第10話 怒られました。

【視点:リン・ダン】




 バンパイアとの邂逅から二日後。市内一の規模を誇るダン総合病院の数ある一室から、元来、病める者を癒し、傷を負った者を治療する場には到底ふさわしくない、雷神ですら尻込みしそうな程の凄まじい怒声という名の雷が容赦なく降り注いだ。


「ったく、あんたって子は……!」


 怒りのあまりに声を詰まらせた、先ほどの怒鳴り声の主であるダン総合病院病院長であるタニーナ・ダンは目の前で正座をし、小柄な身を縮こまらせている幼い少女、ことわたしをこれでもかとばかりに睨みつけた。その様相は普段、軍隊で毎日のように強面で有名な教官に鍛えに鍛え上げられている屈強なWCDの兵士たちから見ても背筋が震えあがるほどだといえば、想像するに難くないだろう。かく言うその怒りの的であるわたしも、タニーナの怒号に泣き喚くことも震え上がることもなく、まるで学校の先生から悪戯の叱責を受けている程度の態度で構えていられるのだから、病院内の看護婦や医師たちの間では「さすがは院長の娘」とかなり肝が据わっていることで有名だそうだ。


「夜中に二階から飛び降りた挙句、一人で外をほっつき歩く馬鹿がどこにいるんだい!!」

「…………」


 「ここにいる」とでも言ってやろうかと思ったが、そうすればタニーナの怒りパロメーターがとんでもないことになりそうだからやめておこう。

 気分はブルー、体調も最悪、そして目の前には怒れる閻魔大王様タニーナ。あー、もう笑うしかないわ、この状況。まぁ、笑ったら笑ったでさらにやばいことになりそうなんだけども。

 現在時刻は大体正午くらい。カーテンの開け放たれた窓から差し込む日の光は、まるでわたしの現状をせせら笑っているかのように陽気な明るさがあった。

 わたしの腕には細いチューブが二本刺されていて、一本は透明、もう一本は赤銅色をしている。そしてもう一方の腕、つまり先日あのバンパイアに血を飲ませるために自分で傷つけた腕のほうは、それはたいそうな重症患者のように包帯でぐるぐる巻きにされており、きちんと手当されていた。ついでに言うと、バンパイアに痛めつけられた方のあざのところにも、でっかいシップが張られている。ミントとはまた違った鼻の奥をつく匂いが煩わしい。そして残りのチューブには血液が流れており、バンパイアに与えすぎたせいで足りなくなってしまった私の血を代わりに補っていた。

 タニーナ曰く、どうやらわたしは先日の出来事から丸一日以上爆睡していたらしい。いつの間に、どうやって病院に舞い戻ってきたのかは覚えていないが、目を覚ませば般若の如く憤怒をあらわに傍らに立つタニーナの姿があったから、それはもう心臓に悪かった。そして現在、わたしはそのままベッドの上で正座をさせられ、かれこれ小一時間は優に超える時間をタニーナの説教に費やしていた。正直、もう寝かせてくれというのが本音だが、タニーナにわたしの身勝手な行動がどれだけ人様に迷惑をかけたか懇切丁寧に説明されたため、大人しく項垂れているしかなかった。

 一昨日の晩、もう一度私の様子を見に部屋を訪れたところ、ベッドがもぬけの殻になっていた上に窓が開いていたので、まさか誘拐でもされたんじゃないかと戦慄を覚えるほど焦ったこと。家に電話を掛けたり病院内を駆け回ってまだ起きていた看護師や医師たちにわたしを見かけていないかと聞いて回った挙句、タニーナの様子に勘付いたWCDの兵士たちに事情を尋ねられ、誤魔化しても仕方がないので素直に白状したところ、先日のバンパイア騒動の件もあり神経過敏になっていた兵士たちが「もしや生き残りのバンパイアが襲ったのでは!?」などと騒ぎ立て、大騒動に発展しかけたこと。そうして現状は患者であるはずのWCDの兵士たちまでもを動員した懸命の捜索が行われたものの、結果は虚しく、わたしは病院近辺にすら見当たらず、͡この夜闇の中、森にまで足を運ぶわけにもいかないため、その日の捜査は打ち切りとなり、明日警察に通報すべきかどうか迷っていたところ、ひょっこり、いつの間にか私が元のベッドの上で爆睡していたところを勤務時間外の上もうすぐ夜が明けるというにも拘らず、一緒になって探し回ってくれていた看護婦が発見し、この一晩の苦労は一体何だったのかと怒りを通り越して呆れるほど拍子抜けするくらいにあっさり一件落着したこと。だが安心したのもつかの間、意識のない私の顔色がいように悪いことに気が付き、体を調べてみたところ、昼間に診断した時にはなかったはずの左腕の傷や手入れされていない獣道でも歩いてきたのかと疑わせるようなかすり傷や泥が全身のところどころにあった。特に、左腕の傷が酷い。リンの顔色の悪さはおそらく貧血によるもの。原因は言われるまでもなくこの左腕のもので間違いないだろう。血は既に止まっているのが幸いだが、すぐに輸血をしなければこの子が危ない。そう判断し、応急処置や服の着替え等々あれやこれやとこなしているうちに完全に朝になり、休む間もなく院長としての労働の日々に引き戻されたこと。その合間合間を縫って、わたしの捜索の手伝いや騒動の後始末に協力してくれた人々に頭を下げて回ったこと。などなど。

