4-2

道端に並んだ屋台の列は、様々な香りを漂わせて、煌びやかに伸びていた。


溢れかえる人の群れに逆らわないように僕は流れる。前を歩く彼ら、青木と百合にはぐれぬよう慣れない人だかりを不器用にすり抜け、何とか距離を保つ。


――吐きそうだ。


 僕は祭りでぼったくられないよう、夕食を取ってきたのが間違いだったと後悔しているが、もう遅い。何とか口に手を当てて、臙脂色の生地に白い花が装飾されている浴衣を着た百合を必死に目で追う。実に雅な姿だが、今はそんなこと言ってられない。


 打ち合わせよりも少し早いけれど、僕は彼らを二人きりにして、トイレに行きたいと「青木!」彼を呼ぶ。


「なに?花濱」

「気分悪いから、ちょっとトイレ行ってくる。後で合流するから二人で楽しんできてくれ」

「ほんま、顔色悪いな。俺も一緒に……」


 彼はたまに、関西弁が出ることがある。こっちに来てからは、俗に言う標準語に合わせているらしいが、無意識に出てしまっているようだ。


「いや、いい。青木は青木で頑張れ。百合には、トイレに行ったとだけ言っておいて。後は、メールでよろしく。じゃあ」

「お、おい。そんな」


 彼が呼び止める声が聞こえたが、人と人の間を縫ってトイレのある公園へと向かった。うまくやれよと心の中では言っていたが、僕の方がうまくやらないといけなさそうだ。


 胃の中で消化されかけた晩御飯が、喉の中腹まであってくるのを感じながら、足早に公園を目指す。「間に合ってくれ」口ずさみながら。


――間に合った。


 ありったけの吐物を汚い和室便器に放出した後、トイレットペーパーの三週目くらい出して捨て、また三週ほど出して口を拭いて流した。さすがにトイレの手洗い場から出る水で口を濯ぐのは嫌なので、近くの自動販売機でミネラルウォーターを買って濯いだ。


 この後飲むことも考えて口を付けず流し込む。溢れた水が頬を伝うが気にせず数度繰り返した。


 お腹の中は空っぽのなったはずなのにまだ不快感が残るので、人が多い道路側から一番遠いところにあるベンチで腰をかける。


 微かに頬を撫でる夜風は、吐き気を少しずつ吹き飛ばしてくれているようだ。


 この祭りは花火があるとか、盆踊りがあるとか一切イベントがないのにも関わらず、人込みは切れることなく続いている。灰色の甚平を着た彼も、ピンク色の可愛らしい浴衣を着た少女も、私服で肩を組んで歩くカップルも、この祭りに何を求めているのだろうか。


 おそらく雰囲気だけだろう。仲間内で遊んだり集まったり、その口実に祭りは持ってこいで、多少騒ぎ過ぎたって誰に咎めやしない。


 馴染めない僕も周りから見ればその一部。なんか腑に落ちない。


 明るすぎて碌に見えやしない星を見上げて僕は携帯を取り出す。『終わったら教えてくれ』それだけ打ってまたポッケに戻す。青木から返信が来るまで、ここでこうしていよう。


 あの星は何年前の光をここまで届けているのだろう。いや、何万年、何億年かもしれなければ、すでにあの星はなくなっているのかもしれない。そんな途方もないことを考えて時間を潰すほかない。


 青木の事だ、きっと緊張して中々言い出せないでいるだろうと気長に待ち続ける。


 まじまじと月を見たが、目に見える速さで動いていることに初めて気が付いた。さっきまで鋭めの位置にあったのがもう、真上と地平線の中腹まで来ている。「来年は天体観測でもしたいな」バイトをして望遠鏡を買おう。生きていたら……。


