第16話 拾ったからには責任とってね

「さて、そろそろ父に起きてもらわないと……。あまりゆっくりしてると、彼が帰って来ちゃうから」

妙子さんは、そう言って席を立つと、タケシの寝室をノックした。すでに起きていたのか、タケシはすぐに出てきた。


「ああ、来てたのか。お節も年越しそばも出来ているよ」

「じゃあ、お重に詰めてね。……って、そうじゃないでしょ。父さん、いつの間にこんなカワイイ同居人と暮らしてるのよ? 私には何も言わないし」

「今日、来たら言おうと思ってたんだ。紗季さんだよ。今月の初めから暮らしている」

「そうらしいね、紗季さんから聞いたわよ。あ、煮染めは少し多めに入れてね。あと、鯛はどうせ食べないからいらない。結局、食べずに飾っておくだけだからさ。その分、数の子多めに入れてね」

妙子さんは、そうじゃないと言いながらも、料理をお重に詰めるように急き立てた。


「私ね、明日も仕事なのよ。着物の着付けがあるの。だから、毎年父にお節は頼んでるんだ。まあ、時間があっても作れないけどね」

「ああ、タケシさんはそれで多めに作っていたのですね。道理で多いと思いました」

「元旦の仕事が終わったら、新年会を兼ねて店のスタッフと食べるのよ」

「お正月から仕事なんて大変ですね」

「まあ、好きで入った稼業だからさ。仕方がないね」

そう言っている間にも、お重は着々と埋まるのだった。





「さてと……。お二人さん、ちょっとそこに座って」

お節がすっかりお重に詰まると、妙子さんは改まった口調で促した。


「父さん……。紗季ちゃんとはどういう関係?」

「さっきも言った通り、同居人だよ」

「ああ……、そう言うと思った。紗季ちゃんも大変ね」

「大変も何も……」

「何を言ってるの、紗季ちゃんは父さんのこと好きだって言っていたわよ」

「ん、まあ、それは色々あってね」

「大体、父さんはどうなのよ。紗季ちゃんのこと嫌いなの?」

「嫌いじゃないよ……、だけど」

「嫌いじゃないってことは、好きなのね?」

「そういうことにはならないだろう?」

「じゃあ、好きではないの?」

「ん……、……」

「どうせ、最初から好きだったんでしょ? ハッキリ言いなさいよ」

「うん……、まあ……」

「聞いた? 紗季ちゃん、やっぱり私の言う通りでしょう?」

見事な誘導尋問と言うか、強引に言わせたと言うか……。しかし、今、言葉を濁しながらだが、確かにタケシは肯いた。今までは頑なに同居人と言い張っていたのに……。


「ほら、父さん、見てごらんよ、紗季さんの顔。こんなに嬉しそうな顔してるじゃない」

「……、……」

「どうせ、好きだって言えば、紗季さんが喜んでくれることも分っていたんでしょう? だったら、何故、そうちゃんと言ってあげないの? 父さんのそういうところ良くないと思うよ」

