パンドラボックス~幼少期編~
沢岐
~PROLOGUE~
プロローグ
カツン……コツン……カツン……コツン……
もうどれくらいの時が過ぎただろうか。俺はいつまでこうして歩き続けていればいいんだ?
懐中電灯の頼りない
(何故、こんなことに……?)
この疑問を抱くのはここ数時間もの間で何回目だ?
俺はこれまでにない程、心底自分の愚かさを呪った。
天気予報には無かった突然の大雨の中、ハイキングの帰りを急いでいた俺は、すぐ左隣は崖だというのに猛スピードで車を走らせていた。明日の仕事に響かないよう、早く帰って寝ようとしか考えていなかったのだ。
そして、そんな浅はかな俺を嘲笑うかの如く事故は起きた。
カーブを曲がろうとハンドルを回したところ、雨のせいで道路が滑りやすくなっていたが為にタイヤがスリップを起こし、そのまま俺は車ごと崖から転落してしまったのだ。だが不幸中の幸いとでもいうのか、崖と地上との高低差がそこまでなかったというのと、真下がこの大雨のせいで増水した川だったために、何とか車もろとも哀れな姿になり果て、誰にもみとられることも無い上に自分の死すら実感せぬままあの世へ旅立つようなことにだけはならなかった。
今思えばその方がマシな気もするが……。
まぁ、そんな自分の感傷は置いといて、取り敢えず一命を取り留めた俺の意識が戻った時には既にこの洞窟の中だった。
どのくらい意識を失っていたのかは分からなかった。何せスマホの充電が切れてしまっていたからな。腕時計の方も落ちた時の衝撃でイカれてしまったのか、真面に機能していなかった。
それから川の縁に乗り上げていた車から這い出たは良いものの、あばら骨が何本か折れてしまったのか、呼吸をする度に肺に貫かれるような激痛が襲い、車から降りる、そんなちょっとした動作だけでも一苦労だった。
何とか動くたびに痛みに悲鳴を上げる胸を押さえつつ現状況を把握するのに役に立つものは無いかと車の中を隅から隅まで探ってみたが、結局はただの体力の浪費にしかならなかった。
僅かばかりに希望を抱いていたラジオも、車自体が使い物にならなくなったのかそれとも科学の進んだこのご時世だというのに電波すら届かない所にまで流されてしまったのか、うんともすんとも言わなかった。
唯一使えそうなものと言えば、今俺が手にしている、この今にも電池が切れてしまいそうな懐中電灯のみだ。
最悪だ。
意識が戻ってから何時間?いや、何日経った?
最早時間の感覚すら狂ってしまっている。
川に沿って歩いていけば、いずれは人里につく、とどこぞのハゲ
そんな俺が何故未だに歩くことが出来ているかって?そんなの死にたくないからに決まってるだろ?
でも現実ってのはそんなに生易しいもんじゃない。
まるでデッカイ鎌を持ったにへら顔の死神がヒタヒタと音もなく静かに歩み寄ってくるかのように、徐々に体から力が抜け落ち、視界もぶれてきている
おそらく、今機械的に動かしている足を止めたら、その途端にその場に崩れ落ち、そのまま永久に起き上ることは出来ないだろう。
(俺は……死ぬのか?)
死にたくない。
俺は忍び寄ってくる死の恐怖から逃れようと、必死に足を動かし続けた。
ザバンッ!!
「っ!?」
あっぶねー。心臓が口から飛び出るかと思った。
暫く地面に両手を突いて乱れてしまった息を整え、足を踏み外し、川に片足を突っ込んでしまった
これは不味い。
洞窟内は少し暑いくらいに適温だから体が冷えてしまうなんて心配はないだろうが、
I will dead(これは……死ぬかもな……)
そう思う、途端に心臓の音がドクンドクンと激しく鼓膜を打ち始め、過呼吸でも起こしたみたいに息が苦しくなってくる。あばら骨の痛みも、さらに激しさを増してきた。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!
こんなことになると分かっていたらせっかくの休日を丸投げして呑気にハイキングを楽しもうなんて考えなかったのに!昼近くまでのんびりとベッドの中でゴロゴロした後、コーヒーでも啜りつつポケーッとテレビでも見ながら安全な家の中でダラダラと平和な生活を貪っていたのに!
