●五月十九日 午後零時三十二分 昼食中
「はぁ? じゃあトシ、まだ童貞なの?」
そう言ってトッシーは、僕のことを驚き半分、呆れ半分の顔で見つめていた。
トッシーは同じ大学の同級生で、フルネームは大嶋 利幸(おおしま としゆき)という。山内 敏夫(やまうち としお)という僕の名前の最初の二文字、『とし』が同じであることから、親しい友人の間ではアダ名を僕がトシ、利幸がトッシーと差別化して呼んでいた。僕は人の名前を二文字に略して呼ぶのが好きなので、利幸をトシと呼びたかったのだが、トッシーは小学校からそのアダ名で呼ばれてきたのでこのままがいいと言われたため、それに従っている。
それはそれでいいのだが、トッシーの先の発言はお昼休みで賑わう大学の学食に響き渡るほど大きな声で叫ばれたため、僕は羞恥と憤怒で、髪が痛みそうなほどに染められたトッシーの金髪の下の頭皮、もとい頭を、全力でぶん殴りたい衝動に駆られていた。
「でも確かに、二十歳で彼女が出来たことがないのは、ちょっと寂しいよなぁ」
僕の作った握りこぶしが見えていないのか、ヤスはこともあろうに、トッシーに頷きながら同意した。僕は握った拳の進路を茶髪に染めたヤス、荒井 泰昌(あらい やすまさ)の頭に変更しようと、右手を掲げる。
それを見たヤスは慌てたように両手を上げ、トッシーはゲラゲラと笑った。
「おい、トシ! そんなに怒るなよっ!」
「ヤバイトシ、超ウケる!」
二人とも大学に入学してからの付き合いで、誰一人として留年することなく、三年生の今までつるいんでいる。
三年間の付き合いを続けるだけあり、悪い奴らではないのだが、テニスサークルと言う名のほぼ飲み会サークルに所属しているトッシーは、まぁ控えめに言ってもかなりチャラく、あまり深く物事を考えない性格だ。
一方フットサルサークルに所属しているヤスは、ノリはいいが、トッシーよりは真面目な性格をしている。僕とヤスで何度トッシーのレポートや試験勉強に付き合ったのか、トッシーの単位をいくつ僕らで救ったのか、数える気にもなれない。僕とヤスがいなければ、トッシーは今頃留年が確定していたことだろう。
そんなトッシーより僕寄りの性格をしているヤスは、僕をなだめるように口を開いた。
「でもさぁ、トシ。『普通』高校か大学に入ったぐらいで、彼女ぐらい出来るもんだぜ?」
「それは、まぁ、そうだろうけど……」
ヤスの言葉に、僕は歯切れが悪くなりながら、そうつぶやいた。
確かにヤスの言う通り、『普通』の男なら、二十歳前後に彼女の一人や二人出来るのは当たり前のことなのだろう。
でも僕は現在、その『普通』のカテゴリーに属していない。
「でもそう言うけどさ、『普通』付き合うなら、まず好きな人が出来るのが先だろ?」
「トシは相変わらずカテぇなぁ。そんなんだから、未だに童貞なんだよ」
僕の言葉を聞いたトッシーは、わかってないなぁと言わんばかりに、肩をすくめた。普段なら見過ごせるその一つ一つの動作が、苛立って仕方がない。
「アレだよアレ。ヤってみなくちゃわかんねぇってことも、世の中あるってことだよ。トシだってエロいもん見れば、好きかどうかなんてカンけぇなしに、アレだろ? 勃つもんは勃つだろ?」
「……トッシーの意見は、まぁ、流石にちょっとアレだけどさ。アレじゃん? 付き合っていくうちに、ほら、アレだよ。相手のことを好きになることだって、あるんだよ」
代名詞がやたらと出てきた会話だが、二人が言わんとしていることは、何となく伝わってきた。
そもそも誰も好きになったことがないのなら、何がきっかけで誰かを好きになるのか、わからないんじゃないの? だったらその方法の一つとして、先に付き合うという、いわば形から入る方法もあるんじゃないの? ってことなんだと思う。
確かに形から入ることで、何かが見えてくることはあるのかもしれない。二十歳ともなれば五分の一世紀生きているわけだし、運命的な出会いなんてものが早々この世に存在しないことは、既に十分過ぎるほど理解している。理解しているが、でも、と僕は思ってしまうのだ。
でも形だけ整えても、その形に当てはめた相手の、一体何を基準に好きになればいいのだろうか? 顔だろうか? 性格だろうか? 体だろうか? 家柄だろうか? お金だろうか?
つまるところ僕は、一体どんな女性を好きになればいいのだろうか?
誰なら好きになってもいいのだろうか?
いや、そもそもそうした基準や線引が曖昧だから、まずは形から入ろう、という話を今はしていたのだっけ?
