●五月二十三日 午後七時四十七分 合コン開始(四十分経過)
店に来るまでの間僕が考えていた通り、合コンはひどい有様となっていた。
トッシーが予約したお店は創作料理の飲み屋で、シーザーサラダとサーモンのカルパッチョから始まる、よくありそうなコース料理が今はテーブルに並べられている。
多少騒いでもいいよう、座敷の個室に案内されてからの自己紹介で相手側、サブカル系女子が南野 千恵子(なんの ちえこ)、清楚に見えた女性が尾野 喜代子(おの きよこ)というフルネームがわかったまでは良かったものの、僕の自己紹介ではトッシーとヤスからだけではなく、千恵子さんからも硬すぎるとツッコミを受ける好調な滑り出し。トッシーは遅れてくる女性が巨乳と知るやいなやテンションを上げ、ヤスは喜代子さんにいいところを見せようとしたのか、弱いのにもかかわらず酒をガンガン飲み、早々にダウン。僕はというと、遅れてくるもう一人のために料理を取り分けつつ、倒れたヤスを喜代子さんと一緒に介抱する謎事態となっていた。
僕ら側がこんな状態なので、喜代子さんはいいとして、本当にいいのかは知らないがヤスを意味ありげに微笑みながら見ているので辛うじていいとして、千恵子さんは自分に興味が無いことが見え見えのトッシーを相手に、終始イライラしている。終いには逆ギレ気味に僕へ自分のことをチエさん、喜代子さんのことをキヨさんと呼ぶように命令するなど、この場が混迷を極めすぎて、逆に僕はこの状況を冷静に客観視出来るようになっていた。
チエさんがトイレに立ったのを見計らい、安心しろとか宣っていた二人を後で張り倒すことを心に固く誓いつつ、僕はトッシーのグラスにピッチャーでビールを注ぎながら、小声で話しかけた。
「……おい、トッシー」
「おお、トシ! 楽しんでるか?」
「楽しめるか! 人を店員みたいに使いやがって。それより、どうすんだよ。チエさん、お前の態度に露骨に機嫌損ねてんじゃんか」
「あぁ? そう思うんならぁ、お前が相手してやれよぉ」
「なら僕の代わりにヤスの介抱と、追加の注文まとめるのやってくれよ!」
「トシ、お前さぁ~。そういうところがカテぇんだってぇ」
そう言ってトッシーは、僕の肩に手を回す。お酒が入っているためか、トッシーの腕をやけに熱く感じた。
「もっと気楽に行こうぜぇ、トシ。自分に忠実になりゃぁいいんだよぉ」
「……そう言われても」
言いよどむ僕を横目に、僕が継いだビールをトッシーは一気飲みし、酔っぱらい特有の息を吐いた。
「『普通』の男だったらぁ、乳に目がねぇのは当然だろぉ? でけぇのにこしたこたぁねぇだろぉ?」
「……待て、トッシー。その『普通』の男に僕を含めるな」
「なんだぁ? トシは小せぇ方がぁ、いいってんのかぁ?」
「違う。そうじゃない」
首を振った後、僕はトッシーに持論を展開した。
「『普通』の男は大きい胸の女性が好きだ、という前提が間違っているんだ。そうじゃない。そもそも『普通』の男は、女性の胸が好きなんだ」
「……なるほど。好きなモノがたくさんあれば、それだけ嬉しいってことか!」
そう言ったトッシーの目には、ただの酔っぱらいではなく、理性の炎が灯っていた。何でだよ。
「ともかく僕が言いたいのは、その好きってやつは、コーヒーに入れる砂糖みたいなもんなんだよ。で、世の中の『普通』の男性は、まぁ甘党が多いってわけ。でも、砂糖が多少入っていなくても、苦いコーヒーでも、苦かろうが甘かろうが、飲めるものは飲めるだろ?」
「でもさ、トシ。やっぱり俺は、甘いのが好きなんだ! そこだけは譲れねぇんだよっ!」
「何でそんなに必死なんだよ……。っていうか、女性の方だって、盛ろうと思えば盛れるだろ? 見かけ上の砂糖の量だけで判断したって、実際にその甘さを持っているかどうかなんて、飲んでみなければわからないじゃん」
そして飲めるということは、つまり、その、なんだ。まぁ、そういう関係になっているわけで、今更甘さがどうだとか言っている場合ではないはずだ。
だから僕としては、『普通』の男性が、いちいち砂糖の量にこだわる理由が、よくわからない。飲んでみて苦かったからやっぱり止めました、ってのは、流石に違うと思うから。
僕の話を聞いたトッシーは、なるほどな、と頷いた。
「つまり女の子のおっぱいは、シュレディンガーのおっぱいなわけだな?」
「お前は今すぐ、世界中の物理学者に土下座しろ」
そんな量子力学的な思考実験を、おっぱいでするんじゃありませんっ!
