寿司BAR・カルメン

三笠るいな

第1話 固執観念

 私は、バルセロナに行くまで一度も外国に行ったことがなかった。飛行機に乗った事もなかった。下関までは修学旅行で行ったことがあるが、本州から離れたこともない。唯一海を渡ったのは、社員旅行で日間賀島に行った時だけであった。

 調理場の仕事をしていると長い休暇を取らせてもらえない。我々下っぱが取れる連休は、せいぜい3日、多くても5日であった。外国に行くにはあまりにも短すぎる。しかも、お盆や正月の休みは上司や先輩が先に予定を入れてしまう。その為、友達と休暇の日程を合わせることもできなかった。ましてや、恋人もいないのに高いお金を払って一人で海外旅行に行く、などという気は起きなかったのである。

 長時間働く上に毎晩のように飲み歩いているせいか、休みの日は頭がボーっとして体がだるかった。掃除も買い物も、歯を磨くのさえおっくうであった。ずっと家の中に閉じこもってゲームをしているか、せいぜいパチンコに行く程度である。

 

 その日は私の公休日であった。家でゴロゴロしていると、先輩(同じ厨房で働く目上の調理人)から呼び出しの電話があった。

 「今夜店に集合しろ。仕事の後、みんなで宴会をすることになった。3年ぶりに原田さんが帰ってくるので歓迎会をするんだ。お前は休暇中だから空港に出迎えに行く役目は免除してやる。だが11時前には宴会の準備をすっかり整えておけ。わかったな?」

 原田さんというのは、私がその店に就職する前にスペインに出張に行っていた2番手のベテラン調理師である。原田さんがスペインに行ったきっかけは、外務省の知り合いがバルセロナ総領事に赴任することになったので、原田さんに料理番として一緒に来てくれないか?という話があったからだ。期間は一年、という約束であった。しかし、その間にバルセロナの有名レストランのオーナーと知り合いになり、腕を認められた原田さんは、そのレストランの指導役としてさらに2年間バルセロナに滞在することになったのだ。

 

 先輩からの呼び出しは、いつだって嫌なものだ。特に酒の席への呼び出しには気が滅入る。話題といえば仕事上のぐちと我々下っ端へのお説教ばかりだし、カラオケでは先輩の下手くそな歌で盛り上がらないと怒られる。ちっとも楽しくない。社長や親方たちとの宴会は、それに輪をかけて息苦しい。

 「俺はお前ら後輩を教育する責任があるのだ」

 その日私を呼び出した3つ年上の先輩は、いつもそんなことを言っていた。社長や板長が出席するような宴会になると、その先輩はいつも私たち後輩と同じ卓に座った。我々の落ち度を見つけて脛蹴りの制裁を加える為である。

 「お前ら、親方が話し始めたときに私語を交わすな!」とか、

 「先輩のグラスが空になっているのに、なぜ酌をしない?」

 と雷を落とされる。同時に先輩の足蹴りを食らうことになる。先輩の革靴は常に我々の脛を狙っている。そのつま先には、鉄板のプロテクターが入っていることもある。制裁の足蹴りは素早く、狙いも正確だ。弁慶の泣き所、と言われる急所を一発で蹴り当てる。これを食らうと、脛に飛び上がるほどの激痛が走る。だけど、声を上げたり、痛がったりしてはいけない。そんなリアクションをしたら、さらなる制裁が待っているのだ。

 ともかく、先輩から呼び出しがあったなら下っぱは決してNOと言えない。どんなことがあっても参上しなければならない。先輩からの呼び出しは、誘いではなく命令なのである。私は、重い足取りで店に出向いた。

  

 「原田君は、バルセロナにあるミシュラン2つ星のレストランでさらに腕に磨きをかけて帰ってきてくれた。原田君なら、スペインの食材と和食の調理法を融合させた独創的な料理を提案してくれるに違いない。日本料理界に再び新風を巻き起こしてくれるであろうと期待している」

 会長が話し始めると、宴会場は緊迫した空気に包まれる。我々は箸を置き、不動の姿勢を保ったままじっと耳を傾ける。会長は包丁一本で日本中にその名を轟かせた叩き上げの料理人だ。政財界とのつながりも深く、著書も多数である。料理人としては初めて紫綬褒章を受章した日本料理界の重鎮の一人だ。

