1-4

 僕、花濱匙はごく普通の会社員夫婦のごく普通な子供だった。


 家族と言われて、大抵の人が想像する、小さな幸せを分かち合う、三人家族であった。


 父の口癖は「匙を投げるような人間にはなるな!何事も諦めてはいけない」だ。だから僕の名前は匙にしたらしい。


 休みの日には近くの公園へ遊びに行ったり、買い物に行ったり、一片の例外なく幸せだったと思う。


「お母さん」と呼べば「何?」と優しい笑顔で振り向いてくれる。「お父さん」と呼べば、「なんだ?」と力強く答えてくれる。それが当たり前のことだった。いつまでも、変わらないものだと、勝手に思い込んでいた。


 当たり前だと思ってしまっていた。


 しかし、桜満開の春、入園式の帰り、すべてが終わった。




 昼食を幼稚園近くのファミレスで済ませて家へと向かっている途中、両親と手を繋いで信号待ちをしていた。


 ファミレスで食べた、お子様プレートに入っていたハンバーグの話で盛り上がっていた。


「また、お母さんが作ってあげるね」

「やった!今日?今日作ってよ」

「ハンバーグはもうさっき食べただろ、匙。けど、楽しみだなぁ。」


 こんな他愛もない話をしながら、家族最後の時間だとも知らずに…。


 信号は青に変わる。


 僕は、両親の手を放して渡りだした。一番に向こう側に付きたくて。


 その途端、後ろから激しい衝撃が来て前方に飛ばされた。反対車線の中腹まで転がった僕は、何が起こったかわからなかった。 


 幸い、どこも打たず、怪我もなかった。そう、幸いだ。


 鼓膜を貫くような甲高い女性の声がしたのはその後だった。


 僕は勢いよく振り返ると、何もなかった。両親が立っているであろうその場所には何もない。


 道路には赤い印のようなものが光を反射しているが、それ以外は絶望に満ちた目で明後日の方向を見る大人たちばかり。


 僕は不思議に思って、彼らが見入る方向を見ると、視界は暗転した。


 それからの事は覚えていない。


 目の前の現実に絶望したのか、それとも実は頭を強く打っていたのか分からない。どうなったのか、どうしてこうなったのかは全く分からなかった。


 目が覚めたのは、薄暗い病院の一室だった。


 数日後、僕が事故後に両親を見たのは、もう彼らが棺桶に入ってからであった。




 棺桶に入ってなお顔に白い布が被せられている。この時は幼さ故になぜ顔も見られないのかと泣いて親戚に当たったが、今思えば見ないでよかったのかもしれない。つまり、そういう事だったのだと思える。


 両親の死。


 突付けられた現実は残酷、悲劇、惨憺。どんな言葉を使っても表せないほど、当時の僕には悲しい出来事であった。


 親戚たちは「可哀そう、可哀そう」と憐みの眼差しを向けるが、それは偽りの物だというのは、幼いながらその後、思い知ることになる。


 泣きっぱなしで葬儀中もあまり記憶にはないが、火葬場で両親が燃やされると聞いて棺桶に泣きついて離れなかったのを鮮明に覚えている。


「お父さんとお母さんを僕から奪わないで!」


 確かそんな感じの事を言って、祖父に引きはがされたのが、一番印象的に残っている。


 そんなこんなで葬儀は終了し、親戚たちがこそこそと相談を始める。


 花濱匙を誰が引き取るかを。


 まあ当然のことながら各自に家庭があり、お互いの擦り付け合いが開始する。襖の外から、僕が垣間見ているとも知らずに「あなたが、あなたの家が」「今の生活で精いっぱい」と、怒り交じりに擦り付け合う。


 あれほど、僕を心配してくれていたのに、誰も自ら僕を引き取ると言わない。


 話は平行線で決まることなくただただ時間を浪費する。いや、もはや彼らの良心と本心はねじれの位置にあったのかもしれない。


挙句の果てに「とんだ厄介を残して逝きよった」と言う人まで現れ、皆が沈黙の同意をする。


 そんな、どうしようもない話に終止符を打ったのは意外な人物であった。


「私、お兄ちゃんが欲しい!だから家に来てもらおうよ!」


 僕の横で話を聞いていた、少女が勢いよく襖を開けて大人たちの会合へ乗り込んでいった。視線が一気にこちらへ集まり、僕が聞いていた事に気付いた親戚一同は驚愕の表情で見てくるが、少女は無視をして母親の所へ僕の手を引いて連れて行く。


