第13話 消灯

【視点:シカル・ロス】




―――――お兄…お兄…怖いよぅ……――――――


 電球一つ見当たらないくらい廃墟の一室の隅にうずくまる俺の腕の中で、十にも満たないであろう幼い少女が俺の胸に縋りつきながら蚊の鳴くようなか細い声で訴えてくる。


 少女は飢えと寒さ、そして恐怖のためにそのナナフシのようにやせ細った骨と皮だけの小さな体を震わせていた。だが自分たちが置かれている状況だけははっきりと理解しているのか、必死で嗚咽を漏らさないように口元を手で抑え込んでいた。そんな哀れな少女を見て、唯一この娘が心から信頼し、頼りきっている存在である俺は、どうにかして彼女の心に占めている怯えを払拭してやりたいと切に願うも、今の自分に出来ることと言えば、ただただ少女のか弱い身をつぶさない程度に力いっぱい抱きしめてやることだけだった。


―――――大丈夫。お兄がしっかり*****を守ってやるから―――――


 奴に見つからないように、少女にのみ聞こえる程度の声量でその柔らかい黒髪を安心させるように優しく撫で上げる。声が小さかったせいか、少女の名は俺自身にも聞き取ることはできなかった。その時、ツキンッ!とどこかから脳天を軽く小突かれたような衝撃が走る。


 ……あれ?俺に妹などいたのか?それにこの状況は一体……?


 そんな疑問が脳裏に過ぎった途端、唐突に周囲の光景が歪み始めた。


―――――……お兄?―――――


 俺の異変に違和感を抱いたのか、俺の胸に顔を埋めていた少女が俺の顔を覗き込んだ。


「っつ!!?」


 その刹那、色が溶け合ったように滅茶苦茶になっていた風景に砂嵐が巻き起こり、耳障りな雑音が辺りを埋め尽くす。


 待て、まだこいつの顔を見てな―――――




*****




「……シカル?」

「…何だ?」


 閉じていた眼を開けば、向かい側にある扉に今しがた自室に入ってきたばかりのリンがいた。どうしてか片手に冷や水が目一杯満たされたコップを手にしている。

 俺は今、リンの自室にあるミトラの森が見渡せる窓の下で壁に背中を預け、居眠りに興じていた。


(今のは…夢…だったのか?)


 それにしては妙に生々しかった気がする。まるで過去に一度、体験したことがあるかのようなリアルな感覚だ。そのせいか心臓がバクバクと早鐘を打ち、冷たい血液が全身を凄まじいスピードで駆け巡っている。


「大丈夫?」

「?」


 憂慮の視線を投げかけてくるリンの言葉の意味が分からず、俺は「どういう意味だ?」と聞き返す。


「魘されてた」


 そう言って、部屋に入ってきたリンは俺に向けてコップを差し出してきた。その時になって初めて、俺は額に脂汗をびっしょりかいていることに気が付く。

汗……。夢を見るのもそうだが、こんなに汗をかいたのは久しぶりだな。

 俺は喉の渇きを認めて素直にリンの好意を受けとることにし、コップを手にするが早く一気にすべて飲み干す。


「……夢見が悪かっただけだ。気にするな」


 喉が潤い、一息つけば、次第に汗は引いていった。心臓の鼓動も、少しずつ穏やかなものへと落ち着きを取り戻していく。

 空になったコップを床に置き、コップの冷たさと初夏の気温差によってできた、コップの側面にへばりついている水滴を指先で触れた。それは俺の体温よりも少しだけ低く、心地いい冷たさがあった。

 今日はかなり日差しが強い。夜の住人であるバンパイアにとってそれは天敵に等しく、だからこうやって俺は屋内に逃げ込んでいた。そしてそんな俺にとってはありがたいことに、リンの部屋は北向きにある。だが、それでも春夏間の気温の変化が誤魔化せない。今見た嫌な夢はきっと、暑さで寝苦しかったが故なのだろう。