「それは……、……。一応、妙子に了解をもらってから言おうと思ってな。もし、反対されたら、紗季さんに悪いし……」

「私? そんなの反対する訳ないじゃない。それに、お互いの気持ちが良いのなら私なんて関係ないでしょ。母さんだって喜ぶと思うよ」

「そうかな……、……」

「そうに決まってるでしょ。……って言うか、父さんのそういうところ嫌いじゃないけどね。でも、まず紗季ちゃんの気持ちを考えてあげないとさあ……」

私もタケシのそういうところが好きだ。誰に対してもキチンと心遣いをし、折り目正しく生きるところが……。


「紗季ちゃん、良い? 分ったでしょう? この人にはこのくらい強く言わないとダメなの。強引過ぎるくらいで丁度良いのよ」

「はい……」

「あはは、宜しい。良いお返事です」

「うふふ……」

「これからはガンガン積極的に行くのよ」

タケシのちょっと困ったような顔を見ながら、妙子さんと私は笑い合った。





「じゃあ、そろそろ行くね。もらうものはもらったし……。何か、私、凄く良いこともしちゃった気がするよ」

「……、……」

「そうそう……、紗季ちゃんに言っておくね。父といつ結婚しても良いけど、一つだけ覚悟しておいて」

「……、……」

「あなたは若いけど、そうなったらすぐにお祖母ちゃんだから」

「あ、妙子さん、おめでたなんですね?」

「今、4ヶ月よ」

妙子さんは、まだ何処にそんな命が宿っているのか分らないようなお腹をさすりながら言った。


「それから、父さん……。私の使ってた四畳半の部屋を、紗季さんに使ってもらって。もう、私、ここに戻ってくることはないから……。あと、食卓の椅子はそろそろ替えなよ。あれ、母さんの店で使ってたカウンターのやつでしょう?」

「分ったよ。それより、タクシーで帰りなさい。そんな大荷物で転びでもしたら、一大事だからな。タクシーを拾うまで持つから、よこしなさい」

「そうね、じゃあ、お願いするわ。紗季さん、困ったらすぐに、私かますみさんに相談するのよ。あと、近い内に髪の毛切りに来てね」

タケシと妙子さんは、仲良く並んで玄関から出て行った。私は、二人がエレベーターに乗るまで、その後ろ姿を見送っていた。





「式は安定期に入ってからだそうだよ」

「あ、まだ、結婚式を挙げてないのですね?」

「今、流行のデキ婚だよ。相手は同じ店の店長をやってる人で、一緒に暮らしているらしい。前に一度、挨拶に来たよ」

「では、タケシさんも楽しみですね。妙子さんとバージンロードを歩くのは……」

「いや……、そんなの想像もしたことがなかったよ。あの妙子がなあ……」

タケシは感慨深そうでもあったが、少し厳しい顔つきになっていた。


「あの……、一つ聞いても良いですか?」

「ああ……」

「妙子さんの実のお父様って、どうなさっているのか分らないのですか?」

「ん? 妙子は、そんなことまで話したのか」

「はい……」

「そうか……。では紗季さんには聞いておいてもらおうかな。ますみさんは何故か知っているようだしね」

「……、……」

「これは、妙子には黙っていてもらいたいんだが、以前、まだ妙子が中学生の頃に、興信所に頼んで調べてもらったことがあるんだ……、行方を」

「……、……」

「意外とすぐに分ってね。僕は一人で会いに行った」

「……、……」

「だが、妙子の父親には、そのときすでに別の家族がいてね。もう二度と訪ねて来ないでくれと言われたよ」

「……、……」

「妙子には可哀想なことをしたと言っていたけど、引き取るつもりはない……、ともね」

「妙子さん……、可哀想です」

「だから、僕が一生面倒を看てやろうと思ったんだ。ああ見えて、あの子は寂しがり屋でね。夜中に隣の部屋からすすり泣く声が何度もしたよ。僕には慰めようがなくてね……。黙ってそれを聞いているだけだった。まあ、もう、そういう心配もいらないようだが……」

「……、……」

「紗季さんが泣くことじゃないよ。もう終わったことだしね」

「で、でも……」

「それに、今の妙子は幸せなんだ。それで良いじゃないか。ほら、涙を拭いて……」

「はい……」





「この天ぷら、いつものより美味しい気がしますけど……?」

「お、分るのか、さすが紗季さんだね」

タケシは、年越しそばを茹でるとともに、海老の天ぷらと、ネギとホタテのかき揚げを揚げてくれた。いつも通り白く上品な衣なのに、今日の天ぷらはいつにも増して風味豊かに感じた。