遂に俺のすぐ真後ろにまで追い付いてきた死神をまるで駄々っ子のように拒絶する俺は、いつしか目から大粒の涙を溢していた。周囲に誰もいないのを言いことに、地面に額をこすりつけ、大人げもなく大声で泣き叫んだ。
やりたかったこと、まだ手に入れてないものなんて星の数ほどあるのに!
そこそこの貯金も、ある程度の地位も手に入れたからいい女でも見つけて結婚して家族でも作ろうと思っていたのに!年食って皺だらけの爺さん婆さんになってしまった両親にも、まだ何もしてやれていない!
暫くの間、そうやって体中の水分がなくなってしまったのではないかと思うほど泣き叫んだ後、俺はカラカラに乾いた喉を潤そうと疲れ切った体に鞭打って川へ這い寄り、川の中に手を突っ込んだ。
(ん……?)
指に何かが引っ掛かる感触があり、そこから引っこ抜こうと引っ張ったところ、乾いた木の枝が折れるような感覚と共にそれが指にくっついてきた。
何気に疑問に思い、俺は地面に落としたまんまにしていた懐中電灯を拾い上げ、そろそろ電池もヤバくなってきたそれの弱々しい灯りを水面下から引き揚げた何かに向けた。
「ひっ……!?」
マジで驚いた時って息をのむから声も出ない。この時の俺はまさにそれに当てはまった。
なんたっていきなり頭蓋骨が視界に飛び込んで来たんだぜ?鳥とかならいくらでも見たことあるが、人間のは初めてだ。しかも川の中を見てみると、取れた頭蓋骨を除いて足の先まで一人分の人骨が丸々きれいに残っているときた。
喉の渇きも全身に圧し掛かっていた疲労も忘れ、俺は頭蓋骨を投げ捨ててその場に尻餅をついた。加えて懐中電灯の灯りに照らされている範囲全体をよく見てみると、どうも骨はこれだけではないようだ。
驚きと恐怖に震える手で懐中電灯を持ち直し、俺は周囲の状況を確認してみる。
思った通りだ。
川の中から俺の背後に至るまで、四方八方見渡す限りに人骨がゴロゴロ転がっている。
(戦場跡か何かか?)
幾分か冷静になってきた思考で推測するも、事実など俺には分かる筈もない。とにかく今すぐにこの薄気味悪い場所から半径一㎞以上は離れたかった。だが悲しいかな。疲労困憊な上に腰が抜けてしまったせいで俺の足は最早一㎜たりとも動きそうもない。
どうすることも出来ず、俺はその場にゴロリと寝転がった。
もうやけくそだ。あばらも痛ぇし。
ここ数時間?もの間にこれまで生きてきた中で味わった量を軽く凌駕したのではないかと思うほど、ありとあらゆる負の感情を持ち得た俺は何もかもどうでもよくなりつつあった。
もう眠りたい。
もしそのまま死んでしまったとしても苦しまずに済むのならそれも悪くないかもしれない。
この状況を生き延びることに絶望しきっていた俺は、ついにそんなことまで考え始めていた。
(……ん?)
ふと、キラリと光る何かがぼやける視界の片隅に映った。
(何だあれ?)