 要約すればこんな感じで、とにかく色々大変だったらしい。その証拠に、タニーナの頬は心なしか疲労でこけているようにも見えるし、目の下のクマも普段よりさらに色濃くなっている。一見すると、今のタニーナは病院院長というよりも麻薬とかそんなんに手を出していそうな闇医者といった方が似合っている気がする。だがこうなるまでタニーナの追い込んでしまった元凶はわたし自身なわけでありまして。


「どれだけ人様に迷惑かけたと思ってんだい!?下手すりゃ警察まで動かしかねなかったんだからね!」

「……ごめんなさい」


 今はとにかく謝るしかない。そうする以外に謝罪の意思を示す方法が今の私には思い浮かばなかった。いつも無口で不愛想なタニーナにしては珍しく、怒りに任せて騒動のことをあらかた全部、オブラートに包み隠すこともなく話してくれたおかげで、自分の行動が何をもたらしたのか理解できた。タニーナが怒るのももっともだと思うし、さっき様子を見に来た看護師さんのあの安堵の表情を目にすれば、自分がどれだけ周囲に心配させてしまったのか、嫌になるほど分かった。今までなら根拠のないうわさによる心無い誹謗中傷としてあることないこと騒ぎ立てられるという意味での騒動は何度かあったけど、こういうのは生まれて初めてだったから、こんな風に他人にここまで心配されて、自分の行いに罪悪感を覚えるなんてことは今までに一度もなかった。いつも不機嫌そうな面構え一辺倒のタニーナが憤怒に顔を真っ赤に染め上げたり、逆にわたしの容体が芳しくないことに白蠟のように真っ青に血の気が引いて行ったりと忙しなく表情を四季が移ろうように変化させる姿が新鮮だった。

 でも、この騒動を起こすだけの価値はあったんじゃないかなとも思っている。もう少しでも時間をずらしていれば、あのバンパイアを助けることは叶わなかっただろう。あいつは多分いい奴だ。人間わたしたち餌としてしか認識していないような奴らとは全く違う。いや、わたしが生まれて初めてバンパイアに直接会ったのはあいつだけだから、もしかしたら他のバンパイアもデーン先生たちが言っているように怖い奴らなのではないのかもしれない。

 迷惑をかけてしまったタニーナたちには申し訳ないと素直に反省する反面、わたしの中ではあのバンパイアを救えた喜びにも似た達成感が嬉々として渦巻いていた。この件では特にタニーナには平謝らなければならないと思う程度には気が咎めているので、今目の前で鬼の角でも生えているかもしれないタニーナの凄まじい顔色をどうにも拝める度胸も湧いてこない。悔恨と満足の交錯し合った複雑な感情に頭を押さえつけられたわたしは、ただただ太ももの上に置いた両手を痛いほどに握りしめた。


「……リン」


 徒労の入り混じったため息の後、名を呼ばれる。ひどく疲れているのが察せられる、そんな重い吐息だった。

 どこか哀愁帯びているその声音で語りかけられるとなんだか落ち着かない気持ちになってくる。いつものようにでかくてしゃがれた声で元気よく怒鳴り散らされたほうがよっぽどいい。