「いつもは、菜種油を8割に、ごま油を2割で揚げているんだけど、今日は全部ごま油なんだ」

「ごま油なんですか? ごま油だったら、こんなに衣が白くは出来ないような……?」

「ああ、普通のごま油ならね。市販のは香ばしい匂いを出すために焦げ色が付いているからね。だけど、このごま油は生協のでね。色の付いていない特殊なごま油なんだ」

「……、……」

「僕はこのごま油が好きでね。生協に入っているのは、これのためでもあるんだよ。他では売ってないからさ」

ごま油の風味が、手打ちのそばに良く合っている。天つゆより味の濃いそばつゆだからこその、ごま油での天ぷらなのだろう。

 こういう何気ない工夫や拘りが、タケシの優しさなのだと、年越しそばを食べながらしみじみ思うのだった。





 紅白歌合戦を二人で観て、終わると花園神社に初詣に出掛けた。

 花園神社は、年を越して数分しか経っていないのにすでに人が大勢ならんでいて、参拝するのに30分も掛かった。


 参拝を終えると、私はおみくじを引いた。木彫りの達磨の中に細く畳んだおみくじが入っている。

 開くと、中吉であった。どの項目も、今年は良いことが起きそうなことを示唆していた。特に、恋愛の項は私が望むべきことが書いてあった。

「積極的に行って成就する」

と……。





「紗季さんは、ここに居たんだ」

花園神社を出てすぐのところで、歩道を指さしながらタケシはそう言った。今日は通りに車が少ない。いつもなら真夜中でも車列が出来るのに、今はタクシーがちらほら走っているだけだった。


 酔った私は、あの日、ここに座って何を思い、何故泣いていたのだろう? 新宿駅から遠ざかるように進まないと辿り着かないこの場所で……。





「タケシさん……。目の端に何か付いているようですよ。取るので目を瞑って下さい」

「ん……? こうかい」

「……、……」

タケシは取りやすいように、背を屈めてくれた。そして、言われた通りに目を瞑って、私の応対を待った。


「ここで私を拾ったのだから、拾ったからには責任をとって下さいね」

「ん?、……、……」

私は、目を瞑っているタケシにそう告げると、両手でしっかりタケシの頭を抱き、おもむろにキスをした。

 反射的に逃げようとするタケシだったが、私の両手がしっかりそれを遮っている。

 

 いつまでもこうしていたい……。

 私の気持ちは積極的だった。妙子さんの言葉や、先ほどのおみくじの文面が脳裏をかすめる。タケシの両手も、優しく私の腰を抱いてくれている。

 参拝に来ている人達の目も気にせずに、私達は二人の世界に浸るのだった。





「新年早々、良いモノを見せてもらっちゃったわ」

抱き合った私達の側から、声が掛かった。

 驚いてそちらを見ると、身体の大きな短髪の男性が立っていた。よく見ると、ますみさんだ。メイクもしていないし、ジャンパーにジーンズを履いた格好だったので、別人のように見えたが……。ただ、声だけはオカマのままであった。


「あなた達、続きは家に帰ってからにしなさいよ」

私とタケシは、飛び退くように抱き合うのを止めた。ますみさんはそれを見て、笑いながらそう言った。





「さっき、責任をとってくれと言っていたけど……」

「はい……」

ますみさんとは、花園神社の入り口で別れた。彼女(?)は、これから付き合いのある飲み屋を回るそうだ。ますみさんは、私達を誘いはしなかった。

 あと少しでマンションが見えてくる……。


「申し訳ないが、僕には責任はとれない」

「タケシさん……?」

「どう考えても、僕が先に死ぬからさ」

「……、……」

「いつまでも、紗季さんを見ていたいけどね」

「……、……」

「それでも良いなら、一緒に暮らして欲しい。僕は、最期まで変わらないから……」

「……、……」

私は、応える代わりに、タケシの腰に手を回した。そして、目を瞑って顔を見上げるようにして、キスをねだった。

 今度は、ますみさんも見ていないでしょうね……、と、心の中で呟きながら……。





                                 ……(了)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拾ったからには責任とってね てめえ @temee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