第7話 パン・コン・トマテ(トマトを塗ったパン)
私達は、コウさんの店を見てから2年後に自分達の店を持てるようになった。コウさんのレストランのように場所が良く、しかも条件の良い物件は家賃が高くて手が出なかった。結局、街の中心地である旧市街ではなく新市街にあるこじんまりとした店を借りることにした。小さいながらも独立して自分の店を持つことができるのは嬉しかったが、言葉もまだ不十分な異国での商売は不安だらけである。せっかく店を開けても維持できなければ何の意味もない。この国では自営業を営んでいる人間に失業保険が出ない。生活保護の制度もない。客が何日も来ない日が続いたら、私たちはたちまち干上がってしまうだろう。最初は欲を出さずに、カルメンと私の二人で切り盛できる規模から始めることにした。
カルメンは当初、そんな私の意見に反対であった。口には出さないが、彼女の理想は、私のそれと随分かけ離れていたのである。これは私の推測であるが、カルメンが望んでいたのは街一番の目抜き通りに小さいながらもおしゃれな店舗を構え、汚れ仕事は全て従業員にしてもらうことであった。自分のすることは、お金の管理と上得意さんを出迎えておしゃべりをすることくらい。そして何よりも望んでいた事は、今よりももっとお金も時間も自由に使えるようになることであった。しかし、カルメンだってバカじゃない。自分が億万長者の日本人と一緒になったわけではないと知っている。そんな浮世離れした理想を高々に宣誓できる立場にいないことは認識していた。
それでも話をしている時などに、そんな彼女の考えがちらほらと覗き見えるのだった。ところが、カルメンに現実を認識させようとすると、決まってこう言い返された。
「分かってるわよ、そんな事。将来は、って話をしただけじゃない。それともあなたは60や70になっても同じ様に働けると思っているの?」
***
候補の店を決めて契約の署名をする前に、建築物の安全衛生に関する専門家に店舗をチェックしてもらうことにした。法律や法令は良く変わるし、素人では細かい所までなかなか確認できるものではない。もしも営業許可が取れない物件の契約書にサインしてしまったら取り返しがつかない、と私とカルメンが勤めていたレストランのオ-ナ-から専門家を紹介されたのである。ところが、その専門家とやらがなかなかの曲者であった。
「この段差は直さないと」とか、「床から天井までの高さが規定に届かないから地面を掘らないといけない」などと、私が気に入った物件に難癖をつけて契約を諦めさせようとするのである。そして、「もっと良い物件がある」としきりに勧めてくる。もしも、私一人であったらその「建築物安全衛生専門家」という難しそうな資格を持つ(資格証明を見せてもらった訳ではないが、差し出された名刺にはそう書いてあった)この人の言葉を鵜呑みにしてしまっていたかもしれない。元オーナ-が誠意で紹介してくれた人なのだから邪険に断れない、とも思っていたのである。ところが、カルメンにそんな遠慮はなかった。
「あなたがしつこく勧めるその物件、私たちが見つけた店舗より僻地だし、ちっとも良い条件だとは思えないわ。あなた、その人からいくらもらっているの?」
「え?」と専門家はたじろいだ。「私はただ君達の好みに合いそうな物件を偶然知っているから紹介してあげようと思っただけだよ」
「ふぅん。じゃあ、その店を見に行ってもいいけど、その前に私の父親と取引のあるあなたの同業者の専門家を連れて来るわ。この店を見てもらうためにね。それでもし、あなたの言っている事や経歴がでたらめだったら、わかってるわね?ただじゃ置かないから!」
それっきり、その自称専門家から連絡がこなくなった。私はカルメンからこんな叱責を受けた。
「あなたって本当に隙だらけのお人好しよね。この国ではまず疑ってかかることが大事なの。とくに弁護士とかエンジニアとか、自分はエリ-トなんだ、と特権意識を持ってうぬぼれている人種ほど注意しなければいけないわ。金のためなら何でもする人たちなんだから」