 そんな会長は、人前で話をするのが好きであった。話をする間、ずっと眉間にしわを寄せて怒ったような顔をしている。そのため、気を抜いていると、彼の長話の中に混じっている受け狙いの冗談を聞き流してしまうのだ。私が働いていたその店では、会長が冗談を言ったら笑わなければいけないことになっていた。会長のジョークを聞き流したり笑いそびれたりすると、先輩から脛蹴りを食らうことになる。だから聞く方も必死である。その笑い方も、「ふん」とか、「へへへ」といった鼻で笑う笑い方ではいけない。「ハッ、ハッ、ハッ、」と快活に笑い、笑い終えたらさっと黙る。いつまでも笑っていれば良いというものではない。笑い方にもちゃんとした作法があったのである。


 「諸君らも原田君のように常に旺盛な好奇心を持って新しい料理を提案して欲しい。これからは固執観念に捕らわれることなく、思いっきり腰使んねん!」

 会長のギャグは突飛な上、面白かったためしがない。しかし本人は得意気で、満面の笑みを浮かべながら腰をカクカクと振っている。先輩たちは、額に青筋を立てながらどっと笑う。何が起きたかわからずにぽっかりと口を開けている新入りは、さっそく脛を蹴られている。幸い私の同僚には、鼻の穴をぴくぴくさせながら面白い顔をする奴がいたので助かった。我々はそいつの顔を見ればいつでも笑えるようになっていたのである。

 

 会長の悪のりには辟易したが、その時に聞いた原田さんの話は大変面白く興味深かった。海外のレストランの厨房で初めて仕事をしたが、ずいぶんと勝手が違うので、はじめのうちはずいぶんと戸惑った。と原田さんは言っていた。厨房内の不備、とくに電気関係や水回りなどは仕方がないにしても、従業員のプロ意識の低さには幾度となく腹立たしい思いをしたらしい。原田さんはその時のことを思い出すと今でも腹が立つようであった。

 彼らは平気で遅刻する。忙しいときでもタバコを吸いに外に出る。勤務時間中にも拘らずビールやワインを飲む。何度言って指示通りに調理せず、自分流の味付けに勝手に変更してしまう。それでいて、注意されるとすぐにふてくされる。それでも言い訳や屁理屈を言うだけならまだかわいいほうである。他人の悪口をあれこれ並べ立て、自分はまだましなほうだ、と開き直る奴もいる。そんなこんなで仕事がスムーズに進まないことが多々あり、「疲れちゃう」らしい。特に、衛生に関する意識も話にならないくらい低く、あんないい加減な食材管理でよく食中毒にならないものだと驚いたという。原田さんがいたのは、ミシュランの星が付いている高級なレストランであったが、トイレの後で手も洗わない輩もいたということであった。

 「お前、トイレに行ったあと手を洗ったか?って、言われてちゃんと洗いに行く奴はまだ可愛いほうさ。ひどい奴なんか「俺は毎回ちゃんと洗っている」って言ってたけど、見たら親指とひとさし指の先っぽをちょろっと濡らしているだけなんだ。そんな奴が、冷菜担当の責任者なんだから呆れちゃったよ、まったく」

 「立ち入り検査などはないのですか?」

 「いや、あるにはある。でもなぁ、あっちの保健所なんて俺が見た限りかなりいい加減だったよ。それでもあっちは日本みたいに湿気が多くないし、生で魚を食べる習慣もないから事故も起きにくいのかな。スペイン人は日本人よりも頑丈そうだし」

 「でも、そんないい加減な奴ばかりじゃあ、向こうの生活も大変だったんじゃないですか?」

 御機嫌取りの先輩がそう言って原田さんの労をねぎらおうとすると、原田さんは反論した。

 「いや、長く付き合えるのはそういった奴らだったんだ。初めはいらいらと腹が立って仕方がなかったけどね。でも人間的にはとても良い奴ばかりだった。これは3年間向こうで働いて思い知らされたことなんだけど、もしも向こうで現地の人を雇おうと思ったら、少しくらい気のきかない奴らのほうがいいんだ。仕事を覚えるのが早い奴は、逆に注意するべきだ。なぜなら頭の回転が速い奴は悪知恵も働くからね。その店にもいたんだけど、法律だの労働者の権利だのを実によく知っていて、店をやめるときなんかオーナーとずいぶんもめていたからなぁ。中には退職金の額に納得がいかないと店のアラを労働省やら保健所に訴える嫌がらせをする奴もいたって聞いたぞ」