そう思っていると、チエさんが花摘みから返って来た。
「おかえりなさい、チエさん」
「ただいま~、トシ。ほら、トッシーお待ちかねの、アキちゃんですよー」
トッシーを冷たい目で一瞥したチエさんの言葉からすると、遅れてきたもう一人が到着したらしい。やがてチエさんの後ろから、一人の女性が部屋に入ってきた。
「遅れてきてすみません。能美屋 亜希(のみや あき)です。よろしくお願いします」
思わず身を乗り出すトッシーを尻目に、僕は能美屋さんに目を向ける。
能美屋さんは肩まで伸ばした茶髪をゆるく、ふんわりとパーマをかけており、ヴィンテージドレスのような薄茶色のダブルガーゼワンピースを着ている。アンティークデザインのそれに真っ白なペチコートを合わせた、森ガールといった装いだ。
「初めまして亜希ちゃん! 俺、トッシーって言います! 気軽にトッシーって呼んでねっ!」
甘さはトッシーの好みに合致していたのだろう。元気に右手を上げたトッシーは、自己紹介になっていない自己紹介を始めた。
当の亜希さんはと言うと、事前にチエさんから聞いていたのだろう。ああ、こいつか、と言う目を一瞬だけトッシーに向けた後、完璧な作り笑いを浮かべる。
「トッシー、こんばんは」
「いいね、亜希ちゃん! 俺、変態だからそういう白い目で見られると興奮するぜっ!」
気づいてたのかトッシー。っていうか、最初の自己紹介の時から引かれてたぞ、その自称変態は。
しかし酔っている勢いで押し通すつもりなのか、トッシーはそのまましゃべり続ける。
「向こうでぶっ倒れてるのがヤスで、このポロシャツが異様に似合うのが、トシで~す!」
「あ、やっぱりトッシーたちもそう思ってたんだ。私も最初会った時、トシってポロシャツ似合うなぁ、って思ってたんだよねぇ~」
マジですかチエさん。トッシーとヤスにだけでなく、こうして他大学の人からも言われると、やっぱり自分ってそういう顔してるんだ、ということに改めて気付かされる。その気付きだけが、今回合コンに参加した僕にとって、唯一の収穫になりそうだ。
トッシーが尚も果敢に話しかけるも、能美屋さんはトッシーから隔離され、僕の隣に座ることになる。チエさん的にはもう今回の合コンは諦め、誘った友達への被害を食い止めることに専念することにしたらしい。
座敷は六人部屋で、テーブルを挟んで三席並べられている。席は部屋の入り口から見て、右側が空席、僕、自称変態が座り、左側にはヤス、キヨさん、チエさんが座っており、能美屋さんは僕の隣の空席に座ることになった。
僕越しに変態が能美屋さんに話しかけるのをウザがりながら、僕は能美屋さんへ予め取り分けておいたコース料理の皿を差し出す。
「はい、これ。今まで来た料理ね。飲み物は何にする?」
「ありがとう。えっと……」
「変態が言ってた通り、トシでも何でも、好きに呼んでくれて構わないよ。あ、僕の名前は山内敏夫ね。よろしく」
飲み放題のメニューを渡しながら、散々硬いと言われた自己紹介を簡略化して済ませておく。これに大学名と学部と学科を付け加えると、硬いらしい。合コンの作法は、よくわからない。
能美屋さんはメニューを受け取ると、小さくクスっと笑った。
「じゃあ、トシって呼ばせてもらうね。私のことは、亜希でいいよ」
「そう? 僕は人のアダ名を二文字に略して呼ぶのが好きだから、アキだと助かるよ」
「何それ」
笑ったアキがカシスオレンジを頼むというので、僕は席を立ち、店員さんに追加の注文を告げた。そしてそのままトイレに向かう。理由はもよおしたから、ではない。変態がうるさいからだ。
目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、トッシーが俺に席を変われと、今までで見たこともないほど真剣な表情をして、僕の方を見ていたのだ。あまりにも真剣過ぎたので、少し怖かった。
だが、トッシーやヤスの言う『普通』の男なら、気になる女性が目の前にいるのなら、そうやって積極的に行動を起こすべきなのだろう。草食系男子なんて言葉もあるが、草食動物だって自分の食べる草の好みぐらいあるはずだ。
おっぱい星人トッシーは言わずもがな、ヤスもキヨさんの清楚な感じに惹かれたのかもしれない。いや、ヤスのことだからとりあえず声かけとけ、みたいな感じだったのかもしれないけれど。
正直、そうやって自分の中の基準を持って行動できる『普通』の彼らのことを、僕は少しだけ羨ましく思っていた。だからトッシーにも、席を譲る気になったのだ。僕はトッシーたちのように、『普通』ではないから。
さて、席を譲るためにトイレに来たものの、トイレそのものに用はない。僕は少しスマホで調べ物でもして、時間を潰すことにした。すると登山用語でトイレに行くことを、男性の場合は雉撃ちと言うことがあるらしいと知る。へぇ、花摘みだけがトイレの隠語だと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
さて、思わぬ所で思わぬ知識を得たことだし、そろそろ戻るとするか。
今頃僕が座っていた席にトッシーが座っているはずなので、今度僕はチエさんの正面に座ることになる。彼氏持ちとはいえ、女性の知り合いが増えて困ることはない。僕はチエさんと何を話そうか考えながら部屋に戻ると、席順が全く変わっていた。
部屋に入って右列、奥から順番にキヨさん、ヤス、アキが座っている。左列は同様にトッシー、チエさん、空席。この空席が僕が座るべき場所なのだろうが、何だこの状況は。一体何が起きたというのだろう?
