第4話 キュ-バ風ライス
「誰ですって?」
「イシドロの奥さんさ。エル・サルバドル人なんだ。怖そうな女だったろう?」
「エルサルバドルの人なんですか」
「エルサルバドル、じゃなくて、エル・サルバドールだ。奥さんは、タチアナっていうんだ。元重量挙げの選手だったらしいよ。鼻の下に汗をかくと、ひげの先っぽに水滴がつくんだ」
「奥さんは、何を怒っているんでしょう?」
「自分のいない時に旦那が楽しそうにしていると、いつも怒り出すんだよ。自分が除け者にされたとでも感違いするんだろう。外人の女には、良くあるパタ-ンさ」
そのうちにイシドロが帰ってきて、すまなそうに言った。
「悪いけどサロンを空けてくれないか?今からかみさんに飯をつくるから」
「よかったら、何か作りましょうか?」
何もしていないと気が引ける、というよりも自分も空腹であった。イシドロの店で何か食おうと思っていたのだが、食いそびれていたのである。
「いやいや、我々は外に出た方がいい。俺は腹減っていないからいいけど、君が何か食べたいのなら付き合うよ」
カフェテリアで五十嵐さんは、オルッホという強い蒸留酒を注文した。あれだけ飲んでもまだ飲みたらないらしい。五十嵐さんは、草加せんべいをほとんど食べつくしていたから満腹だろうが、朝からほとんど何も食べていない私は腹ぺこである。定食の品書きに何が書いてあるか、よく分からないので五十嵐さんに聞いてみた。
「このARROZていうのはご飯で、A・LA・CUBANAっていうのは、キュ-バ風って意味ですよね?」
「おお、スペイン語を知らないくせによくわかったね」
「食い物には多少興味がありますから。料理用語に関しては少しだけ予習してきました。で、どんな料理なんですか?」
五十嵐さんの説明は投げやりなもので、「ご飯とトマトソ-スと卵だよ。あ、そうそう、バナナもね」と言われただけであった。「パエジャとかハモンなんかの写真はこのガイドブックにも載っていますが、ARROZ・A・LA・CUBANAなんてどこにも載っていないんですよ。おいしいんですか?」と聞いても、例の意地悪な笑みを浮かべているだけで、「まぁ、食べてみなよ」としか言わない。
とてもお腹が空いていたので、サラダやスープよりもお腹にたまるものが食べたかった。結局、キューバ風ライスとステ-キを頼むことにした。ご飯とトマトソースと卵、を使うのなら、私の好きなチキンライスかオムライスみたいなものだろうと勝手に思い込んだのだ。しかし、想像と全く違う素朴な盛り付けの料理が出てきたので驚いてしまった。てんこ盛りの白飯に、トマトソ-ス、目玉焼きが乗っていたのである。混ぜて食べてしまえば、胃はオムライスと勘違いするかもしれないけれど、バナナは余計である。もったいないから後でデザ-ト代わりに食べようと皿の外によけておいたら、メイン料理の前にウエイタ-に片付けられてしまった。
「ああ見えてもイシドロは、元貴族の家のお坊ちゃんなんだ」
五十嵐さんによると、先ほどイシドロが言った「ミセノデンワ、コショウチュウ」というのは真っ赤なうそで、単に電話料金を滞納している為に止められてしまっているらしい。しかし、イシドロの家はもともと貴族の出身であるという。何でも、このカタルーニャ地方では名門の家らしい。お爺さんが亡くなったときに遺産の相続があり、イシドロの家には郊外にある屋敷を売却した分が与えられた。それをイシドロの親は、3人いる子供たちにも分配した。イシドロの姉と兄はそれを頭金にして家を購入したけれども、イシドロはそのお金を持ってラテンアメリカを放浪し、半年で全て使い切ってしまった、と五十嵐さんは笑っていた。
「彼の店『石灯籠』はそんなに景気がよくないんですか?彼から貰った手紙には、もうすぐ2号店を出すような勢い、って書いてあったんですけど」
