第10話 急襲

 今年も残すところ僅かとなり、私の仕事もにわかに忙しくなった。定時の5時に帰れるようなことはなく、タケシが飲みに行く時間に間に合わないような帰宅の日もあったりした。

 しかし、間に合わないはずなのに、ちゃんとタケシは私が帰って来るのを待っていてくれて、一緒に夕食を食べてから飲みに出掛けた。きっと、そう言う日は飲み仲間達に遅いと文句を言われたことだろう。


 しかし、今日だけは定時に帰るつもりだ。入社以来、帰宅時間にわがままを言ったことはないが、今日のことは上司に予めお伺いを立てておいたのだ。

 何故、そんなに力んで帰ろうとしているのかと言うと、タケシに初めて外出に誘われたからだ。外出と言う微妙な言い回しなのは、デートと言い切れない部分もあるからだったりする。


 今日、12月21日は冬至にあたる。この冬至に、毎年御利益のある御守を売り出す神社があるそうなのだ。その神社は穴八幡宮と言い、商売の神様として有名らしい。

 御守は、冬至から節分の間ならいつでも買い求めることが出来る。しかし、冬至に行くと特に御利益があると言われており、常連の方々は必ず冬至に出掛けるのだそうだ。

 タケシも毎年冬至に出掛けるのだと言う。そして、

「良かったら、紗季さんも一緒に行かない?」

と声を掛けてくれたのだった。


 タケシは、身の回りのことをほぼ全てやってくれるのに、自分から私にアプローチするようなことはほとんどない。……と言うか、基本的に同居人としての立場を崩そうとはしないのだ。

 それなのに、今回はタケシから積極的に誘ってくれたのだから、私はためらいなく行くことを選択し、帰宅するために万難を排した。





 上司への事前工作が効いたのか、予定通り5時ちょうどに仕事は上がれた。一日中作業のし通しで身体はくたくたであったが、気持ちだけは元気だった。勇んで電車に飛び乗ると、ちょうど乗ったのが特急と言う調子の良さ……。何か、全てのことが私に味方してくれているような錯覚にさえ陥る。


 帰宅したのは5時半であった。多分、今までで一番早い。タケシも驚いた顔で、

「お帰り……。早かったね」

と、出迎えてくれた。きっと、私が何を勢い込んでいるのか、理解できなかったのだろう。


 せっかくの外出なのだから、オシャレに高いヒールの靴を履こうとしたら、タケシに真顔で止められた。

「人混みに行くからね」

と……。

 御守を買いに行くのに、人混みに入る光景は想像出来なかったが、素直にヒールの低いブーツにした。


 新宿三丁目駅から乗り、二駅先の西早稲田駅で電車を降りた。目的の穴八幡宮はここから徒歩10分ほどらしい。

「以前は高田馬場駅からバスに乗ったんだけど、副都心線が出来て近くなったよ」

と、タケシは説明してくれた。この道を真っ直ぐ行くと早稲田大学があるそうだ。赤穂浪士の堀部安兵衛が決闘をしたのも、この辺りだと言う。諸々の説明を聞いて、タケシにとっては勝手知ったる土地なのだと実感できた。





 穴八幡宮に着くと、私にもタケシが言う人混みが理解できた。

 山門から人が溢れ、中も人が鈴なりだ。お祭りでもやっているかのような騒ぎで、道路には都バスの特別運行便が列をなしている。なるほど……、この人混みにハイヒールはあり得ない。


 人波は山門に吸い込まれて行くので、てっきり私達もその列に加わるのかと思ったら、そうではなかった。少し離れた裏門のような所から入ると、小学校の体育館のような建物があり、そこへ続く列に私達も並んだ。

 体育館に入るには、20分ほど掛かった。しかし、入ると更に列があり、体育館の中は人でいっぱいだった。ざっと看た感じで、千人ほどはいるだろうか? この人達が全部御守を買いに来ているとは、初めての私には信じられなかった。





「凄い人だろう?」

「ええ、うっかりするとはぐれてしまいそうですね」

私は隣に並んでいるオバ様方に押されよろめく。そして、タケシの腕に思わずしがみついてしまった。かれこれ一時間は並んだのに、まだ体育館の半分くらいまでしか来てはいない。


「ああ、しっかり掴んでいた方が良いね。危ないから……」

「すいません、……では」

タケシの許しが出たので、胸に抱え込むように両手でタケシの腕を掴む。

 普通はこういう状態を抱きつくと言うのだろうが、この非常時では致し方ないと思ったのか、タケシも何も言わない。私は、これ幸いと(?)、はぐれないようにしっかりと腕を掴んだ。

 最初は大変な所に来てしまったと思っていたが、初めてタケシと濃厚なスキンシップがとれて、私は密かに喜んでいた。あとで穴八幡宮の御神体様にたっぷりお賽銭を投げて、この思わぬハプニングのお礼をするつもりでいる。

 神様、ありがとう……。って、この神様は商売の神様で、恋愛には関心がないかな?


