Act.2
しばらく歩いて、ようやく目的の居酒屋に到着した。
「こいつはまた、なんつうか……」
朋也は言葉を濁したが、言わんとしていることはすぐに察した。
「すっごくレトロでしょ?」
涼香は『オンボロ』と言いそうになったが、中に聴こえてしまっては拙いと思い、あえていい表現を使った。
朋也は、「ああまあ」と曖昧に答えるも、明らかに、『すっげえボロいな』と言いたそうにしている。
というか、表情にはっきりと出ていた。
「ま、建物はこんな感じだけど料理の味は保証するから。お酒の種類も豊富だし、ほんとお勧めよ?」
「ふうん……」
涼香が強く推しても、まだ半信半疑なようだ。
だが、いくら口で説明しても疑いが晴れるわけではない。
そう思い、半ば強引に朋也の二の腕を掴み、立て付けの悪い扉を開けた。
中に入ると、以前に来た時と同様、ムンとした熱気を感じた。
ちょうどお腹を空かせていたから煮物のいい匂いが食欲をそそる。
一番奥の席が落ち着くな、と思っていたら、運良く空いていた。
涼香は朋也を引っ張る格好で、ズンズンと店の奥まで進む。
そして、そこでようやく朋也の腕を解放し、互いに向かい合って腰を下ろした。
「まずはビールにしとく?」
涼香が訊ねると、朋也は黙って頷く。
多分、全ての注文を涼香に任せる気でいるのかもしれない。
涼香は店の女将を呼び、思い付くままに注文をしてゆく。
朋也の好みを聞いていなかったから適当に頼んでしまったが、もしも食べたいものがあれば追加注文すればいい、と軽い気持ちで思った。
ほどなくして、瓶ビールが運ばれてきた。
以前に来た時と同様、ふたり分のコップにそれぞれビールを注いでくれる。
「それじゃ、乾杯ね」
夕純が言っていたような台詞を、涼香が朋也に向けて言っている。
朋也はコップを持ち上げ、「お疲れさん」と口元を小さく綻ばせた。
互いのコップが乾いた音を立ててぶつかり合う。
それからほぼ同じタイミングでビールを流し込む。
「ああ、生き返るわあ……」
またしても、夕純と同じようなことを口にしている。
だが、ビールを飲むと自然と出てしまうから仕方がない。
一方で、朋也も口には出さなかったものの、美味しそうにビールを飲み続ける。
喉仏を動かし、半分ほどなくなったところで、ようやくコップから口を離した。
それにしても、不思議な光景だと改めて思う。
アルコールを口に出来ない未成年の頃から知っているからというのもあるだろうが、朋也が涼しい顔をして酒を飲んでいるのがにわかに信じられない。
もしかしたら、朋也も涼香に対して同じ思いを抱いているかもしれない。
いや、朋也のことだから、涼香のことなど全く気にも留めていないだろうか。
(あ、なんかすっごい落ち込んできた……)
気分直しに新たにビールを注ごうと瓶に手を伸ばしたら、朋也が先回りして瓶を取り上げていた。
「手酌なんてしたら出世しないっつうだろ?」
涼香は驚き、けれども軽く会釈して、素直に朋也からの酌を受けることにした。
「女はそうそう出世なんて出来ないわよ?」
「そう? 山辺さんだったら男を踏み台にしてグングン上に行きそうだけど?」
「私の上司にそうゆう人はいるけど、私はそこまでなれないわ」
「出世欲はない?」
「さあ、どうとも言えないかもね」
涼香が言いながら首を竦めて見せたところで、コップが琥珀色の液体で満たされた。
ただ、泡がほとんどない。
やはり、少しでも開けてから時間が経ってしまったからだろう。
「ありがと」
涼香はニッコリと礼を言う。
朋也の気持ちは嬉しかったから、素直な想いが口から出た。
「私も注いであげるよ」
一本目は涼香のコップに満たされてなくなっていたから、二本目を新たに開ける。
栓抜きを使ってビールを開けるなんて家ではまずしないから、何となく新鮮さを覚える。
朋也は慌てて残ったビールを飲み干し、コップを軽く傾けてきた。
今度は開けたてだから、液体と泡がほど良い具合に注がれてゆく。
元々、涼香はビールを上手く注ぐのが得意なのもある。
朋也は自分に注がれたビールと涼香のビールを見比べ、少し決まりが悪そうにしている。
「俺、かえって余計なお節介焼いちまった……? 俺の注いだやつ……」
「別に気にすることじゃないわよ。これはこれで飲めるし。それに、私は注ぎのプロなんだから」
「なんだそれ、注ぎのプロ、って……」
「仕事の飲み会で必ずお酌して回ってるんだから、自然と上手くなるのよ。何だったら、高沢君にも教える?」
「まあ、どっちでも……」
「なにそれ」
涼香は思わず肩を揺らしてクスクスと笑ってしまった。
朋也は、何故笑われるのか、と言わんばかりにポカンとしていたが、やがて釣られるように喉を鳴らして笑い出した。
そこへ、出来上がった料理が次々と運ばれてきた。
刺し身の盛り合わせと唐揚げ、さらに、以前に食べて美味しいと思っていた玉子焼きも注文していた。
「これはサービスね」
そう言いながら、涼香と朋也の前に小鉢をそれぞれ置く。
以前はワラビの煮物だったが、今回はタコときゅうりとワカメの酢味噌和えだった。
(ここって必ず小鉢をサービスしてくれるの?)
小鉢の中身をまじまじと見つめていると、女将は、「ごゆっくり」と言ってこの場を去る。
「サービス、ってことはタダ? ほんとに……?」
小鉢を摘まむように持ち上げながら、朋也が涼香に訊ねてくる。
涼香は、「多分」と答えた。
「前に来た時もワラビの煮物をサービスしてもらったし。実際、料金には含まれてなかったから、多分、今回もじゃないかな?」
「ふうん。まあ、金がかかったとしても大した額じゃねえと思うけど……」
朋也の言い回しはいかようにも意味が取れる。
多分、『お通し代ぐらいの追加料金は払うよ』と言いたかったのだろうが。
朋也は再び、テーブルの上に小鉢を戻した。
そして、ワカメのくっ付いたタコを箸で掴み、口に運ぶ。
無表情で咀嚼しているが、人が食べている姿を見ていると何故か美味しそうに映る。
涼香も小鉢に箸を入れた。
タコときゅうりを同時に取って口に放り込むと、真っ先に酢味噌の甘酸っぱさがいっぱいに広がる。
食べていると、今度は日本酒が無性に飲みたくなってきた。
「日本酒も頼んじゃお。すっごく飲みたい」
酒が絡むと、どうしても欲望の赴くままに行動を起こしてしまう。
朋也は黙々とビールを飲み続けながら、酒飲みモードに完全に突入していた涼香を見つめ続ける。
若干、引いているだろうとは察したものの、飲みたいものを我慢するのも身体に良くないし、と自分を無理矢理納得させた。
改めて、酒は怖いとつくづく思う。
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