 それにしても妙に引っかかる夢だった。まぁ、この手の類のものは珍しくもなんともないだろう。夢魔辺りを警戒する必要があるかもしれないが、その程度なら問題ない。

 夢魔程度の低俗な存在にすら警戒の念を抱かなければならない現状に、思わずため息をついてしまう。WCDがあちこちうろついているこの町に居座り続けるのは得策ではないが、血も満足に得られていない今の体調を考えると、刀も持たない丸腰の状態でドームの外に逃げるのもリスクが高いように思われた。

 そういったことに関しては、今の俺はまさに、リンにおんぶに抱っこの状態と言えるものだろう。何しろ、ここ数日の間はなるべく集中して体力の回復を図るためにこいつの家族がいない間、リンの自室に居座っているようにしている。木の上や地べたに寝転がるのは慣れているが、やはりこちらの方が体に対する負担が少ない上に身の安全度も外よりも格段に上だからな。その上、この家にある新聞やらテレビやらで情報集めもかなりスムーズに行えるようになっているし、更には食事にもありつけた。残念ながら、血は流石に出てこないが。既に吸い過ぎて貧血を起こして何度かぶっ倒れている恩人から更に血を吸い取るような真似は出来ないしな。

俺の容体が落ち着いたのを確認したリンは、いそいそと自分のベッドに戻り、うつ伏せになって俺と向かい合った。

 足を交互にパタパタと動かしながらこちらの様子をつぶさに観察してくる。その瞳にはありありと好奇心と疑問が浮かんでいた。

 出会ったその日はやけに大人びた奴だと思っていたが、年相応に好奇心は強いらしい。現に、今も俺に向かって「どんな夢を見ていたんだろう?」と言いたげな視線を無遠慮に送り付けていた。だがそれに応えるつもりは毛頭なかった。赤の他人、ましてやこんな幼子に話すような内容じゃない気がするし、正直、俺自身、今見た夢に対してまだ理解が追い付いていないというのもある。

 俺はその視線から逃れるように、珍しく自分から適当な話題を切り出した。


「体調はどうだ?」


 分かり切ってはいるが、先日リンが倒れてしまったのは貧血によるものだ。やはりリンのような体の小さな子供一人ではバンパイア一人分に必要な血を賄うことなどできるわけもなく、あの晩、生への渇望から欲望のままに吸血をし過ぎたことが未だに尾を引いているようだ。あの時に比べれば大分顔色は戻ってはいるものの、時折クラリと眩暈を起こしている。


「平気。おばさんもそろそろ学校に行ってもいいって」

「そうか」

「うん。そういうシカルはどうなんだよ?」

「問題ない。夢見が悪かっただけだといっただろ?」

「そうじゃなくて」


 そう言うと、リンはおもむろに自身の左腕を指差した。初めて俺たちが出くわしたあの夜、リンが俺に血を飲ませるために自ら傷をつけた腕だ。今現在、半袖のTシャツを着用しているため、その腕の健康的な色白の肌がむき出しになっており、大きくて分厚いガーゼが肘の表面積を半分近く覆っている。


「血、足りてないんじゃないの?」

「……」


 思わず言葉を失った。

 図星だったからじゃない。血は確かに十分摂取できているとは言えないが、解決策は既に用意してある。問題はその解決策の方だ。


「…お前が気にするようなことじゃない」


 結局、その程度の言葉しか思い浮かばなかった。リンは俺のそっけない反応に唇を尖らせて何か言い返そうとしたのだったが、その時、唐突に天井の明かりが明滅したかと思うと、光を失った。


「え……?」


 突然のことに、俺へ何か物申そうとしていたリンの口は半開きのまま固まった。そして困惑した様子で呆然と呟く。驚いたのは俺も右に同じだ。だが俺は動じることなく立ち上がって出入り口の傍らの壁に設置されている照明用スイッチに近づく。時間帯としてはまだ正午過ぎのため、視界に困ることはない。とは言っても、俺の目は暗闇の中でもある程度見えるから関係ないんだけどな。もし目が見えない状況となっても、他の五感が無事なら周囲の状況把握は問題ない。

