1-3

「今日も問題ないですね。これと、これを食後に……」


 二十代前半であろう若い女性看護師が錠剤を数種類並べて、ひとつひとつ説明していく。


 彼女は僕の担当してくれている、遅野井蘭子さん。おしゃべりが好きで、いつも次の患者さんの所へ行

く時間まで僕の病室に居座る。 


 「一人暮らしは寂しいから、君と話してそれを和らげているの。個室だから誰にも迷惑かけないしね」

と言うのが理由らしいが、僕の迷惑は関係ないのかと思ってしまう。しかし、病室は暇なので蘭子さんとの会話は意外と嫌じゃない。


 昨日は確か、ナースステーションで僕の名前が良く出ていると言う話だった。僕の手術を手伝った看護師さんが「あんなひどい状態だったのに…すごいわ……」と感心していたらしいが、自分のそんな状態を想像するのも恐ろしいので早々に話を変えた。


 その前は妹と三人で……。



「……これで説明は終わり。君、聞いてる?」


 布団を見つめていた僕を覗き込む。


「はい。聞いていますよ」


 蘭子さんは「ほんとぅ?」と疑いながら、ベッドの傍らに置いてある椅子に座る。


「まぁいいや、いつも通りだし。けど、君は女性に見つめられたのに微動だにしないんだね。思春期の少年らしく照れてくれたら面白いのに」


 勤務モードからおしゃべりモードにスイッチが切り替わる。落ち着いた営業スマイルが人懐っこい笑顔に変わるとおしゃべりモードだ。


「妹がいますから、そういうのには慣れています」


 僕も答えながら微笑み返す。


 正直、蘭子さんが恋愛対象でなく異性として興味がないのだがそんなことは言えない。


 僕が興味ある人は、ただ一人……。


「妹さんかぁ。毎日来ているわよね」

「はい。自分にはできすぎた妹です」

「そっかぁ、ご両親は中々来られないけどお仕事は何を?」


 一番、触れられたくないところに触れられてしまった。僕は自然と体が力む。


 話し相手うを考えるとごく当たり前の質問ではあるので、蘭子さんを責めることはできないが、じんわりと背中に冷たい汗をかくのを感じる。


「大丈夫?顔こわばってるけど、なんかまずいこと聞いちゃった?」


 義父母に関して気にならないふりをしているけれど、気になってしまう自分がもどかしい。


 彼らに、本当の両親としての振る舞いを期待してしまっているからこそ、気になってしまうのは僕自身にもわかっている。だからこそ腹立たしいのだ。


「大丈夫です。先に言っておきますが僕は義父母の職業は知りません。けれど、父はあまり帰って来ないので単身赴任にでも行っているのだと思います。母はスーツを着ていて帰りも遅いので会社員でもやっているんじゃないですか」


 はっとした表情で返事に困っている蘭子さんを見て、僕は少し話しすぎたと自覚する。唐突に〝義父母”という単語を出したのは、申し訳なる。


 普通の人であれば、ここらで話を終わって退散しそうだが蘭子さんは、そうしなかった。


「妹さんは、実妹か義妹どっちなの?」


 思いのほか突っ込んだ質問を、珍しく真面目な顔で飛ばしてくる。


「義理の方です」


 僕の返事を聞き、顎に手を当てて考え込むと「そっかそっか」と言いながら見つめてくる。


「君、ご両親のこと大嫌いでしょ?…そして、妹さんの事も……」


「違う!」


 踏み込まれたくないところまで入り込まれた僕は、咄嗟に声を荒らげてしまう。


 空調は部屋を適温に保っているのだろうが僕の体温は急上昇し額から汗がにじむ。全身が火照っているのに、寒気を感じる。


 振動が頭の先まで伝わるほどに、心臓は強く脈打つ。焦点はブレ、蘭子さんの顔が分からないほどにぼやける。


 気まずい雰囲気が空間を支配する。


 それに気づいて、大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。蘭子さんは僕の心情はお見通しと言わんばかりに心配そうな眼差しで見てくる。


「すみません、急に大声出して……。そろそろ次の患者さんの所へ行く時間じゃないですか?」


「へ?あ、本当だ!」


 腕時計を確認し、慌てて立ち上がる。


「私もごめんね。じゃあ、急ぐからまた明日ね!あと、今日もありがと」


 車輪のついた銀色の台に機材をのせて、ガラガラと扉へ向かう。


「待ってください!」


 僕の声と連動してぴたりと音が止まる。


 半ば無意識に声がでた。


「何?」


 引き留めておきながら言葉が詰まってしまう。蘭子さんは急いでいるのに、振り返り待ってくれている。


 考えてもいい言葉が思いつかないので、シンプルに…


「明日、僕の昔話に付き合ってもらえますか?」


 「了解」と優しく微笑み、扉を出て行った。




 今日の僕は、どうかしている。


 なぜかわからないが、蘭子さんと話していると調子が狂う。


 中学の時は、「図書室の番人」という不名誉な呼び名があった僕が他人にここまで感情を出すのは、両親が死んで以来、二人目だ。


 いつもここにはいない、内側にはいない存在。それが僕。


 しかし、無理やり内側に引き込むと、昔から知っていたかのように心情を読み解く。なのに不愉快な気分にならず、逆に話したくなってしまう。頼りたくなってしまう。


 僕が、自分でも気づかないよう必死に心の奥底に押し込めた、想いや後ろめたさを読み取られてしまう。


 高校からは学校生活を普通に過ごせるようになろうとしていた事による、気持ちの変化が、僕を分かり易くしようとしているのだろうか。


 要因はいくつかあるが確かめようのない事をいくら頭の中で目測しようと無駄、けれど暇なので無駄なことでも気兼ねなく考えられる。


 しかしながら、特別な思いは皆無。本当に不思議な人だ。


「恐るべし遅野井」


 そんな事でも小声で口ずさみながら、今日は眠ろう。 

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