私は、先ほどから気になっていたことを聞いてみた。お店のすたれ具合といい、イシドロの生活ぶりといい、とても2号店の出店を間近に控えているようには見えなかったけれど、電話料金滞納の話を聞いてますます不安になってしまっていた。
「イシドロはいい奴なんだけど、少し大げさなところがあるんだ。まぁ、スペイン人にはそんなはったりをかますところがあるからな。景気のいい事を言う調子の良い奴の話っていうのは、適当に聞き流しておいた方がいいよ。それに彼は、タチアナと一緒になったせいで家族と喧嘩しているから、これ以上家の援助を受けられなくなってしまったんだ。だから『石灯籠』もいよいよ店じまいさ」
『石灯籠』では滞納しているのは電話料金だけでなく、社会保障と家賃も滞納している、と五十嵐さんは言った。店を空けている間、イシドロは忍者の格好をしてして身を潜めながら、入り口を見張っているらしい。客が来たらそのまま商売するし、お役人か家主が来たら裏口からこっそりと逃げるためだ。その為にも足音の立たない地下足袋は役に立っているようであった。
親方のくれた忠告は本当であった。こちらで仕事をさせてもらう腹積もりだったのに、いきなり出だしでつまづいてしまった。
「まぁ、まだ来たばっかりなんだし、そんなに慌てる事もないんじゃないの?イシドロもいつまでも家に居ていいって言ってくれるんだし。どうせ少しは持って来たんだろう?一体いくら持ってきたんだ?」
「え?いくら位って、たいして持ってきてないですよ。どうしてですか?」
「いや、ちょっと聞いてみただけさ」
メインの牛肉は、とても硬くてパサパサした肉であった。日本のようなやわらかい牛肉を出したらこっちの人にさぞ喜ばれるのではないだろうか、と思ったが五十嵐さんは否定した。
「ところがそうじゃないんだな。超高級な神戸牛なんか食わしたって、「なんだこのふにゃふにゃした肉は?」ってなもんさ」
五十嵐さんの話では、肉にある程度の歯ごたえ、というか硬さがないとこっちの人は物足りなく感じるらしい。そう言われると、近くの卓でかなり高齢と見られるおばあさんが私の注文したものと同じビフテキを食っていたが、歯も顎も丈夫そうで、硬さなど全く気にならない様子であった。まるで豆腐でも口にするようにするりと肉を飲み込み、つれの女性とのおしゃべりに花を咲かせている。わずか数回噛んだだけだったけれど、のどにつかえさせる気配もなかった。
バルセロナではじめて食べた肉は硬くて塩辛かったけど、crema catalanaというデザ-トは噛む必要もなく、砂糖が飽和状態ではないかと感じるくらい甘かった。
食後のコーヒ-は、生まれて初めて飲むエスプレッソである。一杯のコ-ヒ-にそんな大きな機械が必要か?と思うほどの大げさな図体から搾り出されるその濃厚な味わいに、私は肉の硬さもデザ-トの甘さも忘れてうっとりとしてしまった。こちらのカフェを飲むようになってから、日本で出されるコ-ヒ-は物足りなく感じるようになってしまった、と言う五十嵐さんは、コニャックを入れたカラヒ-ジョにして飲んでいた。
家に帰ったら、イシドロの顔は血まみれであった。おでことほっぺたには引っかき傷があり、右まぶたは打撲の青あざで張れている。私は驚きのあまり言葉を失ったが、五十嵐さんは「またか」、とつぶやいてニヤニヤしている。
「どうしたんですか?」
「また階段からこけたんだよ、なイシドロ?」
「ソ-ソ-」
タチアナは今、昼寝をしているから静かに、とイシドロは人差し指を口に当てた。顔の傷は痛々しいけれど、にこやかな笑顔である。そんな彼の笑顔には子供の無邪気さが残っているように見えた。五十嵐さんや私の先輩たちのサディスティックで陰のある笑顔とは対照的であった。金銭感覚はめちゃくちゃで、サッカ-ゲ-ムも下手くそだけど、なんだか懐かしい友達に再会できたような気持ちになった。野良猫が陣取っている日向のボンネットに触れているかのように、私の心にも温かみが伝わってくるようであった。
