第一話 蜃気楼  その6


 美しい夜景が、醜く歪む。

 歪みにつられ、俺は顔をわずかに傾かせた。


 外を映す壁一面の窓は、渦巻に巻き込まれたように景色を汚す。


「やめろ!」

 いつのまにか、俺は自然に叫んでいた。

 ついさっきまでとても綺麗だったものが、醜悪に溶けて一点へと集約される。

 


 突然の轟音。



 机や椅子、それを区切るパーティションをなぎ倒し、マヌエラがいる目の前でそれは止まった。



 窓が突然割れ、人間の何倍もあろうかと思われる大きい骨の巨体が現れ、白髭の男と俺の間を無様に倒れこみながら、マヌエラの目の前まで勢いに任せてそれは放り込まれた。



「もっとスマートに呼べないもんかね」

 割れた窓から流れ込む荒々しい風に長髪をなびかせながら、マヌエラはため息まじりにつぶやく。


 俺は窓から突然現れた骨の巨体を眺めた。

 顔は牛の顔のように細長く、悪魔のように禍々しい二本の角を伸ばしていた。異様に長く細い背骨だけの体に、両手もまた細長く、人間の手のひらのように指は繊細だが、鋭い爪が汚らしく伸びている。そして足は、その巨体をとても支えれるとは思えないほど小さなものだった。



「ちょっと・・ほんとに私のミコは祭器も何も持っていない達弘なの」

 悲痛な声を水石琉子は吐露し、それに爽やかな笑みでマヌエラは答えた。

「そうだよーん」

「ジョーダンじゃない!!何で私のミコがこんなきもくてひ弱な奴なのよ!私はまだ・・何も手に入れてないのよ!幸せな人生設計のために子供のころから祭司の勉強をどれだけやってきたことか!周りの奴らが遊んでる間中ずっとよ!その努力が・・水の泡に・・」

 喚いている水石琉子を俺は振り向いて見た。今まで見たことがないほどの動揺と焦りを露わにしていたが、今までの自分とのコミュニケーションがとても演技がかって見えていたので、今の姿の方が素直に捉えられた。


 巨大な骨の化け物が動く。頭が天井にぶつかり、周りの照明器具が揺れていくつか床に落ちる。



 俺は落ちてくる物を避けようとしてバランスを崩して尻餅をつき、気配を感じ真上を見上げた。丁度骨の巨体の頭が目と鼻の先にあった。体は異様に丸まり、まるで巨体のお腹の中にいるような形になっていた。そう、言うなれば母体の子宮の中にいるような。愛情さえも、俺はこの恐ろしい骨の巨体から感じ取っていた。


 長細い手をうごかし、俺の体にその指を縫うように、巨大な化け物はゆっくりと這わせた。そして、俺の左目にその鋭い爪を近づけた。


 

 暗闇だ。

 赤い暗闇だ。

 


 痛みが頭を襲った。気が狂う。唾が口から垂れる。先ほどまで割れた窓からの荒々しい風も冷たいとは感じても痛くは感じなかった。だが今はその風も体に当たると突き刺さるように痛みを感じた。両手で左目のあたりをまさぐるが、何か固いものを見つけてもぬめぬめとした感触でまともに触れず滑り続けた。そしてみつけた 。まだ濡れていないところを見つけてその形を確認するように何度も触った。硬い。硬い何かの球体だ。痛みが延々と襲い続ける。とても絶えられない。耐えようとして球体を強く握りしめた。ギリギリと。強く。ギリギリと。自分の命を握り締めるように。


 

 ずっと握りしめていた。割れない球体を。

 しかし、すぐに球体は砕け散った。まるで玉子だ。力加減を間違えて勢いよく中の命だったものが飛び出すように、それは俺を覆った。



 ふと昼過ぎにあびた水を思い出した。それとは違ってとても温かかったが、頭はおぼろげになり、思考は消えた。


 消えた?

 違う。

 

 今。

 現れたのだ。

 この瞬間、俺は生まれたのだ。


 この、天空ビルで。





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