「ところで、紗季さんの仕事納めはいつなの?」

目の前にあるタケシの口が尋ねる。

「28日です」

「28日か……」

「……?」

「実はね、先日飲んだアリスさんがさ……」

「はい……」

「僕が紗季さんと住んでいることを、飲み仲間に触れ回っていてね」

「……、……」

「それを聞いた一人が、どうしても紗季さんを連れて来いって言うんだ」

「それって、アリスさんが言っていたカリンさんって方ですか?」

「うん、まあ、そうなんだが……」

「……、……」

タケシは本当に困っているようで、珍しく渋い顔をしている。しかし、私はその提案に大乗り気だった。カリンさんも気になるし、タケシのまた新たな面が見られそうだから……。もしかすると、あの黒く長い髪の毛の持ち主とも出会えるかもしれないし。


「紗季さんが嫌なら断るよ」

「タケシさんはどうしたら良いと思います?」

「僕は……、あまり行かない方が良いと思う」

「どうしてですか?」

「うん……、ちょっと特殊な店なんだ、カリンさんのいる店は」

「特殊?」

「う、うん……」

どんどん歯切れが悪くなっていくタケシ……。申し訳ないが、私は益々行く気になっていく。タケシがこんなに嫌がるのはそれなりに理由があるだろうし、私はどうしてもそれが知りたかった。


「私は構いませんよ、タケシさんと一緒なら」

「紗季さん……」

「アリスさんも来られるのでしょう?」

「うん、まあ、そうらしい」

「でしたら、知らない人達の中で寂しい想いをすることもないでしょうし」

「そう……、じゃあ、アリスさんには、紗季さんも行くと言っておくよ」

「はい……」

「そのお店も28日が仕事納めなんだ。だから、その日に行こうか。紗季さんも次の日が休みだしね」

「はい、楽しみにしてます」

「楽しみねえ……。まあ、とりあえずその夜は空けておいてね」

何だか、最後までタケシの歯切れは悪かった。でも、タケシが困惑すればするほど、私は興味がそそられるのであった。


 話している間に、私達は体育館の一番奥に来ていた。20ほどある窓口で、御守が売られているのが見える。まとめ買いするのか、両手に抱えきれないほど御守を持っている人もいる。

 窓口に群がる人々を、私は不思議な気持ちで眺めるのだった。


 実際に御守を買っている時間は、ほんの数分だった。どれだけ御利益があるのか分らないが、長時間並んでいたせいか、この一陽来福と書かれた御守が、とても有り難いモノのように感じた。





 体育館を抜けて、細い路地を抜けると、本堂に出た。境内の方には、様々な露店が建ち並ぶのが見える。先ほど外から見た時に祭りを連想したが、参加してみて、この御守イベントは間違いなく祭りだと思った。


「紗季さん、もう人混みは抜けたから……。そろそろ、腕を……」

「あ、ごめんなさい」

私は、まだタケシの腕を抱え込んだままだった。本当はもう人混みを抜けたことは分っていたのに……。

 実は、タケシがちょっと困ったような顔をするのが見たかったのだ。

 タケシの微笑んだ顔も好きだが、ちょっと困ったような顔が私は一番好きだ。何と言うか、少年が恥じらっているような風情があり、胸がキュンとなる。

 もしかして、私って悪い女なのかな?





 本堂で参拝し、約束(?)通りお賽銭を多めに投げた。500円硬貨を二枚……。その分、願い事もいっぱいしたが、どの願いも商売には無関係の事柄ばかりだった。


「何か食べようか?」

境内に出ると、タケシはそう言った。たこ焼き、お好み焼き、ベビーカステラ、焼き鳥……。露店は様々出ている。しかし、私達はたこ焼きを二人で半分ずつと、甘酒を飲んだだけで他には何も食べなかった。

 何故あまり食べなかったかと言うと、私が、

「帰ってタケシさんのご飯が食べたいな……」

と言ったから。タケシは苦笑していたが、私は本気でそう思っていた。もちろん、甘えたかったのもあるが……。





 穴八幡宮の露店は、縁日の露店などと違って娯楽的なモノはほとんどない。ただ、その分、実用品の露店がかなりあり、初めて見る私には新鮮だった。

 タケシは露店で幾つか買い物をした。まず、柚子を三個……。次に、ちりめんじゃこを一袋……。そして、箸を売っている露店の前で立ち止まった。


「今日、わざわざ紗季さんに来てもらったのは、ここに連れてこようと思ってね」

「お箸屋さんに……?」

「うん、ここの箸は黄楊で出来ていて、とても使いやすく丈夫なんだ」

「……、……」

「紗季さん、まだマイ箸がなかったからさ……」

「それで今日は誘って下さったのですね」

「そう、自分で選んでもらおうと思ってね」

露店の箸は、凄くシンプルで塗りや装飾の一切ないモノだった。三種類しかなく、それも箸の長さで値段が決まっているだけ……。ただ、実際に持ってみると、手に吸い付くような滑らかな肌触りと、適度な重みがあって使いやすそうだった。