と言うカルメンは、その後も言い寄ってくる怪しげな勧誘やら詐欺を次々と見破って私たちの財産を守ってくれた。外人、特にアジア人が経営する店舗が電話帳に載っただけで、怪しい勧誘やら偽の請求書が送られてくるから注意するようにとは言われていたが、まさかこれほど多くの詐欺師がいるとは想像を超えていた。カルメンのような女が私の味方で本当に良かったと思った。
とは言え、詐欺をいくら見破ったところで食っていけるわけではない。ちゃんとお勘定を払ってくれるお客さんが来るように、と私は店の献立を考えて提案したが、食べ物の好みに偏りがあるカルメンにいろいろと口出しされたり却下されたりした。
カルメンは納豆以外の日本料理は大好きであるが、さすがに毎日だと疲れてしまう。それは日本食好きのスペイン人にしても同じだろうから、日本料理だけではなくスペイン料理もメニューに入れるべきだと言うのである。その当時、バルセロナにはまだ3~4件の日本レストランしかなかった。それだけ日本食とはスペイン人にとって特殊な食べ物だったのである。私は反論した。
「僕が住んでいた家の近くに、アメリカ人が経営していたラーメン屋があったよ。『京風サッポロらーめん』っていう店なんだ。山梨に行った時は、『イギリス家庭料理の店・コペンハ-ゲン』ていうレストランを見つけた。そういう店、どう思う?」
「そんな名前を付けちゃうなんて、ろくに調べもしなかったんでしょうね。でも、バカにするほどのことじゃないわ。間違いは誰にでもあるもの」
「僕だったらそんな店で飯を食いたいとは思わないね。だって、サッポロらーめんにしろ、イギリス家庭料理にしろ、そんな看板を出すなんて「節操もやる気もありません」、って言ってるようなものだからね。こだわりのない店なんかに旨い物はないよ」
「日本人は細かいことにこだわりすぎよ。要は味が良ければ良いんでしょう?それにスペイン人は、外国人の間違いとか無頓着さには寛容なんだから、そんなこと気にしないわ。私があなたのめちゃくちゃなスペイン語を笑った事がある?私たちの店が日本料理とスペイン料理を一緒に提供したところで誰も気にしないと思う。生魚なんか気持ち悪いって人が、まだまだいっぱいいるんだから。日本料理だけじゃお客さんがつかないんじゃないかしら」
「でも、僕たちの働いていた日本料理店は結構繁盛してたじゃないか」
「あのオーナーはお金持ちの知り合いがいっぱいいたから上手くいっているのよ。警察にわいろを贈っているって噂もあるわ」
「とにかく、やるなら日本料理だけにしよう。僕はスペイン料理に関しては素人だし。どっちつかずになるような事はしたくないんだ」
「そういうけど、あなたは焼きそばと餃子はメニューに入れるって言っていたじゃない。あれは中国の料理じゃないの?だったら、ボカディージョ(バゲットのサンドイッチ)くらい入れてもいいんじゃないの?」
「僕達が働いていたレストランは高級日本食だったからやってなかったけど、僕らはもう少し大衆的な店をしようって決めただろう?餃子と焼そばの2品はスペイン人が大好きなんだから、どうしても外せないよ。それに焼きそばも餃子も日本にすっかり定着しているんだ。もう日本食と言っても過言じゃないよ」
「じゃあ、パンは?日本に定着してないの?」
「パンも日本に定着しているけど、漢字じゃなくてカタカナで書かれているだろう?カタカナで表記される名前っていうのは、いまだに日本の物と認められていない証拠なんだ」
「こじつけだわ。ばかみたい。どっちにしろ、私だって投資するんですもの。私の意見も聞いてもらわなければ不公平よ」
結局、カルメンを納得させることはできずに押し切られてしまい、朝食の時間にカフェとボカディージョを出す、ということになってしまった。それだけでも不本意であったが、開店前に到着した看板を見てさらに愕然としてしまった。看板のデザインはカルメンに任せっきりにしていたのである。
