Act.2
◆◇◆◇◆◇
涼香が家に来るのはどれぐらいぶりだろうか。
高校在学中はたまに遊びに来ることがあったが、卒業後はお互いに都合が付かず、逢うのもままならないほどだった。
紫織が涼香に電話をしようと思ったのは、ほんの気まぐれだった。
いや、本音を言えば、涼香と逢いたいと思っていた。だから、無理を言って夕飯に誘った。
「涼香ちゃん、あんたと違って忙しいでしょうに」
母親と並んでキッチンで夕飯の支度をしていたら、見事に指摘された。
「あんたはいいわよ? いずれは宏樹君の元に嫁ぐんだから、その間だけバイトで稼いでいればいいんだから。けど、涼香ちゃんはちゃんと正社員として働いてるんでしょ?」
「――確かにバイトだけど、私だってちゃんと働いて家にもお金入れてるじゃん……」
「でも、フルタイムで働く気はない。違う?」
図星を指され、紫織はグッと言葉を詰まらせる。
確かに、紫織は今の環境に甘えている。
まだはっきりとプロポーズはされていないが、母親の言う通り、いつかは高沢の籍に入る。
親同士も、その辺は暗黙の了解だった。
「ま、あんたがちょっと自由な分、こうして家事を手伝ってくれるから、助かってると言えば助かってるんだけどね」
そう言いながら、じゃがいもの皮を剥き続ける。
紫織も同様に皮剥き作業に没頭していた。
ふと、紫織は朋也のことを想い出した。
朋也には何度か手紙を出している。
だが、朋也からの返信は全くない。
紫織と違って筆不精なのもあるが、涼香同様、自分のことで精いっぱいで手紙のことにまで気が回らないのかもしれない。
いや、それ以上に、朋也はあえて紫織と距離を置こうとしていることにも本当は気付いていた。
朋也に想いを告げられた高校一年の冬。
熱を出し、弱っていた時だっただけに、紫織の気持ちもほんの少し揺らぎそうになった。
けれど、どれほど朋也が自分に好意を抱いてくれていると分かっても、宏樹への気持ちは決して消し去ることは出来なかった。
紫織は朋也の想いを踏み躙った。
朋也のことを分かっているつもりでいたが、本当は全く分かっていなかった。
宏樹もまた、紫織の気持ちに応えたことで朋也にどこか遠慮がちになっていた。
面上は普通に仲の良い兄弟に見えたものの、ふたりの間に埋めようのない透明な壁が出来ていたことに紫織もさすがに勘付いた。
朋也が家を出た理由に、紫織と宏樹が絡んでいたことも分かっていた。
もちろん、紫織も宏樹も深く詮索するつもりはなかったし、実際にしなかったが。
(朋也のことが気になって手紙を送り続けてるけど、朋也にとっては迷惑でしかないのかもしれない……)
無意識とはいえ、自己満足に朋也を巻き込んでいると気付いたとたん、己に嫌悪感を覚える。
手紙を送ることで朋也の傷を抉る。
だが、手紙を書かないと何故か落ち着かない。
身勝手とは分かっていても、朋也とはずっと繋がっていたいと紫織は今でも思っているのだ。
(何より、宏樹君が私以上に朋也を案じているものね……)
昔も今も、宏樹はあまり自分の感情を表に出さないが、それでも、朋也を心配する気持ちはいつも伝わってくる。
紫織が聡くなってきたのか、それとも、宏樹が以前よりも少しでも変わったからなのか。
頭の中で色々考えながら皮剥きを続けていたら、リビングの電話が鳴り出した。
紫織はそこで、ハッと我に返る。
「紫織、あんたちょっとお鍋の火も見ててちょうだい」
母親はそう言って、水道で手を洗い、備え付けのタオルで軽く手を拭いてからリビングまで小走りした。
紫織はその背中を見送ってから、言われた通り、鍋の火加減を見る。
鍋の中では、蓋越しにコトコトと食材が煮える音が聴こえてくる。