「どうしたの? トシ。早く座ったら~」
突っ立ったままの僕に、何でもないように、そう話しかけてくるチエさんの顔が怖い。口は三日月のように微笑んでいるのに、目が全く笑っていなかった。その奥にいるトッシーが、何かに負けて悔しそうな顔をしている。僕はただ、黙ってチエさんの言う通りに座るほかない。
「じゃ、トシも来たことだし、もう一度乾杯しようっ!」
チエさんの言われるがまま、本日何度目かの乾杯が行われた。わけもわからず、僕はとりあえずグラスを控えめにぶつけ合う。何なんだ? この空気。男性陣敗北、って文字がこの部屋に漂っている気がする。こういうもんなのか? 本当に戦争なの? 合コンって……。
「さっきから、どうしたの? トシ。変な顔して」
よほど怪訝そうな顔をしていたのだろう。向かいに座っているアキが、僕にそう尋ねてきた。
「……いや、合コンってこんな感じなのかなぁ? って思って」
「え? トシ、合コン初めてなんだ」
僕の答えに、アキは意外そうな顔をした。
「そうだけど、何で?」
「だって、あんまりそうは見えなかったから」
「それ、僕がチャラそうに見えるってこと? あの変態と一緒くたにされるのは、心外だな」
そう言うと、アキは可笑しそうに、けれども上品に笑った。
俺の話で盛り上がるなら自分も会話に混ぜろ、と言うトッシーの声をチエさんが封殺する最中、
「……そっか、初めてなんだ。じゃあ、いい、かな」
と、アキが何かをつぶやいた気がした。気がしただけで、僕の聞き間違いか、気のせいだったのだろう。その後アキとは普通に会話をし、冷房が寒くないかだとか、グラスが空きそうになったらメニューを渡したりだとか、料理を取り分けたりだとか、まぁ基本的にこの場のお母さん的な役割を、僕は飲み放題が終わる時間が来るまで続けていた。
幹事のトッシーがイジケて使い物にならなかったので僕が皆からお金を徴収し、会計を終えて店を出ると、そこにはアキしか残っていなかった。
「あれ? 皆は?」
「千恵子はトッシーを駅まで連れてって、喜代子とヤスは、どうだろう? 気づいたらいなくなってたから」
「え、そうなの? とりあえず、メールだけ送っとくか」
どうしたもんかなぁ、と思いながらスマホを取り出し、トッシーとヤスに『死んでたら連絡しろ』とメールを出しておいた。
さて帰るかと顔を上げると、思った以上に、アキが僕の近くにいた。女性特有の、そしてアルコールが少し混じった匂いが香る。
「ど、どうしたの?」
「連絡先、交換しよっ」
どもる僕に、アキは自分のスマホを掲げてみせた。その申し出を快諾し、連絡先を交換していると、
「……ねぇ、トシ。この後、時間ある?」
アキのそんな言葉が、僕の鼓膜を、そっとなでた。
僕は思った。ああ、ついに来たのかと。
今日が僕の、『普通』の男になる日なんだと。
判断基準なんて、僕の中にはなかった。
けれども形を整えるための決意を、血反吐を吐くように、僕は固めた。
『普通』の男性からすれば滑稽に思えるかもしれないが、この日、瞬間、僕は一大決心をしたのだ。
因果応報。行動なくして結果は出ない。
……『普通』の男なら、これ以上は女性に言わせられないよな。
僕は自分からアキの手を取ると、夜の街へ闇に溶けるようにして、消えていった。
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