第6話 決める
「えっ?、紗季、別れたの……?」
洋子は相変わらずストレートな聞き方をする。
「ちょっと、声が大きいってば」
「ご、ごめんね、でもさあ……」
ちょっとオシャレなイタリアンのお店でも、洋子の声は甲高かった。居酒屋でも、喫茶店でも、彼女は常にマイペースでテンションが高い。
昨日約束した通り、今日は仕事終わりに洋子と食事をしている。元町・中華街駅から歩いて少しのところにあるこの店は、トマトとニンニクのパスタが美味しく、私達二人のお気に入りのお店だ。
とりあえずワインとオードブルの生ハムを頼み、洋子が話し出す前に、私は直樹と同棲を解消したことを告げた。洋子は一旦話し出すと、次から次へと話題が展開していくので、そうなると言いそびれそうだったから……。
「別れたって、いつよ?」
「先週の土曜日……」
「あ、それでメールくれたのね、……で、どうしちゃったの?」
「直樹が、突然出て行ってくれって言うから」
「突然?、えっ、いきなり出てけって、何それ、あいつめ……」
洋子は何か言いかけて絶句した。
グラスワインが運ばれてきた。洋子は絶句したまま、なにか難しい顔をしていたが、とりあえず二人でグラスとグラスを合わせた。金属質なチーンという音が響く。
「私ね、悔しかったの……。でも、そんなことを言い出す人と一緒にいてもバカバカしいし……」
「……、……」
「だから、言われてすぐに部屋を出ちゃったの」
「……、……」
「自分でも意外だけど、スッキリしちゃった、あの部屋を出たら。だから後悔はしてないわ」
「ご、ごめんね、私、紗季がそんな辛い思いをしてるなんて、何も知らなくて……」
「そんなことない、洋子ならいつでも相談に乗ってくれると思っていたわよ」
「こんなタイミングでインフルエンザにかからなきゃ、何でもしてあげられたのに……」
何度も謝る洋子は、まるで自分が悪いかのように顔を歪ませた。全然、そんなことはないのに……。
「あ、そうそう、洋子こそ治って良かったね」
「……、……」
「今日は快気祝いだから、私がおごるからね」
「……、……」
「ほら、そんな顔してないで飲もう、私は大丈夫なんだから」
「う、うん……」
普段は能弁な洋子なのに、らしくない。でも、それだけ私を心配してくれてるんだと思うと、有り難さで気持ちがいっぱいになった。
洋子は、最初から私が直樹と付き合うのには反対していた。
「ナルシストな直樹は、必ず紗季を泣かせることになるから……」
と言って……。今思えばさすがの慧眼で、あらためて洋子の鋭さを感じる。
ただ、当時の私は、ナルシストなくらいプライドが高い直樹が、向こうから告白してくれたと言う事実だけで気持ちが傾いていた。だから、洋子の忠告は有り難く拝聴したものの、結局、付き合うことを決めたのだった。
付き合い出すと、反対していたにも拘わらず、洋子は応援してくれた。
「紗季が好きならしょうがないじゃない……」
と、言いながら……。私と直樹が喧嘩した時は、必ず仲裁に入ってくれたし。
生ハムを食べ終え、チーズの盛り合わせを注文した頃には、洋子はいつものペースに戻っていた。インフルエンザにかかってから5日も寝込んだことや、食事が作れないのでひたすらパンがゆを食べていたこと、メールはいっぱい来たが、心配を掛けないように私以外の誰にも返信しなかったことなどを、語って聞かせてくれた。
「でもさあ、紗季って強くなったよね」
「えっ?、何処が……」
「だってさあ、前は直樹にちょっと酷いことを言われただけでも半月は気にしてたけど、今回はサバサバしてるじゃない」
「そ、それって誤解よ、今回も深く傷付いてますから……」
少し酔ったのか、洋子のツッコミがきつくなる。彼女は酔い出すといつもよりも鋭さが増すのだ。
確かに洋子の言う通り、今の私は直樹の話題を振られても平静でいられる。つい三日前のことなのに、感情的になることもない。
「実はね、紗季には黙ってたんだけど……」
「……、……」
「卒業する直前くらいに、私、直樹からコクられてさあ……」
「えっ?」
「瞬間的に超頭きたから、即行、フルスイングで頬を張り倒してやったのよ」
少しトロンとした目で、洋子はケラケラ笑う。
これについては、知っていた。洋子が思いきりビンタしたことも……。サークルの友人が教えてくれたから。直樹は数日腫れが引かず、電柱にぶつかったと偽りながら、家では氷で冷やしていたっけ……。
