第14話 述懐

「紗季さん、一曲いかが?」

「いえ、私は……」

ますみさんがカラオケのデンモクを差し出したが、私は断った。


 カラオケは嫌いではないが、このお店で何を唄って良いのか分らない。正直なところ、皆さんとは年齢層が違うと思うし……。それに、私の下手な歌を人に聴かせるのもどうかと思うので。

 歌は残酷だ。上手い下手が誰にでもハッキリ分ってしまうから……。だから、私は私の下手さを許容してくれる人の前でしか、カラオケは歌わない。


 ますみさんは、タケシには勧めなかった。タケシは他の人が唄っているのには反応するが、自分からマイクを持つことはしなかった。





「タケシさんは、その……、同性の方とでも……」

「ん?」

私は心配になっていた。タケシがあまりにも高梨さんやますみさんに距離感が近く、理解があるから。もしかして、オカマを性的に受け入れる人なのではないかと。

 ただ、寝室の仏壇に奥様と思しき人の遺影があったので、違う感じはする。しかし、女性でも男性でも構わないと言う人もいるらしいし……。そういうのをバイセクシャルと言うのだろう。

 カラオケの音が大きく流れ、皆の注意がそちらにそれているようなので、小さな声で聞いてみた。でも、直接的な表現も言い辛く、中途半端な感じになってしまったが……。


「紗季さんは心配しているのよ。タケシさんがオカマと寝る人間かを……、ね」

誰にも聞かれていないと思ったのに、ますみさんには聞かれていた。でも、私には言えなかった直接的な表現で言ってもらって、有り難かった。


「ちゃんと自分の口で言ってあげなさい。タケシさんに言ってもらえば安心するのでしょうから」

「まあ、そんなの隠しても仕方がないし、言うのは全然構わないのだけど……」

「だけど、何よ」

「さっきからずっと誤解されてるけど、僕と紗季さんは単なる同居人だよ。ルームシェアしているだけ」

「酷い人ね、タケシさんって。こんなに紗季さんが必死でアタックしてるのに。分らないとは言わせないわよ」

「いや、それには色々あって……」

「色々あったって、関係ないわよ。紗季さんの気持ちは同じなのよ。好きでも何でもない人だったら、オカマとどうなろうとどうでも良いことでしょ。それを敢えて聞いてる女心が分らないの?」

タケシがこんなにやりこめられているのは初めて見る。20年の付き合いだと言うから、ますみさんはタケシの過去も知っているのだろう。


「紗季さん、僕は至って普通の人間だ。だから、同性の人間と性交渉したいと思ったことはない。オカマの人は同性だとは思わないけど、少なくとも今までオカマの人ともそう言う経験はないよ。って、こんなんで良いのかな?」

「タケシさんの言ってることは本当よ、私が保証するわ」

「まあ、ますみさんが一番その辺の事情は良く知っているから、信じてもらって良いよ」

「ほら、タケシさん……。見なさいよ、紗季さんの嬉しそうな顔を」

「……、……」

一瞬、確かに私はそういう顔をしたと思う。自覚はある。


 そう言えば、先日、アリスは言っていた。

「タケシってね、誰とでも飲むけど、どんな相手とも絶対そう言う関係にならないので有名なの」

と……。これは女性だけでなく、男性とも、オカマとも……、なのだろう。

 とにかく、私の心配が杞憂だと言うことだけは分った。





 12時を回り、さすがに帰るお客さんが多くなってきた。ボックス席もカウンターも空席が目立ち始めた。ただ、カラオケに夢中になっている人達は、まだまだ帰るような雰囲気ではない。

 アリスはまだ姿を見せなかった。きっとまだ接客に忙しいのだろう。


 私はかなり酔っていた。もう何杯水割りを飲んだか分らない。しかし、タケシさんはまったくいつもと変わらなかった。朝まで飲んで、朝ご飯を作ってくれる人なので、このくらいでは酔わないのだろうけど、私はそろそろ帰りたくなっていた。