「何で、いなくなっちまったんだい?」

「…………」

「あんた、何か妙なことに手ぇ出してないだろうね?」

「…………」

「リン!」

「……何も、ないよ」


 言えない。言えるわけがない。医者をしているせいか、おばさんの観察眼と直感は恐ろしく鋭い。わたしが何か一人で勝手に何かやらかしていることくらい、既にあらかたの予想はついているんだろう。だけど、あえて核心をついては来ないし、無理に白状させようともしない。これまでもそうだった。いつもわたしが何かしでかしてもそれが大事に至らない限りは一歩距離を置いて無関心を装うに徹する。それがわたしの養母、タニーナ・ダンだ。

 だけど今回の相手はバンパイアだ。ちょうどバンパイア掃討作戦が隣町で行われたばかりだし、おそらくその作戦に参加していたのであろうWCDの兵士たちがこの病院にひしめいているのだ。きっとわたしがあの男のことを話せば今すぐにでもおばさんは通報することだろう。そしてその存在が知られれば、いくらバンパイアが強くとも深手を負ったあの体ではあの男もひとたまりもないだろう。普通なら、そうする。そしてきっと、それがこの町にとって、人類にとってイイコト・・・・のはずだ。


(でも、それじゃああいつが死んじゃう……!)


 あの男はわたしを殺さなかった。やろうと思えばそこらの雑草を摘み取るように、いとも簡単にできるだろう。それだけの力をわたしはあのバンパイアから感じ取っていた。でも、だからと言ってバンパイアだからという理由で殺されていいような奴なんかじゃない。おそらくだけど、ミトラの森で色々話していた途中からの記憶がないから、たぶんその時に貧血で私は倒れてしまったんだと思う。タニーナの話から察するに、誰にも気づかれることなくミトラの森からこの病室までかなりの距離があるし、一人で歩いて戻ってこられるような状態ではなかったはずだ。とすれば、わたしをここまで運んでくれたのはあのバンパイアだと考えるのが妥当といったところだろう。そんな奴が、悪い奴のはずがない。

 視線の矢が今もなお現在進行形でわたしの脳天に突き刺さり、錐で突かれているような感覚がズキズキと頭の中で疼いている。タニーナはわたしが直に洗いざらい白状するのを待っているのだろう。そしてわたし自身も望まれたとおりに胸の内を吐き出せばどれほど楽になれるだろうか。甘い誘惑が、悪魔の甘言が耳元で囁く。「あのバンパイアを差し出せ」と。「そうすれば、お前はこの町で二度と後ろ指をさされることはなくなる。それどころか英雄として扱われてもおかしくない」と。だがそれでも、わたしは唇を痛いほどに嚙み締め、沈黙を貫き、悪魔を魔手に耐え忍び続けた。。

 そうしてしばらくおばさんの足の爪先を睨みつけていると、不意にそれは方向転換し、視界から消え去った。


「……絶対に、後三日は安静にしとくんだよ。でないとこれから『一生』外出禁止にしちまうからね」


 振り返りざまに眼鏡越しにわたしに無機質な鋭い流し目を送ると、おばさんは蛍光灯の乳白色の明かりが降り注ぐ廊下へと出て行った。やけに軽いトーンで鳴るスリッパの足音がすぐさま患者の世間話や慌ただしく動き回る医療器具を乗せたワゴンのタイヤの転がる音などによってかき消される。だがその喧噪すら、わたしの耳には遠くから聞こえてくるように思えた。

 世界が遠い。そう思った。




* * * * * *




 あれから三日。わたしはおばさんに言われたとおり、絶対安静を貫いた。というか、マジ体がだるいうえに腕の傷口からバイ菌が入ってしまったのか、高熱を出したのだから動ける体力も気力も残っているはずもなかった。だがそれも直に下がり、今では貧血からくるわずかな立ちくらみ以外、ほとんど動くことに支障はなかった。腕や肩の傷の痛みもじっとさえしていれば大して気にならないほどまでに収まっていた。


「家に帰っても、まだ学校はだめだからね」

「うん」


 本当はもう少し安静にしていて欲しかったらしく、動けるようになったのを機に、わたしが病院内外問わずウロチョロするようになってしまったため、仕方がなく、自宅療養の許可を出したのだ。これでも騒ぎを起こしてしまったことを反省して、出来るだけ人目に付くようにとか長時間の単独行動を禁じたりとか、私なりに気を使ってみたんだけど……。まぁ、それは置いといて、どっちにしてもわたしがじっとしていることはあり得ないことなのだが、少なくとも人様にあまりご迷惑をおかけしないようにという配慮の元での判断らしい。それでもタニーナは家路につく道を並んで歩いている間、何度も何度も「あたしがOKを出すまで家の中でおとなしくしていること」という約束を何重にもかけてくる。いわゆる外出禁止令だ。これでも本人としてはかなり譲歩したほうなんだろうけど、わたしにとっては拷問以外の何物でもない。

