○十一月四日 午後十一時九分
「――とまぁ、そんな感じで、僕としてはメイが他の女性と関係するのは勘弁してもらいたい、っていうのが、僕がメイに対して不満に思っていることかな」
そう言い終えて、メイの様子を伺う。認識にズレはないようで、ただ黙って僕の話を聞いていた。
他の二人を見ると、実質メイのセフレと言われたアキが、気まずそうにコーヒーを飲んでる。ハルは自分で顎を直すと、僕の語ったメイのトンデモ理論にどう切り出せばいいのか悩んでいるようで、難しそな顔をして、うんうん唸っている。
それでも意を決したかのように、ハルは口を開いた。
「やり過ぎなんだと思うんだよね、ボクは」
「どっちが?」
何が、と聞かない辺りメイらしいと思いながら、僕は二人の会話を静観する。
「ボクは彼女さんが、石原さんが――」
「明でいい」
「……明さんが、やり過ぎだと思うんだ。っていうか、それはないでしょ! あり得ないでしょっ! 好きな人を独り占めしたい気持ちはわかるけど、その束縛は中学生レベルかよっていうくらいの内容だし。女性関係は、その、色々、病気とか、大丈夫なの?」
ハルの言葉は、よくわからない理不尽さに苛立つように荒らげられつつも、最後の問は気遣うような目で、僕を見ながら発せられた。
僕はハルの疑問に、ひとまず答えることにする。
「病気については、検査して問題ないことを確認しているよ」
「ほら見ろ! 私にはなんにも問題ねぇんだよっ! やっぱりお前、抱いてやらねぇっ!」
論点はそこではないのだが、ハルの言葉に憤慨し始めたメイに何を言った所で、今は無駄だろう。僕はもう一人に話を振ることにした。
「アキは、どう思う?」
「私はっ……!」
そう言ったっきり、アキの口がわなわなと震えだした。メイの心象を良くし、自分のもとに返って来てもらいたいのなら、アキには賛成する以外の選択肢がない。しかしそれでも、アキはメイに賛成することが出来ないのだ。
メイが『彼氏』と『彼女』を持つことに抵抗がない以上、アキがメイの『彼女』になれたとしても『彼氏』になれないアキは、今僕が直面している同じ問題にぶつかることになる。いや、既にメイと付き合っていた時に、ぶつかっていたのだろう。
メイの気持ちを知りたいと言っていたアキは、歯がゆそうに唇を噛み締めていた。アキは今、何を考えているのだろう? 僕とメイ、その両方と付き合っていた時のことだろうか? その時の気分は、どんな気分だったのだろう? 男と女、相反する二つの存在から同時に求められることは、アキにとっていいものだったのだろうか? 満たされたのだろうか? だから、賛成出来ないのだろうか? 賛成してしまえば、自分がその欲求に抗えないと認めてしまうことになるのを、恐れているのだろうか?
