第7話 査定

「お友達、何時に来るの?」

「夕方だってメールが来ました」

「そう……」

タケシさんは、洋子が来たら食事を作ってくれるつもりだ。きっと今晩も美味しい食事に違いない。





 火曜日に洋子とご飯を食べた後、私はメールで洋子から幾つか釘を刺された。


 まず、洋子が見定めるまで、タケシさんと身体の関係を結んではいけないこと……。これは私もそのつもりだ。……と言うか、そもそもタケシさんにその気がなさそうなのだから、洋子の杞憂としか言いようがない。まさか、私が襲う訳もないし……。

 次に、なるべく早く、洋子がタケシさんを見定める機会をつくること……。

 最後に、洋子がダメ出しをしたら、タケシさんと暮らすのは諦めること……。

 以上のことを踏まえて、土曜日の今日が洋子の来訪日となった。最後のはちょっと抵抗があったけど、タケシさんなら大丈夫だと思う。





 仕事の方は、プライベートな環境が変わったことで影響が出たりはしなかった。ただ職場の人からは、今週になって突然、お弁当を持ってくるようになったことに対してツッコミが入ってはいた。

 職場の人は、私がお弁当を作っていると思っているようで、

「料理上手だね」

などと褒めて下さる。だが、その実体は……。

 詳しいことを説明すると途方もなく時間が掛かりそうだし、無用な誤解も受けそうなので、タケシさんには申し訳ないが、私は誤解を解くことをしなかった。いずれは通勤定期等の関係で転居したことは届け出ないといけないが、今はまだ諸々を説明するのには時期尚早だし。とりあえず、何事もなかったかのように過ごしている。





 タケシさんは、相変わらず家事全般をこなし、マイペースに毎晩飲みに出掛けるのだった。昨日も出掛けて朝方帰ってきたが、私が起きる頃にはいつものようにパソコンに向かっていた。


 私も、休みだと言うのに、いつもの通り6時に起きた。朝の挨拶をすると、タケシさんから、

「紗季さん、そろそろ洗濯物が溜まってきたんじゃない?」

と突然言われた。確かに、この一週間私は洗濯をていない。替えの下着もなくなってきたし気にはなってはいたが、週末に何処かのコインランドリーにでも行こうと思っていたので、タケシさんには黙っていた。


「僕が洗ってあげても良いんだけど、下着は恥ずかしいだろうから自分で洗う?」

「あ、あの……、全部自分で出来ます」

「あはは、そうだよね」

「……、……」

「ドラム式なんで、乾燥までやってくれるから、気が向いたら勝手に使ってね」

「ありがとうございます」

 早速、下着類から洗い出す。音が静かで、操作も簡単……。今まで私が使っていた二層式の洗濯機とはまるで違う性能の良さだ。





 ……と言うことで、先ほど洗濯が終わり、今、お昼を食べながら話している。

 昼ご飯は鍋焼きうどん。もちろん、うどんはタケシさんが打っている。





 今朝、朝食を食べる前に、幾つか疑問に思ったことがある。それは、

「タケシさんはいつ寝ているのだろう?」

と言うことと、

「毎晩出掛ける飲み屋さんに、親密な女性がいるのだろうか?」

と……。


 前者の疑問は、すぐに解けた。先ほど、タケシさんに直接聞いたからだ。昼間、株式市場が開いている内に仕事と家事をやり、閉まった後の3時から寝るのだと言う。

 ただ、それでも睡眠時間は多くて3時間程度……。よく身体が保ちますね……、と聞くと、

「もう長い間の習慣になっているから」

と言う答えが返ってきた。それと、

「オッサンだから寝る時間が短いんだ」

とも……。


 後者の疑問が生じたのは、洗濯機に一本の長い髪の毛が挟まっていたからだ。

 綺麗好きなタケシさんのことだから、洗濯槽もしょっちゅう洗っているだろうし、実際に洗濯機はほとんど汚れていない。だとすれば、この髪の毛は最近この家に来たことになる。

