Act.2

 合コンという名の飲み会は二時間で終わった。

 だが、今度はカラオケに行きたいと数人が言い出し、そのまま自然に全員がカラオケ店に向けて歩き出す。


 朋也は悩んだ。正直、人前で歌うのは苦手だし、何より一次会だけで疲労が溜まっている。

 仕事でも充分疲れるが、気疲れはその比ではない。


「あ、あのさ……」


 場の空気を壊すのを覚悟で、朋也は意を決して切り出した。


「わりいけど、俺先に帰るわ。明日早いし……」


 案の定、白けた雰囲気となった。

 やばいな、と思いつつ、かと言って、一度出てしまった言葉は取り消しが利かない。


「ほんっとにごめん! じゃな!」


 逃げるが勝ち、とばかりに、朋也は素早く踵を返し、脱兎のごとくその場を去った。

 もう、これから先のことは知ったことじゃない。

 女子には完全に嫌われただろうが、そんなのはどうでもいい。

 むしろ、最初から合コンなんて参加したいとは思っていなかったのだから。


 ◆◇◆◇


 しばらく走り、飲み会に参加したメンバーの姿が完全に見えなくなってから、朋也はようやく足を止めた。

 とたんに、ゼイゼイと息が切れる。

 考えてみたら、高校を卒業後はロクに運動をすることもなくなっていたから、体力もだいぶ落ちている。


「トシ取ったよな、俺も……」


 無意識に呟き、ふと、こんな台詞を兄の宏樹が聞いたらどんなに突っ込まれるか、と思った。

 宏樹は穏やかそうで、相当痛いところを鋭く突いてくる。

 優しいのに、笑顔が不思議と恐怖を煽る。


「あいつ、昔っからサドっ気が強かったしな……」


 満面の笑みを見せる宏樹を思い浮かべ、朋也は何度も頭を振った。

 そして、別のことを考えようと思い直したら、今度は紫織が浮かんでくる。


「ああもうっ! ダメだダメだダメだーっ!」


 クソッ! と捨て台詞を吐き、自らの髪を乱暴に掻き乱した。

 本当に、いつになったらけじめを着けられるのか。

 そんなことを悶々と考えていた時だった。


「――大丈夫?」


 すぐ側で声をかけられた。


 朋也は仰天した。

 誰だ、と思いながら恐る恐る声のした方に首を動かすと、カラオケに行ったはずの誓子が怪訝そうに朋也を凝視していた。


「どうしたの、急に喚き出しちゃって? もしかして酔っ払ってる……?」


「え、いや、酔っ払ってるっつうか……」


 朋也はしどろもどろになりつつ、「それよりも」と話題を切り返した。


「えっと、いの、うえさんこそどうしてここに? カラオケ行ったんじゃねえの?」


 朋也の問いに、誓子は小首を傾げる仕草を見せた。


「うーん、どうしよっか考えたけど、やめちゃった」


「なんで?」


「高沢君が行かないってゆうから」


 誓子の言葉に、今度は朋也が首を傾げる番だった。


「俺、歌はすっげえヘッタクソだから耳が腐ると思うけど?」


「そうゆう人ほど下手じゃないと思うよ?」


「いや、他の連中も知ってっから……」


 どうしてここまで自分に絡んでくるのか。

 その理由がまるっきり分からない朋也は戸惑うばかりだった。

 どうすべきか考え、けれどもいつまでも立ち止まっているのもどうかと思い、ゆっくりと歩き出す。


 まさかとは思ったが、誓子も朋也に着いて来る。

 さすがにべったりとくっ付いてはいないものの、それでもやたらと距離が近い。


「高沢君」


 苗字を呼ばれ、朋也は無言で隣の誓子を一瞥した。


「高沢君って、ほんとは彼女とかいる?」


 突拍子もない質問だった。朋也は慌てて視線を逸らし、「いねえけど……」と答えた。


「なら、好きな子は?」


 またさらに、突っ込んでくる。


(この女、ほんと何なんだよいったい……)


 朋也は心の中で舌打ちをする。

 答える義理なんてないと思い、黙秘しようとしたのだが、誓子はやはりしつこかった。


「ね、いる?」


「そんなこと訊いてどうすんの?」


 さすがに苛立ちが募り、つい刺々しい言い回しになってしまった。


 とたんに、誓子は驚いたように呆然と朋也を凝視した。

 そして、しだいに気まずくなってきたのか、しぼんた風船のように勢いを失くし、そのまま俯いてしまった。


 朋也の良心が痛んだ。

 他人のプライバシーに首を突っ込んできたのは確かに誓子だったが、もう少し、オブラートに包んだ口調で返すことも出来たはずだ。


 ふたりの間に沈黙が流れる。

 誓子に謝ろうとも思ったが、どこかでそれを拒んでいる。

 恐らく誓子も、朋也を怒らせてしまったと気にしているかもしれない。


「――ヤな女でしょ?」


 不意に誓子が沈黙を破った。

 弾かれたように誓子に視線を移すと、誓子は朋也と目を合わせずに訥々と続けた。


「昔っからこうなのよ、私って。相手が迷惑がってるのに全然空気読めないから、しつこく詰め寄って怒られちゃう。酷い時は縁を切られたこともあった……。ほんと、この性格、いい加減治したいって思ってるんだけど……」


