第11話 少女とバンパイア その②
【視点:リン・ダン】
~間抜け地蔵とでも命名したらどうだ?~
後にそんな屈辱極まりない命名を付けられることになる、唖然とした私の面持ちは、三十秒ほどその場その状態で完全にフリーズしていた。現時点での私の体内時計からすれば、もっと長い気もしたんだけどな。
「随分早い回復だったな」
わたしの反応に大した感慨も見せず、さも当然といった風に、他人のプライバシーもくそもなく、わたしの机の引き出しを躊躇なく引き開けていく男、もとい、先日私がその命を拾い、そしてタニーナに自宅謹慎の言い渡される羽目になった元凶であるといえるこのバンパイアは端的に呟くようにわたしが部屋に入るなり、そう述べただけだった。
「な、何でここにいんだよっ!?」
「情報を得るために取りあえずあの森から最も近い距離にあったこの家に忍び込んでみたんだが、まさかお前の家だったとはな。いや、これだけお前の臭いが染みついていなければむしろそうとしか考えられないか」
わたしの驚きと怒りを完全にスルーして、バンパイアはぶつくさ呟きながら部屋を漁る手を止めようとはしない。ここは部屋の主としてガツンと何か一言物申すべきなのだろうが、あまりの出来事に思考がショートしてしまって何を訴えればいいのか全く思い浮かばなかった。というか、小学一年生児の私室に情報収集に役立つような物なんてあるわけないだろっ!せめてタニーナかメトリオの書斎に行けよ!
あー、何か、ツッコむ気にもならねぇ。こういう時はどういう対応すればいいのか、皆目見当がつかん。
だって考えてみろ?種族そのものが
(やれやれ……)
結局のところ、怒る気にもなれず、これみがよしにとばかりに肩を落として溜め息をついてみせるしかなかった。だが男は黙々と作業を続行しており、こちらを見向きもしなかった。
「っそれっ!!」
「ん?」
男が何を探っているのか、多少気になって手元を覗き込んでみたところ、後この腰元に
「な、何でこれがこんなところにあんだよ!?」
「この袋のことか?」
わたしの視線の先にあるものに気づき、男はところどころ泥が付いている薄汚れた茶色の麻袋をわたしに示すように軽く触れた。ひぃ!!何でせっかく捨てたもんちゃっかり拾ってんだよ、馬鹿!!その中身が何なのか分かってんのか!?いや、わかってねぇよな。分かってたらそんな阿保なことするはずね―もん。
それは先日、わたしが血に飢えて半分狂乱状態にあったこの男に襲われた際、咄嗟に投げた挙句突如大の大人の男、しかもバンパイアをいともたやすく吹き飛ばすほどの威力を伴う爆発を引き起こした途轍もなく危険な代物、つまり私がミトラの森でちょくちょく拾って集めていた例の光る小石がぎっしりと大量に詰め込まれた袋だった。だが今のわたしには、それはいつ大惨事を引き起こすか予測できない時限付き手榴弾にしか見えない。だから大丈夫なようにこの前捨てたのに~!!何でよりによって吹っ飛ばされた当人が拾っちゃうかな!?
「何だ?この中身が分かるのか?」
わたしの反応が意外だったのか、男が初めて軽い驚きを浮かべつつようやく盗人作業を中断してわたしの顔をまじまじと見つめてきた。
「は、早く捨てろよ!」
今ここで爆発でも起こされたら溜まったもんじゃない。
焦りに任せて叫ぶが、わたしの言うことの真意を理解できない男は不思議そうに小首を傾げるだけだった。
「なぜ?」
「いいから!危ないから!!」
「何が危ないんだ?お前、この中身を一体何だと思っている?」
「石だろ!?見た目はただの石だけど、いきなり爆発するんだよ、それ!!」
「何を言って……」
「あー、もう!貸せっ!」
「ちょっ、おい!」
わたしの異様な慌てぶりと突然の行動に男はついていけず、あっさりと麻袋をわたしに掻っ攫われる。わたしはそのままミトラの森が見える窓を乱暴に開け、袋ごと小石を捨てようとフルスイングする。―――――が、投げる途中、突然右手に乗っていた重量感が消えうせ、勢い余って思わず窓から身を乗り出してそのまま落下しそうになってしまう。
(落ちる!!)