 私の髪の毛も結構長いが、一番長い箇所でも肩胛骨に掛かるか掛からないかくらい。しかし、件の髪の毛は私のより30㎝は長く、腰の辺りまでありそうな感じだ。黒くしっかりした毛で、ストレートパーマでも掛かっているかのように真っ直ぐで艶やかだ。従って、私の毛ではない。

 タケシさんから聞いている限りでは、この一週間で家に入ったのは私だけのはずで、他に女性は来ていない。生協や宅配便などの業者さんは、もし女性だとしても、玄関くらいまでなら入るだろうけど、洗濯槽に髪の毛が残るようなことになるとは考え辛い。


 色々考え合わせると、どう考えてもタケシさんが飲みに行った時に衣服に付いたとしか考えられなかった。……と言うことは、長い髪の毛の持ち主がいる飲み屋さんで接客を受けたのだ。


 飲みに行くのだから、もちろん接客員が女性だと言うのはごく普通のことだ。行くのは大歓楽街である新宿界隈……。タケシさんが、髪の毛が衣服に付くような接客を受けるのも自然ではある。この毛の持ち主だけが接客をしている訳ではないかもしれないし。

「でも……」

タケシさんは私と一週間暮らしていても、一度も私に触れたことすらない。私に興味がないからかもしれないが、根本的に他人のボディーゾーンに好んで侵入しないタイプの人だと思うのだ。それなのに髪の毛が付いて来るとなると、可能性としては、相手が好んでタケシさんのボディーゾーンを犯していることにはならないだろうか? そして、タケシさんもそれを許していると言うことは……。


 直樹はしょっちゅう他の女の人の髪の毛を衣服に付けて帰ってきた。どう行動すればこんなに他人の毛が付いて来るのだろうと思うほど……。だから、何度か浮気をしていたのも分っている。

 そんな経験があるからかもしれないが、この黒く長い真っ直ぐな毛の持ち主が、私には気になって仕方がなかった。





 洋子が新宿三丁目駅に着いたのは、3時過ぎだった。夕方と言っていたのに、かなり早い。タケシさんは先ほど寝に入ったばかりだった。


 タケシさんは、寝る前にパイを作ってくれた。中味は茹でたサツマイモを裏ごしした、スイートポテトだ。洋子が来たらオーブンに入れて焼くように言われた。昼に食べたうどんを打つときに、同時に何やらやっていたのはこのパイ生地だったらしい。


 洋子はまず、このマンションが駅歩3分であることに驚いていた。そして、家に着くと部屋の広さにも……。

「紗季が居付くのも分らないでもないわね」

と、皮肉を言いつつ……。洋子の頭の中では、依然として私が餌付けされているイメージがあるようだ。






「な、何、このパイ!」

「……だね、美味しいね」

「もしかして、これ、タケシさんが作ったの?」

「そうよ、パイ生地からね、仕事と家事の片手間に……」

焼き上がったスイートポテトパイは、中味がさつまいもの甘さだけでなく、柑橘系の味がしておりほどよく甘酸っぱい。

「タケシさんって、お酒が好きなんでしょう?」

「ええ……」

「酒飲みなのに甘党の気持ちが分るパイを作るなんて、タダモノではないわね」

「洋子も餌付けされそうね」

「うん」

寝ているタケシさんを起こさないように、二人でクスクスと笑ってしまう。

 柑橘系の味の正体は分らないが、オレンジやミカンよりもっと酸っぱいモノのようだ。洋子と正体についてあれこれ考えてみたが、結局、これと言った結論は出なかった。


 スイートポテトパイを食べ終わると、洋子はさかんに部屋の中を物色するのだった。特によく見ていたのはパソコンで、タケシさんが点けっぱなしにしてあった画面を見て、どんな作業をしているか特定しているようだった。ただ、博識な洋子にも、エクセル画面に出ている表と数字の羅列がどういう意味のモノなのかは分らず、

