第4話 第三次『鋸草の血』掃討作戦②

【視点:ザイル・シャノン】




「……しょう……ノン准将……シャノン准将!」

「んん……?」


 周囲を憚ってか、小声ながらも叱りつけるかのようなきつい語調で隣から俺の名を呼ぶ慣れ親しんだ声によって俺の意識は眠りの海の底からくみ上げられた。


 あー、こりゃ完全に爆睡してたな。


「もうすぐ司令部に着きますよ。起きて下さい」


 予想通り、ホルムは俺に向かって絶対零度に達するかというほどに冷ややかな視線を投げつけている。

 体の細胞一つ一つがクソ真面目で出来ているこいつからすれば作戦前に爆睡するというのは見逃しがたい行為らしい。


 やっはっはっはっは。後でボコられっかもな、これ。


 眼鏡越しに奴の瞳の奥にちらついている苛立ちの炎を見てとり、内心で冷や汗をかく。


 もしかしたらこの作戦で生き残ったとしてもこいつにあの世送りにされるかも知れねぇな……。


「あぁー……ここで降りんの?」


 首をボリボリと掻きむしりながら車に取り付けられているガラス越しに見える民家だのアパートだのが林立している町中の景色に、パズルのピースが一つ欠けているような微妙な違和感を覚えながら俺はホルムに尋ねる。


「いえ、もう少し先です。……それにしても、かなり第一包囲網から距離を取るようですね」

「あぁ。会議でもんなこと言ってたな。第三包囲網の指令部と同じとこに本拠地を置くんだと」


 頭の片隅でこの景色の違和感の正体は人気のなさだと気づきつつ、幽霊都市のような景観を眺めながら俺はホルムの台詞に相槌を打つ。

 俺の返答を聞いたホルムは、どこか釈然としない面持ちを移ろいゆく外の景色から目を離さずにいる俺に向けた。


「それで指令が通りますかね。ただでさえ、『鋸草アキレアの血』は情報操作に優れた連中だというのに」

「まっ、なんとかするしかないだろ。どうせ最終判断は戦場にいる俺たち次第だしよ」

「それもそうですね」


「何にしろ、しょうみ今回の作戦で重要なのは俺とディアクリシスの部隊だけだし」と最後に付け足し、俺はホルムに預けていたジャケットを手に取った。コートは……今は邪魔でしかないな。置いていこう。


「これが終わればようやくアメリカか?」

「今のところではそうなっていますね」

「なーんか年がら年中あっちこっち飛びまくってるせいで帰るって気がしねーな。一年ぶりか?」

「正確に言えば一年と三ヶ月ぶりですね。オートジボードまでは距離がある上に航海権やら入国手続き云々で大分手こずりましたから」

「あーぁ。帰ったら久々に休みでも取って屋敷で飲み明かすとするか」

「どうぞご勝手に。前みたく全裸で庭に転がってるなんてことは過ってもしないでくださいね」

「あー……んなこともあったなぁ……」


 うぇっ!こいつ俺の黒歴史を~……。

 あぁ、思い出したかのようにそんな目で見るのはやめろ。


 確か、今の地位に昇進して、祝い酒とか称して目玉が飛び出るくらいに高い酒を一晩中寂しく一人でがぶ飲みしまくってたら、気が付けば次の日素っ裸で屋敷の庭で大いびきかいてたんだっけか?

 あの後、第一発見者のホルムには一週間くらい汚物を見るような目で見られるはめになり、肩身の狭い思いをしたものだ。


(……今回はハジャと飲むか)


 そうだな。それがいい。絶対いい。

 あいつといれば、多分同じ過ちを繰り返すことにはならないだろう。


 そんなこんなで作戦後のプランを練っていると、ようやく車が止まった。

 司令部に残るギャスト中将とその部下たちを除いた戦闘部隊は、全員『鋸草の血』奴らを閉じ込めたビルを取り囲む第一包囲網近くの臨時駐車場にて合流する手筈になっている。


 先刻の会話と思い出したくもないもんを記憶の深淵から呼び起こしちまったために今では完全に目が覚め、居眠りをしたおかげで氷水を頭から被ったとき並みに気分爽快となった俺は、目的地近くの駐車場に車を止めたのを確認し、我先にと席を立つ。それに合わせ、ホルムも片手に愛刀の白龍刀はくりゅうとうを携えて立ち上がる。

