●五月二十三日 午後六時三十七分 合コン当日

 僕とトッシー、ヤスは、合コンの待ち合わせ場所である駅前に、集合時間よりも二十分ほど早く到着していた。

「結局ポロシャツ着てきたんだな、トシ」

 ヤスの言葉に、僕は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 何を着ていけばいいのか最後まで迷ったのだが、もう似合っているのならそれでいいじゃないか、というやけっぱちな気持ちで、僕は避けよう避けようと思っていたポロシャツに手を出してしまったのだ。

 僕が選んだ服は、清涼感のある青いポロシャツに、下はメリハリをつけるための濃紺のスキニーパンツ。白を基調としたスニーカーは、紐だけ水色に変えてある。もうすぐ夏だし、涼し気な装いだ。

「で、気合を入れてきたトッシーたちは、その格好なんだ」

「そっ。どう? カッコいいっしょ?」

 そう言ってトッシーは、自分の頭に乗せた黒い帽子の位置を直した。ツバの広いそれの下から、パーマをかけたであろう金髪が覗いている。テニスで日に焼けた肌を際立たせるためか、Vネックの縞模様をしたシャツの上から、真っ白なテーラードジャケットを羽織っていた。下はダメージジーンズに、ごついバックルの革ベルトを締めている。靴は焦げ茶色の、デッキシューズを履いていた。

 一通り見た僕は、トッシーに服の感想を述べる。

「長袖のジャケット着て、暑くないの?」

「めっちゃ暑い! むしろ熱いっ! でもオシャレって、夏は暑くて、冬は寒いもんっしょ?」

「いや、俺には理解できないわ。その理念」

 そう言ったヤスは言葉通り、七分丈の檸檬色をした、薄手のシャツを着ている。下はブリーチ加工をしたジーンズで、靴には亜麻色のエスパドリーユを履いていた。

「ヤスの靴、涼しそうだね」

「流石トシ、わかってる。素足で履けるから、めっちゃ涼しい」

「くっそぅお前ら、何故俺の美学をわかってくれんのだっ!」

 一人だけ蒸し暑そうにしているトッシーを、僕とヤスは冷ややかに見つめた。

「な、なんだよお前ら。そんな冷たい目をして」

「いや、これで少しでもトッシーが涼しくなってくれればいいな、と思ってね」

「トシに同じく」

 くそー、と言いながら、トッシーは自販機へ二本目となるジュースを買いに行った。

 僕は呆れながら、プルタブを開けるトッシーに目を向ける。

「そんなに飲んでたら、晩御飯入らなくなるぞ」

「いいんだよ。合コンは飯よりも酒という燃料を飲んで、言葉という弾丸を発射する場だ!」

「だから、何で合コンを戦場にしたがるんだよ。ちょっと怖くなってきたよ、僕は」

 顔をしかめた僕の肩に、ヤスが手を置いた。

「安心しろ、トシ。誰もが経験する道だ!」

「そうだぞ、トシ。脱童貞に向けて、今こそ躍進する時が来たのだ!」

 ジュースを飲み終えたトッシーは、空き缶をゴミ箱に捨てると、僕に向かって手を差し出した。

「初合コンのお前に、俺とヤスからの餞別だ。ありがたく受け取るといい」

「え? なんだよ、急に」

 戸惑いながらも、僕はトッシーから何かを受け取った。何だろうと、僕は訝しげに自分の手のひらへ、視線を移す。

 トッシーから手渡されたのは、コンドームだった。

「わかってたけど、お前ら本当に馬鹿だなっ!」

 そう言いながらも、実は僕も自分で買ってあった残りのコンドームを、財布の中に忍ばせてある。その事実はとてもじゃないが、口が裂けても言えなかった。

 そうこう言い合っているうちに時間はあっという間に過ぎ、気付けばスマホの時刻は午後七時五分を指している。集合時間は午後七時なのだが、それらしい人が駅から降りてくるわけでも、駅に向かってくる様子もない。

「ちょっと俺、相手の幹事の子に電話してくるわ」

 トッシーは自分のスマホで、相手側、合コンに参加する女性の取りまとめをしている幹事に電話し始めた。

 人によりけりかも知れないが、僕は五分程度遅れても気にしないタイプだ。しかし、合コンの待ち合わせに遅れるというのは、よくあるのだろうか?

