第一話 蜃気楼  その7 或いは1


 あるいは血なのか。

 顔に伝わる冷たい液体。独特なにおい。鼻が曲がりそうではないにしても気持ちのいいものではない。



 なぜか振り上げていた腕を俺は下した。ピチャンっと何かが飛び跳ねる音が聞こえた。



 すごく眠い。いや、眠いのは体か?脳は起きようとしている?

 違う。

 そうだ、昼から何も食べてない。


 いや待て待て。うどんに顔どーかんで悲しみのしょんぼりで俺は食堂からでたはずだ。ということは朝から何も食べていないことになる。そりゃ体はデモを起こすがごとく、いやこの場合はストか?


どっちでもいい!っと心の中でセルフ突込みを俺は入れると、重たい瞼を開けた。っと思ったが開かない。


なぜ瞼があかない?

開けれない?

開けたくない?

開けれない?


 それでも開けなければと、俺は思った。

 光が自分の中に射した。が、思うように取り込めない。落ち着いて何度か瞬きをするとうまく光を吸収できた。そして、手で顔を拭おうとしたがうまく動かすことができず、先ほど振り上げていた拳を下ろしたのは自分の意志ではなく、もしかしたら勝手に落ちたのかもしれない。


 兎に角、体全身がむずむずする。まるで体を動かしたくてたまらないかのようだった。深呼吸をして小指をまず動かそうとしたが、ちょっとまてと。呼吸はどうやらできているようだ。息ができるのなら、いつでも空気を思いっきり吸えるのなら、焦る必要はない。


 俺は、小指に全神経を向けた。もちろんこれは言葉の比喩で、実際は集中できているのかさえ定かではないが、何とか小指を動かそうと力んだ。口を開けて歯を食いしばり、僅かに声が漏れた。それはまるで、産声のようだった。


 叫んでいた。


 体全身から声を発した。声にならない、言葉になっていない叫びを、俺は発し、全身に血が通っていくのが脳を伝わって、魂を震わせた。生きていると実感するには十分だった。


 瞳はやがて色を識別し、取捨選択をし始めた。やがてそれは俺の目の前にいるのに気づくのにそう時間はかからなかった。


 目の前に骨?がいる。犬のような牛のような、人間ではない頭蓋骨が何もない空洞の目で俺を見ていた。まるで、その空洞はアビスだとアピっているように感じたので(本当は怖いと感じたのを誤魔化すように頭の中で茶化した)、俺は早々に退散したいと思い体を動かすと、ふわりと体が浮くように、まるで俺鳥になってるよ!っと叫びたいくらいに体が動き、目の前の頭蓋骨から逃れ、自分が安全だと感じる場所まで距離をとった。


 そこにいたのは頭の骨だけではなく、無理やり巨大な犬のような骨が立ち上がっていた。背骨は折れてしまうのかと思うほど異様な曲がり方と、異様に長い手に短い足。これは犬じゃねえなと思った。

 

 うん。こりゃ、化けもんだな・・。俺は思いながらも、そんな納得したくねえなあと嘆いた。


 秋の夜風のように嘆いていると、後ろから人の気配がして後ろを振り向いた。


 胸のでかい美しい少女が俺の後ろにいた。もしかして、ここは楽園か。そしてあの化け物はもしやこの可憐な少女のちょっと背伸びした愛玩動物ではないのか。まあ、どうみても愛玩化け物だが。

 俺が馬鹿みたいに口を開けて女を見ていると、最初は俺に驚いている様子だったその女が段々と目じりが吊り上がっていく光景に、俺は不思議に思い片方の口端が上がった。


「ちょっとなんなのあんた!なんで生きてんの!?ていうかどうしてあんなに血が出たのにどこもケガがないというか・・。そもそも体中濡れてはいるけど汚れてないってどうゆう事よ!全然汚れてないじゃない!意味わかんない!とにかくね、あの化け物が何とかしなさい。あれだけ血が出たのに生きてるなら、あんたも化け物みたいなものなんでしょ。さあ!なんきゃあ!」

 うむ・・。良いな。


「あんたどこ触ってんのよ!!殺されたいの!!いえ、後で殺すわ!いますぐにぃ!」

「まあ、おちつけよ」

「あんたが落ち着かせてないんでしょ!」

 水石琉子が言い終わる前に俺は琉子の体を手で倒し、その勢いでその場を離れた。

 そして掠める巨大な手。

「あぶねえ」

 俺は息をのみながら白いパンツの水石琉子に言った。

「あいつを倒すには祭器ってやつが必要なんだよな」

「そっ、そうよ」

 返事をしながら琉子は倒れたまま、器用に部屋の隅に移動した。



「えーっと・・、名前。えーそうだまぬこ!」

「マヌエラだバカモンが」

 ずっこけて机の上から落ちそうになるのを堪えながらマヌエラは返事をした。

「何とかしろマヌエラ。お前は天使だろ?」

「天空の戦いでの天使はただのお飾りだ。無茶を言うな」


「奇跡だ。奇跡を起こせ」


「人間が天使に奇跡をせがむ。まっとうな姿だ!」

 マヌエラは叫ぶと俺に何かを投げる。

 俺は水石と同じく骨と距離をとりながらその何かを受け取った。

「青いワッペン?」

 俺の手の中に、勇ましく荒々しい青い羽のデザインが施されたワッペンがあった。


「後はお前次第だ。茜達弘」

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