 待ちあぐねていたかのように外側から使いっ走りの下っ端兵士が車の戸を開け、俺はジャケットを羽織りながら車を降りた。




 * * * * *




 ……スッゲー数……。


 陰鬱な影を投げかける曇天模様を背景に、物々しい雰囲気を醸し出しているビルを目の前に、まず俺が初めに思ったことがそれだった。

 外から中の様子を見ることは叶わないが、もはや気配どころか殺気すら隠そうともしないバンパイア奴らの存在を感じ取ることは容易だった。

 全身をバンパイアの弱点でもある銀製の特殊な鉄条網にがんじがらめにされた巨大なそれを見上げつつ、思わず背筋が凍りそうな威圧感に圧倒され、言い知れぬ興奮に全身の肌が泡立った。


 ……この中に、50匹以上のバンパイアがうようよしていやがんのか……。


 おそらく、中は阿鼻叫喚地獄のような様相になっていることだろう。

 一度、WCDにおける研究と称して何日もの間、血の一滴たりとも口にしなかったバンパイアを見たことがある。

 飢餓が極限にまで達したそいつの有様はまさに悲惨の一言に尽きた。

 脱走を防ぐために全身を鎖につなげられながら、渇きに悶え、苦しみのあまり自ら喉をかきむしり、苦悶の叫び声をあげ、血を求めるその姿には、流石の俺もぞっとしたものだ。

 バンパイア共がこの中に閉じ込められてからかれこれ3日は経っている。そのくらいならば軽い飢餓状態に陥り、心身が弱まる程度で抑えられているはずだろうから、まだ恐慌状態に陥ってはいないだろうとは思うのだが、もしあの光景がビル内で繰り返されているというのなら、とっとと終わらせたいものだ。胸糞悪いからな。

 俺は自分がどこぞの聖職者のように小綺麗な聞こえの良い説教を並べ立てるほど偽善的でもないし、バンパイアにまで憐れみをかけるほど慈悲深い人間などではない。むしろその逆だろうと思っている。だが、他人がもだえ苦しむさまを見て嗜虐心を煽られるようなサディスティックな精神は持ち合わせてはいない。


 ゴクリと生唾を飲み込み、俺はすぐさま突撃して思う存分溜まった鬱憤とともに己の拳を振り回したいという焦燥にも似た、獣じみた衝動をどうにか押し殺す。


「かなりの数ですね」


 隣に立つホルムが動揺する素振り一つ見せず、相変わらずの冷めた物言いで呟く。


「あぁ」

「もう気は済んだでしょう?もう五分後には作戦が開始します。戻りますよ」

「おぅ」


 後ろ髪を引かれる思いで先を行くホルムを追ってその場を立ち去る。それからビルより少し離れた位置に敷かれた包囲網の一部分を占めているA班、もといシャノン隊の元へと戻ろうとしたその時―――――


(っ!!?)


 一瞬、ただならぬ気配を感じ、思わず臨戦態勢に入りつつ背後を振り返り、ビルの最上階を煽り見た。

 無意識のうちにジャケットの内ポケットにある自身の得物に触れるも、その必要性のなさを思い出し、手を放す。だが俺の、これまでの生に於いて培ってきた野生の本能が警戒を解くことを許さない。


(おいおい、こんな報告は聞いてねぇぞ……)


「どうされましたか?」


 俺の様子に異変を感じたホルムが怪訝な面持ちでこちらを振り返る。

 ホルム自身は俺の感じ取ったものに気づいてはいない様子だが、俺の行動の意図を察したのか、白龍刀の柄に手をかけ、ビル内への警戒を一層強めた。


「……一匹、化けモンがいるな」

「一匹?」

「あぁ」


 しばらくたって、気配の主が動き出す様子がないことに、俺もようやく殺気を消して部隊の元へ戻る。そして最後の打ち合わせとしてA班の元に待機していたディアクリシスの隣に立ち、独り言のように呟いた俺に、強張った面持ちでビルを見上げていたディアクリシスが訊き返す。