「あぁ、もういい! 何を話そうが、私が正しい! 私は、意見を曲げるつもりはねぇっ!」
やがて黙ったままのアキにしびれを切らしたのか、そう言ってメイは憤怒の表情を浮かべ、ハルを見つめる。
「話し合いだって言うから我慢していたが、もう無理! 限界だっ! 何で私じゃなくて、お前が敏の隣に座ってるんだよ! 店には私たち以外誰も客はいねぇんだから、別の席に座りやがれっ!」
また店員に聞かれたくない台詞を、今度はメイが怒鳴り散らした。その怒気で店中に置かれているアロマキャンドルの炎がたなびき、光の加減で店ごと傾いたかのように錯覚する。
それほど憤懣したメイの視線を、ハルは何処か冷めたように見返していた。
「その前に、いくつか質問させてもらえるかな? 明さん。そうすれば、ボクがここから退く必要がないことがわかってもらえるはずだから」
「……何だと?」
困惑するメイに、ハルは艶美な唇を醜悪に歪め、問いかける。
「明さんは、曲がったことが嫌いで、人間中身が大切だと思っている。そして敏夫にも、明さんと同じように『彼氏』がいてもいいと思っている。間違いないかい?」
「あ、ああ」
突然雰囲気を変えたハルに気圧されながら、メイは頷いた。それを見たハルの笑みに、凄惨さが増す。
「なら次の質問だ。明さんはバンドをやっているらしいけど、担当しているのは、ボーカルかな?」
「そうだ」
それを聞いたハルの口は、より壮絶に悽絶に艶絶に釣り上がった。ソファーに背中をくっつけたメイが息を呑み、アキが何が起きているのか説明を求めるように、僕へ視線を送ってくる。
しかし僕は、ただ黙ってハルのそばに座っていた。本当は僕が説明するつもりだったのだが、この話の流れでは、どうやらハル自らが語ってくれるようだ。本人が自分の口で言うというのなら、僕はそれを止めるつもりはない。自分の心の中は、ハルへの申し訳ない気持ちと、感謝の気持で一杯になる。
やがてハルは、決定的な問を、メイに向かって放った。
「では、最後の質問だ。明さんは『カストラート』という言葉を知っているかい?」
「……馬鹿にすんなよ。それぐらい知ってるぜ! アレだろ? 聖歌隊やオペラなんかで歌う男が、声変わりしないようにタマとって、高音のボーイソプラノを――」
メイの言葉が、尻すぼみになる。自分で言いながら、ある可能性に気がついたからだ。アキも気づいたのだろう。愕然と騒然と驚然とした表情で、ハルの顔を見つめている。
それをハルは、失笑と冷笑と憫笑で迎え撃った。
「あらためまして、こんばんは。淳元 晴郎(あきもと はるお)、二十三歳、男性です」
年齢にそぐわないボーイソプラノで再度の自己紹介をしながら、ハルは店に入っても巻いたままだったマフラーを、自分を縛めていた縄を解くように、するっと外した。マフラーの下に隠れていたのは、喉仏が下がっていない、女性のような白い喉。ハルはそれを、自分の白い指で蠱惑的になぞる。
「そんな馬鹿な! カストラートはもうとっくの昔に消滅してるんだぞ! 信じられるかっ!」
メイがテーブルを叩き、四つのカップとキャンドの入ったグラスが姦しく音を立てた。
「カストラートは、ね。でも、事故や病気なんかで男性の睾丸が喪失することは、あるんだよ」
揺れた炎が舐めるようにハルの肌を照らす中、ハルは自分の運転免許証をメイに差し出した。免許証では性別の確認は出来ないが、晴郎という男性名なら確認することが出来る。
「ボクの場合、交通事故だったけどね。起きたのは幼稚園の時で、危うく死にかけたのさ」
「貸せっ!」
ひったくるようにハルから免許証を受け取ると、メイはアキと一緒に、それを必死になりながら見つめていた。まるで血眼になって探せば、今の話が全て嘘だと証明できると、そう信じているかのようだった。
「……嘘だ。こんなの、デタラメだ! 偽物だっ!」
「何でそんなことをする必要があるのさ」
メイから投げ返された免許証を受け取ると、ハルは呆れながらそう言った。メイは歯ぎしりし、アキはこの世の全てが信じられない、といった表情をしている。
「言っておくけど、ついてるものはついてるし、性行為もちゃんと出来るからね」
見てみるかい? と、ハルは意味ありげに足を組み替えた。メイとアキの視線が、ハルのある部分に集中する。