『SUSHIBAR・CARMEN』 という文字の字体は、骨文字とも竹文字とも見える奇妙なフォントであった。これは古いアメリカのアニメかなんかで、ベトナムだろうが中国だろうが日本だろうが、東洋の国が舞台になるエピソ-ドの時の題字に使われていたような字体である。編み笠をかぶって黒ぶち眼鏡をかけた出っ歯の東洋人が、合掌しながらぺこぺことお辞儀して出てきそうな文字であった。しかも、大きく書かれた日本語にも違和感があった。間違ってはいないが『寿司ば-かるめん』と、寿司以外はひらがなで、「ば-」と「かるめん」の間に黒点がない。その為に人を「ば~か」、とおちょくっているように見えてしまうのであった。その事を指摘したら、カルメンは真っ赤になって怒った。
「下書きを作った時、あなたにちゃんと確認したじゃない!」
確かにこの日本語で間違いないか、と彼女から確認を頼まれた。しかし、その時は「寿司ば-」と「かるめん」が別々の紙に書かれていたのである。
とにかく、納品されたこの看板を初めに見た私の印象は、「この看板では、誰も日本人が寿司を握っているとは信じてくれないだろう」ということであった。しかし、激怒したカルメンはしまいに泣き出しそうになってしまったので、もうそれ以上何も言う事ができなくなってしまった。結局私は、手持ちの筆ペンで「調理人、近藤喜多男」と自分の名前を書き、プラスチックでコーティングをしてからセロテ-プで看板の右下に貼り付けることにした。あまり格好が良いとは言えないが、少なくとも日本人が経営している日本食の店、という事だけはアピ-ルしたかったのである。
***
なるべく人を雇わないで済むように、と我々は小さい店を選んだ。席数の少ない店で売り上げを伸ばすには、営業時間が長いほうが良い。朝8時頃から店を開けてそのまま昼食の時間まで営業。5時頃一旦店を閉め、夜8時から再び店を開ける、ということになった。それでは体が持たないのではないか、ともう一度忠告したけれど、カルメンは「私が朝食を担当するから」と聞かなかった。
初めは、カルメンと私の二人だけである。試運転ということで誰にも店を開ける事は告げずに営業を始める事にした。
「このあたりはオフィスが多いから、きっとたくさんの人が来るわ」
張り切ったカルメンは、初日にいきなりパン屋からバゲットを10本も買ってきて30人前のボカディ-ジョを作った。
パンを切ってトマトを塗り、オリ-ブオイルをかける「パン・コン・トマテ」にジャガイモの入ったオムレツとか、ブティファラをはじめとした腸詰類、生ハムなどを挟むのがカタル-ニャ地方の一般的なボカディ-ジョである。その他に朝食としてポピュラ-なものには、クロワッサン、マドレ-ヌなどがある。
スペインの昼食は、大体14時頃から始まる。他のヨーロッパ諸国に比べて遅めである。オフィスは9時に始まるし、働く人たちは家で朝食をとって来るのが普通だから昼食にたどり着くまでにお腹が減ってしまう。そのために10時か11時頃に2回目の朝食を取る人が多い。スペインの法律によると、雇われている労働者は昼食休みの他に20分の朝食休憩を取れる権利を持っている。しかし、オフィスを抜け出してカフェテリアに来る人達は、大抵もっと長い時間をかけて朝食を取っているのが普通である。雇い主と労働者でいつも言い争いをしているスペインだが、その辺りは柔軟な対応をしているようである。
毎日オフィスで働く人たちは、たいてい朝食に行きつけのカフェテリアを持っている。私たちの小さい店がカフェテリアの立ち並ぶ地区に店を開けて客を呼び込むには、それなりの努力をしなければならなかった。カルメンの用意したボカディ-ジョは、おいしいけれども一つも売れなかった。黙っていても客は来るものだ、と高をくくっていたからである。
私達は朝食、昼食、夕食、と徐々にパンが固くなっていくボカディ-ジョを一人2つずつ食べたが、それでも半分以上は、廃棄処分しなければならなかった。翌日は、半分のボカディ-ジョしか用意しなかったが、それも全部売れ残った。さすがのカルメンも意気消沈し、わずか2日で朝食の営業を諦めることとなった。