 カチッ、カチッと数度鳴らしてみる。しかし、何度同じ行為を繰り返してみても、もう一度部屋に明るさが戻ることはなかった。


「壊れたのかな?」


 当初、いきなり周囲が薄暗闇に包まれたことに動揺していたリンだったが、落ち着きを取り戻したらしく、冷静に状況を分析してみせる。

 普通ならそう考えるだろう。ただ天井の電球が古くなって壊れただけなのだろう、はたまたブレーカーが落ちただけだろう、と。そんな平穏な理由であってほしいとすら思う。だが、ここ最近の出来事のおかげで神経過敏になっていた俺は違うと判断する。


「シカル?」

「お前はここで寝てろ」


 「どこ行くの?」とリンが部屋を出ていこうとする俺の背中に問いかける。素っ気ない言葉で返した俺は少しばかり急ぎ足でリンの部屋と向かい側にある部屋に入った。


 ……うわぁ……。


 不穏な考えが浮かんでいた思考に、一瞬不快という単語が入り込んでくる。

 初めてこの部屋に入った時もそうだったが、この部屋は何というか…控えめに言ってもセンスがなさすぎる。なんというか、自己顕示欲をこれでもかとばかりに見せつけようとして行き先を間違えてしまった結果、こうなってしまった。そんな様相だ。


「シカルもやっぱこれはないと思う?」


 俺の後をつけてきたリンが隣から聞いてきた。どうやら思わず表情に出ていたらしい。他人の感性をとやかく言うつもりはないが、これは流石に悪趣味な気がする。

 全身ピンクで統一し、可愛らしいぬいぐるみやらクッションやらが所狭しと置かれている。どこに足を置けばいいのか分からないくらいだ。子供用のアクセサリーなども衣装棚の上や勉強机の上に散乱していた。凄まじい散らかり様というか、物がありすぎて片付けようがないといった感じだ。必要最低限のものしかない、非常にシンプルなリンの部屋とは真逆の部屋だ。心なしか、香水をそこら中にかけまくったようなきつい匂いが鼻を突いてくるようだった。

 最終的に、俺はどう答えればいいのか分からず、無言を返さざるおえなかった。


「ローズの部屋になんかあんの?」


 一刻も早くこの部屋から出ていきたいと言いたげに、ぶっきらぼうな口調だ。リンからあらかた家族の話は聞いてはいたが、本当に仲が悪いらしい。


(よく養子縁組の話が成立しているな)


 そうか何らかのわけがあって預かっているだけなのか?などとつい勘ぐってしまうが、この部屋に来た目的を思い出し、足の踏み場の確保に苦労しつつ、部屋に内接されている窓に近づく。

 リンの住むこの家は、街から少し離れた丘の上にあり、今俺たちがいる部屋から町全体が見渡せるようになっている。俺は焦りかららしくなく手荒な所作で両開きの窓を開けた。


(やっぱりな)


 答え合わせには正解したものの、間違いであることを願っていた俺は眉を顰める。


「何?なんかあったの?」


 相手の僅かな感情の変化ですら敏感に感じ取る俺とは違い、一般人のガキでしかないリンは俺の様子の変化といつもと変わりない町との差に理解が追い付かず、俺と俺の目線の先にある町の間を交互に見比べては不安と混乱で整った面持ちを歪めている。


「リン、サングラスと耳をある程度隠せる帽子はあるか?あと俺のサイズに合いそうな服もあれば助かる。理由は後できちんと話してやるから先に用意してくれ」

「??わ、分かった」




* * * * * *




【視点:ホルム・ゲンダ】




『そうか…ようやく、意識を取り戻したか』

「えぇ。ご心配おかけして申し訳ありません」


 シャノン准将がようやくお目覚めになられたその直後、わたしは定期報告を兼ねて、上司であるギャスト中将に伝声筒と言われる片手に持ちやすい形に加工された石を使ってこちらの現状況及び准将との会話の旨を報告していた。

