タコバヤシ

新樫 樹

タコバヤシ

 東京駅。

 さほど待たずに上越新幹線に乗り込んだ。

『タコバヤシ、元気にしてるか? 絶対来いよ! 三村先生も来るぞ』

 プリンターで印字された字列の余白に、窮屈そうに書きこまれていた言葉。

 大切に持ってきた往復はがきの片割れを思い浮かべて、ふっと笑みが込み上げる。

 同窓会の案内ハガキが届いたのは、僕にとっては奇跡だ。

 親の転勤に連れられて引っ越しを繰り返し、高校を卒業してからは東京の大学へ行き、そのまま都内で就職した。

 小学校の友人で連絡を取り続けることができたやつはいない。

 あいつらはたぶん、当時を知っている大人たちのつてをたどってくれたのだろう。

 定年を迎えてようやくひとところに落ち着いた両親から、こっちにハガキが届いたからと送られてきたときには本当に驚いた。

『おまえ、今日からタコバヤシな!』

 この二十年、忘れることのなかった懐かしい声は記憶の中で幼いままだ。

 もう一度会えるなんてな……。

 僕は、そっと目を閉じた。



「なにしてんだ、やめれて! かわいそうらねっか!」

 弾けたように笑い声が上がる。

「やめれて~! かわいそうらねっかぁ~!」

 誰かがマネをする。

 僕は奥歯をぐっとかみしめた。

 こいつらはなまりが聞きたくて、僕に言わせて笑いたくて待っている。

 振り返ると、とっさに背中にかばった猫はもういなくなっていた。

 大勢の子供に小石を投げつけられて怖い思いをしたノラ猫が、いつまでも同じ場所にいるはずがないのはわかっているけれど、助けたはずの猫にまでバカにされたような気がする。僕はこみ上げてくるマグマみたいなものを拳をぐっと握って腹に押し込めた。

 新潟県三条市郊外。

 僕が生まれたところは、見渡すかぎり田んぼしかないところだった。

 民家を寄せ集めた面積よりも田んぼの方が何倍も広くて、僕らは舗装もされていないジャリだらけの細い道やを走り回り、用水路でメダカやザリガニをとって遊んだ。空に星が光るまで外で遊んでいても、大人はだれも心配しなかった。

 そんなのんびりとした毎日が突然終わったのは、小学三年生。

 父親の仕事の都合で新潟市内に引っ越すことになったのだ。

 最初の転校だった。

 当時の僕らにとっては、新潟市は東京と変わらないくらいの都会で、何もかもがまるで変ってしまうだろうと幼い僕にもなんとなくわかっていた。

 そうしてやっぱり、僕は教室でひとりぼっちになった。

 中には気にかけてくれる人もいたけれど、三条弁をバカにされ続けた僕の心はすっかり縮こまっていたし、田んぼどころか草っ原さえない街で友達なんかできる気もしなかった。



 そんなある日。

 担任の三村先生が突然、黒板に『異文化交流』と書いた。

 そして、自分の隣に僕を呼んだ。

「同じ新潟県内でも、市が違えば文化が違う。今日は新潟市と三条市の異文化交流だ。みんなは、三条凧ばやしって知ってるか? 三条市の祭りで必ず歌われるんだ」

 はっとして先生を見上げると、にこっと笑顔が返ってくる。

「ここに、三条凧ばやしの名人がいるから披露してもらおう」

 僕の両肩に大きな手が乗った。

 クラスメイトたちがザワザワし出す。

 先生はかまわず僕に太鼓のばちを渡すと、いつの間に用意したのか小ぶりの和太鼓まで運び入れてきた。

 これ、使えるか?

 小声で聞いてくる先生に、僕は先生がしようとしていることが全部わかった。

 先生はきっと、前の学校の先生に僕のことを聞いてくれたんだ。

 体中の血が勢いよく回りだしたみたいに全身が熱くなる。

 凧ばやしは、僕がたったひとつ自慢できることだった。

 前の学校で僕は凧ばやしクラブにいた。一番小さかったけれど、一番うまくできた。

 そのことを、三村先生は調べてくれたんだ……。

 黙ってばちを握って構える。絶対にうまくやってやる。

 僕はぐっと顔を上げた。

 

 ハ ヤレ ヤレ ヤレ ヤレ

 三条名物 凧揚げばやしは

 元禄五年の 男の節句に

 陣屋さむらいの トントンたちが 

 揚げるイカみて 鍛冶屋の小僧め 

 負けてなるかよと ぼろイカ揚げりゃ

 親があとから ヤレヤレヤレと 

 小屋の空樽 引きずり出して

 ボッコレル程に はったきながら 

 勢声かけたが このはやし ソレッ


 踊りながら、ダッダンと太鼓をたたく。

 心の中で笛を鳴らしながら、腹から声を出して思いきり歌って踊った。

 負けるもんか、負けるもんか……。

 終わったとき。自分でもびっくりするくらいに、心の中がすかっとしていた。

「すっげぇ! すっげぇ、カッコイイ!」

 みんなは興奮して立ち上がると拍手をしてくれた。

 口々にカッコイイと言ってくれるのが、夢みたいにうれしかった。

「お前、今日からタコバヤシな!」

 僕のなまりを一番笑っていたやつが、すげぇすげぇと言ってあだ名をつけた。

 その日から僕はタコバヤシになって、何回転校しても堂々と顔を上げていられるようになった。



 新潟駅に着いたころには、宵闇に街明かりが灯りはじめていた。

 近代的に様変わりした駅の構内にきょろきょろしていると、

「タコバヤシ!」

 不意に野太い声が懐かしい僕の名を呼んだ。

 よくすぐにわかったなぁ。そう言いかけてやめる。

「ひぃさしぶりらなぁ。元気らったか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タコバヤシ 新樫 樹 @arakashi-itsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