「見ても分らないから堂々と開けてあるのね……」

と、呟くだけであった。





 タケシさんは、5時半頃起きてきた。寝起きのタケシさんを見るのは初めてだが、まったくいつもと変わりがない。


 洋子とタケシさんは挨拶を交わし、三人でテーブルに付いた。私と洋子が並び、タケシさんと向かい合う格好になっている。

「パイ、ご馳走様でした、とても美味しかったです」

「ああ、口に合って良かった」

「あの甘酸っぱさはクセになる感じです」

「あはは、褒めてもらって悪いけど、あれはそんなに手間が掛かってないんだよ」

「えっ?」

「生協で買ってる夏みかんスカッシュってのがあってね、それを練り込んでいるだけなの」

「生協ですか?」

「ああ、僕はほとんど買い物に行かないからさ」

「……、……」

やはり洋子も絶句した。一人暮らしの男性が、生協に入っているなんて誰も思わない。私は二人のやり取りを黙って聞いていたが、洋子が私と似たようなリアクションをするので、内心ではおかしくて仕方がなかった。


 洋子とタケシさんは、しばらく生協談義を続けた。

 豚肉がブランド肉になっている……、とか、生鮮品は全部国産で安全な食材である……、とか、洋子も色々と知識を持っていた。タケシさんは、長年生協に入っていることや、最近は加工品が多く本来の生協の良さがなくなってきたこと、注文しても欠品することも多く、慣れないと使い辛いことなど、加入者ならではの話を展開し、二人の会話は妙な方向で盛り上がりをみせるのであった。





「ところで……」

ひとしきり生協談義に華を咲かせたところで、洋子が口調をあらためた。いよいよ本題に入るのだろう。私は、洋子があまりにも和やかに話していたので、すっかり見定める件は忘れてしまったのかと思ったが、そうではなかった。


「うん、今日、洋子さんが来たのは、紗季さんの住むところの件だね?」

「はい……」

「僕も気にはなっていたんだけど、いずれ紗季さんから話があると思っていたのでね」

「そうですか……、では、本題に入らせていただきます」

そう堅い口調で言うと、洋子は話を続けた。


「まず、紗季がご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ありませんでした。そして、お世話いただいてありがとうございます」

