第13話 ポルボロン、というクリスマスの粉っぽい菓子

 久し振りにイシドロの家に遊びに行った時の事である。イシドロは私の話を聞いて、「家を出るならば、うちに来れば良い。気が済むまで居て良いから」と言ってくれた。私もお言葉に甘えて彼の家にしばらく厄介になる気持ちになりかけたが、昼食をご馳走になっているうちに気が変わってしまった。

 彼らに余計な気を使わせたくない、というのが表向きの理由であった。彼ら二人の間には女の子が生まれたばかりであった。私も育児の大変さはよく知っている。そんな家に友達とは言え他人に転がり込まれるのは、甚だ迷惑であろう。いくらタチアナさんから居ても良いという許可をもらっても、我々はもう昔とは違うのだ。

 それに、幸せそうに暮らす彼らと同じ屋根の下に居たら、自分はきっと寂しい気持ちになるだろう。イシドロには黙っていたが、これが本当の理由である。


 「悪いけど、やっぱり知り合いのペンションに戻るよ」


 こう切り出すと、イシドロはムッとした。彼は風呂上りの娘にオムツをはかせようと格闘していたところであった。男は女のパンツのせいで人生の半分を棒に振っているとイシドロは言った。

 

 「脱がせるにしてもはかせるにしても、男はいつだって多大な努力と犠牲を払わなければ行けないんだからね」

 

 娘はオムツを嫌がり、鋭い爪攻撃とバタ足で抵抗している。娘の爪は、父親の頬肉をえぐり取るほどの凶器であった。イシドロのホッペには、既に3本ほどの引っかき傷ができている。あと一本あればカタル-ニャの州旗だね?と言ったらイシドロはさらにムッとした。

 

 「心遣いはありがたいけど、そうすることに決めたんだ」

 

 「そうか」


 イシドロはそっぽを向いて黙っている。気まずい空気に耐え切れずに目をそらしている間に、彼のほっぺたにもう一本擦り傷が走っていた。いつの間にかカタル-ニャの州旗が出来上がっていた。


 「そういえば今日、グエル公園で変わった日本人女性を見たよ」


 イシドロは、昔のように忍者の格好することはなくなったけど、相変わらず外に出る時も地下足袋を履いている。それをその日本人女性は、不思議そうな顔をしてしげしげと見ていたと言う。


 「コレ、トテモ歩きやすいネ」


 とイシドロが言うと、その女はビックリして早口の日本語で話しかけてきた。


 「「ワタシ、そんなにニホン語うまくない」と言っても御構いなしで、どんどんしゃべってくるんだ。しばらくはバルセロナにいるつもり、とか言ってたな。君のお店を紹介しようと思ったけど、なんだかややこしそうな人だからやめておいた」


 「ふーん。で、どこが変わってるの?」


 「だって、上から下まで身に着けているものが真っ白のキモノなんだぜ。もしかしたら、まだグエル公園にいるかもしれない。その格好で大道芸をするんだってさ」


 「そんな死に装束のような格好で、一体どんな大道芸をするんだろう?」


 「フラメンコを踊る、って言ってた」


 想定外の答えに、口の中に含んでいたオルッホ(グラッパというブドウの皮で作った蒸留酒のスペイン版)を噴き出してしまったので、前にいたイシドロが悲鳴を上げながら飛び上がった。そして、からくり人形のように無表情に頭をかくかくと振りながら、両手を上げてカスタネットを叩く真似をし、かかとを鳴らしながらフラメンコを踊りはじめた。踊りながら口ずさむのは、日本の盆踊りでよくかかる炭鉱節であった。イシドロは、「月が出た出たを」「ちゅきが、でたでた」と発音した。


 「一体何がそんなにおかしいの?あなたたちには、人のことをバカにして笑う権利があるっていうの?」


 タチアナが怒鳴りながら乱暴にドアを開けた。彼女の太い腕には、べそをかいている娘(名前は母親とおなじタチアナといった)が抱かれていた。イシドロはあわてて彼女達のそばに行った。


 「どうして怒っているんだ、タチアナ?その日本人の子が変わった服を着ていた、と話していただけじゃないか!」


 イシドロの反論は、びんたの音とガラスが割れる音によって途切れ、イシドロの反論はぶたないでくれという哀願に変わっていく。こんな情景もまた、彼らと出会ったとちっともかわっていない。