夜になると、イシドロと五十嵐さんはそれぞれの部屋で休んだ。私には部屋はないのでサロンのソファで横になった。このソファが、しばらくの間私の寝床ということになった。
この首が痛くなるソファに横になるたびに、私は早く別の住処を探そうと思った。もっとも辛いのは、熟睡できない点であった。首の痛さもさることながら、深夜にタチアナがイシドロを怒鳴る声が響くことがあるのだ。叫び声を上げながら物を投げつけたり、壊したりすることもあった。彼女の厚くて大きな手のひらが、イシドロのひげ面をぴしゃりと打つ音も聞こえた。そんな時、イシドロはなさけない悲鳴を上げる。五十嵐さんは笑っていたけれど、私にはとても笑う気など起こらなかった。
バルセロナにはできるだけ長く住むつもりで来たけど、引越しをしてアパートを借りたりしたら、持ってきたお金はすぐに底をつきそうであった。イシドロの店に人を雇う余裕がなければ、他の仕事の口を探す必要があった。
一ヶ月も経たないうちに、首が痛くなる問題はあっけなく解決した。五十嵐さんが出て行ったので、彼の部屋を使えるようになったからである。ただ、引っ越す家を探すのは当分先の話にしなくてはならなくなった。そして、早急に仕事を見つけなければならなくなってしまった。というのも、五十嵐さんは家を出て行くとき、私の持ってきたお金を持ち逃げして行ってしまったからである。
家を借りるには給料明細書が必要である。給料明細を貰うには仕事に就く必要があり、仕事に就くためには就労ビザがいる。ところがその就労ビザを得る為には、私の雇用を保証する雇い主が必要なのである。この国の言葉もしゃべれず、信用もない人間を雇ってくれる人を探すのは、容易な事とは思えなかった。
ところが、当時のバルセロナは数年後に開かれることが決まっていた。そのオリンピック景気で労働者が足りず、近いうちにビザがほとんど無審査で配られることになるという噂が立ち始めていた。私は、その日まで不法に働かせてもらえる場所を探すことにした。
タチアナは、いつまで経っても私に挨拶を返してくれなかった。それでもこの家での生活は徐々に快適な方向に向かっていた。タチアナは、まるで私の存在など眼中になく空気のように扱うことに決めているようであったが、しかしそれはそれでこちらも余計な気遣いをしなくていいわけだから、気楽といえば気楽だったのである。
***
幸い、仕事はすぐに見つかった。バルセロナでは老舗の日本食レストランである。オリンピック景気の波に乗って、2件目、3件目と規模を拡大し始めていたそのレストランは、日本人の寿司職人を大募集していたのだ。
私は運が良かった。労働ビザもないし、スペイン語もほとんど話せなかった若造が、異国の地で希望の職にありつける。しかも、そこそこのお給料をもらえたし、日本に比べて休みも多い。その上オーナーは、労働許可証を取ってくれると言ってくれた。
ただ、店の生け花を活けてくれてた人が日本に帰ってしまうことになったので、新入りの私がその担当もするなら、という条件つきである。生け花など全く知らなかった私は、オーナ-の友達が開いているという生け花学校に通う事になった。(その費用は給料から天引きされた)その同じクラスにいたのがカルメンであった。
カルメンは、よく生け花の剪定ばさみで手のひらの肉を挟む人であった。どんなに太い枝でも力任せに切ろうと力を込めるからである。生け花教室には、そんなカルメンの悲鳴と、「くそったれの売春婦め!」という汚いののしり声が部屋中に響き渡る事が多々あった。生け花の先生は、そのたびに彼女のぷっくらと膨れ上がった血豆の手当てをしてあげていた。そして、「痛いのは分かるけど、この教室ではあまり下品な言葉は使わないようにしましょうね」とカルメンをやんわりと諌めたものであった。