 伝声筒とは、その仕組みはわたし自身も詳しくは知りませんが、簡単に分かりやすく例えれば、一種の不思議道具マジックアイテムとでもいえばよろしいでしょうか。世界各地にある洞窟などから時折発掘されるこれは、加工する際に二対に分けられ、世界各国どこにいようともどちらか片方を所持していれば、源晶石から生み出したエネルギーなどを不要としながらも、確実にもう一対の石にまでそのこえを変質させることも雑音が混じ入ることもなく届けてくれるという優れモノだ。そう簡単に手に入る代物ではありませんから一般市民がおいそれと手にすることも目にすることも滅多にないでしょう。それに一般市民には携帯電話で十分事足りますしね。わたしが今使っているこれも、今作戦限りで今、わたしたちとは違うドームに滞在しているギャスト中将との連絡専用としてWCDから貸し出されたもので、私個人が持っているわけではありません。個人的に所有しているとすれば、それなりの財力と目的のぶつを物手に入れられるだけの伝手と情報網を所持した金持ち連中か、我々のようにドーム間をしょっちゅう行き来する軍の上層部や各国の重鎮などくらいのものでしょうね。

 黒一色の隅の塊のような石をくりぬいた通話口から聞こえてくる重厚さと威圧感のある切り口上な口調。その荘厳さの漂う老人の声音は、姿が見えていなくとも、聞き慣れていない者が聞けば、すぐにでも尻込みしてしまいそうだ。シャノン准将の背中を追って、がむしゃらに歴戦を潜り抜けてきたわたし自身ですらも、ご紹介に預かる以前から我々のことを目にかけてくださっていたギャスト中将には、恥ずかしながらその人並ではない、それ相応の修羅場を幾度となく潜り抜けてきた者にのみ持つことが許される圧倒的な凄みに、内心では委縮しまくっていたものです。プライベートではその様相からは想像もつかないほど気さくでお茶目な方なんですが。そんなわたしがシャノン准将の次に信頼を置き、最も尊敬している上司の落ち着きを払った声を聴いているうちに、先ほどまで事態の深刻さに閉口していた気分も吹き飛んでしまうような心地がした。


『それで、ザイルの調子はどうなんだ?』


 自らの愛弟子とも弟分ともとれる存在の部下があの怪我を負いながらもどうにか生き延びたと聞き、回復の経過も順調だと知った中将の電話越しならぬ石越しに伝わってくる声は普段と変わらぬ少々ガラついたバリトンボイスといった重厚そうな声音であるものの、少しばかり安心した風に和らいだ雰囲気があった。


「主治医の方からは傷が完全にくっつくまでは絶対安静、少なくとも半年以上の入院が必要だと宣告されているのですが、あの調子ならまたすぐ勝手に自主退院しそうな勢いですね。しばらくはデスクワークでも押し付けて大人しくさせるよう尽力するつもりですが、いつまでもつか……」


 やれやれと息を吐きかけたわたしの様子を声越しに察したらしいギャスト中将が、快活に笑った。向こうは向こうで忙しいでしょうが、この大層ご機嫌なご様子からしてそれなりに順調に事が運んでおられるようですね。

 現在、バンパイア討伐部隊WCDはギャスト中将サイドとシャノン准将サイドに分かれていて、主にギャスト中将率いる部隊は神郷町にて「鋸草アキレアの血」の残党狩りと作戦のせいでドーム内の敷地の半分以上が半壊してしまった街の復興の為に動いています。そして現状動くことが出来ないシャノン准将に代わって私が中心となって活動している三田市に駐屯している部隊は、主に怪我人で構成されているので、まぁ、表向きは本部への報告や戦後の書類作成などが主な任務として課せられていますが、実質は怪我の療養ですね。当然、仕事もきちんと用意されていますから、わたしのように動ける人員もちゃんと配備されていますし、仕事もちゃんとこなしています。


『すまんな。何から何までお前にあれの面倒を見させて……。迷惑をかける』

「いえ、自分で決めたことなのでお気になさらずに。そろそろ慣れてきましたし」


 とは言いつつも、またもや「やれやれ」と、ついついいつものようにため息がこぼれそうになる。が、そこはぐっと堪え、内心で「しっかりしろ」と、己を叱咤。このくらいでへこたれていては、シャノン隊副隊長の座は務まりませんからね。どんなに能奬どころか脳神経までもが筋肉でできた超の付くバカであろうと、この命が尽きるまで准将についていくと誓ったのは他でもないこのわたし自身です。……時折、何でそんな誓いを立てたのか、過去の自分を消し去ってしまいたい思いに駆られますけど……。


