメになるカップルは、オカマでも女でも同じなの。相手に気持ちと手間を掛けなくなったら終わり。鍋料理を連発するのは、その最たるモノよ」

「は~いッ、ちゃんと覚えておきます~ッ。メモメモ、っと」


 ますみさんの言っていたことは、私にも覚えがある。確かに、就職してから私の料理は鍋料理が増えた。もちろん、バリエーションは多くしてあるが、やはり鍋は鍋……。

 直樹も、もしかするとそう言うところが気になっていたのかもしれない。鍋料理が増え、忙しそうにしている私に負担を掛けたくなかったのかも……。


 幸い、昨日の親子丼はタケシにも高評価だった。卵が煮えすぎず、半熟なところとしっかり火が通っているところがあり、卵を二回に分けて入れているのが良い……、と言われた。見てなくても、私が何をやっているのかはお見通し……。

 私の胃袋はしっかりタケシに掴まれているが、取りあえず及第点はもらったものの、タケシの胃袋を私が捕まえるのは当分先のことになりそうだった。





 手間を掛けると言う点で、タケシの料理が群を抜いて凄いのが分った。

 今日作っているお節料理にしても、手間の掛け方が尋常ではないのだ。


 正直なところ、タケシはあまり手が早い訳ではない。お節料理の準備などを見ても、包丁さばきなどは、私のそれとあまり変わらない。しかし、同時進行で料理を作る手順の良さが抜群なのだ。

 普通、料理を作るときに、同時に作れる料理の数は3種類が精一杯だ。ガス台に鍋やフライパンを二つ乗せ、まな板の上でもう一つ作る感じだ。それが、タケシの場合は4品以上を同時進行で作ってしまうのだ。しかるべき時間になると、それぞれに手を加え、その他の時間で他の料理の準備をする。多分、私が同じようなことをすると、やってる料理のどれか一つは失敗してしまうだろう。


 このタケシの妙技をまざまざと見せつけられたのが、お煮染めだ。


 まず、カツオ節と昆布の出汁を予め大鍋にいっぱいとり、その他に椎茸からとった出汁を用意しておく。そして、煮るのに時間の掛かるこんにゃくやタケノコから下煮を始め、下煮の間に里芋や八頭、ニンジンなどの皮むきを終え、電子レンジでカマボコを蒸す(魚の白身を型に入れて蒸すことでカマボコは出来る)。

 お煮染めは、昆布、ニンジン、こんにゃく、タケノコ、里芋、椎茸、八頭、ゆり根、ゴボウ、レンコン、それぞれに出汁と調味料の配合を変え、一品ずつ煮るのだ。

 しかも、ニンジンはサクラや梅の型で抜いたモノを面取りしておく。昆布は、中のニシンを別に煮ておく。こんにゃくは薄く切り、中に切れ目を入れて捻りを加える。椎茸は時間が掛かっても干し椎茸を戻したモノを使う。ゴボウは甘辛く煮た後にゴマを加えて独特のゴマ和えになっている。……等々、どれも一つずつ丁寧に作ってある。

 更に、アクが出だすと、それを丁寧におたまですくって取り除くのだった。


 ちゃんと作るとお煮染めが手間の掛かることは知っていたが、ここまで拘るのは見たことがない。亡くなった母も、祖母もお節料理を作っていて、私も手伝ったことがあるが、こんなに手間を掛けたお煮染めは初めてだった。それを、タケシは2時間半で終えるのだから、とんでもない早さだ。

