第3話 彷徨う
新宿三丁目駅から地下鉄に乗り、東横線に入った辺りで急に気がついた。そう言えば、私は新宿駅のコインロッカーに荷物を預けたままだった。
今日中に住む所を何とかしないといけないので、気が急いていたのだろう。ただ、新宿に戻って荷物を持ちながら歩き回るのは気乗りがしなかった。すでに時刻は2時過ぎ。ぼやぼやしているとあっという間に日曜日は終わってしまう。
男性の住むマンションは、かなり利便の良いところにあった。徒歩3分で地下鉄の入り口があるくらい……。
男性は昨晩私を連れタクシーで帰宅したらしいが、一人なら徒歩で十分の距離だった。きっと泥酔した私が重いので、やむなく乗ったに違いない。
電車の中では、スマホをにらみつけていた。とにかくすぐに住むところを探さなくてはいけない。即入居可能という条件の物件を片っ端からチェックする。
即入居可能……、とは言っても、ウイークリーマンションはさすがに気が引けた。家具は付いているものの家賃自体が割高だし、一週間毎に次の入居先を見つけることを考えるくらいなら、この際なので定住出来る物件を探したい。
マンスリーアパートは、条件としては悪くないが退去する時を予め決めないといけないのが難だ。
などと、色々考えた末に出した結論は、地道に即入居可能な普通の物件を探す……、と言う身も蓋もない当たり前の答えであった。
「ダメだあ……」
ネットで調べた条件の合いそうな物件は、6件あたってすべて断られた。
理由は、女性の一人暮らし。それと、どうもネット上に出ているだけで本当は入居出来ない、いわゆるサクラ物件が含まれていたようだ。電話口で明らかに不自然な、
「先ほど丁度決まってしまいまして……」
と言う答えを3度も聞かされれば、いくら鈍い私でも疑いたくなる。
時刻は夕方の5時になろうとしている。街はすでに夜の様相になっていた。
不意に、スマホが鳴った。画面を覗くと、洋子からのメールだ。昨日メールしてそれっきりになっていたのだ。忘れていたが、連絡さえ付けば洋子なら何とかしてくれるかもしれない。
忘れていた一番頼もしい可能性が、この追い詰められた状況で舞い込むなんて……。
「ラッキーかな」
そう呟きながら、メールを開けてみる。
昨日は返信出来なくてゴメン。
実は、インフルエンザで寝込んでて(汗汗)。
さっきまでずっと起きられなかったの(涙)。
あと二、三日はこのままかも……。
治ったらメールするので許してね。
期待に高まった気持ちが、一瞬で落ちて行った。まあ、そもそも人に頼ろうとした私が甘いし図々しいのだが、絶妙のタイミングで上がったり下がったりされ、ぐったりとした。
しかし、とにかく動かなくては……。明日は仕事だし、宙ぶらりんのままでは落ち着かないこと甚だしい。萎えた気持ちを奮い立たせ、心当たりのある見知った不動産屋を目指すのだった。
「お客様、保証人の方はおられますでしょうか?」
「あ、は、はい……?」
8時少し前に、閉店間際の不動産屋に入ったところ、即入居可能物件を探していると言ったらすかさずこう言われた。応対したのは私と同年代の若い女性だったが、最初からズバリと核心を突いてこられた。もしかすると、早く閉店したかったので、可能性の無さそうな客をあしらっただけかもしれないが、的確に私の不備を指摘する辺りに有能さを感じた。
そう、私には今日の今、保証人欄に署名捺印してくれる人はいない。いつもなら洋子に頼めるが、インフルエンザで隔離状態の彼女に無理を言う訳にはいかないし……。つまり、半日色々動いたのは全くの無駄だったのだ。直樹と同棲しだした時にも保証人の話は出たので、知らなかった訳ではないのに。迂闊と言うか、軽率と言うか……。
この店に着くまでに三軒回り、疲労と落胆が自分を更に責めた。
不動産屋を出てとりあえず駅に戻る。
今、どんなに私が努力をしても、目前の問題がしっかり解決しないと言う現実は重かった。
ホームのベンチに腰を下ろすと、私はまたスマホに見入った。一日でも良いので、今宵の寝場所を探すためだ。一人暮らしをするにも洋子の力を借りなくてはどうにもならないことが分って、方針が限定されたから。とにかく、二、三日は宿泊施設で凌ぎ、それからのことは洋子と会ってから決めることにした。
