2-2

「僕の名前は花濱匙です。学校へは皆さんと同じ日に入学したはずなのですが、色々あって今日から再出発させていただきます。僕の服装については、その…触れないでもらいたい。まあ、今後ともよろしくお願いします」


 僕は今教壇に立って自己紹介をしている。


 朝、先生と話し合った結果、初対面同然なので、としなければならなくなった。すっとクラスに戻るよりこっちの方が戻りやすいだろうとのことだ。


 けれど大人数に注目される中自己紹介するのは恥ずかしい。特にこれと言って話すこともなければ、事故のことなんてほとんど覚えていないので語れやしない。


 そういえば、僕が庇ったらしい少女はこの学校の生徒だったよな、なんて思いつつも向かいの壁の一点を見ている。同じ時間に帰っているので、同級生の確率は高いだろう。ひょっとしたらクラスは…。


 忘れていて探しようのない、どうしようもないことを考えて緊張を和らげるのに専念する。こんな僕を見てクラスメイトたちはどう思っているのだろうかと心配になる。


「出遅れちゃったけど、今日からやっと来られるようになりました。席は、えっと……あそこでお願い」


 葛葉先生は真ん中の列、最後尾の空席を指さす。空席は二つあるが方向的に右側だろうと、僕はそこに向かって歩み寄り腰を下ろす。


「百合さん、匙くんをよろしくね」

「わかりました」


 僕の隣、空席じゃない方の席に座る、赤い眼鏡をかけた生徒が返事する。一人、背もたれが長いのかと思うほどに姿勢が正しく、制服の着方も綺麗。ほとんどの人が真面目そう、と第一印象を抱くだろう。


「では、これでホームルームを終わります。先生、今日は朝から目の調子が悪くてあまり見えないけど、携帯を使っちゃだめだよ。先生が注意できないからって」


 わざとらしく片目を閉じている所をみると……まったくわからない。校則で書かれている当たり前のことをただ、言ったことに意味はあるのだろうが……。


「一時間目は私の授業だから、ほかの先生は来ないけど。じゃあ解散」


 そう言って葛葉先生がポンと手を打つと、教室を覆っていた緊張が解けてざわつき始める。


 クラスメイトたちはちらちら僕を見ながら仲間内で話し始める。僕からは一定の距離を取って、誰が先に話しかけるか伺っているようだ。


「匙くんだっけ?」


 自分から声をかけに行こうか迷っていたところ、突然横から声をかけられて体が一瞬で縮まる。声の方向をみると、「どうかした?」と首をかしげている。


 だけれどここで気後れしては僕の高校デビューは一気に遠のく。冷静に、そう普通にだ、鈴といる時みたいに。


「う、ん」


 裏返った…。


 僕は照れ隠しというか誤魔化すために何度か咳をして、喉の調子が悪いアピールなんてしてみる。


「緊張しなくていいよ、クラスメイトなんだし。それに……誤魔化すの下手ね」


 クスっと控えめに笑いながら、小声で言って来る。ばれていたことが恥ずかしいのはもちろんだけれど、どこか力が抜けて、緊張がほぐれる。


 蘭子さんのおかげで他人との会話の雰囲気に慣れたのだろう。


「ありがとう。君は百合さん、だっけ?」

「どういたしまして。そうよ、私は桃田百合。このクラスの委員長をしているの。よろしくね」


 彼女が僕の前に手を出して来るので「よろしく」と握手に応じる。それを見てか、転入生に向けられるような好奇心旺盛な目でほかの生徒たちも僕を囲うように、あれよあれよ、質問をしてくる。


 初めて大勢の人に歓迎されてうれしくてたまらなかったが、逆に圧がすごすぎてどこから返事をしようか迷う。「僕は聖徳太子じゃない」て言おうかと思ったが、やめておこう。


 そんな僕に助け舟を出してくれたのは、百合さんだった。


「みんな、匙君が困っているでしょ?彼は厩戸皇子じゃないんだし。もう、授業始まるからみんな席について。アドレスは後で私がみんなに送っておくから」


 生徒一同頭の上にはてなマークが浮かんでいるが、触れないでおこう。「うまやど?」「王子?なにそれ?」こんな感じだ。中学でもちょっと指先でつつくくらいしか学ばない事なので知らないのはしょうがない。


 彼女は僕が言おうとした事をそのまんま代弁したに過ぎないが、聖徳太子を「厩戸皇子」と言うあたり、一癖ありそうだ。


 疑問を残したままみんなが席へ戻るのを苦笑いで見送ると、彼女は自分の携帯を鞄から取り出した。


「匙君、携帯貸してくれる?」


 あまりにも堂々と、しかも委員長が拘束を犯そうとするので、つい「なんで?」と聞き返してしまう。


「アドレスを交換するの」 


 それくらい知っている。よく似たシチュエーションを最近、経験したばかりだ。


「校則で校内の携帯使用を禁止してなかったけ?それに、先生普通にいるし……」

「今はいいの。私も最初はあなたと同じ反応をしたけれど、これがこのクラスのやり方。仲良くなるために交換しておきなさいって先生が黙認してくれているのよ」

「だから朝……」


 目が見えずらいってそういう事か。


 携帯が普及している現代、メールができるというのは、人間関係構築に便利だ。それに外で中々会わなくても教室でしてしまえば一回でほとんどの人と交換できるし、一石二鳥だ。


