第14話 狂気は嗤う
少女は笑む。
これからこの町を襲うであろう災厄を想像して。
少女は嗤う。
これから響き渡るであろう絶望を孕んだ嗚咽と断末魔の叫びを既に聞いたような気がして。
先程、飛行場から飛び立ったばかりの飛行船の一席に座している少女は、ワンピースのポケットに突っ込んだ手の中で弄んでいるスイッチを押した。その刹那、眼下の光景の数ヶ所から眩いばかりの赤い花が咲き乱れる。目を凝らしてみれば、もうもうと黒い煙を吹き上がらせ、凄まじい気負いで炎が吹き荒れていることが見てとれた。
それは既に町との距離が離れ過ぎ距離がているために、少女を除いて、他の客がそれに気づくことはない。いや、気づいていたとしても、只人にはどうすることも出来ない。逆に先ほどまで滞在していた町で今まさに起こっている惨劇に巻き込まれずに済んだことを安堵することだろう。
事が全てうまく運んだことを確信した少女は、何事もなかったように外を見るために窓にへばりつくような恰好を直し、分別をわきまえた子供のように座った。
「うまくいきましたわね」
突如、少女の隣に座っていた女が独り言のように話しかけてくる。
ハッとするような美貌に加え、思わず唾を飲み込みそうなほどにグラマラスな体型をしている。「絶世の美女」とはこの女の為にあるようなものだとさえ言えよう。だが先程からそのきめ細かなシワひとつない白い肌は1㎜とも動く気配を見せず、口先だけがまるで別の生き物のように動いているといった挙動には全く人間味を感じられず、この女の本性を知っている少女にとってはただただ薄気味悪い奴の一言に尽きた。
「えぇ。これで、『あいつ』もきっと浮かばれるわ」
少女は窓際に肘を突きながら、形のいい薄桃色の唇をキュッと引き結ぶ。彼女もまた、愛嬌こそ足りないものの、将来性の窺える愛らしい容姿をしていた。
「我が主もきっとお喜びですよ」
「それはどうでもいいわ。にしても、あたしが言うのもなんだけど、あんたの主君とやらは随分とゲスイ趣味を持っているのね。町の発電所を全部ぶっ壊せだなんて。運が悪けりゃあの町、今日中に砂に帰ることになるわよ?」
微塵も罪悪感を感じていない様子の少女は明るい茶色の光彩を放つ大きな瞳で不機嫌そうに隣に座っている感情のない
女は視線の先を前の座席に固定させたまま、少女のあどけないながらも鋭い眼光を粛々淡々と受け止めた。
「大丈夫ですよ。この近隣にブラックリスト指定生物がいないことは既に把握済みですし、あそこにはWCDもいます」
「一体、あんた達は何が目的なの?」
畳み掛けるように少女は質問を繰り返すが女は相も変わらず無感動に唇だけを動かす。
「残念ながら、その件に関しては申し上げかねます」
「あっそ。まぁ、どうでもいいわ。それより、約束はちゃんと守ってくれるんでしょうね?」
「勿論でございます。我が主は義理堅いお方。相手が誰であろうと、嘘偽りを申し上げるようなことは致しません」
「その割には姿を見せないし、目的も何も明かさないけどね」
「そういうのを、『誠意がない』って言うんじゃないかしら?」と女の台詞を嘲笑してみせる少女に、女は無言を返す。だがその次の瞬間、くぐもった悲鳴を上げながら少女は自身の首に手をやった。頬を上気させ、苦悶の表情を浮かべて首を掻き毟るその様は、まるで首に巻き付いた何かを必死で外そうとするかのようだ。
「どうかされましたか?」
異変に気付いた乗務員の一人が心配そうに声をかける。だが女はそれに何事もないと優雅に首を振った。
「菓子を喉に詰まらせてしまったみたいでして……何か、飲み物でもいただけないでしょうか?」
「少々お待ちください」
そう言って足早に立ち去っていく乗務員を尻目に、悶え苦しんでいた少女の首に巻き付いていたそれはするすると元の定位置に戻っていった。とはいっても、他人にはそれを視認することは不可能なために、それが一体なんだったのか把握することはおろか、その存在すら認識することさえできないのだが。
ゲホゲホっ!と激しく咽た後、ようやく自由に吸えるようになった空気を、少女は思う存分荒い息で吸った。
「口を慎みなさい。それとも、今この場で殺して差し上げましょうか?」