宿泊施設の目星は、かなり簡単についた。検索していくと、女性専用カプセルホテルなんてものが見つかったからだ。場所もみなとみらい駅だからすぐ近くだ。受付も24時間だし、料金も比較的安い。
「こんなことなら昨日から泊まれば良かった……」
と呟きはしたものの、本当は今晩の寝床の目処が立って少し安心したのだった。
カプセルホテルに泊まることを決めたら、新宿のコインロッカーにスーツケースを置いてあるのを思い出した。時刻は9時……。行って戻っても終電には間に合う。もう心身共に疲れ果てているので行きたくはないが仕方がない。
コインロッカーで荷物を取り出すと、また新宿三丁目駅に向かって歩き出す。何だかスーツケースが昨日より重く感じる。
雑踏を歩いていると、通りの向こうに昨日泥酔してしまった居酒屋が見えた。きっとあの店は、日曜日の夜でも妙な熱気で客を迎えているのだろう。
「そう言えば……」
居酒屋のネオンを見て、急にお世話になった男性を思い出した。三浦 剛さんって言ったっけ。剛は、ゴウかな、タケシかな……? お世話になったのにお礼の電話もしていない。
「お礼くらいしなくちゃ」
少しわざとらしく、独り呟く。別に誰も聞いていないのに、言い訳がましく……。
「もしもし……」
「はい、どなた?」
「昨晩から今日にかけてお世話になった者です」
「ああ、君ね」
「先ほどは大変お世話になりまして、お礼も言わず失礼致しましたので……」
「いやいや、そんなことはどうでもいいよ」
男性はすぐに電話に出た。
私のスマホはもう電池がほとんど残っていない。二日間充電していないのだから当然だが……。
「それより、何か元気のない声を出してるね、あれから何か食べた?」
「あ、いえ……」
「えっ、食べてないの?」
「……、……」
「そんなんじゃ身体壊すよ」
「……、……」
男性の労いの言葉に、言葉が出ない。グレーのスエット姿で私を心配している様子がまぶたに浮かび、胸の奥がジンとする。
「今何処にいるの?」
私からの応えが途切れ、しばらくは男性も黙っていた。しかし、たまりかねたのか彼は穏やかな声でそう言った。
「これから僕も夕飯なんだ、良かったら食べに来ない?」
「うっ、うう……」
私を気遣う男性の言葉に、思わず嗚咽が出てしまう。雑踏の中で立ちすくみ、涙が溢れるのを止められない。
「ピピピピピピピピ……」
突然、スマホが鳴る。電池切れの音だ。
漏れ出でる嗚咽を止めるので精一杯の私は、それでも次の言葉が出てこない。
「とにかくおいで、待ってるよ……」
男性の一言を受信し、電話は切れた。
しばらく、私はその場から動くことが出来なかった。
どのくらい立ちつくしていただろう。涙と嗚咽が止まってもしばらく考え込んでいたから、きっと小一時間もスーツケースを持ったまま立っていたはずだ。ただ、今は時刻を確かめる術もないので、定かではないが……。
考えていたのは、本当に男性の言葉に甘えてしまいそうな私と、早くカプセルホテルに辿り着くべきと言う理性的な私が、お互いに主張し合っていたから。
気持ちは、圧倒的に男性宅を訪問する方に傾いていた。しかし、どう考えても厚かましい。それに、ここで行ってしまったら、電話したのは彼の好意に甘えるため、確信犯でしたことになりそうだし……。
もちろん、そんな下心はなかった。ようやくカプセルホテルで寝床が確保出来ると思っていたから。……と言うか、居酒屋を見るまでは疲労困憊していてすっかり忘れていたのだ。
ただ、もしかすると、もう一度彼の声を聞いてみたいと言う気持ちはあったかもしれない。お礼だけならメールでも済むのだから……。
でも、それだけだ。決して、やましい気持ちで電話した訳ではない。
考えている間に、一つ気がついたことがあった。男性は、
「これから僕も夕飯なんだ……」
と言ってくれた。でも、これはどう考えても嘘だ。いくら独り暮らしとは言え、夜の10時を回って夕食を食べていない訳がない。
それに、彼は私が昼から食べていないことを聞いて、驚いていた。つまり、彼自身はもう夕食をとったことに間違いはない。
嘘……。
そう、確かに嘘だ。でも、こんなに暖かい嘘もあるんだと思ったら、また目に涙が溜まった。
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