第六話 揺らめきの行方
Act.1
宏樹と電話で話をした翌日、朋也は一週間後に三連休の希望を出した。
ちょうど来月度の休みの申請が出来るようになっていたから、本当に良いタイミングだった。
ただ、あまり自ら連休の希望を出さないだけに、周りからは、いったい何があったのかと不思議に思われた。
ことに充に至っては、『泊まりでデートかよ?』と下司な詮索をしてくるものだから、突っぱねるのに苦労した。
否定すればするほど勘違いされてしまうから、なおさら。
何はともあれ、一週間後は予定通り、実家に帰ることにした。
宏樹にはあらかじめ話していたから、両親にも伝わっているかもしれない。
その代わり、紫織には口外しないようにしてもらっている。
とはいえ、宏樹が黙っていても、母親が紫織と逢った時によけいなことを言わないとは限らない。
その時はもう、諦めるほかないだろう。
マイカーを持っていない朋也は、電車に乗って実家の最寄り駅へと向かう。
所要時間は一時間とちょっと。
県内とはいえ、それなりの長旅だ。
それにしても、ずっと実家に戻っていなかっただけに、長いこと電車に乗り続けるのは何とも不思議な心地だった。
就職のために今の職場の寮に向かっている間に同じ景色は眺めていたはずなのに、初めて見るような感覚に陥る。
考えてみたら、あの頃はまだ高校を卒業して間もない頃だったから、自ら決心したとはいえ、ひとりで生活することに不安を覚えていたことは確かだった。
◆◇◆◇
長い時間をかけて電車に揺られ、ようやく最寄り駅に到着した。
珍しいことに、宏樹が車で迎えに来てくれると言っていたので、改札を出てから宏樹の姿を探した。
いや、元々が狭い駅だから探すまでもなかった。
宏樹は、改札から出て来た朋也を見付けるなり、軽く手を上げてきた。
「お疲れさん」
宏樹に改めて労いの言葉をかけられると、変な気持ちだ。
しかも久々だから、正直なところ、宏樹と顔を合わせることに多少の照れ臭さも感じている。
「おう」
軽く挨拶を返した朋也に対し、宏樹は微苦笑を浮かべている。だが、よけいな軽口は叩かず、「そんじゃ行くか」と促してきた。
◆◇◆◇
実家を長いこと離れていたのだから、当然、宏樹の車に乗るのもずいぶんと久しぶりだった。
朋也が高校在学中に買った宏樹の愛車は、だいぶ乗り潰され、何となく年季が入っているように思えた。
「腹減ってる?」
朋也がシートベルトを締めたタイミングで、宏樹が訊ねてきた。
「まあ、そこそこに」
「そこそこか」
「来る前には軽く食ってたしな」
「じゃあ、家まで我慢出来るか?」
「こっからだったら大した距離じゃねえだろ?」
「それもそうだな」
他愛のない会話を繰り返してから、ようやく宏樹はアクセルを踏み込んだ。
少しずつ、スピードが上がってゆく。
「紫織は元気?」
何も喋らないのも気まずい気がして、朋也から話題を振ってみた。
宏樹は前方に視線を向けたまま、「ああ」と答える。
「そんなにちょくちょくは逢ってないけどな。こっちは仕事がちょっと忙しいし。けど、時間があればメシぐらいは食いに行ってるよ」
「そっか」
「朋也は?」
「俺?」
「うん。友達と飲みに行ったりとかしないのか?」
「まあ、行くことは行くよ。ついこの間は、人数合わせだとか言われて合コンに連れてかれたし」
「合コン? お前が?」
「――なんだよその言い方……」
「いや、別に」
そう言いつつ、宏樹はあからさまにニヤニヤしている。
合コンに参加したという事実が、宏樹的にはツボにはまったらしい。
「しっかしまあ、青臭いガキのまんまだと思ってたのに、とうとう合コンに参加するまでになったか。いや、兄ちゃんとしてはもちろん嬉しいぞ?」
「――茶化してんじゃねえよ……」
「茶化してないさ。お前が合コンの場でどんな話をしたのかを想像するのは面白いけどな」
「――だから面白いとか言うな。別に普通にしてたし……」
「そうか、普通か」
そこで会話が途切れた。
お互い、話すことがなくなり、車の中はエンジンと微かに流れるラジオの音だけが細々と聴こえる。
宏樹と話しながら、ふと、涼香のことが頭を過ぎった。
一緒に飲みに行った帰り、急に朋也から逃げるように駆け出してしまった涼香。
あれからずっと、気になってはいたものの、やはり、どうして涼香を追いつめてしまったのかの理由が分からずにいる。
涼香は男顔負けな豪快さがある。しかし、半面で非常に脆い。
それは何となくでも察した。
それと比較すると、一見弱そうな紫織の方が、精神的には強い。
(そういや、兄貴に相談する気だったんだよな、俺)
今さらのように気付いた。
だが、相談するにしても、どう話を切り出して良いものか。
もちろん、車の中で話す気はない。家に帰り、夕飯を済ませてからゆっくりと話すつもりだ。
「朋也」
不意を衝いて、宏樹が声をかけてきた。
思案に暮れていた朋也はハッとして、運転席の宏樹に視線を向けた。
「せっかくだ。今夜はふたりで飲みに出るか?」
「え? 家で食うんじゃねえの?」
「家ん中じゃ、かえってゆっくり話も出来ないだろ?」
そんなことはない、と言いたいところだが、母親のことだ。
家にいたらいたで、なかなか解放してくれないだろう。
ずっと帰っていなかったから、もしかしたら、ずっと小言を聴かされて夜が明けてしまいそうだ。
「もちろん奢りだよな、兄ちゃん?」
朋也は宏樹に向けてニヤリと口の端を上げる。
宏樹は朋也を一瞥すると、「やれやれ」と肩を竦めた。
「こういう時だけ『兄ちゃん』って呼ぶんだな、お前は」
「当ったり前だろ。スポンサーに胡麻すりしないでどうする?」
「『兄ちゃん』呼びが胡麻すりか……」
宏樹は苦笑いしながらも、「分かった分かった」と頷く。
「ま、言われなくっても俺が出すつもりだったしな。お前よりは蓄えはあるし」
「さっすが太っ腹だねえ!」
「ほんと調子いいな、こういう時だけ……」
そう言いつつ、朋也には嬉しそうにしているように映った。
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