顔面から落下していく恐怖に思わず目を瞑るが、それよりも早く背後から腹部に手を回され、危機を脱する結果となった。
「っと、……。あぶねぇ。どういうことだ?お前、源晶石について何か知っているのか?」
「げんしょうせき……?」
男から明かされた、聞き覚えがあるような、無いような、そんな単語を繰り返す。
互いに窓から身を乗り出したまま、男の腕の中で体を捻り、男の端正な造りの顔を至近距離から見上げた。バンパイア特有の白磁のように青白い肌、エルフと似通った尖った大きな耳、軽く後ろで一括りにしている漆黒の髪と同じく、全身黒ずくめのスーツを身に纏っている。赤い瞳はその涼やかな面立ちにおいて最も栄えがあり、その瞳に見つめられると、まるで
男は窓からずり落ちかけたわたしを部屋の中へと引き込むと、些か乱雑な仕草でその場に降ろした。というか、落とした。
「いてっ!」
「さっさと答えろ。さっきの言葉、爆発だとか言っていたが、あれはどういう意味だ?」
瞳に涙を僅かににじませながらジンジンと痛む尻を擦っていると、男は腰にまた危険物がぎっしりと詰まりに詰まった麻袋を下げつつ、怜悧な瞳で私を見下ろしてくる。
「そのまんまの意味だよ……。というか、覚えてないのか?」
「何を?」
覚えてないのか……。まぁ、あの様子じゃあ、はっきりとした意識があったかどうかも怪しいからな。
男の様子に、本当に覚えていないのだと理解し、わたしは仕方なく居住まいを正し、川をどんぶらこと流されていたところを助けてやったのに、血に飢えて暴走した男に襲われた挙句、その『源晶石』とやらで返り討ちにした経緯を包み隠さず話した。わたしが話し込んでいる間、覚えていないといったにも拘らず、まるですべて察していたかのように男は一度も取り乱すことも、口を挟むようなまねもせず、平静な態度で大人しく私の話に耳を傾けていた。そして全てを聞き終えると同時に静かにわたしと目線を合わすようにその場に膝をつくと、躊躇なく頭を深々と下げた。
「―――なるほど。状況が状況とは言え、悪いことをしたな。すまん」
まさか大の大人、しかもバンパイアから頭を下げられるとは思ってもみなかった私は虚を突かれてしまう。暴力沙汰より影での誹謗中傷など直接的なものは少なかったとはいえ、近所の子供たちやローズから石を投げつけられたり突き飛ばされたりすることあるにはあった。そこに向こうからの謝罪があった試しはなかったし、わたし自身もそれに慣れ、いつしか気に留めることもなくなっていた。それがわたしにとって当たり前の光景だったのだ。それゆえ、この男が何のためらいもなく自らの過ちを素直に認め、謝罪するといった行為はわたしにとって未知のものであった。それに加え、自分でも意外なくらい、あんなことされても全く腹は立っていなかったし、この男のことを怖いとも思わなかった。むしろ、出会ったばかりの二人の、二人だけのこの時間、この空間がこれまでになく居心地がいいとすら感じていた。
「い、いや!べっ別にいいよ、気にしなくて!今はもう何ともないし」
「だが、俺は二度もお前を殺しかけたんだぞ?人間の、しかもその子供とは言え、命の恩人にそのような無礼を働いたことは許されることじゃない。これは俺の意思がどうの関係なくそれなりの誠意を持って対応すべきことだ」
「むうぅ……」
そういうものなのだろうか?それともこのバンパイアが真面目過ぎるだけ?いつまでそうしているつもりなのか、頭を垂れたままの本人の口からそれがごく当たり前のことのようにそう言われると、どうしていいのか分からなくなる。
わたしからしてみれば、この男がとった行動はバンパイアとしてならごく当たり前の行為だし、逆に頭を下げる行為の方がおかしいとすら取れる。想像してみろ。わたしたち人間はいちいち獣を狩る時に「食べるために殺そうとしてごめんなさい」なんて謝るか?