「私はそろそろ……」

「あら、紗季さん、帰ってしまわれるの?」

「ええ、かなり飲んで酔ってしまったようです」

「アリスさんが残念がるわ、一緒に飲みたがっていたのよ」

そう言われても、かなり眠くなっている。タケシさんにご迷惑をかけるわけにもいかないし、タクシーならすぐなので、私一人で帰っても心配はない。

 ますみさんは止めて下さるが、万が一、醜態でも晒そうものなら、お店にも失礼になってしまう。





「まだ居なさいよ。私も話があるから……」

野太い声が私を呼び止めた。声の主は、ボックス席のお客さんを送り出したカリンさんだった。間違いなく一番女性っぽい風貌をしているのに、声は男性のそれだった。


「あの、私もう酔ってしまったようなので……」

「大丈夫よ、寝たらタケシに送ってもらえば良いし。それに、ここで寝てても良いわよ」

「……、……」

「もっと早く話したかったのだけど、ボックスの方が忙しくてごめんなさいね」

「……、では、もう少しだけ」

「そうこなくっちゃ。紗季さん、なかなか良い根性しているわ」

結局、私はカリンさんに押し切られた。カリンさんは、最初の一言こそ声が野太かったが、その後は優しい声に変わっている。

 押し切られはしたが、私も気持ちでは一歩も引くつもりはなかった。そもそも、今日はカリンさんと話をしにきたのだから。





「初めまして、カリンです。呼び出してごめんなさい」

「紗季です。カリンさんのことは、アリスさんから伺ってました」

「そう、私にもアリスが教えてくれたのよ、あなたがタケシと同棲してるって」

「……、……」

「申し訳ないけど、私、あなたとタケシのこと認めてないのよ」

「……、……」

「だって、タケシは私にとって特別な人だから」

「特別……?」

「そうよ、特別なの」

「……、……」

のっけから、カリンさんは挑発的だった。ただ、いくらカリンさんが特別だと想っていても、タケシの方にその気がなかったことが先ほど明らかになっていたので、私は動揺しなかった。


「あれは……、8年前のちょうど今頃だったわ」

「……、……」

「私は店がお休みだと言うのに、深夜までお酒を飲んで酔い潰れてしまったの」

「……、……」

「その頃、私は3年付き合った彼と別れて、毎日浴びるようにお酒を飲んだわ」

「……、……」

「彼は本当に優しい人だったの。私を本気で女として扱ってくれたわ。でも、両親が無理矢理勧めたお見合いをして、家業を継ぐためにその人と結婚することになって……。私は泣く泣く彼と別れたわ」

「……、……」

「酔いつぶれた私は、路上で泣いていたらしいわ」

「……、……」

「雪が降りそうなほど寒い晩に、独りで……」

「……、……」

「そこに偶然通りかかったのが、タケシだったわ」

「……、……」

「泣きじゃくる私に、大丈夫か……、って、声をかけてくれたの。そして、私を抱きかかえて彼の家で介抱してくれたわ」

「……、……」

「あの時飲んだお味噌汁の味を、私は一生忘れないわ」

「……、……」


 まるで、私のことを聞いているようだった。カリンさんは勝ち誇ったような顔で、私を見下ろしている。


 タケシは誰にでも同じように接していた。私にだけでなく、誰にでも困った人には手を差し伸べるのだ。

 だとすると、私が今一緒に暮らしているのも、単に私が困っていたからなのだろう。だからこそ、いつもタケシは、同居人としてしか私に接しないのだ。穴八幡宮やここに誘ってくれたのも、単なる同居人として……。


 私は目の前が真っ暗になった。今までの私は、心の何処かで、タケシは口ではああ言っていても、私にだからこそ優しくしてくれている……、と信じていたのだ。

 でも、そうではなかった。全部、私の勘違いと思い上がりだった。私は愚かだ。そして、厚かましい女でしかなかった。


「タケシさん……、それ、本当なの?」

気持ちは折れかけていた。それでも、一縷の望みをかけて、私はタケシにすがった。もし、ここでタケシが全て肯定したら、すぐにでも身を引こうと決心して……。





「ん……、いや、半分くらい合ってるけど、ディテールは大分違うね」

「えっ?」

「大体、カリンさんはあの時、泣いてはいなかった。大いびきをかいて寝ていたよ」

「……、……」

「それに、抱きかかえたことになってるけど、僕にはカリンさんを持ち上げる体力がなかった。悪いけど、重かったんだよ。だから、側のコンビニで荷物運搬用の台車を借りて、家まで乗せていったんだ」