「紗季を泣かせる奴は、私が全部ぶっ飛ばしてやるからね~」
そう言うと、洋子はグラスに半分以上残っていたワインを、一気に飲み干した。
「ちょ、ちょっと、洋子ったら、明日も仕事でしょう?」
「いいの、いいの、今日は良い気持ちだから……」
「なに言ってるの、病み上がりなのにペースが速すぎるわよ」
「えへへ……」
意に介さずに、洋子はまたワインを注文した。
「飲み過ぎちゃダメよ」
そう言ってはみたものの、私も今晩のお酒は楽しいし美味しかった。洋子に話してスッキリしたのかもしれない。きっと洋子もそんな私の気持ちを察していると思うし……。
「ところでさあ……」
ワインを散々飲み、そろそろパスタを食べようと言う頃になって、洋子は急に真顔になった。
「紗季、今、何処で寝起きしてるの?」
「あ、そう、それで今日は相談があったの……」
「相談?、って、もしかして、ホテルとかに泊まってるの?」
「いえ、そうじゃないんだけど、ちょっと込み入った事情が……」
「まさか、何処かの男の家にでも転がり込んでるとか?」
「あ、あの、……、……」
まったく、何て鋭いのだろう。突然、話の急所を突き、それがまた当っているのだから……。
「紗季、ちゃんと話してごらん。怒らないから……」
「あのね、洋子、そう言うことではないの」
「じゃあ、話せるよね」
「うん、今日はそれも話したかったんだから……」
私は洋子に気圧されながら、新宿であった出来事を少しずつ話し始めた。
「つまり、やけになって酔ったら歩道で寝てしまい、家に連れて行ってくれた人がいたってこと?」
「大筋で合ってるかな」
「あのさあ、紗季、それって普通やばくない?」
「そうなんだけど……」
「だって、見ず知らずのオッサンなんでしょ?」
「……、……」
とりあえず、居酒屋で酔った後、タケシさんの家で目覚めたところまでを話した。ただ、吐いて着替えさせてもらったことは伏せておいたが……。
「……で、何もされなかった?、そのオッサンに」
「洋子、そのオッサンって止めてよ、タケシさんね」
「ああ、そのタケシさんに、いやらしいことされたんじゃない?」
「そ、そんなことないよ……」
まったく、どうしてそう聞いて欲しくないことをズバッと聞いてくるのだろう。洋子のこういうところは尊敬するものの、同時に閉口もしてしまう。現実は、微妙にそれらしきことがあっただけに、動揺しまくりだったりするし……。
「その後はどうしたの?、日曜の昼から後」
「不動産屋さんやネットで色々賃貸物件を調べたんだけど……」
「え?、それ、保証人どうするの?、誰かあてがあったの?」
「それが……」
一々ごもっともなツッコミが入る。洋子と話をするといつもそうなので驚きはしないが、毎度のことながら圧倒される。まあ、余計な説明が省けて助かるとも言えるが……。
「あ、そっか、私が保証人になれば良かったんだよね」
「そう、お願いしようと思ったんだけど、インフルエンザの人を引っ張り出す訳にもいかなくて……」
「なるほど、……で、結局、契約は出来なかったのね」
「そうなの」
「だったら、日曜の晩はどうしたの?」
「そ、それが……」
ここまではそれでも快調に説明してきた。しかし、日曜日の夜のことだけは、タケシさんの存在をクローズアップさせずに話すことは出来ない。そこを頑張って越えなければ、今日の本当の目的には到達しないと言うのに……。
言いよどむ私を見て、洋子は何かを感じたのだろう。少し、怖い顔をしている。
ただ、さすがの洋子でも、私がタケシさんの部屋にのこのこ戻って行ったとは思わないだろうけど……。
「あのね……、その……、実は……」
「何よ、そんなに言いにくいの?」
「タケシさんのところに、泊め……」
小さな声で、泊めてもらったと言ったのだが、声がかすれて音にならない。
「えっ?、タケシさんって、なんでオッサンがそこで出てくるの?」
「それは……」
「だって、横浜に戻ってきてたんでしょ?、住むところを探しに」
「そうなんだけど、ロッカーに……」
「ロッカーって……?」
しどろもどろの私に、洋子も呆れたようだ。出てくるワードの意味さえ理解出来ないようで、少し声が大きくなってきている。
「ちょっと待った、紗季、まずは落ち着こうか」
「う、うん……」
「はい、深呼吸してー、吐いてー、ほら、もう一度……」
「……、……」