 横で何か手伝おうと思って立っていた私は、ただの邪魔者に過ぎなかった。





 タケシは午前中にお煮染めを終えると、午後からは魚介類とローストビーフに取りかかるのだった。

 尾頭付き鯛の塩焼き、煮アワビ、柚子釜のいくら、数の子、昆布締めのヒラメ、伊勢エビの鬼殻焼き、そしてローストビーフ……。これでもかと豪華な料理が並ぶ。

 その上、甘いモノも幾つも作っていた。黒豆、栗きんとん、ワインの寒天、煮杏、杏仁豆腐。本当に食べきれるのか疑問なくらい、お節料理は豪華に仕上がっていった。


 タケシは、一通りお節料理を作り終えると、いつものように3時には寝に入った。料理をお重に詰めるのは起きてからだそうだ。

 私は横にいて料理が出来る模様を逐一眺めていた。役に立ったのは、味見だけ……。情けない限りだが、それでも一緒にお節料理を作っている気になれ、密かにとても嬉しかった。





「ピンポーン……」

4時過ぎにインターホンが鳴った。大晦日まで宅配便の配達だろうか? そんなことを考えながら玄関に向かうと、外から鍵を開ける音がする。タケシは寝室で寝ているのに? 私が開けようとノブに手を掛けようとした瞬間、ドアは勝手に開けられた。

 見ると、そこには私と同年配の女性が立っていた。


「あんた誰? そこで何をしてるの?」

「あなたこそ、どちら様でしょうか?」

私もその女性も、驚いていた。私はタケシから鍵を持った女性の存在なんて聞いていないし、女性もキョトンとしている。


「ここって、三浦さんの家だよね?」

女性は尋ねるように言った。

「そうですけど……。もしかしてタケシさんに御用でしょうか?」

「用って言うか、私はそのタケシの娘なんだけど」

「えっ?」

「あ、父は今、寝てるのか。じゃあ、ちょっと上がって待たせてもらうよ」

「あの、すいませんでした。私、紗季と申します。タケシさんとルームシェアしておりまして……」

「紗季? あんた紗季って言うの?」

「あ、はい……」

「まあ、いいか……、何でも。とにかく上がらせてもらうね」

そう言うと、タケシの娘と称する女性は、呆然とする私を尻目に、ずかずかと上がり込んで行った。


 女性は、妙子と名乗った。リビングにある食卓の椅子に座ると、

「まだ、この椅子使ってるんだ。もう古いんだから替えたらいいのに……」

と言っている。


 私は、とりあえずお茶を入れた。

 妙子さんの荒っぽい態度は、とてもタケシの娘とは思えないが、鍵は持っているし、家に踏み込んだ後も勝手が分っているようで迷わずリビングに入るしで、確かにここで暮らしていたことは間違いがなさそうだ。


「あんたお茶の入れ方上手いね。私はこういうの全然ダメなんだよね……、あはは」

「……、……」

「何、その怪しい人間でも見る目は……?」

「あ、いえ……」

妙子さんは、濃くかなり奇抜なメイクをしている。最初は水商売の方かと思ったが、その割にはあまり男性に媚びたような雰囲気がない。格好もダブダブのシャツにミニスカートと、かなりラフな感じだ。ストッキングは黒でラメの入ったかなり透け感の激しい刺激的なモノだし……。


「……で、紗季ちゃんはいつからここで暮らしているの?」

「今月の頭くらいからです」

「一ヶ月? じゃあ、本当にルームシェアな訳?」

「ええ……」

「へえ……、そうなんだ」

妙子さんは、私を値踏みでもするように見回した。私も妙子さんの顔をまじまじと看たが、どう見てもタケシと血縁があるような感じには思えなかった。


「ルームシェアじゃなく、好きなんじゃないの? 紗季ちゃん」

「は、はい?」

「父のことだよ。あの人、結構若い人にモテるんだよね。それに、紗季ちゃんファザコンっぽいし……」

「あ、あの……」

「あら、図星なの。あはは、やっぱりね」

「……、……」

「こう見えても私、人を看る目には自信があるんだ。そういう商売だからね」

「そういう商売って?」

「美容師なのよ、これでも。だから、男も女もいっぱい人を看てきてる訳」

「はあ……」

なるほど……。それでちょっと変わった格好をしているのか。美容師と聞いて納得がいった。髪の毛はグリーンにカラーリングされているし、言われてみれば……、と言う感じだ。


