この物語は視えない兄と視える妹の視差から来るある種のミステリーとなっている。
ほとんどの読者と同じく主人公は、怪異を察知できない。彼の感覚の網に飛び込んでくるのは、私たちが暮らしているようなごく普通の日常である。
一方、妹である言鳥はまったく別の世界に住んでいる。この世ならざる存在と日常的に触れ合っている彼女と兄との間には深い断絶がある。
このあたりは切なくもありユーモラスでもある。また芥川の『藪の中』のような真実を巡る多角的視点にもなっているところが面白い。
読み進めていくとこの兄妹の断絶が実は断絶でないことに気付く。ふたりはそのギャップによって相互補完的な存在となり、結びつき合っているとも言える。
妹は兄を守っていると思い込んでいるが、うろんなものを視ない兄の日常性に守られているのは妹の方かもしれない。
またこの不思議な兄妹をさらに外から観察する布津が第三の視点としてどんな役割を果たすのかは、続編に期待したい。
この作品の魅力は、プリズムのように色合いを変える「現実」と言われるものの捕え難さを丹念に描いているところだと思う。青春ものとしても学園ものとしても読者自身が多角的に向き合える素晴らしい物語。
妖怪小説なのに主人公には特殊な能力がなにもない──どころか、そもそも妖怪の類いが見えないし感じられない。そんな彼が学校を舞台に頻発する怪異事件に飄々と対処していく小説です。どこまでもマイペースかつあらゆる意味で鈍感な主人公と、伝奇ものの主役みたいな能力を持った妹(超可愛い)の世界観の食い違いぶりが見ていて楽しいです。主人公に呆れながらも付き合う友人もいいキャラしてます。
一口に妖怪といっても国や地域、共同体ごとに差異があり、ある地域の妖怪が別の場所ではまったく知られていないということはよくある話です。また、当時の風俗を織り込んだ洒落で創作された妖怪が、現代ではそれと分からず伝承のある妖怪とごっちゃにされてしまうこともしばしばです。妖怪がちゃんとした形で存在するには文脈が共有されていることが必要であると言え、妖怪を感知しない世界に立っている主人公が妖怪の影響を受けないというのは、現実の妖怪の在り方を巧みにフィクションの設定に落とし込まれたと思います。
あくまで鈍い主人公の裏でいくつもの不穏な要素が蠢いており、続編で何が起きるのか楽しみにこれから読もうと思います。
美少女が日本刀を振りかざして怪異を一刀両断! 本来ならばこの美少女が主人公になるはずだが、この作品は違うのだ。何と主人公は怪異が全く見えない、聞こえもしない、効かない、という平凡な美少女の兄だ。
全くもっての鈍感さゆえに、怪異の攻撃が効かない。故にある意味怪異に対しては最強。どんな攻撃も見えないし聞こえないし、効果がない。ただただ怪異を倒すために戦う妹を愛してやまないのである。
そんな主人公がひょんなことから学校にまつわる怪異の調査を依頼され、友人と一緒に学校の怪談を検証し始めるのだが……。
何やら主人公たちの周りでは剣呑な雰囲気もあり、物語は新たなステージに移行する予感。でも、そんなことも主人公は気付かない。平凡な学生生活を送るのである。
参考文献や参照文献、参考URLがあることも良かったです。小生も常光さんや宮田さん、小松さんは好きな研究者です。やはり文系は参照文献が勝負どころという一面もありますから、とても好印象でした。
面白いです!
既出のものだけでなく、まだ出てこなかったり、ちらっと出てきた設定も深く組まれているのだろうと感じました。
暮樫家の秘密が気になります。
主人公或人君の終始絶好調のマイペースキャラが魅力ですし、妹の言鳥ちゃんのツンデレときたら……いいです!
性格面だけじゃなく、全く端っこと端っこに位置する二人の霊的体質も見どころ。
周囲を飾る他のキャラも個性的ですし、一番気になるのは兄妹二人の叔父さんですね。きっと彼は色々と知ってるんでしょう。
学校の怪談の諸々も登場しますし、怪談好きにはわくわくする作品にもなってます。
読めばきっとハマります。おすすめですよ~。(^◇^)
暮樫或人は怪異が見えない。
一見これは普通のことに思われるかもしれないが、暮樫の家は基本的に怪異が見えるらしく、彼が唯一の例外ということになる。
問題は「見えていなければ存在しない」というわけではないということだ。
これはなかなか小説というメディアの面白いところで、もしもずっと或人の一人称で物語が進むのであれば、怪異たちの存在は、二次創作的には存在するかもしれない潜在的な可能性としてしか把握することができない――つまり怪異は存在しないということになるが、この作品ではもう一人の視点人物として妹の言鳥が活躍する。
言鳥は例外である兄とは異なりもちろん怪異が見えるわけだが、そちらの方はまるで兄の物語の反動でも受けたかのようにオカルト異能バトル然とした物語を展開する。
面白いのは言鳥自身が、兄には見えないものが見えてしまう自分の物語それ自体が虚構でないとどうして言えるのか、というようなメタ視点を持っているところだが、そういった視座がどう展開していくかも一つの見物となるだろう。
(必読!カクヨムで見つけたおすすめ5作品/文=村上裕一)
井上円了は妖怪を分類した際に、実怪と虚怪という言葉を用いました。「まこと」の怪と「うそ」の怪。
さて、この物語の主人公が求めるのは、そのどちらでもないのです。彼――暮樫或人はただ、怪異というものの本質に近付きたいと願う。存在非存在には無頓着ですらある。
なぜなら、彼にとっては妹こそが第一であるからです。妹!
妹――言鳥に対し、彼は全幅の信頼を置いています。言鳥の見たものなら信じるとすら(キャッチコピーでも)断言しているほどです。
ところが両者は食い違います。或人は己のスタンスを崩さず、妹は「見える」人間として至極当然の行動を起こす。
鈍感だと片付けられる或人の行動ですが、それは本当か? と疑ってしまうような場合すらあります。ひょっとして、おかしいのは言鳥のほうではないか? 怪異の存在と非存在を問わない或人のほうが、ひょっとしたら正しいのかも……?
そして軽妙な会話劇が続く話の中で、ちらりと垣間見える不穏な空気。いや、怪異を扱うのだから不穏なのは当然なのですが、それを上回る不穏さが渦巻くのが曲者です。
でも、きっと大丈夫。主人公の行動原理は明確です。
妹かわいい!
それさえあれば、彼はどんな困難も乗り越えてくれるはずです。