ふんわりと上る蒸気と一緒に、コンソメの良い匂いも鼻の奧を擽った。
母親はまだ戻らない。
話し方の様子から、親しい人からの電話らしい。
時おり、楽しそうな笑い声も聴こえてくる。
「さて、次は何したらいいかなあ?」
ひとりごちながら、冷蔵庫を開けて新たな食材を出し、まだ話が弾んでいる母親を背中に感じながら作業を再会した。
◆◇◆◇
涼香が家に来たのは、午後六時十分前だった。
「悪いね。ちょっと早いかと思ったけど」
そう言いながら、玄関先で涼香は紫織に袋に入った白い箱を差し出してきた。
「わっ、ほんとに買ってきてくれたのっ?」
紫織は目を爛々と輝かせながら箱を受け取った。
そんな紫織に、涼香は「あったりまえでしょ!」と踏ん反り返って見せる。
「涼香ちゃんは友達想いだからね。あ、一番はスポンサーに恩を売っとくことか」
「――スポンサー、って、まさか……、お母さん……?」
「他に誰がいると?」
「――だから威張って言うことじゃないでしょ……」
盛大に溜め息を漏らす紫織を前に、涼香は得意気に歯を見せて笑う。
本当に、涼香らしいとしか言いようがない。
「ま、上がってよ。料理はだいたい出来てるからすぐ食べれるよ?」
「おおっ! そういやすっごいいい匂いする!」
涼香は靴を脱いで上がりながら、鼻をクンクンとさせている。
黙っていれば同性から見てもかなりの美人なのに、こういった行為が涼香の魅力を台無しにしている、と紫織はつくづく思う。
もちろん、そういう飾らないところが良い面でもあり、母親も気に入ってくれているのだが。
「涼香ちゃん、いらっしゃい」
リビングに入るなり、母親は満面の笑みで涼香を迎えた。
「こんばんはー! お言葉に甘えてお邪魔しちゃいましたー!」
「いいのよお。涼香ちゃんならばいつでも大歓迎だから。気兼ねしないでゆっくりしてねえ?」
「はーい!」
無邪気に返事をする涼香に、母親はまた嬉しそうに微笑み返す。
(ほんっと、涼香に甘いよなあ、お母さん……)
ふたりのやり取りを少しばかり見届けてから、紫織は涼香から貰った箱を母親に渡した。
「これ、涼香からお土産だよ」
「あら、まあ!」
予想通り、紫織と同様、目をキラキラさせていた。
「もう、涼香ちゃんってば気を遣わなくていいのに。でも、せっかくだからありがたくいただくわね。食後のデザートにしましょ」
この台詞の最後には、確実に音符マークかハートマークは付け加えられている。
もちろん、箱の中身もちゃんと分かっているはずだ。
「それじゃ、早いけどお夕飯にしましょう。お父さんはいつものように帰りが遅いし。待っていたらいつまでも食べられないものね」
「だよね。お父さんを待ってたら死んじゃう……」
「そうそう。お父さんには残りもので充分!」
いやいや、私はそこまで言ってないし、と紫織は心の中で母親に突っ込みを入れた。
とはいえ、実際に父親は残りものにしかあり付けないのだから、母親の言うことは間違ってはいない。
「今日は残りものだって凄い贅沢よ。涼香ちゃんが来てくれたことに感謝してもらわないとね」
また、妙にずれたことを口にしている。
もう、心の中で突っ込む気にもなれなくなった。
「とりあえず、その箱冷蔵庫にしまっとこうよ」
いつまでも動きそうにないので、紫織が再び箱を取り上げて冷蔵庫へ向かった。
母親は、そのまま涼香と向かい合わせに座って話を始めてしまった。
(どっちの友達なんだか……)
そう思いながら、さっきの電話の時と同様に楽しそうにしている母親を、紫織は笑みを
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