 そこまで言うと、あはは、と空笑いする。

 心なしか、今にも泣き出しそうな表情になっている。


「自分を変えるって難しいからな……」


 誓子を元気付けるため、というより、自分に言い聞かせるように朋也は言葉を紡いだ。


「俺も人のことを偉そうに言えねえしな。色んなことにけじめを着けるために家を出たってのに、まだズルズルと引きずってる……。女々しくてどうしようもない男だなって自分でもイヤになってくる。――ほんと、スッパリ忘れられたらどんなに気分いいか……」


 言いながら、何故、こんな話を初対面の誓子にしているのかと自分で自分に驚いていた。

 もしかしたら、アルコールが入っているせいで口が滑りやすくなってしまっているのか。


「そっか、まだ辛いんだね……」


 誓子は神妙な面持ちでポツリと口にした。

 多分、朋也が決して叶わない片想いから解放されていないことを察したのだろう。


 恥ずかしい、という感情は湧かなかった。

 むしろ、自分の本心を吐き出せたことで、燻り続けていたものが少しずつ消えてゆくような開放感があった。

 だが、何故か涼香には話せなかった。

 涼香にとって紫織は無二の親友で、逆に誓子と紫織は全くの赤の他人だから、だろうか。


「井上、さん……」


 ここまで話したんだし、と朋也は誓子に質問をぶつけてみた。


「俺みたいな男って、女性から見たらどんな感じ?」


 しばらく視線を逸らしていた誓子が、ようやく朋也を見上げてきた。

 真っ直ぐに見つめ、やがて、ほんのりと口元に弧を描いた。


「一般女性がどう思うかは分からないけど、私は高沢君みたいな男の人って嫌いじゃないわよ」


「気色悪いとか、鬱陶しいとか、そうは思わない?」


「まあ、ストーカー的なのはさすがに引くけど、高沢君はただ想い続けてるだけでしょ? それなら相手に迷惑なんてかけてないじゃない。それに、高沢君は真面目だから、相手にとても気を遣って自分が損してしまう感じ。違う?」


 よく、朋也の性格を見抜いている。

 ほんの少し会話を交わしただけで、そこまで相手のことを分かるものだろうか。


「どうして、そんなに俺のことが分かるんだ?」


 そのまま、素朴な疑問を投げかけた。


 誓子は相変わらず朋也をジッと見つめ、少し間を置いてから驚くべきことを口にした。


「だって、高沢君のこと好きだから」


 一瞬、何を言っているのか理解出来なかった。

 しかし、その言葉の意味を頭の中で反芻し、ようやくの思いで、「それってつまり」と続けた。


「えっと、俺を恋愛対象として見てた、ってこと……?」


「そうよ?」


「――本気で……?」


「私、これでもそうゆう冗談は言わないけど?」


 誓子は真剣な眼差しで朋也を凝視する。

 もしかしたら、「ごめん、うっそー!」などと笑い飛ばしてくれるだろうと期待していたが、全くその気配はなかった。


(つうか、こういう時ってどうすんだ……?)


 学生時代、ふざけ半分でバレンタインのチョコレートを貰った経験はある朋也だが、こういった真剣な告白は初めてだったから戸惑いを隠せない。

 申し出を受けるべきなのか、それとも、やんわりとでも断るべきなのか。


「すぐに返事して、なんて言わないから」


 底抜けに明るい口調で、誓子が言ってきた。


「まずは友達でお試し。さっき携帯番号渡したでしょ? ほんと、気が向いたらあの番号に連絡してきてよ。友達としてなら気楽に付き合えるんじゃない?」


 朋也に断る余地を与えてくれそうにない。

 『友達でお試し』などと言っているが、どうにも強引に押し進められてしまった気がしなくもない。


「俺、つまんねえ男だと思うけど……?」


 遠回しに断ろうとしたものの、「そんなこと言わない!」とバッサリ斬り捨てられてしまった。


「私は高沢君のままの高沢君が好きなの。ずっと一途に好きな子を想い続けてる高沢君もひっくるめてね。それとも、私のこと嫌い?」


「いや、別に嫌いってことは……」


「ならいいじゃない。しばらくお試しで付き合ってよ」


 もう、頷く以外になかった。


(仕方ねえ、か……)


 朋也は心の中でぼやきながら、ひっそりと小さく溜め息を漏らした。

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