「おい、それは流石に遠慮がなさすぎるぞ」
「何言ってんのさ、敏夫。そのためにボクを呼んだくせに」
メイとアキをたしなめようとした僕を、ハルが笑いながら肘で小突いた。
ヘルマに来てから、メイとの間を取り持って欲しいとは言ったものの、僕がハルに期待していたのは『彼女と別れたくないからその話し合いの場に立ち会って欲しい』という、文字通り男の立会人としてこの場にいて欲しかっただけなのだ。
既にそのことを理解しているハルが、メイに向かって見せつけるように、僕と腕を絡ませる。正直ハルが隣にいるだけでメイには効果があると思っていたので、ハルのこの行動には僕も驚いた。
「おい!」
「なっ!」
「何を驚いているんだい? 敏夫に『彼氏』がいてもいいって言ったのは、明さんじゃないか」
腰を浮かしかけたメイを、ハルは既に言質を取った言葉で、容赦なく切り捨てる。嫌な姑が嫁をいびり倒すような口ぶりで、ハルは僕の腕を抱きしめながら、頬ずりをした。
「曲がったことは嫌いなんだろう? 自分の言ったことは、守らないきゃねぇ」
見た目にはゴスロリお嬢様にしか見えない、けれども生物学上Y染色体を持った、何処に出してもおかしくない立派な男の娘のハルを、メイが目からビームでも出しそうな眼光で睨みつけている。だが、睨みつけるだけだ。ハルの言う通り、自分の意見をメイは曲げられない。
「な、な、な、っ……」
メイが中腰になりながら、憤怒と羞恥と憎悪で顔を真っ赤に染め上げた。アキが横からメイをとりなそうとするも効果は全く出ず、ハルは更にメイを挑発するように、僕と体を密着させてくる。
流石にやり過ぎだと思った。ハルが自分が男であることを明かしたように、僕もメイに告げなければいけないことがあるのだ。それをアキにも聞かれてしまうことになるが、そのリスクは元々織り込み済み。むしろこのままメイを挑発しすぎて、血の雨が降るようなことになる方が、よほど厄介なことになる。
「ハル。ちょっとやり過ぎた。それに僕はこれから、メイと話さないといけないことがある」
僕はハルの腕を離そうとした。しかし、ハルは心外だとばかりに、こう言った。
「えー、何でさ? これぐらいのスキンシップをしたって、バチは当たらないだろ? 元恋人同士なんだからさ」
それは、僕がメイに話そうとしていた内容の、核心に迫るものだった。
だが、僕の予定ではもう少し段階を踏んで話すつもりであり、ハルの行動は完全に想定外。僕が本当にハルに求めていた役割は、ハルがここに来た時点で達せられていたのだから。
しかし、既に言葉は発せられてしまった後だ。今更戻りようがない。ハルにどういった思惑があるのかわからないが、僕も当初予定していたプランが使えなくなってしまった以上、腹をくくってこのまま突き進むしかない。
「……こ、恋人」
「同士って……」
怒りから一点、メイは驚愕とともに口を開き、アキの両目が見開かれる。メイとアキの四つの眼が僕に向けられ、思わず下げてしまいたくなる顔を、僕は顎と喉に力を入れることで何とかこらえた。
「二人とも、付き合ってたの?」
「うん。そうだよ」
震えるアキの問に、僕は小さく頷いた。
「なら、敏。お前、ホモなのか?」
呆然としながらも、メイは僕にそう問いかけた。
「だから、こいつと付き合って……。でも、なら、何で私と付き合ってんだよ? 亜希とも、何でだよ?」
開いたメイの口の形は、笑みを浮かべている。だがそれは歪に震え、普段のメイからは想像も出来ないほど不格好なものだった。それでもメイには、問わなくてはならなかったのだろう。
何でお前は、私と付き合っていたのかと。
何でお前は、私を愛してると言ったのかと。
僕はメイの質問に、ハッキリと首を振って答える。
「いいや、違う。違うんだよ、メイ。僕は、ホモセクシャルじゃないんだ」
そうであれば、多少この複雑怪奇な現状が、もう少し簡略化出来たのかもしれない。
でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、メイ。
僕は――
「僕は、『女』なんだよ」
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