第8話 アロ-ス・コン・レチェ(練乳かけご飯)
店が軌道に乗り始めたのは喜ばしいことである。それはカルメンも同じ、のはずであった。しかし、カルメンは開店して半年もしないうちに「このままじゃ体が持たないわ」とか、「毎日同じことの繰り返しでつまらない」と不平を言い始めた。下働きをする人間を雇おうと言い出したのである。
私はなるべく人を雇いたくなかったので、「大変なのは最初の一年間だけで、そのうちに体が慣れるさ」、となだめてみたり、「もっとお客さんが来るようになってから、って言ってたじゃないか。今からそんな泣き言を言っていたらいけない」と叱咤したりして、カルメンの要求を先延ばしにしていた。人を雇いたくないのは、お金の問題だけではない。人間という生き物は、一度楽をすると味を占めてしまって、もう元のように働かなくなってしまうからである。私の先輩でとても腕の立つ板前は、親方になったとたんに賭け事や火遊びに手をだして堕落し、身を滅ぼしてしまった。我々は、いつもそういった甘えに溺れる危険と隣り合わせなのだ。カルメンも掃除や洗濯など、一度家事の分担を代行してやると、もう二度とその仕事をしなくなってしまった前科がある。その事を指摘すると、
「それは最初からあなたの仕事だったはずよ!」
などと、本気なのか忘れたフリをしてとぼけているのか分からないが、逆切れされてしまうのである。 しかし、ついに断れない日がやって来た。カルメンが妊娠したのである。
私達は人材派遣会社に連絡して調理場の助手を募集した。日本料理の経験者を探すのは難しかったが、少なくとも調理場の経験者でないと即戦力にならない。紹介手数料は安くないが、派遣会社に依頼した場合は保証がある。派遣してもらった人が気に入らなかったらまた別の人を紹介してもらえるのである。
最初に紹介されたのは、北アフリカ出身の中年女性であった。履歴書を見せてもらうと、一枚の紙では収まりきれない程たくさんのレストランを渡り歩いている。日本でも板前修業といって色々な店で腕を磨く人がいるが、この女性は一箇所のレストランで働いた期間がせいぜい1ヶ月であった。3ヶ月の試用期間を満了した事さえないのである。よほど問題があるに違いない。派遣会社に問い合わせると、素直にその事を認めた。説明によると、派遣会社に登録している就職希望者には順番があって、登録の古い人から順に募集をかけているレストランを紹介するとのことであった。この女性はどの店に行ってもすぐにクビになるので、常にリストの一番上にいるらしい。私はその後も何度かこの派遣会社のサ-ビスを利用したが、最初に履歴書が送られてくるのはいつもこの女性であった。
何人かの候補者からカルメンが選んだのは、背の低いカタル-ニャ人の女性であった。調理学校を卒業後、勤めたレストランは数件あったが、どこも有名なシェフの元で3年以上勤めている。中にはミシュランで星をもらったレストランもあった。
「こんなすごそうな人に来てもらって大丈夫?」
「大丈夫。私がみっちりしごいてあげるわ」
経験を積んだ調理人というのは、頑固で気難しい人が多い。それはどこの国でも同じである。自分が手がける料理に自信と誇りを持っているので、仕事内容にあーだこーだと注文をつけられるとへそを曲げてしまうのだ。
『寿司・BARカルメン』に来たカタル-ニャ女性は、性格が明るくて綺麗好きの働き者であったが、カルメンに厨房で仕事の指導を受けていく内にだんだんと目つきが険しくなっていった。きっと、新しい職場でなじみのない食材の扱い方を任されたせいだろう、などと最初はのん気に考えていたが、たわいないの日常会話のやり取りにもどこかつっけんどんでトゲがあるように感じられるようになった。そこで私は、カルメンが彼女に指導している厨房を覗き見してみる事にした。すると、やっぱり危惧していた事が起きていた。二人は、天ぷら鍋の前で口論している最中であった。
「でも、私がいた『カン・アドリア』では、いつもこうやっていたんですよ」
「ふん!あのやたらとテレビに出たがる料理人の店か!何を吹き込まれたか知らないけど、あんなピエロが日本料理のことをキタオより知っているとは思えないね。いいかい?ここはあんたが今までいたちゃらちゃらとした店とは違うんだよ。それにあんたはこの店で給料をもらう身なんだから、まず雇い主の言う事を聞くのが筋だろう?」
「私はただ、この方が合理的だと仕事の能率が上がる方法を提案しただけです」