『まぁ、確かにザイルにはなるべく早く前線に戻ってもらった方が軍としてはありがたいのも事実だな。それで、ザイルは自分と戦ったバンパイアについて何か話していたか?』

「VVAを完璧に打ち込んだそうですし、戦闘開始前から既にディアクリシス部隊との戦闘で重傷を負っていたそうなので、『死亡扱い』でいいだろうとのことです」

『そうか。確かにその判断で間違いないだろうな。だがもし生きているとしたら―――――』

「えぇ。その件に関しては既に警戒し、動ける人員を割いて交代で常に8時間おきにこちらのドーム内を巡回するように指示してあります」


 ギャスト中将の懸念を言葉にする前に察し、素早くその不安要素を噛み砕く。

 ギャスト中将が恐れているのはもしシャノン准将と互角に渡り合ったバンパイアが生きていた場合、この町に潜伏している可能性が非常に高いということ。勿論、わたしも同感です。ボロボロの体でドームの外をうろついていたとしても、それを狙った凶暴な狩人たちの格好の獲物にされるのは目に見えています。外で味方がいる可能性も考えにくい。生きているとすれば戦闘後、あのまま川に流され、運よくこの町に流れ着いていることでしか考えられません。


「ですが、今までの捜索ではその痕跡は全く見受けられないので、そろそろ引き上げてもよいのでは、と判断しているのですが、いかがいたしますか?」

『問題ないだろう。だが警戒するに越したことはない。その辺りはザイルと話し合って決めるといい』

「はっ!……あの、もう一つ、ご報告しなければならないことがあるのですが……」


 非常に、ひっじょーに話しづらい、いや、話したくない内容のため、途端に果たしの舌は饒舌さを急速に失っていく。それに言うまでもなく気づいたギャスト中将は抑揚のない声で『どうした?』と窺って来る。

 うわ、これマジで言いたくねぇ。何でなんなことを言わなきゃなんねなんねぇんだよ。こういう大事なことは普通、隊のトップとかがするもんだろーがよ。

 はぁ。ま、これ以上不平不満を挙げればキリがないですし、現状況を鑑みればこれは仕方がないことでしょうね。目覚めたばかりのシャノン准将に定期報告させるのも無理な話ですから、わたしに鉢が回ってくるのは当然なんでしょう。


「申し訳ありません……。わたし自身も先ほど報告を受けたばかりでしたので、詳細は未だ分かっておりませんが、あの幼女に逃げられました。直ちに捜索隊を派遣したのですが、これが思っていた以上にうまく痕跡を隠しているようでして……」


 「動かせる兵たちはすべて使って全力で捜索に当たっているのですが……」と言い訳にしかならない台詞を頬を引きつらせながら口にする。

 完全なるこちらの不手際に、何を思っているのか、ギャスト中将はわたしの報告に口を挟むことなく、沈黙を押し通した。おかげで声しか相手の感情を判断する要素がないため、今相手が憤怒しているのか、はたまた沈痛な面持ちで頭を抱えているのか分からない。

 報告を聞いてから既に一時間以上は経っている。まだ子供だが、あの娘をほか…いや保護するには随分と手間取ったものです。現在のこちらの戦力等や住民への被害を考慮すると、下手を打てばどこかに雲隠れされてしまう可能性も出てくることでしょう。


『お前にしては珍しいな。子供だと思って思い上がったか?』


 ようやく口を開いたかと思えば、こちらの失態に怒鳴るわけでも困惑しているわけでもなく、寧ろ、血を吐く思いで告げたわたしをからかっているような陽気ささえ含んだ口調でギャスト中将は問い掛けてくる。


「そういうわけでは……」

『冗談だ。お前がそんなへまをするような奴じゃないことくらい分かっている。向こうの方がかなりのやり手だった、というだけの話だ』


 どんな子供だよ。

 思わずそんなツッコみを頭の中だけで毒づく。これでもわたしはシャノン准将あのバカの犯した失態をフォローできる程度には優秀である自負がある。ちょっとやそっと、頭がキレる程度の人間に引けを取ることはないだろう。ましてや、まだ十歳にも届いていないような幼子相手に後れを取るとは考えたこともなかった。今回、あの少女に関してはシャノン准将が指示を出せるような状態でもなかったこともあり、わたし直々に少女の処遇の手配を手ぬかりなく進めてきた。子供だからと言って、管理を怠ったわけではない。むしろ鋸草アキレアの血の重要参考人として厳しく監視していたはずだった。