「どれにする?」

「あまり長いのは使いにくそうなので……」

そう言って、私が選んだのは、中くらいの長さの箸だった。


「親子で仲が良くて良いね」

箸屋のご主人が、袋に入れた箸をタケシに渡す時に言った。

 タケシは笑っていたが、私としてはちょっと抗議したい気持ちだった。親子と間違えられるほど仲が良いと言われたのは嬉しいが、

「親子じゃないモン……」

と、心の中で呟くのだった。





 穴八幡宮を出て、西早稲田駅へ向かう途中、私はまたタケシの腕に抱きつきたくなった。

 私の箸を気に掛けてくれていたと言うことは、少なくとも単なる同居人ではなく、私が気に掛かる存在だと言うことだから……。初めてもらったプレゼントだし、お箸を大事に使おうと思う。


 抱きつきたくはなったが、実際には抱きつかなかった。せっかくタケシとの心の距離が縮まったのに、あまりベタベタして嫌われたくなかったから……。28日の件も、他の人に言われ仕方なくではあるが、タケシの方から誘ってくれたし。

「また、距離が縮まるなあ……」

と、胸の内で呟き、来るべき日を想像し、期待に胸が高まるのだった。





「お腹空いたねえ……」

「ですね」

電車を降り、新宿三丁目駅の出入り口を抜けて地上に出たところで、二人で顔を見合わせた。

「今日は遅くなると思ったから、帰ってからすぐに食べられるモノを用意しておいたんだ」

「すぐに食べられるモノと言うと……」

「角煮とワンタンとチャーハンの、中華三昧にしたよ」

「あ、私、中華大好きなんです」

「紗季さんは横浜の人だから、そうだと思ったんだ」

「うふふ……、嬉しいです」

タケシはたこ焼き半分では足りなかったようで、かなりお腹を空かせているようだ。もちろん、私も……。

 マンションはもうすぐだが、早く帰りたいので二人とも少し歩き方が早くなっている。





「紗季ッ!!」

もうあと数歩でマンションの入り口に辿り着くと言う時に、突然、後ろから名前を呼ばれた。呼ばれたと言うか、大声で怒鳴られた……。驚いて振り返ると、直樹が凄い形相で立っていた。


「な、直樹……?」

「紗季、お前こんなところで何やってるんだ?」

「……、……」

「出てったから、てっきり洋子のところにいると思ったのに」

「……、……」

「それに、そのオッサンは誰だよ?」

私は直樹がここにいる意味が分らず、しかも、一方的に言われていることがどういうことなのかも分らず、困惑するだけだった。ただ、何となく分ったのは、直樹は私が置いてきた手紙に書いた連絡先を見て、ここにいるのだろう……、と。


「こ、この人はタケシさんよ」

「タケシ? ああ、あの住所の奴か。……って、お前、まさかこのオッサンと暮らしているのか?」

「そんなの直樹に関係ないでしょ。一体、何しに来たのよ?」

「何しに、って、お前を連れ戻しに来たんだよ」

「連れ戻す?」

直樹は近寄ると、私の腕を掴もうとした。しかし、私は反射的にそれを払いのけた。


「なあ、紗季、お前は騙されてるんだ……、そのオッサンに」

「だ、騙すなんて、タケシさんに失礼なことを言わないで。それに、タケシさんは洋子も認めてくれているわ」

「洋子? 洋子もこのオッサンのことを知ってるのか? お前等いつから……。ま、まさか、ずっと俺とこのオッサンに二股掛けて、騙してたってことか?」

「バカなこと言わないで、私がそんなことする訳がないでしょ」

連れ戻すと言われて、私は自分が逆上していくのが分った。私がどんな想いであの部屋を出たか、直樹には分らないのだろうか?


「おい、紗季……。お前、俺に言っていたよな」

「……、……」

「直樹に抱かれている時が一番幸せ……、って。それなのに、二股か? オッサンの身体は俺より良いのか?」

「いい加減にしないと怒るわよ」

「ああ、金か……。そうだよな、お前、あんなによがり泣いてたものな。いつも、何度も逝っていたし……」

「直樹!」

私は右腕を振り上げた。一瞬、洋子が直樹を張り倒したことが思い出される。今まで一度も人を叩いたことなんてないのに……。激情を止めることが出来ない。

 しかし、右腕は振り上げた位置から少しも動くことはなかった。


「二人とも止めないか!」

タケシが怒鳴った。私の右腕を掴んでいるのもタケシだ。

「直樹君、紗季さんがそんな子じゃないことは、君が一番良く知っているだろう?」

怒鳴った後だと言うのに、タケシは冷静に直樹を諭した。


「うるせえ……、オッサン!」

言い放ち様、今度は直樹が振りかぶった。拳を握りしめているのが見える。しかし、私に見えたのはここまでだった。タケシが私に覆い被さったのだ。


「ガキッ……」

鈍い音が、耳元で響いた。



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