第5回「マネーソーシャル」

「マネーソーシャル」

2019年 日本

監督 石動聡一郎


あらすじ……ゲーム会社に勤めながらも、長らくマーケティング担当や雑用などでゲーム開発に携われなかった男、田崎はソーシャルゲームのゲームデザイナーとしての仕事を得る。そのゲームは半年足らずでサービス終了してしまうが、田崎は次なるソーシャルゲームのプロジェクトリーダーを委任される事になる。持ち前のコネと宣伝で好調な出だしを切った田崎だったが、ネットでの評判によりサービス開始から僅か3ヶ月で莫大なユーザー数と課金利益を得た田崎は有頂天になっていく。やがて、田崎はゲームをより金を巻き上げる道具とするためにユーザーを挑発するようなふざけたゲーム作りを始めるばかりか、ゲームの利権を自らの懐に入れ始めて暴走していくが……


[レビュー]

 21世紀初頭、日本ではソーシャルゲームというジャンルが大流行した。片手間で携帯電話等の媒体ですぐ遊べるという触れ込みながら、ゲーム性は皆無で殆どユーザーから金と時間を巻き上げるだけの悪辣なモノが多かった上にその件で訴訟も起こるなど社会問題にも発展した。これはそれらの問題を提起するために作られた映画だ。


 今作はそう言った意味でも社会派な映画と仕上がっている。ゲーム会社とユーザーの溝、ソーシャルゲームの闇を複数の実在人物・事件・ゲームをモデルに描くという野心的作品である。さすがに劇場公開されず、日本ではソフトスルーとなった。

 

 主人公、田崎はゲームクリエイターとして登場し、当時の有名なクリエイターをモデルとした他の登場人物に比べて非常に問題のある人間として描かれている。ユーザーを影で食い物扱いしに、面白いゲームを提供せずにつまらないゲームで金を巻き上げようと画策する、利己的で傲慢な人物だ。映画では一貫して、彼が悪行に身を染めて自身を正当化する人間のクズとして振舞っている。特にゲームに苦しみながら金をつぎ込むのをやめられない小学生たちの映像と、高級マンションの最上階で税を尽くした生活をしながらインターネットでユーザーたちの怨嗟の声を笑いながら眺めるシーンは悪趣味ですらある。


 当時の日本における労働問題や社会問題についても提起されており、そういった意味でも今現在から見ても歴史的な史料価値を持つ映画である。フィクションであるが、劇中で登場する「ゲームに数十万円をつぎ込む子供たち」「ゲームに踊らされて破綻した生活を送る若者たち」「酷使され死亡するプログラマー」などは実際に当時の日本で存在していたそうだ。


 劇中では「ユーザーを金儲けのダシにするな、彼らを楽しませるゲームを提供し、対価を払ってもらえるゲームを作るのが我々の仕事だ」という台詞がライバル業者のゲームクリエイター、宮野の口から発せられ、最後には主人公は私腹を肥やしたツケを最悪の形で支払い破滅し、彼が去った後に始まった新しいゲームのダウンロードを終えた子供が、期待と不安に駆られながらもプレイを始めるというオチで締めくくられる、希望のあるようなラストになっている。


 しかし、現実はそうもいかず、この映画が公開された後もソーシャルゲームは日本で興隆を続け、やがてゲーム業界自体を台無しにしてしまったという事は歴史が証明している。もっとも、この映画自体、問題提起をすると言いながらも軽妙なミュージックとテンポの良いつなぎ、さらに主人公の悪巧みをコミカルかつハイテンションに描ききり、性質の悪いブラックジョーク程度に処理してしまい娯楽に徹しすぎだという感じも無くはない。


 公開当時は反響が殆ど無く、そのまま埋もれてしまい、つい最近になって映画の権利が発掘され、配信された事で再評価されたような作品でもある。もしこの映画が公開当時に真っ当な評価と大規模公開されていたら、今日まで続くゲーム文化は微妙に違った歴史を辿っていたかもしれないだろう。

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