「あんたは知らないだろうけど、日本料理ってのはあんたが働いていた店のええ格好しいのシェフみたいに世界中の料理のスペインで受けそうな所だけ切りとって盛り付けている薄っぺらな料理と違うんだよ。一見、不合理で無駄と思える手順にも、省いてはいけない理由があるんだ」
「それはわかりますけど、天ぷら鍋で揚げた食材をすくうのにどうして箸じゃなければいけないんですか?」
「だから、「何で?」っていちいち聞いてくるその態度に、日本料理に対する敬意が足りないって私は言っているの。箸が上手く使えないなら、天ぷら油の中に手を突っこめば済むことじゃない。さぁどうぞ!今すぐ手ですくいなさいよ。早くしないと衣が焦げちゃうわよ」
私はいたたまれなくなり、カルメンを呼び出して忠告した。
「従業員にはもう少し気をつけて接した方が良い。訴えられるかもしれないよ」
「あなたって、私にはいつも厳しい事を言っているくせに、あの小娘には随分と気を使うのね。でも、私は間違った事をしているとは思わないわ。だって、私がいなくなってから味が落ちたりしたら大変じゃない。こだわりのない店はダメだって、あなたも言っていたでしょう?訴えたかったら勝手に訴えれば良いのよ。受けて立つわ」
そんな調子だったから、その女性は1ヶ月で辞めてしまった。そして思っていた通り、訴えられた。人権を踏みにじるような言葉で罵倒され、精神的なダメージから鬱になってしまった、という理由であった。一応簡単な裁判が行われたが、ほぼ我々の完敗であった。彼女を診察した医者の診断書には、回復の為には4週間の休養が必要とあった。そして、我々のレストランで見習いとして働いていた一月分の給料と、療養の為仕事が出来ない間の保証金も支払うよう請求されたのである。
「何て卑劣な嘘つき女なんだろう!こんなのは皆言いがかりだわ」
とは言うものの、裁判所の通知には従わざるをえない。カルメンは、彼女の家に怒鳴り込んでやると激怒していた。本当にそうしかねない勢いだったので、私は提案した。
「君のお腹には赤ん坊もいることだし、今はデリケ-トな時期なんだから、後の事は僕に任せてしばらく仕事から離れた方が良いんじゃないか?ストレスが溜まって胎児に悪い影響があったらいけないもの」
「今回こんな不愉快なことがあったけど、赤ちゃんは大丈夫かしら?明日産婦人科に行って診てもらいましょうね」
カルメンは妊娠8週間であった。エコーグラフで胎内を覗く画像を前に、産婦人科医が説明してくれた。
「ほら、ここにあなた達のお子さんがいますよ」
それは、カメラの陰影と思えるような細長く黒い点であった。
「今どのくらいの大きさなんですか?」
「そうですね、ちょうど米粒くらいでしょうか。おめでとうございます」
米粒大の赤ん坊。それは一体どんな姿をしているのか私には想像もつかなかったが、産婦人科に祝福されて父親になるという実感がやっと湧いてきた。一方のカルメンはというと、もうずっと前から母親になる覚悟が出来ていた様子であった。カルメンは画面に映っている自分の子宮の内に小さい生命が生まれた事を、さも当然の成り行きであるというように見つめていた。そして、つわりの原因も情緒不安定になった理由も分かっているわ、というように胎芽から胎児に変わる黒い影に向って何度も頷いていた。
産婦人科からの帰り道、カルメンは寡黙であった。色々な考えが頭をよぎっている様子であった。
「やっぱりしばらくの間、店をあなたに任せてしまっていいかしら?だって、お腹の子はあんなに小さいんですもの」
「そうした方が良いと思うよ。店の事は心配しないでくれ」
カルメンと胎児を気遣ってそう答えたことに偽りはない。しかし、実は他にも理由があったのだ。私は、かねてから店にボスが二人もいるのは良いことではない、と思っていた。小さい船に船頭が二人もいるようなものだからである。舵取りをする者は一人でよい。これは店を始める前から私が望んでいた事だったのだが、カルメンに「私も出資しているんだから」と言われると何も言い返せなかったのである。
カルメンの代わりに二人の従業員を雇う事にした。一人は週40時間、もう一人は半分の20時間という契約である。これで店内ではカルメンに気を使う必要がなくなった。従業員には、カルメンが嫌がっていた汚れ仕事を遠慮なく言いつける事ができる。これでさぞかし仕事がしやすくなるであろうと思っていたのだが、その考えは甘かった。なぜかというと、カルメンは、何か気になる事があると頻繁に店に電話をかけてくるからである。
「家に帰ってくるときにミネラルウォ-タ-と洗剤を買ってきて」