 気になった僕は、そのまま疑問を口にした。

「ヤス。相手側が集合時間に遅れるのって、珍しいことなの?」

「いや、結構な頻度で起こる。集合する駅にはいるんだけど、別の出口で待ってたり、遅れてくるメンバーを改札内で待ってたり」

「なるほど」

 ヤスの言葉に頷いていると、ちょうどトッシーが電話を終えた所だった。

「向こうが一人遅れるってよ。遅れた一人は、飲み屋に直接来るってさ」

「マジかよ。結局来ないパターンじゃないの? それ」

 トッシーの報告を受けたヤスは、嫌そうに眉を寄せる。しかしトッシーは、首を左右に振った。

「いや、逆に一番可愛い子が最後に来るパターンかもしれん」

「あー、そのパターンかぁ」

「……ちょっと待て。何? パターンって? 何が何パターンあるの? それ」

 よくあるわぁ、と頷き合う二人のやりとりに、僕は思わず口を挟んだ。

 パターンとかそういうのは、事前に言っておいてもらわないと困る。初合コンということで、僕は内心緊張しているのだ。

 二人は僕を見て、力強く頷く。

「安心しろ、トシ。何かあれば、俺とトッシーが助けてやるから」

「ああ、だから安心してていいぞ、トシ。ちなみに相手の幹事は彼氏持ちだから、手を出すなら気をつけるんだぞ」

「ちょっ、マジかよ! トッシーっ!」

 僕と同じく、ヤスは驚愕の表情を浮かべ、トッシーを糾弾する。

「そういうの後出しにすんなよな、トッシー!」

「……ふふふっ。既に合コンの情報戦は始まっているのさ、ヤス!」

「ねぇ待って! 全然僕安心出来ないんだけど! いきなり身内同士で争うのやめてよっ!」

 安心しろって言ってから、五秒も経たないうちに発生した内紛に、僕は全く安心することが出来ない。合コンへの不安で、冷や汗が止まらなくなる。

 正直に言おう。もう僕、お家帰りたい。

 不安げな僕を見て、トッシーは僕とヤスを、まるで諭すように語りかけてくる。

「でもなぁ、トシ。世の中には、そう言う情報を隠して幹事になるやつもいるんだよ。その分俺は直前に公開するだけ、まだましだろ?」

「……まぁ、それは一理あるな」

「ねぇよ! 一理もねぇよ! 何でヤスも、その説明で納得するんだよ。直前じゃなくて、事前に言えよ!」

「いや、それが俺も昨日知ってさ。相手の幹事が通ってる大学の知り合いに頼んで、調査してもらったんだ。そしたら、こんな結果じゃん? マジ俺、超ビビったわ。マジウケる」

「ウケねぇよ! っていうか、普通に情報戦してる方がビビるわ! マジで戦争なの? 合コンって!」

 愕然とする僕を見た二人は、まだ信じてなかったのか、といった顔をした。

 そういえばトッシー、先週合コンした子に連絡取る、って言ってたっけ。そりゃ合コンに来る相手が彼氏持ちとは思わないわ。と、一瞬納得仕掛けたが、トッシーがそもそも彼女持ちで合コンに参加している時点で、そういった事態を僕は想定する必要があったのかもしれない。いや、ないわ。単に類は友を呼ぶで、トッシーが同じ穴のムジナを連れてきただけなんじゃないか? だとすると会ってもいないのに失礼かもしれないが、相手の女性陣は全員トッシーの類友、なんて事態も発生しうる。嫌な予感が止まらない。