『それについて何だがな、ホルム。あまり多くはないが、面白いことが分かったぞ。そろそろそちらに詳細を記した伝令が届くだろう。それをザイルと二人で確認してくれ。兵士たちにはまだ内容を伝えるな。ここだけの機密事項だ』

「?了解」


 あまり人に知られていい話ではないということなのでしょうか?少なくとも、ギャスト中将の口調の雰囲気からして、あまり兵士たちの戦意をかきたてるようなものではなさそうです。


「分かりました。では、引き続き捜索を進めながら、その少女の件に関してはまだ伏せつつそちらから送られてきた情報とこちらで掴んだものをもとに報告書を作成し、本部へ報告を、ということでよろしいでしょうか?」

『あぁ、現状はそれでいいだろう。あとは上からの指示を俺に伝えてくれ』

「はっ!では、そのように」


 そう言って、わたしは電話を切った。果たしてギャスト中将から送られてくる情報がいかようなものなのか、果たしてあの少女の正体は一体?規格外の強さを持つバンパイアと遭遇し、そしてそれを取り逃がし、任務に失敗してしまった我々の処遇は?


「ふぅ……」


 様々な疑念と危惧がないまぜになり、それらを整理するために立ち止まり、眼鏡をはずして、些か疲労の溜まった目を軽くマッサージする。

 ここ数年の間はずっとシャノン准将について世界各国で暴れまくっていたわけですが、流石に今回の作戦はきつかったですね。主に精神的に。

 町一つを犠牲にするような形で今作戦を実行したわけですし、当然、住民の皆さんや周囲からの非難に対する対応は身を削られていくようだった。本職が戦闘なだけあって、いくらあの『喧嘩屋』の二つ名で有名なシャノン准将の右腕たる私だとしても流石に過労死するかも……と半ば本気で危惧しましたよ。それに加え、あの『鋸草アキレアの血』が相手ですからね。下手を打てばわたしだって虫けらのように蹂躙されてもおかしくなかったですし、シャノン准将からBLブラックリスト・Lv3クラスのバンパイアの存在を聞かされた時には、平静を装いながらも内心では生きた心地がしませんでした。戦ってもまず勝てる見込みありませんし。

 ここはいっちょ、思い切って何年かぶりの溜まりに溜まった有給休暇でも満喫したいところですね。そのためにも今作戦は無事に終わってほしいものです。


「ぬうぅぅぅ~~~!」


 休みたいのは山々だが、やらなけらばならないことはまだ腐るほどある。目の前の現実に目を逸らしたい気持ちで一杯だが、そんな悪魔の囁きには耳を貸さず、思い切り伸びだけをして気持ちを切り替え、またリノリウムの床を颯爽と歩きだす。


「っ!?」


 突如辺りが一気に薄暗くなり、驚きに身を任せて天井を見上げる。同様に周囲がと突然のことに動揺を隠せず、何事かとざわつく。

 数呼吸の間、また明かりがつくことを期待しても、それはものの見事に裏切られた


(一体何が……?)


 蛍光灯の一つや二つが消えることはあれども、非常時を除いて消灯時間でもないにも拘らず、全ての明かりが突然消え去るというのはいかがなものでしょうか。

 原因のあらゆる可能性を一斉に考え上げ、最悪の事態を想定して嫌な汗を流す。


 ―――――もし、蛍光灯の明かりだけではなくて病院全体、いや町全体のエネルギー供給が止まっているとしたら……?―――――


 それはつまるところ、各ドーム内に一つは存在している発電所に何らかの問題が発生したということ。

 そんな思考に至るだけで、最悪の事態が起こった場合、その被害を想定するだけでぞっとした。

 どうかわたしの予想が間違っていますように。ただ、ブレーカーが落ちただけで数分後にはすべて元に戻っていますように。

 そんな切なる思いを抱きながら、わたしは状況を判断すべく、一番、この事態に理解が追い付いているであろう病院長の元へと急いだ。

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