「二匹、ではなくてですか?」


 おそらくはブラックリストに登録されてる奴らのこと言ってんだろーな。だが、そいつらじゃねぇ。


 その程度のレベルの奴は今まで散々見てきた。

 確かに、平均からすればかなりのやり手であることは間違いないが、俺が感じ取った気配の持ち主はそれらとは別格だった。お得意の情報操作でもしてギリギリまで隠していた奴らの最後の切り札だろう。

 もうここまで来たら隠す必要もないと考えたのかどうかは知らねーが、俺とホルムがビルに近付いた時、一瞬だけ今の今まで隠していた『匂い』を放った。その後すぐに消したがな。


 ったく。この俺を試すなんざ、いい度胸してやがるぜ。


「俺がもしあいつをBLブラックリストに登録するなら、最低でもLvレベル3くらいにするな」


 その言葉に、俺に付き従ってきたホルムの弓なりの形のいい眉が微かに寄せられ、ディアクリシスが息を呑んた。


「新入りか?」

「えぇ……恐らくは」

「厄介なモン引き入れてくれたもんだな」

「しかし……Lvレベル3だなんて、些か言い過ぎでは……?」

「いや、大マジだな、こればっかりは」


 BLブラックリストLvレベル


 このくらいのクラスになれば、単体でも災厄を起こす可能性は大いにあり得る。少なくとも、この町を一日足らずでめちゃくちゃにするくらいはたやすい程度には。

 動揺を隠しきれていない辺り、戦闘経験豊富なディアクリシスも、このクラスと対峙したことは流石にないのだろう。確かに俺でもこのクラスのバンパイアはお目にかかったことがない。


「安心しな。あいつは俺がもらう。部隊の指示はホルムに任せる」

「はっ!」


 急な作戦変更だが、これは「シャノン隊あるある」であるため、対して動じる様子もなくホルムは俺の指示を拝命する。だが、残念なことにシャノン隊の作法に慣れていないディアクリシスはそれを良しとしなかった。


「しかし、それでは……」

「邪魔はさせねーぞ?」

「っ……。ですが、貴殿の仰る通りであるのでしたら、相手の力量を鑑みればお一人で相手にするのは無茶です!ここは多少の作戦変更を行い、特殊部隊を総動員して確実に仕留めるべきです!」


 ディアクリシスの言っていることは確かにその通りかもしれんが、俺にとってはどうでも良いことだし、それに従う気など更々ない。

 こういう正論好きに俺のやり方などいくら口説いたところで首を縦に振る筈もないことなど、言うまでもなく理解しているから、多少野蛮な方法ではあるが、試しにちょっくら殺気を出して脅してみる。ま、思った通り、その程度では大して効果はなかったがな。

 まぁ、この程度で圧倒されてても、これから共闘する者同士として、それはそれであまりに頼りなさすぎるからどうかとは思うが。

 どうしたもんかと首を捻っていると、そこに思わぬ援軍が割って入ってきた。


「ですが、それでは他のバンパイアを逃す可能性が高まります」


 と相手を宥めるような落ち着いた物言いで、激高しかけているディアクリシスに反論するホルム。


 確かにそうだな。


 ただ強い奴と殺りあってみたいだけの俺は、今その可能性に気づき、うんうんとあたかも鼻から分かっていたかのように振る舞ってみせる。

 相変わらず俺の事を良く理解し、タイミングを見計らって話に入ってきたであろう、自らの副官の明晰な頭脳には脱帽せざるおえない。

 だが、残念ながらディアクリシスはそれで納得してその場を退いてくれるほど、物分かりの良い相手ではなかった。


「それを防ぐために後方支援部隊が待機しているのでしょう!?万一の際にはギャスト中将もおられます!」


 う~む、それもそうだ。

 一対一サシでやるなら、俺がやるよりもおやっさんの方が確実性は高まるだろう。でも俺も殺りたいし、今作戦において最高司令官を務めるおやっさんが自ら討って出るのもそれはそれで問題だろう。