 帰り際、ドアまで見送りに来てくれたイシドロは、まぶたや耳たぶにまで新しい引っかき傷を幾つもこさえていた。もうカタル-ニャの州旗どころではない。


 それにしても、どうしてイシドロはいつも無抵抗なのだろう?タチアナさんの鋭くとがった爪が自分の目を引っかこうと近づいてきても、彼は避けようとは思わないのだろうか。それとも、片手でりんごを握りつぶすことができる元重量挙げ選手の妻は、ある程度手加減する決まりになっているのであろうか。とにかく二人の喧嘩には、他人の知らない暗黙のル-ルが存在しているのもしれなかった。


 「しばらくは君に飯を作ってもらえる、ってタチアナも喜んでいたんだがなぁ」


 しかし、イシドロはそれ以上無理強いしなかった。別れ際に無言で私をがっしりと抱きしめ、背中をパンパンと手のひらで叩いた。

 日本ではこんな大げさな抱擁をして友と別れたことなどないが、こういった別れ方は悪くないと思う。力一杯はげまされているような感じがするし、勇気づけられた気もする。私も彼の健康を祈って思い切り背中を叩いてやった。


 「君が決めたことなら、僕はその決断に敬意を表するよ。それでもこの先、もしも困難にあったら、もちろんそうならないことを祈っているけど、いつでもこの家に戻ってくるがいい。君は僕の親友なんだから遠慮しないで何でも言ってくれ」


 「ありがとう」


 私は心から礼を言った。 


 まっすぐ家に帰る前に、イシドロの言う変わり者の日本人女性を見たくなった。地下鉄に乗らずにグエル公園に立ち寄って行くことにした。それにその日は、雲ひとつないすばらしい天気だった。午後の街を見おろすこの高台からは、地中海が青く広がって見えた。その上空を旅客機がまっすぐに飛んでいる。こんな陽気に世界で一番素敵な公園のひとつを素通りしてしまうなんて、もったいない話である。

 

 駐車場のある入り口から公園の中に入ると、風景画やアクセサリ-を売っている露店が並んでいた。風景画は、おなじみガウディの聖家族教会や、このグエル公園にあるトカゲの噴水など、バルセロナの観光地を描いた水彩画が多かった。かつて、共にイシドロの家に住んでいた五十嵐さんが描いたような、淡いタッチでB5サイズほどの画用紙に描かれた小さな絵である。 

 「こういう絵は、日本人の観光客に受けがいいんだ」と五十嵐さんは言っていた。

 異国の街で四苦八苦しながら奮闘している苦学生です、などと母親ぐらいの年代の女性に訴えると良く売れるらしい。額に入れて日本のこじんまりした家の中に飾ったら似合いそうな風景画だった。


 この道をまっすぐ行けば、有名な波打つモザイクのベンチの広場がある。私の前をフランス人のツア-団体が道をふさぎながらそちらに向かってぞろぞろと歩いていた。高齢のおじいさんおばあさんの団体であった。ゆっくりと横に広がって歩く彼らの後ろについて行こうと思ったが、砂埃がひどいので道をそれることにした。そしてお菓子でできたような可愛い家が2つある正面入り口に下りて行った。

 トカゲの噴水がある階段を下りると右手にカフェテリアがある。そのテラスの椅子に白装束の女がいた。髪の毛はボサボサで、白く塗った顔にたれ目のサングラスをかけていた。棺おけに入れられた死人が身につける白装束は見る人の心を凍りつかせるほど衝撃を与えるものだが、のどかな春の日の下で見ると、それはずいぶんと趣が違って見えるのだった。

 

 女は行きかう観光客に好奇の目で見られている。その目は素人映画の撮影に来ている俳優を冷やかすような視線であったり、そんな奇抜な服を着せられた女優を哀れむ様な視線であったりした。私はカフェテリアの店内にあるカウンタ-に座って、エスプレッソを飲みながら女の様子を眺めてた。

 女は、行きずりの人日のから向けられる視線を気にとめる気配もなく、投げかけられるピロ-ポ?にも無視を決め込んでいた。アルミのパイプ椅子にすわったまま、木の枝をたらして野良猫を挑発している。


 太陽は西に傾き始めていた。入り口前の広場にそよぐ風が涼しくて心地よかった。鳥かごから逃げ出したらしい緑色のインコが飛んできて、アカシアの枝葉をゆらした。公園の入り口にちりばめられたモザイクは、午後の光を受けて極彩色に輝いている。もしかしたら、極楽浄土ではこんな情景が見られるのではないだろうか。私はふと、そんなことを思った。女は死に装束を身に着けて、動物たちと無邪気に戯れている。昔見た新興宗教の勧誘パンフレットにもこのようなイラストがあったような気がした。