 既に僕の心の中は、敗戦ムード一色になっている。本気で帰ろうかと思ったが、駅から二人組の、恐らく合コンの参加者であろう女性たちが降りてきたことで、その退路も絶たれた。負け戦とわかっている中での背水の陣に、僕は今現実の非情さを、ひしひしと感じている。すごい、奮起する気が全く起きない。彼氏持ちの女性に手を出すほどの気概を持っているのなら、僕にだって今頃彼女が出来ているはずだ。

 そう思っていると、二人組のうち、一人がこちらに向かって話しかけてくる。

「こんばんは、トッシー。一週間ぶり~」

 そう言ってこちらに手を振って来たのは、むらなく黄金色に染めた髪を、マッシュボブにした女性だった。彼女は顔の半分ぐらいありそうな大きな黒縁眼鏡をかけ、無骨なヘッドホンを首に下げている。右肩が丸見えになるタイプのシャツは黒地で、心臓の位置に桃色でデフォルメされた心臓が描かれていた。下はデニムのホットパンツで、星や髑髏が描かれたタイツを履いた足は、レザーのショートブーツに収まっている。恐らく、サブカル系女子なのだろう。

「千恵子ちゃん、こんばんは。元気してた?」

「元気してたよ~」

 トッシーに挨拶するとサブカル系女子、千恵子さんの態度から、彼女が相手側の幹事であると、僕は確信した。

「じゃあ電話で話した通り、先にお店行こっか~」

「そうだね。じゃあ、早速移動しよう」

 平然とそう言い放ち、そそくさと歩き始めたトッシーと千恵子さんの姿を見て、僕は騒然とした。

 え? 自己紹介とかはしないの? 店に着いてからするの? それとも遅れてくるであろう三人目が到着したタイミングでするの?

 クエッションマークが頭の中で乱舞するが、僕はとりあえずトッシーの後ろをついて行くことにした。

 言い様もない疎外感の中、僕はもう一人いた女性はどうしているのかと、後ろへ振り向く。

 僕の後ろを歩く女性は、綺麗な黒髪を腰まで伸ばしたロングヘアー姿の、左目の泣きぼくろが印象的な人だった。控えめな赤いチェックの長袖ワンピースに、フリルの付いたピンヒールを履く、パッと見、清楚な女性のようった。

 その女性の隣を、当然といった顔をして、ヤスがエスコートしている。

「へぇ。喜代子ちゃん、動画サイトに動画とかアップしたりしてるんだ」

「はい。あまり、動画の再生数は多くはないんですけど……」

「そうなの? じゃあ俺、今から見るよ。なんて検索すればいいの?」

「いえ、その、恥ずかしい、ですから……」

 そんな彼女、喜代子さんは、ヤスに随分と気にかけてもらえているようだ。

 ……なるほど。どうやら背水の陣どころか、陣そのものが既に潰れてなくなっているらしい。僕は完全に出遅れたようだ。前方のトッシーたちとも、後方のヤスたちとも付かず離れずの微妙な位置で、僕は一人、孤高に夜空を見上げる。ああ、星の数は多いのに、あの星たちへ僕の手は届かない。

 それでもこの孤独感は僕が常に感じているものより遥かに小さく、今更マイノリティにカテゴライズされたところで、自分の抱えた疎外感は揺るがなかった。例え揺るがないのだとしても、この煢然たる気持ちの折り合いの付け所を、僕はまだ見つけきれていないのだが。

 ……っていうか、僕の彼女を作るという最初の目的は、もはや地球上から蒸発し、既にこの世の何処にも存在していないようだ。トッシーはしきりに千恵子さんへ話しかけて遅れてくる三人目の女の子の特徴を聞き出すのに夢中となり、ヤスは奥手そうな喜代子さんへ上手く会話をつなげている。口だけ過ぎるだろ、お前ら。

 店に着くまでの間、僕は始まる前から終わっている合コンをどうやって乗り切るか、一人黙々と考え続けていた。

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