依然として、中空に視線を漂わせ、何事にも興味なさげな
「……分かったわよ」
ようやく呼吸が整い、絞められた箇所を手で擦りつつ苦り切った表情で少女は白旗を上げた。
(……シカル……)
既にこの世にはいない存在に想いを馳せ、少女はまた窓の外を見る。今度は眼下の景色ではなく、天を見上げた。まるで自分の思い人の影を探して求めているかのように。
* * * * * *
それはあまりに突然だった。
突如町で唯一の発電所の一部が業火を伴った爆風を噴き上げたかと思うと、非情にも建物の敷地内外ばかりでなく、運悪く近くをうろついていた人々までもを巻き込みながら、次々に発電所の建物を破壊していった。
運よく爆発に巻き込まれなかった人々は皆一堂に唖然とした面持ちで、何が起こったのか理解できないでいた。そして徐々に状況を呑み込んでいったかと思うと、今度はそこかしこから悲鳴、嘆き、驚愕、怒号など、様々な意を含んだ叫び声が上がる。
そんな状況下にも拘らず、悲壮な雰囲気を纏わぬ異質な女がパチパチとあちらこちらから炎が爆ぜる音を立てている発電所の残骸を見上げていた。
混乱のせいで、女が口元に忍ばせている無邪気な笑みには誰も気が付かない。金と紫紺といったそれぞれ違った色の双眸を持つ変わった瞳には悪戯を成功させた子供のような喜悦が浮かんでいた。
「マリア様、あの娘とメイリーを乗せた便が無事出立したそうです」
背後で影のように付き従っていた女が、石像のようにその場を動こうとしない、マリアと呼ばれた女の耳元で囁く。
「分かった。なら、後は高みの見物としようか」
「はっ」
マリアの一言に、女は周囲の目を引かない程度に頭を下げた。それはまさに己が主君にする臣下の礼であり、それが当然、それがごく当たり前であることが窺えるぎこちなさの欠片もない慣れた動きだった。
パニックの中、不思議なほどに誰にもぶつかることも歩行の妨げにも合うことなくマリアに女が付き従う形でどこぞへと向かって歩いてゆく。歩きづらそうな踵の高いハイヒールを履いているとは、俄に信じがたいほどにすいすいと二人は人混みの中を進んでいった。
「そう言えば、リョウからは何か連絡はきたかい?」
唐突にマリアが口を開いた。それに対し、女は待っていたかのように淀みなく受け答える。
「はい。やはり、プランAの実行は困難とのことでプランBに移行したいとの要請が先ほど入りました。いかがなさいますか?」
「んー、それはそっちに任せるわー。でも失敗だけはしちゃだめだよ?」
「御意。今のところリョウとの
「あっそ」
質問した当人でありながらも、マリアの反応は実に稀薄で、心底どうでもよさそうな間の抜けた返事だった。
「りょーかい。なら今どこで何してるか聞いてみて」
「かしこまりました。しばしお待ちください」
すると女は、今度は何やら目を閉じると、中空に向かってぼそぼそと語り始める。一見すれば奇妙な行動に見えるが、何をしているのか、その訳を知っているマリアは何も言わない。
「―――――マリア様、あのバンパイアがリンと共にこちらへ向かう素振りを見せているのですが、今すぐにリンと接触しますか?それとも奴の目が離れる隙を窺いますか?」
「リン」という言葉に、初めてマリアが反応した。
実に興味深げに瞳を爛々と輝かせながら彼女は部下を振り返る。
「へぇ、そうなんだ。もう起きて大丈夫なのかな?まぁ、そのつもりで色々準備したんだから、そう来なくっちゃね」
年甲斐もなくはしゃぐその風体は、まさに少年そのもの。
自身の目論み通りに事が進んで気を良くしている主君に、今一度女は確認を取る。
「マリア様、どうなさいますか?」
「うーん、どうしよっかな~?どっちにしても面白そうだけど……。うん!よし、決まり!じゃあもう接触しちゃっていいよ!やっちゃって!そうと決まれば、とっととボク達は舞台裏に引っ込むとしよう。良い観覧席が見つかるといいな~」
次第に近づいてくるサイレンの音を耳にしながら、マリアと彼女の影のように付き従う女は現在進行形で起こっている大惨事とは全く不釣り合いな陽気を持った足取りで雑踏の中へと姿をくらませた。
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