 

 女はふと立ち上がり、私がいるカフェテリアのカウンタ-に向かってずんずん歩いてきた。そして私の隣に立ち、カウンタ-の中にいるボ-イの背中に向かって 「ツー、ツ-!」と叫んだ。Perdón もexcusemeも省略しての唐突さにボ-イは面食らった様子であった。女は、同じ言葉を繰り返し、二本の指を立てて少年のあどけなさを残すボ-イの眼前に突き出している。ボーイは、あっけに取られていた。


 「Dos?(ふたつ?)」と聞き返した。「De qué(何が) ?」


 「だめだわ。ここも英語が通じない」と女は諦めて帰ろうとした。


 「どうしました?」


 今度は女がびっくりする番であった。私が話しかけると、女は目をむいて驚いていた。


 「あなた、日本の方?」と私の頭からつま先まで、いぶかしげに見ている。


 「そうです。何か問題でもあったのですか?」


 「え?ああ、「砂糖をもう二つください」ってお願いしたんだけど、通じなかったの。スペインではほとんど英語が通じないのね。これからしばらくここに住もうと思っているのに嫌になっちゃうわ」


 私が見ていた限りでは、それは言語の問題ではないように思えた。女はただ「ツー、ツ-」と言っただけだ。しかも、twoではなくて、前歯の隙間から漏れたようなツ-という音を出しただけである。azúcar (砂糖)という単語はもちろん、Sugarという言葉も発せられていない。コ-ヒ-カップをかき回すゼスチャ-もない。ブイサインをするように二本の指を立てていただけだ。よっぽど想像力のたくましい人でなければ、いくら英語を話す人でも「この女は砂糖をもう二袋要求している」、なんてところまで理解してくれないのではないだろうか。

 

 ボーイに女の言いたかったことを訳すと、あぁ、なんだと言いながら8グラム入りのグラニュ-糖を二つくれた。このカフェテリアに来る客は外国人が多い。習慣の違いに戸惑ったり、相手の言っていることがわからないことも多いのだろう。それが原因で自分の仕事が中断させられるのが気に食わないのか、エスプレッソを用意しながら一人で何やらぶつぶつとぼやいていた。

 

 「あなた。ここに住んでいるの?」女はカフェ・コンレチェ(ミルクコ-ヒ-)に砂糖を3袋も入れてかき回した。

 

 「この公園に住んでいるわけではありません。ここから地下鉄で10分ほどの所に住んでいます」


 「あたりまえじゃない。ここは公園なのよ。人が住む家なんかないじゃないの。分かってるわよそんなこと。あなた面白い人ね。気に入ったわ」

 

 「え?」

 

 「よかったら、あちらで一緒にお茶でもどう?」


 あちら、というのは、女が座っていた階段の真下にあるステンレス製の卓だった。灰皿の吸殻に真っ赤な口紅がついている。こちらの人は、熱くて持てなくなるんじゃないか、と思えるくらいに根元までタバコを捨てないものだが、それらの吸殻はまだ半分くらいでもみ消されていた。

 

 「せっかくですけど、実はこれから引越しをする予定なので、すぐに行かなければならないのです」

 

 「あら、そう!それはちょうどいいわ。私も家を探しているところなの。あなたの引越し先に空いている部屋ないかしら?」

 

 「はぁ、、あ!いけない!そろそろ行かなければいけない時間なので、あしからず。では、さようなら」


 私が一方的に会話を打ち切ると、女は明らかに感情を害した様子であった。私の言い方を薄情で不親切と感じたようであった。グエル公園の門を出る時にふと振り返ると、女はまだ私を睨んでいた。おっかない顔をして、とげとげしい視線をいつまでも私の背中に送り続けていたのだった。


 ***


 「やぁキタちゃん、また来たね」


 「そうなんだ」


 私はピハマさんの日本人が経営しているペンションを訪ねた。ピハマさんというのはあだ名で、本当は山地さんという立派な苗字があるのだが、私を含めて古い友達は皆、彼をピハマさんと呼んでいる。しかし、このピハマは、スペイン語で言う寝巻きのことではない。デザ-トのピハマに由来しているのである。

 

 スペインに住み始めた頃、同じ語学学校に通っていた仲間たちとゴシック地区にある安食堂に通っていたことがある。そこのデザ-トメニューにあったピハマを見た時、この山地さんはものすごく感激したのだ。