「よし、決めた! 俺たちで、トシの彼女を作ろうぜっ!」
出口のない迷路に迷い込んだように唸る僕を見て、日に焼けた手で頭を掻きながら、トッシーは突然そう言い出した。その言葉に、僕はただ困惑するほかない。
「作ろうって、どうするんだよ?」
「決まってんだろぉ? ゴーコンだよ、合コン!」
「お、いいねいいね。俺も参加するよ!」
当惑する僕を置き去りに、トッシーとヤスは勝手に話をまとめていく。
「おいおいヤス。俺たちで、って言ったんだから、お前も当然参加だよ」
「そう来なくっちゃ!」
ヤスが嬉しそうに、指を鳴らした。
「じゃあ、三対三の合コンってことで。幹事はどっちがする? トッシー」
「言い出しっぺだし、俺がやるよ。先週合コンした子に、連絡取ってみる」
「ちょっと待て、トッシー。お前今、彼女いるだろ?」
何とか二人の会話に追いついた僕は、トッシーに疑問を投げかけた。
僕の記憶が確かなら、ヤスは先月彼女と別れて独り身のはず。しかしトッシーには、半年間付き合っている彼女がいたはずだ。
彼女持ちが合コンに参加してもいいのか? とトッシーに視線を送ると、これだからチェリーボーイは困るぜ、とでも言いたげな表情をされた。
「痛っ! ちょ、トシ、今俺サンダルなんだから、足踏むの止めろよ! 爪が割れるだろっ!」
「まあまあ、トシ。トッシーはこういうやつだから、今更何言っても聞かないって。言うだけ無駄だよ」
「そうそう。カノジョとゴーコンは別腹なんだよ、べ・つ・ば・ら」
何が別腹なのかは全く理解できないが、ヤスの言う通り、トッシーがこういういい加減な性格なのは、会った時から変わらない。そのくせ一度やると言ったら、どんな馬鹿なことでもとりあえず実行に移す行動力だけは持っていた。
それを思い出し、僕は諦めのため息をつく。どうやら僕が何を言ったところで、僕の合コン参加は動かないらしい。
とはいえ、これはある意味僕にとっては『普通』の男になるためのチャンスでもあった。渡りに船ではないが、これがきっかけで自分の中で何かが変わるかもしれないという前向きな気持ちも、ほんの僅かではあるが、僕の中に生まれていた。
因果応報。行動なくして結果は出ない。
動かなければ変わらないという結果しか得られないのなら、自分で動かなければ何も変えられない。
そう思うと、自然と僕の口から言葉がこぼれ落ちた。
「わかったよ、トッシー。合コンに参加する。セッティングは任せたぞ」
「おう、任せろ! わかってると思うけど、ちゃんと気合入れた服着てこいよ? トシ」
「そうそう。トシの彼女を作るための合コンだからな。ポロシャツ着てこいよ、ポロシャツ」
指を鳴らしウザい笑顔を浮かべるトッシーを一瞥し、ポロシャツポロシャツうるさいヤスの足を踏みつけようと、僕は自分の足を必死に動かした。くっ! やるな、ヤス。流石にトッシーのように、簡単には踏ませてはくれないかっ!
僕は何故だか、ポロシャツが似合いそうな顔と、よく言われる。そう言われる度、そこに込められた意味がわからず、僕は返答に困っていた。そのことを知っているトッシーとヤスは、よくそれをネタに、僕のことをからかうのだ。
「そう言うヤスは、どうなんだよ。合コンに行く服、持ってんのか?」
見ればヤスの姿は去年も、と言うか週二で見る柄が入ったヨレヨレのTシャツに、洗いすぎて色が薄くなったジーパンを履いている。トッシーも似たり寄ったりで、黒のタンクトップに短パンという装いだ。
かく言う僕もTシャツにジーパンと、ヤスとほぼ同じ姿をしている。三限目が休講になったので、これから三人で暇つぶしにテニスをする予定なのだ。なので、今僕らがラフな格好なのは仕方がない。仕方がないが、僕らは普段大学に着てくる服も、今とあまり変わらなかった。本当に大丈夫なのだろうか?
それが顔に出ていたのか、僕を見てヤスは任せろとでもいうように、大きく頷いた。
「心配するな、トシ。俺もトッシーも幾度と無く、合コンと言う名の戦場を駆け抜けてきている。抜かりはない」
「そうともヤス。例えこちらの顔面偏差値が向こうより上回っていたとしても、場を盛り上げることを忘れず、楽しんで帰ってもらうことで次の出会いにつながるよう、俺たちは日々研鑽を積んでいるのだよ」
「あれ? 合コンって、そんなに過酷なものなんだっけ? 僕がイメージしていたのと、かなり差があるんだけど」
何だその、お客様の満足だけで自分たちはお腹いっぱいですと謳う、ブラック企業の社訓みたいなフレーズは。
そう思いつつも、僕とは違ってトッシーとヤスは何度も合コンを経験している事実に、僕は安堵していた。この様子なら、服の心配どころか、当日の進行まで任せてしまっても良さそうだ。合コン初挑戦の僕としては、それは心強かった。むしろ問題なのは、僕の着ていく服がないことだけな気がする。
ポロシャツだけは避けようと思いつつ、僕は合コンに何を着ていくのか、頭を悩ませ始めていた。
その日の晩。トッシーから、合コンの日程が今週末の土曜日になったとのメールが届いた。その速度感でレポートもやってくれと、僕はトッシーへ返信しておいた。
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