 葛葉先生が教壇で普通に話しているのも驚いたが、担任教師としても臨機応変に対応しているのにはもっと驚いた。


 僕は、百合さんにおとなしく携帯を渡してアドレス交換を済ませる。


「はい。あと何かわからないことがあったら私に言ってね。今は何かある?」


 僕は受け取った後、少し考える。僕が今すぐ教えてもらわないといけないことは何かを…。


「図書室……学校案内をお願いしていいかな?僕、初日の記憶ほとんどないから」

「了解。じゃあ放課後案内するね」


 彼女の言葉が終わると同時にタイミングよくチャイムが鳴り響いた。



 授業が終る頃には、すっかりクラスの一部に馴染めた気がしていた。こんなに軽い気持ちで学校生活を送れたのは初めてかもしれない。いや、数年ぶりか…。


 思い出すまいと、首を振って現実に浸る。


 中学の時はクラスではなく教室の一部になったかのようだったし、ほとんどの自由時間を図書室で過ごしていたため、今日は内側に入れた気分だ。


 休み時間、教室でいろいろな人と話をしたり、お昼休みには百合さんの誘いでご飯を一緒に食べたり…これは初めてだ。時間が早く過ぎる、というのはこういうことなのかなと実感する。


「荷物はまとめられた?」


 僕は市販のリュックを背負って「うん」と隣にうなずく。


「じゃあ行こっか、そんなに広くないからすぐ終わるけれどね」


 彼女は「だから期待はしないで」と僕の方を振り返る。


「最大限の案内をお願いします」

「了解」


 僕たちが扉を出たのはもう施錠のために残った先生だけだった。


 一年生の教室は四階にあるので、上の階から説明していてくれている。上といっても「立ち入り禁止」と書かれた屋上があるだけなのだけど「最大限」と頼んだ以上、彼女は隅々まで教えてくれるらしい。


 一つ一つの教室を丁寧に効率よく案内していってくれて、一通りすべて終わったがあと一か所、僕にとって一番大切な場所が残っていた。


 図書室。


 この学校は不思議なことに図書室が本校舎から少し離れたところに建っていて、今そこへ向かっている途中だ。


 これでようやく紫苑の面影を追うことをあきらめることができる。


 緊張で会話が途切れ、二人の足音だけが鳴り響く。僕はそれを和らげるために、考えないために関係のない話をする。


「百合さんは部活とか入っているの?」

「私は部活はしないわ。あと、「さん」はつけなくていいよ。私のことは「百合」って呼んで」


 彼女は渡り廊下の真ん中で立ち止まる。


「同級生にさん付けされるのは慣れないわ。それに「百合さん」なんて間抜けじゃない?私はそう思うの」


 呼び捨てにしてというにはあまりにも真剣な表情で、頼むような目、水分量の多い輝き方をする目で僕を見てくる。淡々と話しているが、声と顔が一致しないような感じだ。呼び捨てには、そんな大きな意味はあるか僕にはわからないけれど、彼女にとってはとても大事なことのように思えて仕方がない。


 だから僕は抵抗はせずに、「百合」と呼ぶのは恥ずかしくないと言ったら嘘になるけれど…。


「じゃあ、百合、でいいかな?」


 彼女、百合は安心するように小さく息を吐き「ありがと、行きましょ」と再び目的の場所目指して歩き出した。


 図書室、というか図書館と言った方が正しいか、と思うほど立派な建造物は意外とすぐそこにあった。


 百合は付いたと同時に、歩いてきた流れで、扉を開こうとするので思わず手を掴んで止めてしまう。


「ここは僕に開けさせてくれないか?」


 僕が本当のスタートを切れるのはここでしっかりと現実を脳に焼き付けてからな気がする。僕の中から紫苑がなくなる時、僕は本当に出発できる。


 散々、縋ってきてあまりにも身勝手な解釈であるのはわかっている。けれど今はこれしかできない。紫苑を忘れることしか変わることはできないんだ。心にそう言い聞かせながら僕は百合を見る。


 彼女は首をかしげていたが、真面目に頼んだからか、扉を開けるくらい誰がやっても同じ、と思ったからか「わかった」と場所を交代してくれる。


「ありがとう」


 僕は、扉の取っ手を握って大きく深呼吸をする。


 そしてゆっくり、ゆっくりと力を入れて開けていく。


 ここで紫苑の幻影とぼくは「さよなら」をできる、そう思って中へと一歩踏み出す。




 彼女を見るまで、中で読書をする少女を脳が認識するまでは、そう思っていたんだ。

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