 「これは懐かしいゴージャスさだ!プリン・ア・ラ・モ-ドのスペイン版だな!」


 ピハマさんの話によると、彼の家はそれほど裕福ではなく、家族揃ってレストランで食事なんて事はほとんど無かったらしい。たまに誰かの誕生日、とか、父親の機嫌がよい日曜日などにデパ-トの最上階に有る食堂に行って「好きなものを食べて良い」と言われる時があったらしい。そんな彼にとってプリン・ア・ラ・モ-ドというのは、外食の機会が与えられ、なおかつ父親からデザ-トを注文してよいという許可を得る、という2つの条件が揃わないと口に出来ない最高の贅沢だったのである。ところが、日本の外食産業で扱われるデザ-トにも流行り廃りがあるから、ピハマさんが成人して自分のお金で外食が出来るようになった頃には日本中のレストランからプリン・ア・ラ・モ-ドなどという時代遅れのデザ-トには、なかなかお目にかからなくなってしまった。そんなプリン・ア・ラ・モ-ドに(スペインのピハマはもっと野性的で繊細さにかけるが)再会した彼は、それ以降どこに行ってもデザ-トに「ピハマはあるか?」と聞くようになったのである。


 「どうしたんだい、そんな大荷物を持ってきて?掲示板にアルバイト募集の紙を大量に貼りに来たのかい?」


 彼のペンションに泊まる客は、ほとんどが日本人の学生である。昔はよくそんな学生アルバイトを募集したものであった。私は不法就労の罰金がものすごい額に跳ね上がったことを身をもって思い知らされた経験上、もう二度と労働許可のない人は雇わないことに決めていた。その苦いエピソ-ドは、ピハマにも話してあった。


 「悪い冗談はやめてよ、ピハマさん。もうしばらくっていうか、当分ここにいさせて貰うよ。いいだろう?で、できればもう少し広い部屋に移りたいんだ。荷物がこれだけあるからね」

 

 「広い部屋って、家に戻れなくなるほど深刻になっちゃったの?」


 「まぁね」


 「離婚するのか?」


 「まだそうと決まったわけじゃないんだけど、ちょっと絶望的かな。それで、少し気になることがあって、ピハマさんに、、」


 「ちょっと待て。話が長くなりそうだな」


 ピハマさんは立ち上がって、部屋の電気を消した。彼は、話が長くなりそうな時、灯かりを消すのである。話をするのに8ワットも(彼の電球は省電力型であるが)電力を消費する必要はない、というのである。うまい具合にこのペンションのサロンの目の前には、白々と輝く街灯が立っている。夜はよろい戸を開ければ街灯が手元を照らしてくれるくらいの光が入ってくる。我々の税金で灯っているこの明かりを利用しない手はない、と言うのがピハマさんの持論である。


 「金が絡んでいる?」


 「確かにきっかけは金だった。でも、最終的にカルメンが別れを決意したのは違う理由からだと思う」


 「思うって、心当たりがあるんだろう?」


 「まぁね。だけど僕が分からないのは、その心当たりが別居を決意させるとは思えないことなんだ。だって僕たちはもっと激しい喧嘩を何度も繰り広げてきたけど、それは何でも言い合える仲だから、という信頼の裏返しだと思っていたんだ。そんな激しい喧嘩をしても僕は一度も別れちゃおう、なんて考えには至ったことがないよ」


 「夫の方から離婚や別居を提案する時は、他に恋人ができた場合が多いけど、奥さんのほうから別居や離婚を言い出す場合は、夫婦生活に大きな失望を抱いたのがその原因だよ」


 「そうだろうか?」


 「そりゃそうさ。バルセロナ一不細工な君に愛人なんかできっこないのは、誰でも知っているからね。それなのに奥さんが長年連れ添った君を追い出そうとするのは、よっぽど我慢できないことだがあったんだよ。思うに、君は自分でも気づかないうちにカルメンさんに対して敬意を欠いた行動を取っていたんじゃないかな。実を言うと 私も今までは黙っていたけれど、いくつか君に注意しなくちゃいけないなぁ、と思っていたことがあったんだ。たとえば、君は大きな音を立ててゲップをするだろう?わざわざ人がいるところにやって来て、アヒルみたいに大げさに口を開けながらゲフって音をみんなに聞かせようとすだろう?あれって本当に不愉快なんだよ、キタちゃん。いくら家族や気心の知れた友達の前だからって、そんな事はするべきじゃあないと思うんだけどねぇ」