 さて、どうしたもんか……。


「じゃあ、その中将殿にどうすりゃいいか聞いてやろうじゃねーか」

「っ、いいでしょう」


 ふと、思い付いたように提案して見せた俺のその言葉を尻目に、俺たちは襟元につけているマイクに口を寄せ、片耳に装着しているイヤホンに耳を傾けた。


『ピー――――ッ、ザザッ!』


 うおっ、ビビったー。これだから無線は嫌いなんだよ。俺の敏感でか弱い鼓膜が破れても知らねぇぞ?あ、でもこれで困んのは俺も一緒か。


『―――――どうした?』


 雑音が耳をつんざいたそののち、ようやくギャスト中将おやっさんの抑揚のない太い声が聞こえてきた。


「作戦変更だ」

『……何があった?』


 唐突な俺のその一言に動じる様子も、勝手な部下の物言いに腹を立てるでもなく、先におやっさんは状況の説明を求めてくる。俺はそれに応えるべく、先ほどホルムはディアクリシスにしたものと同じ話をした。


『―――――話は分かった』


 束の間の思案ののち、唸るような声でおやっさんはそう告げた。


「で、どうするんだ?」

『うむ……。ザイル、実際のところ、どうなんだ?本気でやれると思っているのか?』

「状況にもよるが、俺一人でやるなら五分五分ってところだな」

『そうか。なら十分だ。お前はそのバケモンを殺れ。いつも通りお前の代理はホルムでいい。あとは事前の作戦と同じで構わん。分かったな?』

「あぁ。それでいいぜ」

「はっ!」

「……了解いたしました」


 やはりおやっさんは話が早くて助かる。

 若干ディアクリシスは不服そうだが、上官命令だからか、渋々といった様子で頷いている。階級としては俺より下だというのに、先程俺に思いっきり噛みついてきたことは、この際脇に置いておくとしよう。

 それからディアクリシスと別れ、各々の持ち場に着き、数分ほどをかけて作戦変更の旨を他の隊員たちに伝えるなり作戦の最終確認なり行った。

 やるべきこと全てを終え、いよいよと意気込んでいるところを見計らったかのように、またあの背筋に虫が這い上るような寒気を催す甲高い音が鼓膜を劈いたのちにおやっさんの声が聞こえてきた。


『作戦の変更は以上でいいな?そろそろすべての作戦部隊及び班の準備が整った。今から《第三次『鋸草アキレアの血』》討伐作戦を開始する』

「おう!」

『よろしい。ではシャノン准将のタイミングで合図を出してくれ。それと、常時連絡を取れる体勢でいること。特にザイル、作戦上、ある程度の単独行動は許可するが、暴走するなよ?ホルム、お前は持ち場があらかた片付いてもザイルが終わっていない場合はお前が補佐をしろ。その間の部隊の指示は俺かディアクリシスが務める』

「へいへい。分ぁってるって」

「はい。善処いたします」


 今回の任務での唯一の救いは総司令官キャプテンギャスト中将おやっさんだったことくらいだな。このおっさんの指令は単純かつ的を射ている上に付き合いも長いから、俺の行動を良く理解した上での指示を出すため、俺も非常に動きやすい。


「よし。砲撃部隊全班、砲弾用意っ!!」


 マイク越しの俺の怒号と共に、ビルの四方をを囲む建物の屋上から計十二台の大砲が姿を現す。

 俺は一度背後の部下達を、そして隣のホルムに目をやり、様子を確認する。その視線にホルムはやや緊張で頬を強張らせながらも覚悟を決めた面持ちで頷きを返した。俺も唇を引き締めて無言で顎を引く。


「っ撃て―――――っ!!」


 肺が破裂しそうなほど勢いよく吸い込んだ息と共に、周囲の大地が微かに揺らぐほどの声量で命令を発す。同時に俺の鼓膜が破れそうなほど強烈なインパクトのある音を立てて、砲口が火を噴き上げた。

 耳慣れた破壊音と一緒に凄まじい量の砂埃がもうもうと宙を舞い、ビルの最上階部分しか目視できなくなる。


「全弾命中確認!」

「まだだ!完全に倒れるまで撃ち続けろ!」


 俺の命令通り、続けざまにさらに二発目、三発目と鉛玉を無情にも食らい、やがて支えを失ったビルは足元から一気に崩れ落ちて行く。見事なまでに凄惨な景色だ。

 分かっていたこととはいえ、内心その光景に舌を巻いていたものの、まともな呼吸をすることすら困難な状況下で、土煙と埃が立ち込める視界のその向こう側に黒い影がいくつも蠢いているのを発見し、俺はニヤリと狂喜を伺わせる笑みを独りでに浮かべた。

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