第4話はじめの一歩を。

「……なんてな。ジョーじゃあるみゃーし」


じいさんは床に座ってテレビをつけた。


「死ぬならよそで死んじょくれい」


「……ああ」


廃墟じゃないならここで死ぬのはじいさんに悪いな。

俺は素直にネクタイをフックから外した。


「すわりーよ。はじまるだに」


「なにが?」


「ボクシング」


罪悪感からなのか俺は素直に床にあぐらをかいた。


ボクシング……?


「世界戦以外は深夜だから困る」


「そうなのか?」


「そうなんよ。あっ!もうはじまってる!」


『ディキシー!ダウン!カウント……8で立った!大久保ラッシュ!ゴング!第2ラウンド!大久保が東洋のベルトに近づきました!』


「……」

 

よくやるな。


こいつらはなんでためらいもなく人間の顔面を殴れるのだろう?


俺もボクサーだったら……輝貴の顔面を殴れたのだろうか?


「おみゃーさん。本当にボクシングやらねーか?ボクシングはいいぞぉ」


「やらん。俺は自殺するからな。誰にも迷惑かけないようどこか遠くでする」 


「ワシ東洋の二位までいったんよー。チャンピオンにアゴやられてなー」


「話をきけよ……方言がグチャグチャだぞ。どこ出身……あ」


じいさんの眼帯と歪んだ唇が震えるのを見て俺はなんとなくわかった。

俺は勘がいい。


『パンチドランカー』


聞いたことはある。


このじいさんはおそらくそれだろう。


「あたー!逆転負けかーよ!」


テレビでは先ほどまで押していた大久保がディキシーのワンパンチで失神負けになっていた。


「日本人は根性がたりなーよ!あんた本当にボクシングやらんのーか?」


「しつこい」


頭のおかしいじいさんのことだ。

警察には通報されないだろう。

俺は新たな死に場所を求めて立ち上がり背を向けた。


『予定を変更して高校ボクシングニュースです。桜高校の黒木輝貴君がプロ転向を表明しました』


「……なにっ!?」


『百年に一人の天才……黒木君は高校選手権を無敗で優勝『一度も顔にパンチを受けることなく』プロの世界へ。活躍が期待されます……あっ、訂正があります。黒木輝貴君は名字が芦屋になったそうです……芦屋君には是非世界チャンピオンを目指して欲しいですね……次はライト級の』


「黒木はえーよ。ん?芦屋になったんか?複雑な家庭のジジョーかの?ウチのジムにきてほしいみゃー。どした?」


「……輝貴」


知らなかった。


ボクシングなんてやっていたのか。

それも高校チャンピオン。

「一度も顔にパンチを受けることなく」?

気づかないはずだ。


「……フフフ」


「おみゃーおかしなやつよのー」


笑いたくもなる。


あの時輝貴を殴っていたら俺は世界で初めて輝貴の顔面を殴った男になれたはずなのに。


「じいさん」


「おう?」


「ボクシングのプロになるには年齢制限とかあるのか?」


「んみゃー。30」


「……え?」


俺は今年31になる。


「……あっ、違う。32に引きあがったんだ。それがなんじゃて?」


……よかった。


『希望をもつことができる』


「前言撤回。入会するぜ」


「おお!久しぶりの入会者!入会料が五千円で月一万……ありゃ?逆だったきゃのー?とりあえずエクササイズコースは午後3時から。ワシにかかりゃー。おみゃーの出っ腹も三週間でスッキリ……」


「エクササイズコースじゃねーよ」


「みゃ?」 


「プロ希望だ。俺を黒木輝貴の顔面を殴れるぐらい強くしてくれ」


「……」


じいさんは五分は固まっただろうか?

そのあと急に手を叩き立ち上がり、俺の手を握った。


「おーーもしれーだにー!黒木輝貴の顔面を殴りたいてか?気に入ったみゃー!おみゃーいくつだ?」


「30」


「30でプロ希望で輝貴の顔面……かーー!やーーっぱ。おーーもしれーだにー!おみゃーー!」


俺は決めた。


無抵抗の輝貴じゃない。


チャンピオンの輝貴を。


全力でディフェンスする輝貴の顔面を大衆の前でぶん殴ることを。


死ぬのはそれからでも遅くはない。


「ボクシング経験は?格闘技経験は?」


「ない」


「まいったみゃー!こりゃ皆が笑う無謀な挑戦じゃー!!」


じいさんはなぜか嬉しそうだった。

頭おかしいな。


これだからパンチドランカーは。


「約束してけれ」


「何を?」


「ワシをワクワクさせとくれーよ」


「いいだろう。それで一万五千円がチャラになるなら」


「はや?」


「俺は一文なしだ。ツケで頼む」


「こーれーだーもんなー!たまらんみゃー!」


じいさんは嬉しそうだった。

バカはバカが好きなんだろう。


こうして俺は御手洗ジムの練習生になった。


人生のレールから外れて……ようやく重たいはじめの一歩を踏み出した。







……




じいさんは色々準備があるとどこかへいなくなり、俺はジムにまた一人になった。


不思議だ。


さっきまで死のうと思っていたのに。

今は心のどっかに小さな火がついたように落ち着かない。


「……借りるぜ」


壁にかけてあった誰の物かわからないグローブをはめてみた。

紐の縛りかたがわからなかったが中で拳を握れば案外抜けない。



サンドバックに触れた。


「意外に固いな」  


よし。


「ふぅあっ!」


試しに左で思い切り殴った。


……気持ちがいい。


次は右だ。


「ふぅあっ!」


俺なんかのパンチでもサンドバックは結構いい音をたててくれる。


「ふぅあっ!ふぅあっ!ふぅあっ!……おらぁっ!」


サンドバックが跳ね上がった。


手首がかなり痛いが気持ちよさが勝る。


「輝貴!……しねっ!佐和子……しねっ!」


ガシャンガシャンガシャン……

フック、アッパー、ストレート。


この世にこんな気持ちのいいことがあったとは!


「みてろ輝貴!」


サンドバックを蹴って肘で殴って頭突きをして噛みついた。


「お前の顔面にたどり着く!」


サンドバックが輝貴とダブる。


俺は助走をつけて思い切り殴った。


「輝貴ぁ!」


ガシャン!


今日一番サンドバックが跳ね上がった。






第一部完。



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