「私もそれに付きあっていい?」

「いいよ、一人ではつまらないしね。鈴も誘いたいのだけど……」


 ごく自然と会話をしているが、そこには居るはずのない百合が一人で「ここにいたの」と僕の隣に座った。


「青木はどうしたんだい?」


 僕は動揺を隠しつつ、冷静を装った。


「帰ったわよ。……匙君、計ったでしょ?」


 ばれていたので観念して「で、どうなったの?」彼女はあくまで正面を見つめながら呟くように「断ったわ」


 僕は彼女の言葉を聞いた後、携帯を確認すると確かに新着メールが入っていた。


『終わったよ。ごめん、俺帰るわ』


 恋のキューピットはその仕事を果たせず、無気力に翼をたたんだ。そして淡い光となって消え去った。ように感じた。


「どうして?」と僕、「私の好きな人は彼じゃないもの」と百合、「けど青木はクラスの人気者で悪い奴じゃない」僕は地面を見つめて言うと、彼女は即答した。


「私はそういう、ステータスのために付き合うとか嫌いなの。私は青木君の事

よく知らないし、好きだとも思ったことも、気になったことすらもないの。……匙君も、付き合うなら好きな人じゃないと嫌でしょ?」

「それは、まあ……。野暮なこと聞いたね、ごめん」

「いいの。青木君の気持ちすごく嬉しかったし、私もなんか決心がついた」


 雅な彼女は、両手で包むように眼鏡を上げてから僕の方に体ごと向き「半分勢いだけど……」と一言。そして、小さく息を吸うと僕の目を、見つめて……


「私、匙君が好きなの。あの時から、私はあなたに恋をしていたわ。だから……」


 あまりに急なことで、僕は全く状況が把握できないまま、顔を真っ赤にさせて、今にも泣きだしそうな彼女の瞳に釘付けになる。眼鏡のレンズは屋台の光を乱反射させて、花火みたいに輝く。


「私と、結婚してもらえませんか?」


 人間、予想以上の予想外に遭遇すると、何もかもがフリーズする。脳は考えることを辞めて、瞳は見るのをやめる。僕にできるのは首を傾げるのみだった。


「どうしたの?私なんかおかしい事言ったかな?大丈夫」


 僕は肩を持たれて前後に揺すられ、我に返る。


「えぇぇ!ど、どうして?」


 僕は太ももを思い切り抓って夢じゃないことを確認する。


「失礼ね、ここは現実よ。私は入学した時にはもう匙君に恋してたのよ。これ、憶えてるでしょ?」


 そう言うと彼女は、小さな和風鞄から一本のシャーペンを取り出した。


「それ、僕がなくしたやつ!って、あ、受験の時に貸した……」

「そうよ。私が筆記用具を忘れてあたふたしてるときに、あなたが貸してくれたシャーペン。借りパクしちゃってて……ごめんね」


 百合は片目を瞑って、僕の前にその先端が回って先が尖ったままキープできると評判のシャーペンを差し出した。僕は受け取って「こんなことで僕を?」と彼女を見ると「こんなことって、私にとってはこれが初恋よ!」顔を再度真っ赤にする。


 どうやら恋というものは、何がきっかけで芽生えるかわからない、気まぐれで突拍子のないものだと感じた。


「で、どうなの?返事を聞かせて」


 眼鏡を外して、僕を直視する。「なんで外した?」彼女は「恋は盲目なの!」迷走中だ。


 それは、恋をすると実際に目が見えなくなるわけじゃなくて、恋をすると周りが見えないくらい熱中してしまうって云う比喩表現だろ、と内心ツッコミを入れつつ、僕はあくまで穏やかに返答した。


「ごめん。百合の気持ちは嬉しいし、何よりびっくりしたよ。まさか、僕がこんな美人にってね。けれど、僕にも気になる人がいるんだ。彼女はいつも無機質で無関心でぶっきらぼう、見た目は綺麗なのに性格と言い方がきつい。けれど僕はどうやら彼女の事が好きなようだ」


 百合は文字通り肩を下ろすと、「やっぱり、ふられちゃった」と予想に反して苦笑するのみだった。


「けど、匙君って酷いのね。今ふった女の子の前で、自分の好きな女の子の話をするんだもの。私じゃなかったら泣いてるよ?」

「ごめん。不謹慎だったね」

「いいの、あなたが失恋するときまで私は待つことにする」


 さらりとそんなことを口に出す彼女に「君も中々酷いよ」と言い返した。


「お互い様ね」

「あぁ、お互い様さ」


 僕たちはしばし、流れる群衆を眺めていた。知らなかったとはいえ、青木には悪い事したと、反省をしながら僕はふと、紫苑の事を思い出していた。


 転向日の公園でプロポーズをされた時の事だ。


「僕なんかが、人生で二度もプロポーズされるなんて思いもしなかったよ」


 無意識に思ったことが声に出てしまい、「二度?」と首を傾げる百合を見て自分の口を塞いだ。けれど彼女の好奇心は凄まじいものがあり、観念して紫苑の話をすることになってしまう。


 あの日、公園での出来事を話すと「もっと聞かせて」紫苑に興味が沸いたらしく、グイグイくる。


 だから僕はもう完全に僕は祭りの事なんて無視して、思い出話を語りだした。僕にとっての紫苑を、長々と。

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