などとお使いを頼まれるのは今に始まった事ではないし、重いものはなるべく持って欲しくなかったから、忙しい時に電話がかかって来た時でも文句を言わずに引き受けた。しかし、
「ねぇ、○○っていうドラマって何チャンネルだったかしら?」とか、「あの女優なんていう名前だったっけ?ほら、随分年寄りのドイツ人指揮者と再婚した人!」と、何かの拍子にふと思い出して店がピークの時間にくだらない電話をかけてくるのには閉口した。私が、
「急用でなければ、電話はなるべく営業時間外にかけてくれ」と怒ると、今度は体の不調を頻繁に訴えるようになった。「頭が痛い」、とか「足が浮腫む」といった程度の事なら電話で励ましたり、24時間営業の薬局でシップを買って帰るからとなだめていたのだが、泣きそうな声で電話をかけてきた時はさすがに驚かされた。
「ねぇキタオ、私おなかが痛くて死にそうなの。病院に行ったほうが良いかしら?」
「一人で行けるのか?」
「分からない。でも立てないくらい痛いのよ」
「10分だけ我慢できるか?今すぐそっちに行くから」
「じゃあ待ってるわ」
カルメンは少しでも体調を崩すと大げさな表現をすることがある。風邪でダウンしたくらいでも「死にそう」などと言うくらいだから、どうせ今回も大したことはないのだろう。そう思いながらも、胎児がお腹の中にいるのでは邪険にするわけにもいかない。私は切りのいいところで店を抜け出し、バイクで家に駆けつけた。
ところがカルメンはというと、ソファに寝そべって特大サイズのアロ-ス・コン・レチェを食べながらテレビを見て大笑いしていたのであった。
「おい!死にそうだって言うから帰ってきたのに、このざまはなんだ!今にも死にそうな奴がアロ-ス・コン・レチェを馬鹿食いしているじゃないか!」
「だって、せっかく買ってきたのに誰も食べないんだもの。もったいないじゃない。どうしてあなたはアロ-ス・コン・レチェを嫌がるの?」
どうして、と言われても日本では米と甘いミルクを組み合わせて食べる習慣がない。生理的に受け付けられないのである。私が今まで知り合った日本人にも「アロ-ス・コン・レチェ大好き!」なんて言う人を今までに見たことがない。
「あなた達日本人は毎日お米を食べるでしょ?コンデンスミルクだって、日本でイチゴを食べていたときに使っていたじゃない。なのにどうして混ぜて一緒に食べないのかしら?自分達は豆を甘くして食べているくせに。その方がよっぽど気持ち悪いと思うわ」
のたうち回るほどの苦しみは、トイレに行ったら治まったらしい。そのうちに冷蔵庫の中で忘れられているアロ-ス・コン・レチェを発見してしまったので、痛みが消えた事を私に連絡するのを忘れてしまった、とカルメンは言い訳していた。
***
次回の検診では、胎児の姿が消えていた。もしかしたら、粒子の粗いエコーグラフの画像の中に見落とした影が映っているのではないかと我々は探し続けたが、そんな影はどこにも見当たらなかった。胎児は、いつの間にかカルメンの体から抜け出してしまったのだった。医者は「お気の毒です」と同情を示してくれた。医者が初めから胎児の運命を知っていて黙っていた、などという事はありえない。それでも医者の言葉が冷たく突き放すように聞こえてしまったのは、一瞬にして私達の心が殺伐としてしまったからであろう。
カルメンが再び妊娠したのは、2年後のことであった。その時もカルメンは仕事から離れ、自分と胎児の体をいたわる事に専念した。私も母子の健康を考えた献立を考案し、毎日カルメンのために食事を作った。
「私、出産するまでアルコ-ルは飲まない。クッキーとかチョコレートとかも控えめにして、にんじんとりんごをたくさん食べるようにするわ」
カルメンは守れない誓いを立てることがある。守れないならわざわざ他人の前で宣誓なんかしなければ良いのにと思う。私の用意する食事は毎日残さずに食べたけれども、それだけでは物足りなかったらしい。隠れてこっそりとお菓子を食べていたのであった。もちろん、私には何も言わない。だけど、ゴミ箱の下のほうに駄菓子の包装紙が捨ててあったのを私は何度か発見した。しかし、余り厳しい事を言うと良くないと思った私は、知らないフリをすることにした。
そんなカルメンであったが、大好物のアロ-ス・コン・レチェだけは二度と口にしようとしなかった。私が買って来ようか?と尋ねても決まって首を振った。米粒の大きさと乳の匂いが、流産した胎児を思い出させてしまうのかもしれなかった。
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