一方、昼と夜の日本食レストランは開店一週間もしないうちから在バルセロナの日本人が殺到するようになった。カルメンと再び話し合った結果、ようやく彼女が折れて日本食一本で再出発することにした。メインは寿司。それにお酒を飲んでもらったほうが客単価が上がるので、小鉢・酒肴はちょっと凝った物を出す。それらをお客さんを待たせないよう素早く、そしてなるべく安い値段で提供できるようにしよう、ということで試運転を再開したのである。
私とカルメンの友達や市場の仕入先、それに日本食材を輸入している業者さんなどを順繰りに招待して試食してもらった。彼らの意見を聞きながら、作業性なども考慮して最終的なメニュ-を決めるつもりであった。ところが、誰から聞きつけたのか、私達の店がこっそりとオ-プンしている事が田中さんの耳に入ってしまったのである。
「水臭いじゃないか、キタちゃん」
などと言ってお客さんを連れて来てくれるのは嬉しいが、この人はどうも余計な事を言う癖がある。
「このキタちゃんてのはね、作って欲しい物をリクエストすればメニュ-にないものでも作ってくれるから遠慮なく注文していいよ。ねぇ、キタちゃん。それじゃあ、今日はとりあえずたこ焼きをもらおうか」
「でも田中さん、たこ焼きプレ-トなんて持ってないですよ」
「そう言われるんじゃないかと思って、開店祝い代わりにちゃんと持って来ましたよ。はい、たこ焼きプレ-ト。材料はあるでしょう?じゃあ、お願いします。急がないから、ゆっくりでいいよ」
それくらいならいいけれど、田中さんの要求はどんどんエスカレ-トしていった。店には一人で来ずに、必ず知り合いを連れて来た。
「今日は無理だろうけど、金曜日にまた来るから豚骨ラ-メンを作ってもらおう。このキタちゃんて子はねぇ、一度じっくり煮込んだス-プと手打ち麺で作ってくれたんだけど、あれがなかなか旨かったんだ。あんたも食べたいでしょう、ラ-メン?」
「あぁ、懐かしいなぁ豚骨。僕、博多出身なんですよ。よろしくお願いします」
という具合に、ホントウは自分が食いたいだけなのに、在バルセロナ日系企業のお偉いさんなんかを巻き込んで、どうにか無理やりにでも作らせようとするからタチが悪い。
このように、開店当初は田中さんには振り回されたけど、今になって思い返すとあの時期に駐在員さんたちのリクエストをなるべく断らないように努力して良かったと思う。なぜならば、そのおかげでお得意さんがたくさんついてくれたし、そういった人達がまた別のお客さんを連れて来てくれたからである。企業の駐在員は、着任から3年から5年でバルセロナを離れてしまう事が多い。それでも、私達の店がオ-プンしたての頃に通ってくれたお客さんの中には、いまだに付き合いのある人たちが何人かいる。
日本であれば、店が軌道に乗るまでに大変な努力と辛抱が必要であるが、私達は回転してすぐに希望以上の売り上げを維持できるようになった。その為、『寿司ば-かるめん』の看板もすぐに『寿司BAR・CARMEN』と替えることができた。
「どう?私が連れてきたお客さん、良く来てくれるでしょう?」
田中さんは、来るたびに自分が紹介した客が来ていないか、ぐるりと店内を見回した。
「まぁ、ぼちぼちっすよ」
「ホントにおかげさまで」などと言うと、田中さんは「そうでしょう?私のおかげでしょう?」などと図に乗るに違いない。店はだんだん忙しくなって来ていたから、そうそうメニュ-に載っていない料理を作る事もできなくなった。私は、次第にそっけなく田中さんに接するようになった。店が忙しい事を口実に、彼を避けるようになった。自分が特別扱いされなくなったことに気を悪くした田中さんは、カウンタ-に座ってぼやくようになった。
「キタちゃんは、儲かってくるとずいぶん冷たくなるんだね。こちらに長く住んでいるうちに義理人情なんて日本の心を忘れてしまったんだな」
いい歳をしたおじいさんに子供のように拗ねられると、ちょっと邪険にしすぎたかな、という気がしないでもなかった。しかし、カルメンは私のように細かいことをくよくよと悩んだりしない。
「何がニホンの心よ!自分がちやほやされたいだけじゃない!」
とばっさり切り捨てることが出来るのであった。
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