「と、とにかく、わたしがいいって言ってんだからもう気にしなくていいんだよ!それに、この前わたしが血をあげすぎて倒れた時も、病院まで運んでくれただろ?」
「気づいていたか」
わたしの言葉に一息付けたのか、男はようやく面を上げた。そのどこまでも真っ直ぐな輝きを放つ高潔な瞳に射すくめられ、気恥ずかしくなってその視線から逃れるようにそっぽを向いた。
「まぁ、な。他に誰もいねぇし」
そこで初めて会話が途切れた。いや、普段誰とも会話なんてしないわたしからすれば喋りすぎて声が枯れるんじゃないかと思うくらいなんだけど。ダン一家との仲はそもそも最悪すぎてまず会話という概念すら生まれないし、よく通っている図書館でも一人を除いて、そこの司書や関係者などとはあまり話さない。その一人の例外も、あれは会話というよりも、どちらかというと近所のおばちゃん、おばあちゃんの一方的な弾丸トークに付き合わされているようなものだ。……見た目は十代後半から二十代そこそこといったとこの美人なんだけどな……。
「奴らは俺に勘付いていたか?」
沈黙も束の間、唐突に男が質問を投げかけてきた。
「奴ら?」
「WCDのことだ」
「あぁ…いや、そんなの分かんねぇよ。見てる限り警戒はしてるみたいだけど、別にこの町にバンパイアが入り込んでるって話は聞いたことないし……」
まぁ、実際は今目の前にいるんだけどな。とはいっても、今更この男のことをどうこうするつもりはさらさらない。ここまで来た以上、出来るだけこの男が安全にこの町を出られるようになるまで協力してやろうと思わなくもない。
そういえば、この男は本当にあの神郷町のバンパイア騒動に関わっていたんだろうか?この男を拾った時もかなりボロボロだったし、確かあの川は神郷町にもつながっていたはずだ。可能性としてはかなりの確率でありな気がする。前述に出てきた、顔見知りの図書館の司書から聞いた話だと、今回の騒動の種であるバンパイアの集団、『
「おっさんって、神郷町のバンパイア騒動で追われてここに来たのか?」
「だったら、どうする?それと俺はおっさんじゃない」
「だって名前知らないし」
この時になってようやく、互いに名前すら知らないのだと知った。
追われる身で果たして名前など教えてくれるのだろうか、という私の心配をよそに、あっさりと男は自らの名を口にした。
「―――――シカル・ロスだ。お前は?」
「リン」
ファミリーネームは告げず、名だけを名乗るわたしに、シカルと名乗ったバンパイアは自然な動作で右手を差し出してきた。その意図を察したわたしは、躊躇なくその手を握り返す。シカルの手はバンパイアらしく死人と同じように冷え切っていて、爪は今までに見てきたどの刃物よりも鋭く、皮膚に触れるたびにチクチクと針先が当たっているような感じがした。だけどわたしのことを最大限に気遣ってくれているのがあからさまで、十代にも満たない幼い少女の小さな手を握る細長くも大きな男の手はまるで綿でも掴んでいるかのようにどこまでも優しい触れ方だ。わたしはそこに、あるはずのない温度を感じたような気がした。
わたしがこの手に触れる感触を、そしてこの男自身を好きになるのに、そう時間はかからなかった。
* * * * * * *
【視点:シカル・ロス】
リン。
そう名乗った少女の手をそっと離すと、突如リンの体が体勢を崩し、その場に崩れ落ちそうになる。俺は自前の反射神経で難なくその小柄で華奢な体を片手で支え、抱き上げる。
「うっぷ……うぇ……」
先ほどまできゃんきゃん騒いでいた時とは打って変わって、今では大人しく俺にされるがままになっている。というのも、貧血の影響で吐き気を催しており、吐瀉物飲み下すのに必死なのだ。平気なふりを必死で装ってはいたものの、どうやら限界が来たらしい。こいつにはまだまだ問い質したいことは山というほどあったのだが、致し方ないだろう。日を改めてまたここを邪魔するとしよう。……それまでにWCDの手の者がここにまで来なければの話なんだがな。