「父から私のことは聞いてなかったの?」

「はい……」

「じゃあ、ちょっとショックでしょ、こんな大きい娘がいて」

「あ、いえ……」

「あはは、そんな不安そうな顔をして、いえ……、も、ないでしょ」

「……、……」

「カワイイ反応をしてくれたから、一つ良いことを教えてあげるね」

「……、……」

「私はあなたの大好きなタケシとは、血が繋がってないの。つまり、連れ子なの」

「はあ……」

「あはは、あなた凄く素直ね。今、超安心したって顔をしたじゃない。本当に父のことが好きなのね」

「……、……」

まったく……、どうしてこう客商売の方々は鋭いのだろう。私は完全におもちゃにされているようだ。


「素直だから、もう一つ教えてあげるね。父には、血の繋がってる子供はいないわ。それに、連れ子も私だけ。どう、また安心した?」

「あ、いえ……」

「どうせ父のことだから、何も話してないんでしょ? 紗季ちゃん、気に入ったからなんでも聞きたいことがあったら聞いても良いよ。あ、でも、今度髪を切る時は、私に切らせてね。それだけ約束してくれたら、何でも教えちゃうよ」

「……、……」

「あ、何? 今行ってる美容室に義理でもある?」

「いえ、そう言う訳ではないのです。でも、タケシさんに了解をとらないで、聞いてしまって良いのかと……」

「あはは、そんなこと気にしてるんだ。大丈夫だよ、私は娘なんだからさ。妙子が勝手に喋ったって言っておけばいいよ」

「あ、あの、では少しだけ……」

「良いよ、何でも聞いて……」

「では……、……」


 私は妙子さんの申し出を有り難く感じていた。何故かと言うと、タケシさんの亡くなった奥様のことを知りたかったから……。ますみさんに聞けば教えてくれるかも知れないが、私が独りで飲みに行くのはちょっとまだ自信がないし。それに、身内にしか分らない話もあるはずだ。かと言って、タケシに直接聞くのも、何となく気が引けた。きっと、大切な想い出に踏み込んでしまうような気もするので……。





「妙子さんのお母様のことなんですが……」

「母のこと?」

「はい、タケシさんの寝室に仏壇と遺影があるのですが、あの写真の方ですよね」

「そうよ。私が12歳の時に亡くなったから、もう14年になるかな?」

「お母様は、どんな方だったんですか?」

「どんなと言われても……」

「実は、先日タケシさんと飲みに行った際に、私がお母様と雰囲気が似ていると言われて……」

「雰囲気? 誰、そんなことを言ったのは?」

「あの、ますみさんって方を御存知ですか?」

「ああ、ますみさんね。あの人のことなら良く知ってるわ。私、今勤めている美容室をますみさんに紹介してもらったのよ。父も付き合いが長いらしいし、母とも関係が深かったのよ」

「……、……」


 妙子さんによると、妙子さんのお母様は結婚前からスナックを経営していたらしい。そこで出逢ったのがますみさんで、お互いの店を行き来する仲だったと言う。


 タケシとは再婚だったそうだ。妙子さんの実の父親が失踪し、その直後からタケシとお母様は付き合いだしたらしい。

「私は小学校6年生だったから、まだまだ多感な時期でね。父親が失踪したのにすぐ他の男と付き合い出す母が嫌いだったわ」

「……、……」

「だって、なんかそう言うのふしだらな感じがしない?」

「タケシさんがそんなことを……」

「父は、実の父親の同僚でね、当時、二人とも証券会社に勤めていたわ。父は超優秀だったらしいけど、実の父親はだらしのない人で成績もイマイチ……。でも、同期だったから凄く仲が良かったらしいの」