「いや、僕は別に何も……」

「本当は、私が動いてあげたかったのですが、今週の初めまでインフルエンザで寝込んでまして……」

「ああ、なるほど……、それで紗季さんは一人で彷徨っていたのか」

「ええ……」

「僕が家に連れて来ちゃったけど、心配している人がいるんじゃないかとは思っていたんだ」

「私が聞いたときには、すでにすっかりお世話になっていたそうで……」

「あはは、まあ、成り行き上、自然な流れでそうなっただけだから、お世話をしたとなんて思ってはいないよ」

二人とも察しが良いのか、話がサクサク進む。一方、当事者である私は、口を挟みようもなく、二人の顔色を窺いながら手持ちぶさたに話を聞くしかなかった。

 しかし、間が保たないこともあり、フッと気がついたのでお茶を入れにキッチンに入った。


「これからのことなのですが……」

「ああ、そうね、過ぎたことよりこれからが大事だね」

「タケシさんから、紗季をこちらで住まわせてもらっても良いと言って下さったそうで……」

「うん、まあ、紗季さんがあてもなさそうだったからさ。ご覧のように使ってない部屋があるからね」

「私としては、紗季は親友ですし、出来れば一緒に住みたいと思っているんです」

「ああ、その方が良いかもね、紗季さんも安心だろう。こんなオッサンと暮らすよりはね」

どうも話の流れが変だ。ちょっと席を外した隙に……。しかし、洋子は私の気持ちを分っている。だから、間違ってもそれを蔑ろにしたりはしないだろう。

 ただ、タケシさんの意向は、私にとって好ましいモノではなかった。その一点が気になり、手早くお茶を入れると、私はリビングに戻って行った。


「タケシさんは今でも紗季と暮らしても良いと思っているのですか?」

「暮らすと言うか、同居人だよね、僕が言ったのは。何て言ったっけ、ルーム何とかって言うんでしょ、こういうの?」

「ルームシェアですか?」

「そうそう、それ、そのルームシェアってのが一番近いかな」

「では、紗季の気持ち次第と言うことで宜しいのでしょうか?」

「そうね、紗季さん次第だと最初から思ってるよ」

「なるほど……」

「まあ、紗季さんは当然洋子さんと暮らしたいだろうから、ルームシェアのことはこの際どうでもいいだろうけどさ」

「それが、……」

「ん……?」


 洋子は、お茶を配り終わり、お盆を胸で抱え立ち尽くしている私を見上げた。その目は、

「ここから先は、紗季自身が言った方が良いんじゃない?」

と告げていた。

 タケシさんは、私と洋子の様子がおかしいので、不思議そうな顔をしている。


「紗季は、ここで暮らしたいと申しておりまして……」

いくら目で促しても私が応じないので、洋子は仕方がなさそうに切り出した。我ながら情けないが、タケシさんにどう伝えて良いのか分らず、言葉が出なかったのだ。

「そうなの……?」

「……、……」

タケシさんも意外そうに応じる。


「どうも、紗季はタケシさんの手料理に餌付けされてしまったようで……」

「餌付け?」

「はい、ここに居付きたくなるほど美味しかったらしいのです」

「あはは、それはどうも」

洋子は冗談めかして話をしてくれる。こういう機転の利かせ方は私には絶対に無理だ。


「……と、まあ、それは半分本当で半分冗談ですが、紗季はタケシさんのことが好きなようなんです」

「ん……?」

「洋子ッ!」

私がホッとした瞬間に、洋子はサラッと核心を突いた。慌てる私を尻目に、洋子は平然とした顔をしている。

「だから、タケシさん、紗季を住まわせてあげて下さい。私からもお願いします」

深々と頭を下げる洋子……。私は狼狽するばかりで声が出ない。

 タケシさんも驚いたようで、頭を下げたままの洋子を見つめながら沈黙している。






「まあ、頭を上げてよ……、洋子さん」

穏やかな声で、タケシさんは声を掛けた。洋子は待っていたかのように、スッと頭を上げる。

「先ほども言った通り、決めるのは紗季さんだ。だから、ここに住むことは何の問題もないよ」

「ありがとうございます」

「それと、大切なお友達をお預かりするのだから、決して粗略にも扱いませんよ。その辺は信用していただいて良いです」

「はい……」

二人は、まるで打ち合わせをしていたかのようにスムーズに話を結論に持っていく。特に、タケシさんは普段と同じような調子で語り、何もなかったかのように穏やかな微笑みを浮かべている。


「ただね……」

「……、……」

「紗季さんが僕を好きだと言うのは、勘違いか思いこみの類だと思う」

「……、……」

「人間ってのはさ、辛かったり寂しかったりすると、誰かを頼りたくなるものなのさ。紗季さんがそうなった時に、僕がたまたま手をさしのべただけに過ぎないよ」

「……、……」

「だから、僕は今まで通り紗季さんに接する。それで良いね?」

語り終えると、タケシさんは私の方を見て照れくさそうに笑った。洋子は目を真っ赤に腫らし、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。

 それなのに、私はと言えば、ただオロオロするだけで、何のリアクションも出来ない。

 ただ一言、

「宜しくお願いいたします」

とだけ、ようやく口にするのだった。


「紗季は、高校の時に両親を亡くしてるんです」

「……、……」

「幸い、祖父母がご健在で生活には困らなかったのですが、寂しい想いをしたと思います」

「そうなんだ……」

「だから、タケシさんにはお父さんの面影を追っているのかなあ……、と」

洋子はぽつぽつと語った。

 確かに、私の父はタケシさんのように穏やかで優しかった。洋子の言うことにも、なるほどと思うところもある。


 でも、多分違う。

 タケシさんが言うような勘違いや思いこみでも、洋子が言うような父の面影を追っているのでもない。どう表現していいか分らないが、確信に近い気持ちが私の中にはあった。口には出せないけれど……。





 しばらく誰も口を開かなかった。

 私は幸せな余韻に浸っていた。

 洋子は何か考えるような顔つきをしている。

 タケシさんはお茶をすすりながら、遠くを見つめるような目で私と洋子を見守るのだった。


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