「……、……」

「あと、味噌汁は飲んでたけど、すぐに戻してしまっていたから、味なんか覚えていないと思うけどなあ」

「ぷっ……」

私は思わず吹き出してしまった。カリンさんの回想には、かなり妄想が含まれているようだったから。そう言えば、私も情けない自分をなかったことにしたかったっけ。

 ただ、基本的には同じことだ。タケシが困っていた人に手を差し伸べていることに変わりはないのだ。


「ふん、無様なオカマだと思って笑えばいいわ。でも、タケシはそんな私にも優しかったわよ。私はそれでいいの……。だから、タケシは特別なの」

「いえ、違います。そうじゃないんです」

「何が違うの? 今、確かに笑ったじゃない」

「私が笑ったのは、自分があまりにもおかしくて……」

「どういうことよ」

「私も、カリンさんと同じように拾われたんです……、道で」

「……、……」

「私は同棲していた男性に追い出されて、彷徨ってもいました」

「……、……」

「だから、タケシさんに優しくしてもらっただけなんです」

「……、……」

「タケシさんは私のことを同居人としてしか見ていないですし……」

「……、……」

「でも……、……」

「……、……」

「でも、私はそれを勘違いして好きになってしまって……」

「……、……」

「アリスさんやますみさんに、彼女扱いされて嬉しかったですし」

「……、……」

「タケシさんは、そんな私に迷惑していたと思います」

「……、……」

「こんな勘違いな厚かましい女に……」

自分でも薄々気がついていた。その気持ちが、カリンさんの話を聞いて、弾け出てしまった。仕方がない……、いつか分ることなのだから。


 皆、沈黙している。きっと、私の愚かさに場の興が削がれてしまったのだろう。

 高梨さんのカラオケだけが大きな音で響いている。





「それは違うわよ、紗季さん」

「……、……」

「タケシさんは、あなたを選んだのよ」

「……、……」

「タケシさんはあなただから受け入れたの。分る? あなたはタケシさんにとって特別なのよ」

「……、……」

ますみさんは穏やかに言った。


「じゃあ、ますみさんは、私じゃダメだって言うの? オカマだから? それとも、タケシには女じゃなきゃダメだって言うの?」

カリンさんの声は感情的だったが弱々しかった。ただ、私も同じことを思った。私が特別である理由が分らない。


「そうではないの。あなたがオカマだからではないのよ」

「……、……」

「この子は似ているの……、亡くなったタケシさんの奥様に。雰囲気がそっくりなのよ」

「奥様に?」

「私もさっき話して驚いたわ。歳も顔も体型もまったく違うのに、話していると何となく、奥様の面影を思い出すの」





「こんばんは~ッ、遅くなってごめんなさ~い」

突然、アリスが店に入ってきた。口調からすると、すっかり出来上がっている感じだ。高いヒールを履いているからか足元もおぼつかない。


「さあ、飲むぞ~ッ。あ、紗季ちゃん、来てくれたのね~ッ」

騒々しいアリスが来店したことで、ますみさんの話は断ち切れになってしまった。


 カリンさんは何となく釈然としない顔をしていたが、すぐに切り替えてお客さんをもてなす感じになっている。

 タケシはただ淡々と飲み続けている。私だけが、一変した華やかな雰囲気に取り残されているような気になっていた。





「タケシ、2時になったから、あの曲唄ってよ」

「ああ、じゃあ、入れてくれるかい」

カリンさんが、突然、タケシにカラオケのリクエストをした。

 予約画面に出たのは、アイランドと言うグループの「stay with me」と言う曲だった。


「紗季さん、私は今まで生きてきて、一度も自分が女であることを疑ったことがないの」

「……、……」

タケシがカラオケのために席を立つと、すかさずカリンさんは話しかけてきた。


「こんな言い方をすると申し訳ないけど、私はますみさん達とは違うわ」

「……、……」

「今で言うところの、性同一性障害なのね。でも、昔はそんな言葉もなかったし、障害であることさえ誰も知らなかったわ」

「……、……」

「だから、あなたがタケシと同棲しているって話を聞いて、やりきれなかったのよ。だって、心だけが女のオカマは必要とされていない気がしたから……」

「……、……」

「私ね、身体もほとんど女なのよ。竿も玉も取ってしまったの。どうしても女になりたくてね。他にも、顔や手足、体毛のほとんどは永久脱毛していてね、女になるためにやれることは全てやり尽くしているの」

