3-4

 僕は自身のチキン体質を今一番恨んでいる。


 シオンを前にして、タイミングを伺っているだけだと言い訳をしながら、いつも通り他愛もない話をして、ただ時間を浪費していた。


 今日の青木の事や明日どう立ち回ろうかなど、他人の話ばかりを一方的に聞かせていた。いつものようにぶっきらぼうな相槌しか返ってこないのだが、僕はそれだけで満足してしまっていた。


 シオンは文庫本を読み終えて鞄へしまいながら「青木さんとは仲良くなれたのね」と僕を向き直した。


「今日はいつもより纏まりのない話をするのね。いつもの事だけれど、今日はそれに拍車が掛かっているわ。あなたは迷ってるんじゃない?私に話したいことがあるのに中々切り出せない。そんな感じね」


 女という生き物はなぜこんなに鋭いんだ。僕の周りが超人的なだけ?それとも生まれながらに読心術が使えるとか……。男性の脳よりも女性の脳の方が精密だと聞いたことがあるけれど、こうも違うとさすがに不公平だと嘆きそうになる。


 きっと前者なのだろうけど、「恐るべし、秋菊」と言ったところか。


「全部バレバレのようだね。じゃあ、今から長い前置きをしてから本題にはいるけど、それだけは勘弁してね。正直僕も怖いから」


 僕はそこで一息ついて、また口を開く。


「これを話すと君のトラウマを解き放ってしまうかもしれない。けれど落ち着いて聞いてほしい。まず始めに一つ質問をさせてほしい」

「いいわよ」


 顔色一つ変えず、即答したシオンは僕の目を真っすぐ見つめている。


「君は入学式の日に起きた交通事故を覚えているかい?」


 少し彼女の眉が上に動いたが、あまり動揺を見せずに淡々と声を出す。


「らしいわね。誰かが私を庇って轢かれたと聞いたわ。生憎私は何一つ憶えていないのだけどね」

「そっか……。その君を庇って轢かれたってのが僕なんだ」


 さすがにこの言葉には驚いたらしく、口の前に手を持ってきたり、明らかな動揺が伺える。しかし、彼女はすぐに元の姿勢に戻ると、感情を持った声を喉から絞り出す。


「あなたはそれを言いに来たの?僕が助けたんだから感謝しろって、そう私に言うためだけに、私に接触してきたの?」

「違う!ここからが本題なんだ。僕が君を助けたのも事実だけど、僕を救ったのも多分、君なんだ」


 今日は幸い、誰も図書室に居らず僕たちだけなので、大きな声を出しても咎められなかった。だから、僕たちの声はどんどん熱を持っていった。


「どういうこと?私があなたを救った?」

「そう、メモリー、『記憶を司る者』に君が何かを捧げてくれたおかげで、僕の命は救われたんだよ」

「記憶を…司る者?んん」


 シオンがそう言いかけたとき、彼女は急に頭を押さえて苦しそうに机へ額を押し付けた。


「私が?私を?私のせいで?あなたが、救われた、私の大切な……代償?奪わないで、忘れたくない。忘れなくない!」

「シオン!どうしたの!」


 彼女は勢いよく頭を上げ、僕と目を合わすや否や体を小刻みに震わせて、肩を持つ僕の手を払いのけ

た。


「触らないで!触らないで!触らないで!」


 狂ってる。


「知らない、知らない知らない知らない知らない知らない」


 何度も何度も左右に首を振って、何も見ようとしない。


「しっかりして!シオン」

「近付かないで!私はあなたを知らない!」


 彼女の叫び声にはどこか聞き覚えがある。


 夢。


 誰かに向かって助けを乞う少女の悲嘆の叫びに似ている。


「君は僕を知っている!毎日話をしただろ?」


 僕は今、彼女の瞳にどう映っているのだろうか。小動物のように震えながら椅子から転げ落ちるシオンは髪を搔きむしりながら、何かに恐怖する。


「しらない、あなたは誰なの。あなたは私のなに?」

「僕は花濱匙。君のクラスメイトだ」

「ハナハマサジ?わからない、そんな人知らない!私は、あなたなんて知らない!」


 シオンは自らと一緒に落ちた鞄を抱きかかえ、僕を跳ね飛ばして図書室から飛び出していった。


 僕は追いかけられない。僕が、彼女の中にある何かを壊してしまった。そして苦しめてしまった。


 脳裏にこびりついた彼女の瞳と見つめあいながら、僕は地面で膝を抱えた。もう堪えた。今日はもう疲れたよ。


 シオンが「カノジョ」とほぼ確定したのは大きな収穫だ。そう思うことしか僕はここにいられない。


「彼女に否定されるのがこんなに辛いなんて。こんなに悲しいだなんて……」


 止まらない涙を膝で押さえながら、誰もいない図書室の隅で悲しみに溺れる。


 何時間僕はそうしていたかわからない。


 心配して、百合が入ってくるまで僕は凍り付いたように蹲っていた。


 帰り道も終始無言で、百合も事情を聞こうとはしなかった。


 無気力な僕は、慣れた道を作業をこなすロボットのように何一つ変わらぬ足取りで進み、帰宅後は死んだように自室の床で眠った。冷たく堅い木の床は僕を深い深い眠りに誘った。




 次の日、携帯のアラームで目を覚ますと、三通メールが入っていた。


 青木から今日の昼食の件、百合から心身を労わるメール、そしてメモリーからお祝いのメール。


『ようやくキミはスタートラインに立てたようだね。

 僕からのプレゼント、誰もいない図書室はさいこうだったろう?誰にも邪魔されずに済んで、キミは僕に感謝していることだろう。

 けれどここからがキミの度量が試されるよ。ピュア君同様にね。

 そして、ようやくスタートを切れたキミには第三のヒントを上げるよ。

「偽りの、嘘」

 キミも一度きりの青春をもっと謳歌してくれよ!

 さらば!』


「ふざけるな!」


 最後まで読むと僕は思い切り携帯を壁に投げつけていた。僕は、自身の不甲斐なさを追い出すように大きくため息をついた。


 今日はとりあえずお見合いを成功させることだけを考えて登校しようと、無理やり気持ちを切り替えて、なんとか昼食を乗り切った。その後、いつものように図書室へ行ったが、シオンの姿はなかった。


 颯の如く日々は過ぎ去り、とうとう終業式が訪れる。あれから一度もシオンは学校にすら来ていないらしい。


「秋菊さんと何かあった」


 葛葉先生にそう聞かれたが僕は「わかりません」と嘘をついた。僕のせいでトラウマが蘇ったのは明白なのに、僕はそう言わなかった。


「そう、何かあったら私になんでも相談してね」


 彼女はあくまで明るく、小さい胸を張った。


 僕の夏休みはこうして最低なスタートを切った。

 しかし、この夏は僕を最高に導いてくれることを僕はまだ知らない。

 知らないまま、僕はこの夏を憂う。

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