Act.3-02

 クールダウンしてきたところで、紫織が、「そろそろ寝る?」と言ってきた。


「まだちょっと早い気もするけど」


 涼香と紫織は、同時に壁時計に視線を向ける。

 十時を回ったばかり。

 ちょっとどころか、普段の涼香は今頃が一番フィーバーしている。


「眠くなった?」


 紫織に訊くと、「全然」と返ってくる。


「てゆうか、さっきのですっかり目が覚めちゃったし」


「あらあら、紫織ちゃんには刺激が強過ぎましたな」


「――刺激が強いとかどうとかって以前の話でしょ……」


 紫織は盛大に溜め息を漏らし、ベッドに潜り込んだ。

 結局寝てしまうのか、と思ったが、違った。


「――涼香」


 肩まですっぽりと布団を被った紫織が、ベッドの下にいる涼香を見下ろす。


 涼香は床に直に敷かれた布団の上で胡座をかきながら、黙って紫織に視線を注いだ。


 そのまま沈黙が流れた。

 涼香は紫織が何かを言うのを待ち、紫織は紫織で、相変わらず涼香を見つめ続ける。


 時計の針の音が煩いほどにカチコチと部屋中に響いている。


 このまま、互いに口を開くことなく眠りに就いてしまうのだろうか。

 そう思っていた時だった。


「今、好きな人とか、いる?」


 遠慮がちに訊ねられた。


 涼香の心臓がドキリと跳ね上がる。

 だが、努めて冷静を装い、「どうだと思う?」と逆に訊き返した。


「――ごめん……」


 紫織が謝罪を口にした。

 どうやら、涼香の反応を拒絶だと受け止めたらしい。


 涼香は微苦笑を浮かべ、ゆっくりと立ち上がって紫織の頭の側に腰を下ろした。


「今日まさに、偶然再会したよ」


 主語はあえて抜かした。

 だが、紫織は誰かを察したようだ。

 半身を起こし、涼香と並んで座り直すと、まじまじと視線を向けてきた。


「まだ、好きだったんだ……」


「呆れてる?」


 肩を竦めながら問うと、紫織は首を横に振った。


「私だって、ずっと長いこと宏樹君に片想いを続けてたから。でも凄いね。涼香と朋也が再会したのって。だって、お互い連絡先は知らないんでしょ?」


「そりゃあね。そこまで親しい間柄だったわけじゃないし。ああでも、今日ご飯食べてから携帯番号とメールアドレス交換したわ」


「いつの間に……」


「ビックリした?」


「ビックリするに決まってるじゃない……」


 紫織はそう言ってから、「でも」と満面の笑顔を見せながら言葉を紡いだ。


「ほんとに良かった。これがきっかけで距離が縮まるんじゃない?」


「だといいけどねえ」


 涼香は上体を反らせ、足を組んだ。


「世の中、そんな都合のいいように出来ちゃいないからねえ。それに、私は別に高沢と深い関係になりたいなんて大それたことは思ってない。ほんのちょっとでも、私の存在が高沢の中に残ってくれれば充分だと思ってる」


「そう、なの……?」


「うん」


「そっか……」


 紫織は少し哀しげに笑みを浮かべる。


「私、よけいなこと言っちゃったかな?」


「よけいなこと?」


 怪訝に思いながら訊ねると、紫織は一呼吸置いてから口を開いた。


「『距離が縮まる』なんて軽率なこと言っちゃったから……」


 涼香は呆気に取られ、けれどもすぐに声を上げて笑った。


「あっははは! そんなの軽率でも何でもないって! てか、紫織は昔っから細かいこと気にし過ぎだっての!」


「でも……」


「これ以上、『でも』はなし!」


 そう言って、涼香は紫織の唇に人差し指をくっ付けた。


「正直言うと、紫織に今日の惚気話を聞いてもらおうと思ってたんだからさ。紫織がいいタイミングできっかけを作ってくれたから、こっちはラッキーだったわよ。つっても、私の話なんて大したもんじゃないけどね」


 それでも興味ある? と訊くと、紫織は勢い良く首を縦に振り続ける。


「何でも話して! ほんと、涼香と朋也ってどんな会話するのか全く想像付かないから! すっごく興味ある!」


 過剰なまでに期待されている。

 とはいえ、『大したもんじゃない』と前置きしているから、オチも何もない話にも喜んで耳を傾けてくれるだろう。紫織はそういう人間だ。


 しかし、以前は紫織の恋愛話ばかり聴いていたはずだったのに、今はすっかり立場が逆転している。

 紫織の場合、収まるべき所に丸く収まって落ち着いたからというのもあるのだが。


 結婚はまだのようだが、どこか余裕は感じられる。

 泣いている姿を何度も見ていただけに、本当に大人になったな、と改めて実感する。


(私はいつまでもガキのままだな……)


 涼香の話を頷きながら聴いてくれる紫織を前に、涼香は思った。


[第三話-End]

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