第一話 蜃気楼 その2
学校のグラウンドの隅にある水道で顔を洗った。
勢いよく蛇口から出る水を見つめる。俺はその勢いに身をゆだねるように、腰を下ろして前屈みになり頭から水をかぶった。
冷たい流れが頭を包み込み、あっという間に頬を通り過ぎて排水溝へと吸い込まれていった。
制服が濡れるのを嫌い、蛇口をすぐに閉める。鼻の先から水滴が何粒も落ちていく。そのさまをじっと、わずか数秒だが目で追った。ふわふわと形状を愉快に変えながら、その一瞬は様々に景色を映し、やがてコンクリートに弾ける。砕かれる水の球は、とても穢らわしいと思った。
「見つけたー!」
金切声のように頭痛のする声が後ろからすると思うと、背中に水の弾力さとは明らかに違う何か二つの何とも言えない弾力と圧力が背中に覆いかぶさった。
「重い」
「軽い!」
たまらず声を漏らすと刹那に返答が返ってくる。
前に転びそうになるのを何とか耐え、俺は後ろに覆いかぶさっている物を強引に振りほどき、姿勢を正した。
「何かようか」
背中に意識が集中しそうになるのを悟られまいと、抑揚のない表情で俺は言った。
「べーっつにー」
にこにこと愛嬌を振りまきながら、同級生であり幼馴染でもある水石琉子は言った。
俺はハンカチを取り出し、できるだけ使われていない場所で顔と短い髪に纏わりつく滴を拭い、その場を立ち去ろうとした。
「ちょっとどこ行くの!」
ハンカチをポケットに戻しながら、俺は困惑した表情で返答した。
「ようはないんだろ?」
「ないけどさ、しょんぼり食堂から出ていくの見てしかたなく来てあげたのよ」
少し気まずそうな表情を作りながら水石は言った。
「なるほど」
俺は顎を親指と人差し指で支えるように触れた。
「で、最近どーなのよ」
「どーって?」
「ケガとかしてないのかって聞いてるの」
心配そうな表情を作りながら、水石はいつのまにか取り出した可愛らしいハンカチで拭いきれなかった俺の濡れた髪の毛を拭いた。
「どこもケガはない、大丈夫だ。気を遣わせたな」
俺は拭いているハンカチを止めようとしたが、当然といえば当然だが水石の手をつかむ格好になった。
水石琉子の瞳は驚いたように視線を俺と合し、表情もどことなく強張っていた。何か言おうとしたが、ふいに前髪から残された水滴が交差した視線の間に落ちた。滴は禍々しいほどに広がる青空と、迫りくる大地を交互に映し、やがて大地に落ちて弾けて消えた。
軽い衝撃が頭の後ろからあり、目が覚めたように俺は水石の手を放し、水石はわずかに顔を赤らめながら手を引っ込める。
「茜!」
ぶっきらぼうな声が聞こえ、水石琉子の風になびく長髪が本来の場所に戻る頃、尖らせた短い髪の男が歩みを止めずに背中を見せながら鋭い眼光を覗かせる。
「放課後、河川敷で遊ぼうぜ」
そう吐き捨てながら片手をわずかに上げると、返事を待たずに立ち去って行った。
「森島か」
遠ざかっていく森島和人の後姿を見ながら俺はつぶやいた。
「何なのよあいつ!」
両手でハンカチを乱暴に握りながら水石は言った。
「いいわね、茜。あんな奴の言う事は放っておけばいいのよ」
「なぜ?」
俺の返事に水石琉子は素っ頓狂な顔になる。
「なぜって・・。あのね、あいつがあんたを虐めてる主犯格じゃない。わざわざ言うこと聞く義理はないわ」
「あいつは俺の友達だ。友達なら遊ぶ約束をするのは自然の流れだ」
俺の言葉に水石は頭を抱えるポーズをする。
「あんたね・・。被害者意識が足りなさすぎるわよ相変わらず」
「そうかな?」
俺は呆れる水石に返答をしながら、先ほど自分の髪の毛から滴り落ちた湿った跡をふと見た。やはり汚いという言葉が頭の中を穢らわしくよぎった。
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