「……、……」

「親も、兄弟も、友達も、故郷も棄てたわ。私が女であることを妨げることは全てね」

「……、……」

カリンさんが話をしている内に、タケシの歌は始まっていた。私は聞いたことがない曲だったが、曲の愛しい相手を思いやるイメージが伝わってくる。

 いや、曲だけではないのだろう。唄っているタケシの気持ちも伝わるように感じた。


「この曲、聞いたことがないわよね」

「はい……」

「紗季さんが生まれる前の曲だから……。当時はヒットしたのだけれど、今はタケシ以外、誰も唄う人はいないわ」

「悲しい曲に聞こえます。タケシさんも思い入れがあるのかしら?」

「タケシは、奥様を思い出すらしいの。だから、早い時間には唄いたくないんだって。酔わないと、想い出を受け止めきれないのだそうよ」

「……、……」

「私もね、この曲には思い入れがあるの」

「……、……」

「別れた彼が、いつも唄ってくれた曲なの」

「……、……」

「もう、一昔近く前なのに、この曲を聴くと切なくなるわ」

「……、……」

「でも、つい、聞きたくなっちゃうのだけど……」

「……、……」

カリンさんはハンカチでそっと涙を拭っていた。

 私には、この曲も、カリンさんの悲しみも、タケシの奥様への気持ちも分らない。酔って痺れた頭で、どうして分らないのかを一生懸命考えてみるのだが、当然、答えが出る訳もなかった。





「ごめんなさいね、色々言ってしまって……」

「いえ……」

「でも、あなたと話していて分ったわ。大事なのは、私の気持ちじゃなくて、タケシの気持ちなのよね」

「……、……」

「もう、二度とあなたのことを認めないなんて言わないから、許してくれるかしら?」

「私、許すも何も、カリンさんのこと好きです。ますみさんも、アリスさんのことも……」

「そう、じゃあ、ちょくちょく来てね、待ってるわよ」

「はい……」


 私は、それからカリンさんと話し込んだ。洗濯槽にカリンさんの毛が付いていて、その時からカリンさんの存在が気になっていたことも……。

 カリンさんによると、それはカラオケでデュエットをしたときに付いたのではないかとのことだった。カリンさんは、お客さんからデュエットを頼まれたときに女性パートを唄うのだが、声が低くて上手く歌えないので、タケシに練習に付き合ってもらったのだと言う。

「普段は誤魔化せても、唄うと地声が出ちゃうの……」

と言って、笑っていた。





「カリン様~ッ、紗季ちゃんとの話は終わったの?」

「アリス、あんた、その呼び方はダメだって何度言ったら分るの?」

「だって、カリン様、猫っぽいんだモン」

「どうせ、私は年寄りの猫仙人よ。まったく、この子酔うといつもこの調子なのよ」

「紗季ちゃん、知ってる? カリン様って、タケシと同学年なんだよ」

「もう、良いからあっち行ってらっしゃい」

「やだ~ッ、私も紗季ちゃんと飲むんだから~」

アリスは絶好調だ。年老いた猫と言うのは、ドラゴンボールのカリン様のことかな?

 それにしても、カリンさんがタケシと同い年とは……。


「あら、アリスちゃん、今日はご機嫌ね」

「ますみちゃん、カリン様がいじめるの……。でも、全然気にしない~ッ」

「そうなの? あのことも気にしていないのかしら?」

「あのこと? ますみちゃん、私にカマを掛けてもだめよ」

「じゃあ、言っちゃっても良い?」

「良いわよ、何でも言っちゃって~ッ」

「この子、クリスマスイブに、サンタクロースの格好で彼氏の寝床に突撃して、撃沈したんですって」

「えっ? ますみちゃん、どうしてそれを……」

「僕は、コスプレをするような子は嫌いなんだ……、って言われて、それ以来、口も聞いて貰えないって噂よ」

「それ、誰にも言ってないのに、どうしてますみちゃんが知ってるの?」

「オカマの情報力を舐めちゃいけないわよ、うふふ……」

「もう、隠してたのに~ッ」

さすがのアリスも、ますみさんには敵わないようだ。タケシも笑いながら見ている。


 いつも、タケシは飲みに行った先で、こんなに盛り上がっているのだろうか? だとしたら、ちょっと羨ましい。

「次に来るときは、洋子も連れて来よう……」

と、心の中で呟き、私はグラスに残った水割りを飲み干すのだった。



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