 

 「はぁ、、、カルメンからもよく注意されていました。でも、そんなゲップなんかが、離婚を決意させる重大な原因になるのだろうか?」


 「僕が言いたいのは、最初は些細なことであったとしても、それがずっと続いたらどんな人間でも堪忍袋の緒が切れる、ってことだよ。馴れ合いで自分が軽んじられるのは、女性がもっとも忌み嫌う所だからね」


 「ピハマさんは結婚した事もないのに、良くそんな風に言い切れるね」


 「そんな風に言い切れるから、結婚なんてしないんだよ。ところで、君が直接の原因だと思っていることは何なの?」


 私はきっかけとなった事件の経緯を話すことにした。私の先輩が日本からやって来てしばらく滞在したこと。その先輩とカルメンは馬が合わず、次第に険悪な仲になったこと。ついにはお互いに取り返しの付かない嫌がらせをするまでにいたったこと。その結果、とんでもない罰金を食らう羽目になりカルメンと大喧嘩をしたこと。その晩、ぷいと家を出て飲み歩いたこと、、、


 「そしたらその晩知り合いのバ-で飲んでたら、カルメンが僕を探しに来たんだ。もう明け方だったかなぁ?きっと町中の飲み屋を探し回っていたんだと思う。だけど僕はそんなカルメン対して知らん振りをしたんだ。とっさに身を隠したんだ」 


 私の話を一通り聞き終わったピハマさんはコーヒ-とポルボロンを出してくれた。彼は毎年、クリスマスが終わって在庫処分の安売りの札が出されてからポルボロンをまとめ買いしている。


 「明日で期限切れだから、たくさん食べてな」


 たくさん食べてくれ、と言われてもパサパサしていて口の中のよだれがたちまち吸い取られてしまうポルボロンはそう何個も食べられるものではない。一つ食べると、たちまち咽がからからになるからである。私はコーヒ-と水を立て続けに飲んだ。

  

 「確かに、一晩中行方不明になってカルメンを心配させたのはやり過ぎだったと思う。でも今までどんな大喧嘩も水に流してきたカルメンが、私を許せない気持ちになったのはなぜだろう?」


「思うに、君はカルメンさんの大事な木を切り倒してしまったんじゃないかな?「インディアンのオリ-ブの木」の話は知っているかい?」


 知らない、と言うとピハマさんは教えてくれた。


「昔あるところのインディアンの酋長がこう語ったらしい。「白人らが我々から先祖代々住み続けてきた土地を奪った事は許そう。我々の仲間や妻子を殺した事も許そう。だけどオリ-ブの木を切り倒した事だけは絶対に許せない」と言う話さ」


「そんな話ははじめて聞いたよ。インディアンのふんどしなら知ってたけど」


「インディアンのふんどし?何だい、それ?」


「ピハマさん、「だるまさんが転んだ」って知ってるだろう?」


「ああ。鬼が10数え終えて振り返ったときに動いていたら負け、っていう子供の遊びだろう?」


「そう、そう。「インディアンのふんどし」っていうのは、「だるまさんが転んだ」とおなじ10音節だからね。オニは10数える代わりに「インディアンのふんどし」って唱えるのさ。関西では「坊さんが屁をこいた」って言うらしいけどね」


「僕は今そんな話をしているんじゃないぞ!君は、人がまじめに相談に乗っている時でもそういうくだらない話を持ち出して話を茶化すんだな。そんなことだから、奥さんに愛想をつかされちゃうんだ!」


 別に茶化すつもりはなかったのだが、ピハマさんは話の腰を折られたと感じてすっかり気分を害してしまった。


 「ごめん、ごめん。もう余計な口出しはしない。で、どうしてオリ-ブの木を切り倒された事が許せないんだい?家族を殺されたことさえ許したのに」


 「もういいよ。説明する気もなくなった。自分で考えろ」


 「じゃあ、君の考えだけ教えてくれよ。僕はこれからどうしたら良いと思う?」


 「さっさと諦めるんだな。寂しいなら他の女を探せ」


 話の腰を折られたピハマさんは、吐き捨てるようにそう言った。何度頼んでも「インディアンの木」の意味を説明をしてくれなかった。彼の不機嫌は私に三行半を叩きつけてきたカルメンの怒りほど深刻ではないかもしれないが、私の不注意が原因で取り返しのつかないことが起きたという点では同じである。これも彼の「木」を切り倒してしまったことになるのだろうか?


 

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