 「そんなんじゃあ、オーナーも大変ですね。いつ寝首をかかれるか分かったもんじゃない」

 「そうだな、その辺りは確かに大変そうだったよ。あの国は労働者が強いからね。自分たちの権利は堂々と主張するし、何か問題があるとすぐに労働省に訴える。日本とはずいぶん違うよ」

 そんなやり取りを聞いているうちについ口が滑った。こんな質問をしてしまった。

 「後輩の脛を蹴るような先輩はいませんか?」

 「そんな奴はいないね。そんなことしたら大変だよ。和解金も貰えずに即刻クビさ」

 「いいなぁ~」

 日本にもちゃんと労働時間や最低賃金を決めた法律は存在する。その法律の中に新入りは何時間でもこき使ってよいとか、先輩は後輩のすねを蹴っ飛ばしても構わない、などという条項があるはずはないのだが、現場ではそれが普通にまかり通っている。厨房の中では親方か先輩が法律なのである。

 

 私がスペインの厨房をうらやましがると原田さんは笑った。先輩たちは私を睨んだ。例の先輩からは、弁慶の泣き所につま先蹴りも食らった。それでも私は、ちっとも痛みを感じなかった。人間というのは自分の進むべき道を見つけた時、脛蹴りなど痛くも痒くもないものだ。後輩たちのすねを蹴り続ける先輩が気の毒にさえ思えた。私は野望を抱いた。スペインに渡る決心をしたのである。

 「原田さんの御家族はスペインを気に入ってましたか?」

 「ああ、娘なんか帰りたがらなかったよ。いつかはスペインに住むんだなんて言ってるよ」

 「スペイン人の男性と結婚しちゃたりして」

 誰かがこう言うと、原田さんはしばらく天井についているスプリンクラーを見つめていた。

 「悪かぁないだろうな。うちの娘みたいに気の強い女には、日本の男よりもスペインの男の方がいいかもしれない。うん。きっと幸せになるよ。あっちの男は俺たちと違って本当に家庭を大事にするからね。俺が働いていた店でこんな男がいたんだ」

 

 原田さんのいたレストランは、総勢50人のスタッフが働く大所帯であった。その中に勤続20年以上のベテランウエイターがひとりいた。仕事の態度はまじめで、まわりからの信頼も厚く、客からも慕われていた。オーナー夫婦は、何度かそんな彼にホールの責任者にならないか、と持ちかけたことがあった。普通の人なら大喜びで受諾するような好条件であった。しかし、そのベテランは決して首を縦に振らなかった。理由は、週末は必ず家族と一緒に過ごしたいから、ということであった。ホール一番のベテランである彼は、土曜日一日と日曜日の昼を休みにしていたのである。責任者になれば給料は1,5倍以上になるけれど、週末に欠員が出た場合は自分が休日出勤しなければならなくなってしまう。彼はどうしてもそれだけは避けたいと言うのだった。

 「もったいない話ですね。そんなチャンスはめったにないのに」

 「確かにな。でもそいつは、いつ見ても幸せそうだったなぁ。こっちがうらやましくなるくらいにね」

 「おい、原田」

 その日の宴会には、ほかのレストランで板長をしている原田さんの同期が来ていた。

 「お前もずいぶんとあっちで洗脳されて来たな。もう完璧なスペイン人だ。でもなぁ、日本に帰ってきたからには日本式でやってくれよ。特にお前は若い奴らに甘いんだから。家族を大事にするのもいいけれど、仕事をきちんとこなさないと家族どころか自分の身も守れなくなるって事を肝に銘じさせとけよ。えぇ?原田」

 その人が我々を一通り(特に私を)じろっとにらみながら原田さんに忠告をすると、和やかだった場がとたんにシラケてしまった。程なくその晩はお開きになった。

 ***

その日の宴会以来、我々の厨房では、仕事に遅刻したり言い訳をしたりする奴は「スペイン人」と呼ばれるようになった。スペイン人が聞いたら激怒しそうな悪ふざけである。一番「スペイン人」と呼ばれる回数が多かったのは私である。先輩の呼び方には蔑むような悪意が込められていたが、原田さんの呼び方には暖かみがあった。張り詰めた仕事中の空気を和らげようと親しみをこめてくれているように感じられた。どんなにひどい失敗を犯したときでも、それは同じだった。

「お前達はまだまだ若い。いくらでも人生をやり直せるんだから、そんな細かいことでくよくよするなよ」、と励まされているように聞こえたのだった。


 

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