 あの家に居たって特にするってすることもないし、せいぜい本を読んでいることくらいのものだ。テレビなんかは学校に行っている時間帯以外はほぼほぼローズ専用になっているし、メトリオの日々の不満のはけ口にされるのもごめんだ。そもそもあの二人にはできれば会いたくはないのだ。タニーナもしばらくはWCDの兵士たちとの往診とかで忙しいらしく、帰ってこられるかどうかも分からないのだという。少なくともタニーナがいれば、メトリオがわたしに八つ当たりとしか言いようのない小言や愚痴をぶつけてきたり、ローズがわがまま放題することは少しは軽減されるはずなのに。

 あー、もう考えるだけでもう耐えられる気がしねぇわ。

 それに、あのバンパイアの安否も気になる。できればまた直接会いたい。結構話せばわかるって感じの奴だったし、乗り掛かった舟ってことでまだ身体が万全じゃないのならまた血を上げたっていい。……また貧血で死にかけるのはごめんだけどな。まぁ、今日一日くらいなら家にこもっていても平気だろう。わたしだってこの前のような騒ぎを起こしたくはないし、おばさんにもWCDの兵士たちや看護師の人たちにも悪いことをしたなという自覚があるから、一応はタニーナとの約束を守るつもりでいる。ただいつ終わるかも分からない無間地獄に耐えられる自信が限りなく0に近いというだけの話で。

 アスファルトで舗装された道路の上をおばさんが履いている、使い古されて灰色っぽくなっているヒールの踵がカツカツと鳴る音がリズミカルに閑静な住宅街に響いている。時折犬がわたしたちに向かってうるさく吠え立てたり、顔の小皺とそれを隠そうと厚ぼったくなってしまっているが、結局隠しきれれいなくて逆効果になってしまった化粧が嫌に目立つマダムの方々がご近所同士、仲良さげに談笑しているさまがやけに目についた。この間まで騒がれていたバンパイア騒動の件で不安と恐れと苛立ちに満ち満ちていた重苦しい空気が、まるで嘘のように平和な日常のを1ピースを描き出している。空もカラッと晴れていて、手を伸ばせばどこまでも突き抜けていきそうなほど澄み渡った青をしていた。

 町はずれにあるダン家の赤い屋根が見えてきたのはそれからしばらくしてからだった。青い空と背後に広がる木々を背景に立つ一戸建ての庭の広い家はぽつんと立った一人でいつものように主人たちの帰りを待っていた。


「冷蔵庫にケーキは言ってるから一つだけなら食べてもいいよ。ただし、それ食ったら大人しく部屋で寝てるんだよ、いいね?」

「分かったって」


 「家から出るな」「安静にしてろ」等など……。似たような単語が両手の指の本数を超えてくるほど連呼されると、流石に前科ありとは言え、寛大な私の忍耐も許容範囲を超えてそろそろ鬱陶しくなってくる。苛立ち交じりにわたしは了承をしながらも、高性能人型監視カメラと化し、わたしの一挙一動を注視しているタニーナの目線から逃れようと金属特有の冷たさを持つ土気色のドアノブを回し、家の中へと入っていった。

 タニーナはというと、わたしの送り迎えのためにだけ病院を抜け出してきたらしく、この後すぐに仕事に悩殺されることになっているらしい。……体、大丈夫か、この人?

 まぁ、気にしていてもわたしが同行できるわけでもない。というよりもわたしが一番彼女の仕事を増やしている元凶ともいえるのだから、タニーナのためにわたしが唯一取れる行動とすれば、言われた通りに大人しくベッドの上に横になっていることくらいのものだろう。粒の大きいイチゴが絞り出された生クリームの上に丸ごと乗っかっているショートケーキをのそのそとフォークで突きつつ、二階にある自室へと階段を上がる。 最後に残ったイチゴを一口で平らげると同時に扉を開け


 ――――――中に既に先客がいることに呆気にとられ、思わずその場に立ち尽くした。






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