第一話 蜃気楼 その9 或いは3
化け物を倒した俺は、白髭の男に顔を向ける。垂らしていた血は止まったようだが表情はずっと変わらない。
「化け物は倒したぞマヌエラ。こいつとはどうする?」
「どうもしなくていい、そう焦るな。お前は勝ったのだ」
マヌエラの言葉に俺は苛立ちをぶつけた。
「勝っただと?いったい何に勝ったんだ。悪魔か?天使か?このおっさんか?或いは・・」
「だまれ達弘。もう帰るがいい。元の場所へとね」
俺はマヌエラを問いただそうとしたが、何かが倒れる音が聞こえ後ろを振り返ると水石琉子が部屋の隅でうつ伏せに倒れていた。そしてまた音が聞こえ、白髭の方を向くとその男も同じく倒れていた。まるで急に意識を失ったように、ピクリとも二人の体は動いていなかった。
「おい!いったい何をした?」
怒りと焦りの混じった声で言ったが、帰ってきた言葉は俺と同じく驚いた声でマヌエラは返答した。
「どうしてお前は眠らないんだ」
乗っていた机から降りると、マヌエラは冷たい視線を俺に向ける。
「眠らない?当たり前だろ。眠たくないんだから。それよりこの二人どうなってんだ。・・まさか寝てるのか」
俺の言葉に最初マヌエラは目を見開き驚愕した表情をしたが、すぐにそれは笑みへと変わり、机と椅子の残骸と、パーティションに区切られただだっ広い部屋の中で笑い声を響かせた。
異様で、耳障りが悪く、不気味な時間だった。笑い終えるとマヌエラは言った。
「心配無用だ。とにかく、お前は勝ったのだ。もっと喜んでいい」
「意味が分からないぞ」
「では帰ろう。お前の巣にな」
マヌエラは両腕を大げさに開いて言った。俺は意味が分からず冷めた口調でしゃべろうとしたが、口を開いた言葉は音を奏でなかった。
恐ろしいほどに大量の白い羽がマヌエラの背中から現れたかと思うと、それは巨大な翼に形作られた。まるで一つの美術作品のようだった。
俺はポカンと口を開いているとマヌエラの幾つもの羽根は川の流れるせせらぎのように、統制された動きで窓の外に出ていき、そしてマヌエラの体は次第にゆっくりと浮いた。
羽が完全に消えた天使は飛ぶ。まるで皮肉だった。翼がない鳥は飛べない。飛ぶためには代替品が必要だ。そのために、鳥は飛ぶために天使になったのか。
マヌエラは俺と視線を交差させると、急速にこちらに飛んできた。いや、飛んできたというよりは飛び蹴りをかましてくるような姿勢だ。俺の顔は腹の痛みに思わず醜くゆがむ。涙が瞳から離れる頃には俺は再びビルの外へと、町を見下ろす上空へと追いやられた。
「何・・しやがる!」
「感謝したまえよ。天使の祝福を存分に堪能できるのだから」
俺はマヌエラに抱えられ、空を飛翔していた。つまり、お姫様抱っこの状態で運ばれているのだ。
「冗談じゃねーっつーの」
顔を真っ赤にして暴れると、マヌエラは俺を軽く放り投げて片手だけを掴み宙吊り状態にさせた。
「このままで行ってもいいんだがな。さぞかし快適だろうね」
「わかったよ・・降参だ」
俺は白旗を上げる代わりに弱腰の声で言った。するとすぐにマヌエラは俺の体を再び両手で抱えた。
「余計な手間をかかせるねえ」
「これで高所恐怖症になったら恨むからな」
「情けない男だ」
「マヌエラ」
俺は遠くを見る。
「何だ。まだ文句が?」
「茜達弘は・・俺はどうなるんだ」
僅かな沈黙。
「心配するな。ただお前は、自分らしく生きればいい。神事としての剣士として、お前は選ばれている。だが深く考えるな。今日みたいに戦って勝て。ただそれだけが、お前の役割だ。神事とは、戦いである。この世に争いは許されない。お前がやられていた喧嘩とは違うぞ。命の取り合いは、この世に存在しない。あるのは神事としての戦いだけだ。お前は、天空ビルで神に戦いを捧げるのだ。だが油断はするな。神事の戦いにおいてだけは、命を取り、命を取られることは許されている。魂を磨け。それが今私ができる唯一の助言だ」
俺は黙って遠くを見つめた。返答はしなかった。自分がこれからどう生きるか。それはまだ何も思い浮かばなかった。ただ、マヌエラの助言は頭の隅に置いておいても損はないと思った。
「さあついたぞ」
住宅街にある一角の家の前でマヌエラは降りた。
その家の表札には茜と書かれていた。ここが自分の家というのに何か違和感があるのと、記憶の一致はとても不思議で、だからかとても不気味に思えた。
「そういや、あの二人は?」
「心配するな。すでに奇跡は起きている」
「奇跡?」
「無事に家に帰っているっということだ」
「そうか。ならいい」
俺は言うと家の玄関の門を開けた。キーっという音が鳴る。
「マヌエラ、色々と礼を言うよ」
「それを言うならありがとうでしょ」
「ああ、そうだな。・・・・ありがとう」
「何か照れるね。じゃ、もう夜も遅い。ゆっくり休め」
マヌエラは飛び上がらずに歩いて俺の前から去った。なぜ飛ばないのか疑問が残ったが何か決まりでもあるのだろう。何せ神事とかいう面倒な行事が世の中にはあるのだから。
俺は玄関のドアを開けた。
その玄関からは、ドアの空いたリビングが月の明かりとともに覗くことができた。
「なんでお前が」
リビングの大きな窓のそばに、あの天空ビルでいた白髭の男が立っていた。
白髭の男は俺の声に反応するように振り返ると言った。
「おかえり」
そう言い終えた白髭の男はまた窓に体を向けた。
数秒の間とともに、俺は条件反射のように口を開いていた。
「ただいま。父さん」
第一話 蜃気楼 終わり
心優しいKENSHI SONO KOBUSHI WO FURIAGERU
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