「少し落ち着いたわね、じゃあ、今度こそちゃんと話して頂戴」
そんな、深呼吸をチョロッとしたくらいではどうにもならない。そう、抗議したかったが、洋子の迫力に圧倒されてそれも言えない。しかし、肝心なことは言わなければ先に進まないのも分っている。
「新宿で飲む前にね、新宿駅のロッカーに荷物を預けたの。スーツケースが重かったから」
「ふむふむ……」
「タケシさんのマンションは新宿三丁目駅から近くて、だから横浜に戻る時に荷物を取り忘れちゃって……」
「なるほど、それで荷物を取りに戻ったのね、新宿に」
「そうなの。……で、荷物も取ったし帰ろうと思ったんだけど、タケシさんにご迷惑を掛けたお礼もしてなかったことに気がついて……」
「それで……?」
「電話を掛けたの……」
「……、……」
「そうしたら、お腹空いてないかって誘われて……」
「行ったの?」
「そうなんだけど、本当は断ろうと思ったの、図々し過ぎるから、でも……」
「でも、何?」
「スマホの電池が切れちゃって、断れなくて……」
「……、……」
洋子は、何やら腑に落ちたようだった。今までは怖い顔をしていたが、急に微笑み出したし……。しかし、私は知っているのだ。彼女が微笑んだ時に、一番鋭い感性が発揮されることを……。
「ところで、紗季、あなたはどうしてタケシさんの電話番号を知ってるの?」
少し間をおいてから、洋子は尋ねる。今までとは打って変わったような優しい声で……。
「それは、タケシさんが別れ際に名刺をくれたの。困ったら連絡しておいで……、って」
「タケシさんは、紗季が困ってることを知ってたの?、何か言った?」
「いえ、何も言わなかったわよ」
「……、でも、あなたは困って電話した訳じゃないのよね?」
「そ、それは……」
ああ、そこを聞いてくるのか。やはり洋子は見逃してはくれなかった。
確かに、私自身、そこに矛盾があることは分っている。でも、あの時は純粋にお礼がしたかったのも嘘ではない。
「それで、泊まったの?」
「うん……」
「日曜だけ?」
「いえ……」
「もしかして、今日もタケシさんのところから出勤した?」
「うん……」
そこまで聞くと、洋子は大きなため息をついた。きっと、呆れられたのだろう。致し方がない。
でも、話さなければここから先には進めない。タケシさんからあの家に住んでも良いと言われ迷っていることを、洋子にどうしても相談したかったから……。
「紗季、落ち着いて聞いてね」
「うん……」
「紗季は、同性の私から看ても、性格も良いし、カワイイし、スタイルも悪くないのよ」
「そんなことは……」
「いいから聞いてね」
「……、……」
「だから、男の人から看れば、誘いたくなるのは分る?」
「……、……」
「しかも、弱みがあるように見えれば、相手はここぞとばかりそこを突いてくるの」
「……、……」
「サークルでも、直樹と付き合っていなければ、好意を持っていた男子は沢山いたわ」
「そんな……」
「私は男子からも相談されたから知ってるの。でも、あなたの気持ちが大事なので諦めさせていたのね」
「……、……」
洋子は微笑みを絶やさずに話し続ける。ただ、目つきは厳しく、真っ直ぐ私の目を見つめている。
「ここからは、私の想像だけど……」
「……、……」
「タケシさんがあなたに優しいのは、若くてカワイイからと、あなたが家庭的だからなんだと思う」
「……、……」
「紗季のことだから、タケシさんにご飯でも作ってあげた? それとも、掃除でもしてあげたんじゃない? 男性の一人暮らしって、そういうのしない人が多いから……」
「洋子、違うのよ」
「違わないでしょ、実際に誘って泊めてくれてるのだから……」
「だから、違うの……」
「私、紗季が人の良いの知ってるけど、それでも好きでもない男性の家で何日も泊まるなんて、ちょっと悲しいかな」
「洋子、本当に違うの……、本当に……」
「違うって、まさか、あなた……」
「聞いて、洋子の思っているような人じゃまったくないの、タケシさんは」
「紗季、……」
洋子は本当に悲しそうな顔をしている。誤解なのに……。
ただ、洋子ならちゃんと話せば分ってくれるはず。私のことをこんなに心配してくれているのだから……。
すっかり、パスタは冷えていた。洋子の皿も私の皿も、ほとんど残ったままだ。
「洋子……、タケシさんの家で、私は夕食の洗い物しか家事らしいことはさせてもらってないの」
