第五話 言葉に出来ない

Act.1

 朋也と電話をしたすぐあとは、服装のことなど全く考えていなかった。

 しかし、酔いが醒めた翌日になって、やはり女らしさをアピールしたいと急に思い立ち、当日になって着ていく服を物色し始めた。

 しかも、夜が待ち遠しく思え、時間の流れがいつになく遅く感じてソワソワする。


 こんな涼香を見たら、紫織はどう思うだろう。

 もしかしたら、『涼香可愛い』などと言いながら楽しそうにケラケラ笑うに違いない。

 馬鹿にする、というより、素直に涼香が〈女〉になっている姿を喜ぶ。

 紫織はそういう人間だ。


 だが、姉と妹は絶対に違う。

 紫織と違い、あからさまに面白がり、揚げ句の果てにはデートの相手を確かめてやろうと躍起になる。

 色んな意味で恐ろしい姉妹だから、親に頭を下げてまで一人暮らしを始めて良かったとつくづく思う。


「それにしても、これって変に気合入り過ぎて変に思われないかな……?」


 涼香はひとりごちながら、全身鏡で今の自分の格好を改めて見つめる。

 仕事の時はともかく、普段は進んでスカートを穿くことがない。

 だが、せっかくだからと滅多に着ることのない、黒地に白い花柄があしらわれたワンピースを引っ張り出したものの、いかにも〈私、すっごく張りきっちゃってます〉感が出ていて、やっぱりこれはどうなのだろうかと思い直してしまう。

 かと言って、いつものような白シャツとジーンズだとあまりにもラフ過ぎて、それも違うのでは、と思ってしまう。


 こんな時、紫織がいたらどう言ってくれるかと考える。


「やっぱ紫織だったら、こっちがいいって強く主張してくるな……」


 考え抜いた末、紫織が出すであろう意見を尊重しようと決めた。

 自分で結論を出したというのが恥ずかしいから、勝手にこの場にいない紫織をダシにしたようなものだが。


「私だって女なのよ、うん!」


 鏡の向こうの自分に強く言い聞かせ、何度も頷いて見せる。

 よくよく自分の姿を見てみれば、ワンピース姿も決して悪くない。

 膝が隠れるか隠れないかのギリギリの長さだから、脚もいつもよりも長く見える。

 私もそこそこ見られるじゃない、と思ってしまう辺り、結構なナルシストなのかもしれないと涼香は自分で呆れた。


 ◆◇◆◇


 待ち合わせ場所の駅には、三十分以上も前に着いてしまった。

 本当に、どれだけ今日を楽しみにしていたのだろう。

 恥ずかしいと思いつつ、ちょっとだけ、そんな自分を微笑ましくも感じてしまう。


 朋也を待っている間、涼香は近くのベンチに腰を下ろし、携帯電話を弄っていた。

 最近は携帯で様々なサイトを覗けるようになったから、ポケットベルを持っているだけで周りが盛り上がっていた高校の頃を考えると、本当にとても便利になったものだと感心する。


 ただ、パソコンと違って見られるサイトはだいぶ限られるし、サクサク見られるわけではない。

 ディスプレイはカラーになってはいても、画像自体はとても暗くて見づらい。

 だが、携帯の進化は年々進化を遂げているから、そのうち、パソコンに負けずとも劣らない携帯が生まれてもおかしくないかもしれない。


(時代の変化に着いてけないよ、私……)


 まだ二十代前半だというのに、年寄り臭いことを考えてしまう。

 同時に、こんな発言をしたら、もっと年上の夕純はどんな反応を示すだろうか。

 さすがに怒りはしないだろうが、『そんなこと言わないでよ』と、ちょっと哀しそうにされてしまうかもしれない。


 その夕純とは、初めて飲みに誘われたことがきっかけとなり、それからもたまにふたりで仕事帰りに飲む機会が増えた。

 夕純は本当に涼香を気に入ってくれているらしく、あの日以降も親しく接してくれる。

 会社でも一緒に昼食を摂ることが多くなったから、周りの同僚にはとても驚かれている。

 そして、何となく距離を置かれつつあるのも薄々察していた。

 だが、自分達が嫌っている〈お局様〉と仲良くしていることで避けられるということは、淋しさよりも呆れてしまう。

 むしろ、外面だけで判断する人間と付き合いたいと思わないのが涼香だ。

 煩い噂話を聴き続けるのもうんざりする。


(けど、こんな性格だから誰とも上手く付き合えないんだよな、私って……)


 苦笑いしながら、ふと顔を上げた時だった。

 ちょうど、朋也がこちらに向かって速足で近付いてくるのが目に飛び込んだ。


 涼香は携帯をバッグにしまった。

 そして、今度はニッコリしながらヒラヒラと手を振った。


「ごめん、遅れた?」


 恐る恐る訊ねてくる朋也に、涼香は、「ぜーんぜん!」と頭を横に振った。


「私がちょっと早かったのよ。まだ、待ち合わせの五分前」


「そっか」


 涼香の言葉に、朋也はホッと胸を撫で下ろしていた。


「それじゃ、早速行こっか? それとも、もうちょっと休んでからにする?」


「いや、いいよ。正直、喉がカラッカラだし」


「あら、ほんとに正直ねえ」


「そういう山辺さんはどうなんだよ?」


「うん、私ももう飲みたい」


「俺とおんなじじゃねえか」


 朋也が表情を崩したとたん、涼香の胸が小さく波打った。

 記憶の中の朋也は、涼香に笑顔を向けてくれたことがない。

 だから、ほんの小さな変化にもドキリとさせられる。


「よっし! ほんとに行くわよ!」


 朋也に心を読まれないようにしようと思った結果、妙なハイテンションで声を張り上げてしまった。


 案の定、朋也は呆気に取られている。


 だが、涼香はそれに気付かぬふりを装った。

 朋也の少し前を歩き、ひっそりと深呼吸を繰り返す。


 ちなみに今日の行き先は、夕純が初めて連れて行ってくれた居酒屋だ。

 本来であれば、女らしく、ちょっと洒落た店にでもした方が良かったのだろうが、あの店が本当に気に入ってしまったから、ぜひとも朋也も連れて行きたいと思っていたのだ。

 それに、あのオヤジ臭い店の雰囲気は、涼香らしいと言えば涼香らしい。

 しかし、今日の服装は、よくよく考えてみたら場違いだった。

 それを今になって気付くのだから、迂闊にもほどがある。


(まあ、高沢は私の服装なんて気にしてなさそうだけど……)


 せっかく悩んで選んだ服にも無反応な朋也に、ホッとしつつも虚しくもある。

 もしも自分が紫織だったら、ちょっとした変化にもすぐに気付いてくれたんだろうな、とほんの少しだけ紫織に嫉妬してしまった。


(ああ、ほんっと私ってヤな女……!)


 うっかり言葉に出そうになったが、何とか心の中で叫ぶだけに留めた。

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