 本人を前にして断れなくなった彼女はうろたえ、周りは好機だと「いいんじゃない、娘もそう言っているんだし」と圧力をかける。


 断り切れなくなった少女の母親は首を縦に振る他なかった。


 まあ、こんな感じで花濱家に引き取り先が決まった僕だが、当然のことながら歓迎されるわけはなかった。


 家に付いて僕を見た義父の第一声は、「なぜ連れて帰って来た!」だった。鬼の形相で義母に迫り、思い切り僕を睨んだ。


 この人物が新しい父親になるのは嫌だ。幼いながら、直感でそう思った。


 しかし、無力な僕には何もできない。


「あっちへ行こ」


 義妹になる少女は僕の手を握って、義父母を無視し家の奥へと入っていく。彼女の度胸はすごいとしか言いようがない。


 後々わかったのだが、彼女が両親に反抗的な態度を取ったのが今回が初めてらしい。だから、義父も何も言えずただ見ているだけだった。「鈴香が不良になったらお前のせいだからな」と僕は謂れの無い仕打ちを受ける事になる。


 廊下を抜けて、階段を上がり、左へ曲がる。


 可愛らしく「鈴香」と書かれたウサギが掛けてある扉の前へと進み、中へと入る。そこで自己紹介が始

まるのだが、長くなるので省略する。


 それから、僕は義父母に一部屋与えられた。彼らにとっての『義理の息子の子育て』はここで八割終了した。


 廊下ですれ違うたび溜息をつかれ、目が合うたびに睨み、声をかけると露骨に無視をした。


 最終的には僕と話す鈴に「匙と話すな」と注意するようにさえなった。それでも鈴が話すのをやめない時は、僕を置いて外出をする。


 そんな日々が続き、僕は彼らと家族になることを諦めた。


 両親が唯一僕に残してくれた「匙」を、僕は投げてしまった。


「それでも鈴はいつも僕の家族になろうとしてくれました。けれど僕は紙切れでありダムのような、薄くて分厚い壁を隔ててしまったんです。本当に僕は愚かです」


 静かに、真剣に話を聞いていた蘭子さんを見てそう締めくくった。


 紫苑の話もしようかは迷ったけれど、家族の話だけでいいだろう。


「ふぅん。実妹のように思おうとしても、気を使わせている負い目とご両親の事が邪魔をしているのね。あと……」


 意味深な話の区切り方をするが、それ以降話そうとしない。時計を見るともう次の患者さんの所へ行かなければいけない時間になっていたので、特に気にせず、僕から終わらすことにする。


「すみません、長々と」

「大丈夫よ。一つ質問いい?」

「はい。でも時間もないので、簡潔に答えられるものでお願いします」


 蘭子さんはいつもの如く、腕時計を確認してハッとする。


「ほんとだ、でも大丈夫だと思う。君はなんでその話を私にしてくれたの?」


 いい加減なことを言ってはいるが、慌てて立ち上がっているので大丈夫ではないのだろう。


 それより、簡潔に答えられることと条件を付けたのにも関わらず、これまた答え辛いことを聞く。


 しかし、僕の口は案外早く、穏やかに動き出していた。


「なんとなく、話したくなったからです」


 曖昧で、質問の正確な回答にはなっていないけれど、自分の本心がありのまま出た言葉だ。何一つ間違いなく僕の気持ち。


 蘭子さんも分かってくれたのか微笑みながら僕の頭を撫でて言う。


「そうか、そうか」


 やっぱり不思議な人だ。


 僕は、蘭子さんが部屋から出るのを見届けて、外を見た。


 遠くに淡いピンク色の桜が見える。


 ふと、無性に僕は紫苑に会いたくなった。会って話したくなった。


 理由もなく唐突に。


 こういう時は、学校の図書室に行くのがいい。これまではそうやって現実を見て抑えてきた。


 退院したら、行こうか。


 緑交じりの桜を見ながら、僕はそう決めた。

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