「……、……」
「朝食も、夕食も、お弁当まで作ってもらってるし……」
「えっ?」
「それに、掃除はいつの間にするのか、いつも埃一つ無いの」
「……、……」
「作ってくれる食事は、どれもこれも手間が掛かってて、私が作るより美味しいし……」
「紗季より?」
「そうなの、ちょっとしたお店で食べてるみたいなのよ」
「……、……」
「昨晩、タケシさんは夕食後に飲みに出掛けたのだけど、今日も朝ご飯を作ってくれて、お弁当まで……」
「……、……」
「今日のお弁当は、サンドイッチと唐揚げ、あとシーザーサラダ」
「……、……」
「サンドイッチはパンから手作りなのよ……」
タケシさんは、昨晩、予告通り帰っては来なかった。しかし、朝起きてリビングを見ると、いつものようにスエット姿でパソコンの前に座っていた。そして、何事も無かったかのように、朝食を作ってくれた。少しお酒臭かったから、帰って来たのは私が起きるちょっと前だっただろうに……。
出掛けに、今日は遅くなるから夕食はいらない……、とタケシさんには言っておいた。
「僕は今日も飲みに行くから、風呂だけ沸かしておくね」
そう言って、私を送り出してくれた。
「それで、紗季、あなたはタケシさんのことが好きなの?」
「……、……」
「親切にされたから勘違いしてるんじゃない?」
「……、……」
「まさか、もう寝たんじゃないでしょうね?」
「それはありません!」
「でも、好きなのね?」
「それが分らないの……」
「分らないって……」
「分らないけど、今はタケシさんと離れたくないの」
「……、……」
ここまで話すと、洋子も私も押し黙ってしまった。洋子は私の方を見つめているようだった。しかし、私は目を伏せ、視線を合わせられなかった。
洋子に言ったことにも、自分の気持ちにも偽りはないが、それでも何故か洋子に悪いような気がして……。
「それで、タケシさんは紗季のことをどう思ってるの?」
沈黙を破ったのは洋子だった。
「どう思っているのかは分らないわ……、でも」
「でも?」
「良かったら引っ越しておいで、って。部屋は余ってるから……、と」
「それって、タケシさんは同居人として受け入れてくれてるってこと?」
「そうみたい」
「向こうは紗季をどう思ってるかは分らないのね?」
「うん……」
「本当にHなことはされてないの?」
「うん……、私の記憶の限りでは触れられてもいないわ」
「ああ、酔ってたから覚えてない時もあるのね」
「そうだけど、それ以外はまったく……」
「なるほど……」
「……、……」
「相談って言うのは、タケシさんと暮らすことね?」
「うん……」
ようやく本題に辿り着いた。多分、自力では辿り着けないだろうから、これは洋子の洞察力の御蔭と言える。
「でもさあ、紗季、それって相談じゃないんじゃない?」
「えっ、どういうこと?」
「だって、あなた、もう自分の中で結論を出してるじゃない」
「……、……」
「タケシさんと暮らしたいんでしょ?」
「……、……」
洋子は優しい。私が口に出し辛いことは全部推察して言ってくれる。
「紗季がそうしたいなら、暮らせば良いじゃない」
「洋子……」
「でも、それをタケシさんに言う前に、私に紹介しなさいね」
「タケシさんを……?」
「そうよ。見定めてあげる、悪い男じゃないかを……」
「見定めるって……」
「私の男を看る目を信じなさい、確かだから」
「うん……、ありがとう」
洋子の御蔭で、私の悩みは全て解消してしまった。やはり、持つべきは頼もしく信頼のおける親友だ。洋子には感謝してもしきれない。
話が一段落つき、冷え切ったパスタを二人で黙々と食べた。パスタはすっかり伸びてしまっていたが、味はいつもの通りだった。ただ、やはり美味しいとは言い難かったが……。
お店を出て、元町・中華街駅まで歩いていると、洋子が妙なことを言い出した。
「紗季は、タケシさんに餌付けされちゃったのね」
と……。
餌付けって……。ちょっと失礼だとは思ったが、でも、当っていないこともない。それに、今は餌付けされてても良いのだ、タケシさんと一緒にいられれば……。
とにかく、私は決心したのだった。タケシさんと暮らすことを……。その先のことは、どうなるのかまったく分らないけれど……。
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