「……、……」

「だから、私は父も嫌いだったの……。実の父親を母と二人で排除したんじゃないかとさえ思ったわ。同僚の奥さんを寝取って家に入り込んでくるクズ野郎だと思っていたしね」

「……、……」

衝撃的な話を聞いているのに、私は動揺していなかった。妙子さんが今訪ねて来ていることを考えても、何処かに誤解があったとしか思えなかったから。それに、タケシに限って、友人の奥さんを寝取るなんてことがある訳がないと思うし……。


「母はね、実の父親が失踪すると、すぐにお店を辞めたわ。住んでいる家も引き払って、私と二人でこの家に来たの。父は三人で暮らすためにここを買ったらしいわ。かなり高かったみたいなので、本当は母がお店や家の権利を売って父に貢いだんじゃないかと、子供心に思ったものだわ」

「それで、三人で暮らし出したのでしょうか?」

「うん、ちょっとの間だけね」

「ちょっと?」

「母がね、子宮ガンにかかって、転移しまくっててすぐに死んだの。三人で暮らし始めて、三ヶ月も経たない頃にね。私はほんの数ヶ月で誰も身寄りのいない独りぼっちになったの」

「……、……」

「紗季さんはお嬢様っぽいから、独りになる悲しさとか分らないかも知れないけど……」

「いえ……」

「ん?」

「私、高校生の時に両親を交通事故で亡くしましたから……」

「……、……、ごめん。失礼なことを言っちゃったね」

「いえ……。私こそ、こんなことを聞いて良かったのですか?」

「あ、私のは、こっちから聞けって言ったんだし。全然構わないよ」

「……、……」

「紗季ちゃんも見掛けによらず苦労してるんだね」

「でも、私は祖父母が面倒を看てくれましたし……」

「そうなんだ。だけど、やっぱ辛いよね、二親が居なくなっちゃうのって」

「……ですね」


 妙子さんに入れたお茶は、すっかりなくなっていた。入れ直しにキッチンに立つと、

「お茶請けに黒豆を出してよ。父の作ってくれるあれ、好きなんだよね」

と、妙子さんは言った。先ほど私も味見したが、甘過ぎずコクがあって確かに美味しい。タケシによると、グラニュー糖ではなく、茶色い砂糖を使うとコクが出るのだそうだ。


「母が死んでから、身寄りのない私は父と暮らしたんだけど、父が憎くて仕方なくてね。母の死は父とは関係なかったんだけど、母の生命保険とかも父が持って行っちゃったと思っていたから……。だから、父とは口も利かなかったわ。中学に上がると、家にいるのが嫌で、そこら中の繁華街で夜な夜な遊んで……。って、言っても、売りだけはしなったけどね」