ここ数日、出来うる限りで情報を集めてみたが、どうやら俺たちと先日渡り合ったWCDの軍勢の大半がこの三田市に駐屯しているらしい。その目的が主に重症者の治療なため、その大半が戦闘不能状態というのがせめてもの救いだ。見つかる前にとっとととんずらかりたいのは山々だが、武器も無い上に体力もいまだ万全を期してはいない。吸血量が足りていないのは火を見るよりも明らかなのだが、現状において迂闊な真似はできないため、どうしても必要最低限しか血を得られずにいる。今もなお軽い吸血欲に駆られており、腕の中で呻いている少女の首筋に、無意識のうちに視線が走ってしまう。
甘い誘惑が人間の何十倍も鋭敏な俺の嗅覚をくすぐるが、それを理性の力で無視し、部屋に内接されている簡素なベッドにリンを降ろす。その後もリンはしばらくの間、懸命に口を押さえ、嘔吐感を押し殺そうとしていた。流石にその様子にただ見ているわけにもいかず、結局はトイレに連れていく羽目になる。途中で何度か服には気かけられそうになり、冷や汗を流す羽目になったが、リンは最期まで健気に堪えてくれた。リンをこういった状況に追い込んだ張本人は俺なのだが、WCDの目を掻い潜ってようやっと新調した服をまたもや使い物にならなくなってしまうのはさすがにやるせないので彼女には感謝しなけばならないだろう。
出すものを全部吐き出したリンはまだ気持ち悪そうにしており、バンパイアである俺と同じくらい顔色を真っ青にしていたが、それでもなお自分の足で立ち、ふらふらとした足取りで壁に寄り掛かりながらも、自分の部屋へと歩き出そうとする。幼いながらに「己の面倒は己で見る」といった強い意志が前を歩く小さな背中にありありと描かれており、呆れとも感嘆ともつかない思いを抱かずにはいられなかった。バンパイアである俺に身を預けるのは確かにどうかと思わなくもないが、俺を危険視していない彼女なら「もっと頼ればいいものを……」と思わなくもなかった。
見た目はまだまだ家に居たとしても一人にさせるには心許ないくらいに幼過ぎるというのに、男勝りともとれる大人びた口調、バンパイアに対する知識や他人の意図や周囲の状況を即座に判断するといった明晰な頭脳、そして夜の闇に臆することなくたった一人で森を徘徊するような普通は考えられないような行動力を可能とさせる運動能力。どれをとっても年齢と能力が割に合っていない。確かに、バンパイアを救うなど幼さゆえの軽率な行動、安易な考えともとれるのだが、それを足したとしても評価に値するには十分すぎるくらいだろう。それに先程の『源晶石』に対する過剰な反応も気になるところだ。俺を助けたのも初めはやんちゃが少々行き過ぎた子供の気まぐれ程度の認識だったが、俺に止めを刺そうと夜な夜な舞い戻ってきたこと、そして結局のところ自らの腕を躊躇なく斬りつけ、その血を飲ませるといった行為を平然とやってのける辺りでリンという少女の規格外さを察するべきだった。まぁ、あの時は死にかけでそんなことに気を回す余裕もなかったし、ついさっきこいつに会うまでもWCDを警戒しながらも、服及び
最終的な結果としては、覚束ない足取りを見るに見かねた俺が問答無用で行き同じく部屋まで抱えていくことになったのだが。抱え上げた当初は「平気だから降ろして」などと強がりを言って見せていたのだが、どこから見ても大丈夫ではないので無視していると、どうやら体力の方も限界だったらしく、すぐにぐったりと俺に身を預けていた。本当に無理を押していたようだ。この幼い少女の何がここまでさせるのか。ふと少女の生い立ちが気になったが、所詮は人とバンパイア。一時の交錯以上の関係を持つとすれば、それは互いに敵対したときのみだ。そうと分かっていながら知る必要はあるまい。
じゃりじゃりと俺の歩みに合わせて音を鳴らしている『源晶石』が大量に詰まった麻袋にふと意識をやる。俺が落ち延びた川が流れる森の中を散策中に発見し、これだけあればしばらくの間、路銀には困らないだろうと思い、人前に出るのも憚られるために何とか金銭に替える伝手はないだろうかと模索していたのだが、先の反応を見るに、これの元の所有者は
俺の脳裏に、ある一族の名が過る。いや、考え過ぎだな。もうあの一族はWCDによって殲滅されたと聞いた。生き残りがいたとしてもそういった話はよくあることだから別に驚きはしないが、彼らがどんな
だとしてもどういうわけか、百云年以上生きてきた中で培われた俺の第六感が『お前はもう既に厄介事の渦中にあるぞ』と呆れかえっていたのだった。
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