カルメンは、カラ-という花を知らなかった。教材用として花瓶にあったカラ-を百合の花だと思っていた。私が間違いを指摘しても頑として譲らなかったので、どちらが正しいか賭けをすることになった。負けたほうが後でコ-ヒ-をおごる、という賭けであった。それが、カルメンと知り合いになったきっかけである。私達は生け花のクラスが終わった後、カフェテリアでおしゃべりをするようになった。私はまだスペイン語が不自由であったが、カルメンは辛抱強く会話に付き合ってくれた。英語を交えたり、筆談したり、絵を描いたりしながら、我々は少しずつお互いを理解していった。おかげでずいぶんとスペイン語が上達したと思う。
当時、カルメンは叔父さんの製薬会社のオフィスで働いていた。私はよくその会社の愚痴を聞かされたものであった。
「私の上司ほどケチな人間は、見たことがない」
カタル-ニャ人はケチだ、とはスペインに来てから何度も聞かされていたから、ちっとも驚かなかったけれども、カルメンの言う「ケチ」というのとは、本来の「ケチ」という意味とは違う気がした。
「だって、市内にいる友達に電話をしただけなのに、会社の電話を長々と私用に使うなって言うのよ。どうせ、たかだか数十ペセタのことなのに」
会社の電話を私用に使う部下にいい顔をする上司はいないと思う。ところが、そう思う私のような人間はスペインの労働者の間では意外にも少数派なのかもしれない。カルメンの友人や母親は、皆そんな上司をケチで人間味のない冷血な男と非難しているというのである。仕事のできない奴は社会の落ちこぼれ、というレッテルを直ぐに張られてしまう日本の社会に育った私としては、理解しがたい事であった。
カルメンとその事でちょっとした口論になった。
カルメンは、彼女の上司が問題にしていたのは電話代云々ということではない、ということに理解を示さなかった。会社から給料を貰っている人間が、そのお金に相当する仕事に没頭すべき時間を私用に使い、あまつさえ会社の電話線を長時間占拠して顧客と連絡が取れない状態にしてしまっている点が問題なのだ、と私は言った。
するとカルメンは、たちまち熱くなるのだった。
「そんなのは、会社の勝手な都合でしょう?働く人にだってどうしても後回しに出来ない都合があるのよ。そんなのは後回しにしろですって?そんなのは公平ではないわ。スペインでは労働者だって言うべきことは、はっきり言うのよ!」
最後は私が折れた。そうでないと収集がつかないのだ。私は口論を続けることに疲れてしまうのである。結局、私はいけないこととは知りながら、納得をしたフリをして黙るのだった。そしていつの間にか、カルメンとの論議はいつも言いたいことを控えめにして事態の沈静化に勤めるようになってしまった。争いごとをしてまで白黒をつけるなんて、私の性に合わないのだ。私はカルメンに転職を勧めた。
「そんなに嫌なら仕事を変えれば?」
「そうね。もう、オフィスで働くのはうんざり」
「じゃあ、レストランなんかどう?」
「そうする。あなたのいるお店で働くことにするわ」
カルメンは翌日にその製薬会社をあっさりと辞めてしまった。彼女は会社を辞める日、
「いつかの私用電話代よ。おつりはいいわ」
と言ってスペイン国王夫妻の横顔が刻まれている500ペセタ硬貨を上司の机に叩きつけてきたそうである。その行為をめぐって、今度は彼女を会社に推薦した叔父さんと大喧嘩となったらしい。その結果、叔父さんから「お前には二度と仕事を紹介しない」と絶縁状を叩きつけられることになった。それでもカルメンは、自分のしたことをちっとも後悔していなかった。むしろ、忌まわしい過去を断ち切ったかのように清々していたのだった。
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