「売りって……?」

「ああ、売春ね。私の悪い友達の中には、そういうのをやってる子もいたわ。でも、私は母みたいに男に媚びを売る女にはなりたくなかったから、それだけはやらなかったの」

「……、……」

「まあ、でも、全部私の勘違いだったんだけどさ。全部ね」

「……、……」

「母も、父も、そんなふしだらでも酷い人間でもなかったわ」

「……、……」

妙子さんは、遠くを見るような目つきで、私の頭上を見ているようだった。そして、黒豆を一つ口に入れると、お茶をズズッと啜った。





「母の一周忌の法要の時にね、ますみさんから手紙を渡されたんだ……、母からの」

「……、……」

「ますみさんは頼まれていたんだって……、一周忌に渡して欲しいって」

「……、……」

「それにはビックリすることがいっぱい書いてあったわ。実の父親が失踪したのは、客のお金を遣い込んだからだった……、とか、その穴埋めに家も店も手放した……、とかね」

「……、……」

「でも、それでも足りなくて、母は自殺しようとしたらしいのね。自分に掛かってる保険金を目当てに……」

「……、……」

「それを偶然止めてくれたのが、父だったらしい。自殺を止めた上に、住むところも足りないお金も工面してくれた……、って」

「……、……」

「私一人が知らなかったんだ。他の人は全部知っていたのに……」

「……、……」

「悔しいのか情けないのか分らなかったけど、私は父に全部怒りをぶつけたわ。どうして報せてくれなかったんだ……、ってさ」

「……、……」

「そうしたら、彼は言ったわ……、お母さんの気持ちを大事にしたかった、って」

「お母様は、妙子さんに心配を掛けたくなかったのでしょうね」

「そうかもしれないけど、実の父親が失踪して、真実を知らされない娘の気持ちにもなって欲しいわ」

「……、……」

「しかも、全部自分で抱え込んで、自殺までしようとして……。両親ともいなくなってお金だけ遺されたって、私が嬉しい訳がないでしょう?」

「……、……」

「結果的に死んだのは同じだけど、自殺されたら私は立ち直れなかったわよ」

「……、……」

妙子さんは、当時の昂ぶった気持ちがよみがえるのか、声が大きくなっていた。


「父には感謝しているのよ……、私」

「……、……」

「証券会社を辞めたのも、多分、私のためだし……。仕事で家を空けると私が寂しがると思ったんでしょう。食事も掃除も洗濯も、全部父がやってくれたわ。中学の時なんか、PTAの役員までやってくれたしね。ぐれてた時には補導もされたけど、何も言わず引き取りに来てくれたなあ……。飲みに行くときだって、必ず、私と夕飯を一緒に食べてから行ったわ」

「……、……」

「今でこそ料理も上手いけど、当時は下手でね。でも、元々才能があったみたいで、一ヶ月もしない内に、母より美味しく作っていたけどね」

「……、……」

「父には一度も怒られたことがないし、何も聞こうとしなかったけど、私のことは何でも知っていたわ。恐ろしく察しの良い人だからね。だから、高校受験をせずに美容師になりたいと言ったら、黙って協力してくれたわ」

「……、……」

「美容師のインターン時代には、何度実験台になってもらったことか……」

「……、……」

「ここを出たのは20歳だったけど、そのときは母の生命保険を丸々全部持たしてくれたわ。全然、手を付けてなかったのね。これからは自分の思うようにやりなさい……、って言ってね」

「……、……」

「血も繋がっていない、突然降って湧いたような娘に、これだけしてくれたら、感謝するしかないじゃない?」

「……、……」

どの逸話も、肯けることばかりだった。タケシなら間違いなくそうしたであろうと言うことばかり……。


 妙子さんは、涙を浮かべていた。私も、それを見て涙をこぼしそうになっていた。

 話を聞けば聞くほど、タケシが身近に感じられ、愛おしくなっていく。


「そういうところじゃない?」

「えっ?」

「さっき、紗季さんが言っていたじゃない。ますみさんに、母と似ているって言われた、って」

「……、……」

「母も、よく人の話を聞いては、もらい泣きしていたわ。あと、あなたって、自分で何でも抱えたがる方でしょう? そういうところも似ているかも」

「……、……」


 時刻は5時半になっている。

 そろそろ、タケシが起きてくる頃だ。





「紗季さん……。あなた、父が自分をどう思ってるか分らなくて戸惑ってるんじゃない?」

「……、……」

「あの人、自分の気持ちをまったく言わないからね。父は察しが良くて何でも分るけど、こっちは全然あの人のことを理解できなくて、私も苦労したし」

「……、……」

「でもね、大丈夫だよ。あなたは特別だから……」

「特別……?」

ますみさんにも言われた、特別……。何が特別なのか、私には分らない。


「きっと、最初から、紗季さんが好きだったと思うよ、父も」

「……、……」

「どうしてそんなことを言えるか分らないでしょうね」

「……、……」

「でも、間違いないわ。私が保証する」

「……、……」





 妙子さんは、涙を手で拭いながら言った。


「私の母の名前もね、紗季って言ったのよ……」

と……。





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