焦点がなかなか定まらないことに苛立ちつつ、目を細めて何とかそれの正体を暴こうと奮闘しているうちに、心なしか、それが放つ光はだんだんと明るさを増していく。
「箱……?」
(何でこんなところに?)と疑問に思ったが、この骸骨達と同様、考えても仕方がない。
俺はもっと近くで見てみようと、ちょっとした好奇心に駆られ、急に鉛のように重かったはずの体が軽くなっていたことに驚きながら、ムクリと体を起こすと、ザバザバと音を立てて川を渡り、その謎の
例えて言うなら、それは海賊漫画にでも出てくるような宝箱の形をしていた。そしてその宝箱は随分と昔にどっかの誰かに投げ捨てられでもしたのか、逆さまになった状態で半分ほど土の中に埋まっている。
今の今まで真っ暗闇の中を懐中電灯の灯り一つで彷徨い歩いていた俺の目には痛い程の強力な光を放つそれは、どこか神々しさを感じさせると言うか、何というか神秘的なオーラを放っていた。そのせいか、何故か俺はそのままこの箱をこの場にこの状態で放っておいてはいけないような思いにとらわれた。
俺は催眠にでも掛けられたかのように、先程まで立つことすら真面に出来なかった筈の体を駆使して箱を地中から取り出しにかかった。
土はかなり固く、まるで岩を爪で引っ掻いているみたいで思うように掘り進めることが出来ない。それでもなお、俺は爪が割れようとも指先の皮膚が裂けて血が滲んでこようとも全く気にすることも無く、ただ、何かに操られているかのように一心になって掘り続けていた。
ハッと漸く正気に戻り、今の今まで自分は何をやっていたのだろうかと自問自答する頃には、箱の大部分が俺の手によって既に暴かれていた。
せっかくなので今更ながらじくじくと痛みを訴え始めた手で箱を持ち上げ、獲物をジロジロと物色する。
大きさはだいたい横幅が俺の片腕半分ほど、縦幅はそのもう半分くらい、高さもそれと同じと言った所だろうか(ちなみに俺は日本人としては平均的な体格だ)。残念な事に、かなりの労力を割いたわりには大して価値があるようにも見えない。だが不思議な事に、見た目の割に箱は綿毛みたいに軽かった。
ここまで来たら開けてみるのは当然の流れだよな?鍵もかかってねぇし。
だから俺は、もしかしたら危険なものが入っているかもしてないなんてことは全く考えもせず、ちょっぴり金銀財宝が入っているのではとワクワクしながら思い切って箱を開けてみた。
ヒョオォォォォォ…………
箱を開けたその刹那、ほぼ同じタイミングで吹いた風が、俺の前髪を揺らした。
……風?
箱に気を取られていたバカな俺は、初め、俺の生死に関わる、そんな重大な出来事を気にも留めていなかった。だがここが洞窟内である事を思い出た途端、俺はいきなり突き付けられたその事実に、驚愕と期待に目を見開いて辺りをキョロキョロと見回し、どの方角から風が吹いているのかを探った。
あっちだ。微かだけど、確かにあの方角から吹いている。
気が付けな俺は手にしていた箱を放り投げ、足元に置いていた懐中電灯の存在すらも忘れて、弱々しくも確実の俺の頬を撫でている風の流れとは正反対の方向に向かって走り出していた。
出られる!
俺の中では狂喜が強大な
どのくらい走り続けていただろう。
いくら走れども相も変わらず視界は真っ暗で、周囲の状況に変化は見られなかった。だけど真っ暗の中、疲れなど当の昔に忘れ去った俺は一度たりとも足を動かすスピードを緩めることも無く、何の障害物にぶつかることも足を踏み外すことも無く走り続けていた。
前が全く見えていないのに、まるで道が俺を外に連れ出そうとしてくれているみたいだ。
おかしい。こんなこと、あり得ない。
冷静な俺がそうポツリとつぶやくが、今はそんなことどうでもいい。とにかく一刻も早く外に出たい。
少しずつだが、だんだんと洞窟内の空気が鬱屈とした埃っぽいものから次第に冷たく澄み切ったものへと変わってきている事に俺は気が付いた。だからさらに足を交差させるスピードを上げると、それに伴い、俺の目の前には懐中電灯の灯りでも箱の光でもない一点の光がポツリと現れた。
出口だ!
思わず喜び勇んで訳の分からない単語を呟いてしまったのは見逃してほしい。せっかく死の淵から這い上がることが出来たんだからな。
俺は出口の一歩手前にまで来ると、この感動の瞬間を少しでも長く噛み締めようと、一端立ち止まった。
どれだけ走っても全く上がることの無かった息が、緊張のせいで乱れてくる。
俺は一度大きく深呼吸をして息を整えると、一歩、足を前へと踏み出した。
数多の生命の在る地上に燦々と降り注ぐ、煌々とした明るい日差しが、俺の目を射抜いた。
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