第13話ファントム

佐渡が俺の演技をしっていたとしてそれがどうした?

どうしたこらっ!?


「たんま!たんます!」


小田が何か言っているが知らん。

俺はミットしかみていない。

ミットにパンチを打ち続けるだけだ。


「ばかたりゃー!」


「うおっぷ!」


冷たっ!水ぅ?


「トレーナーをコーナーに追いつめてまでミット打ちするやつがいるかーね!?小田をKOするきかいや!」


会長がバケツを持っている。

そうか……


「悪かった小田。つい夢中になって……」


「いやあ……すごい迫力でした。これなら佐渡さんにも通用するかも……」


そうだ。


小田は元日本ランカーだ。


佐渡との対戦経験もあるんじゃないか?


「小田。後で話がある。いいか?」


「……いいすけど」


「じゃあ後で裏空き地で。ロードワークいってくる」


「待ってくださいよー。僕もいきます!」


西原はやたら俺のロードワークについてきたがる。

いつも途中でリタイアするくせに。

まっ、挑戦することはいいことだ。


「コラッ!西原くん!君はもう少し基礎を……」


箱崎が止めるのもきかず俺の背中を追いかけてくる。






……


「箱崎さん……僕ちょっと……苦手なんですよ……悪い人じゃ……ないけど」


三キロでもう息切れか。


俺のペースにあわせるからだ。



「でも箱崎はいいトレーナーだろ?」


ホモだけど。


「うーん……僕も……ゲイだから……同族嫌悪なのかなぁ……零士さん!だめだー。ギブです!タオル忘れたんで一枚お借りしていいですか?」


「……ほら」


俺は頭と首にタオルを2枚身につけている。


首に巻いている方のタオルを投げてやった。


「ふはぁ……じゃあ僕はジムに戻ってます」


「ん」


しばらく走って違和感を感じた。



「……『僕もゲイだから』?」


……ゲイなの?






……



「ふっ……ふぅ……」


リュックに石を詰めて崖を登る。

これは誰にも内緒のトレーニングだ。


自分でも落ちたらとんでもないことになるのはわかっている。


この天狗崖(勝手に名付けた)は二十メートルほどの崖で十メートルほどのぼると天狗の鼻のような出っ張りがある。


さすがに固定器具なしに登れないだろうから俺は十メートルをいったりきたりしていた。


背中と握力に限界がきたのでリュックを茂みに隠して俺は山を下りた。






……



「次パパは負けたらボクシングずっとお休みなんでしょ?ね?」


佐渡は娘の玲奈を膝にのせて絵本を読んであげていた。


「そうだよ。負けたらね。負けたらだよ?」


「負けたらお休みだから玲奈は負けて欲しいなぁ」


「ハハハッ……」


から笑いするしかない。


せっかくチャンスがきたのに娘は応援してくれない。

佐渡の妻のさゆりがエプロンで手をふきながらリビングにやってきた。


「玲奈ーもういい加減おやすみしなさい。パパを困らせたらパンするわよ!」


パン。


どうやら頭を殴るという意味らしい。

結婚したときは魚もさばけないお嬢様だったのに気が強くなったもんだと呆れながらも頼もしく思えた。


「ひえーパパママおやすみなさいっ!」


『おやすみなさい』


お辞儀をしておやすみなさいという玲奈に夫婦声をそろえておやすみなさいといってあげた。


(俺は幸せだ)


と佐渡は思った。






……



「さて……玲奈じゃないけど今度負けたら本当にボクシング……終わりにするんでしょ?」


「君も敵かぁ……」


「当たり前。もう苦しむあなたを見なくてすむのだもの」


「やめるよ。負けたらね」


顔を腫らして帰ってくる自分を出迎える妻はどれだけ苦しんだろう?

減量時期になると一切家族と食事をとらなくなる自分をどう思ったろう?


33才。


自分がボクサーとしてやってこれたのはこの妻がいてくれたからだ。


「引退したら脂身たっぷりのお肉をたくさん焼いてあげるわ」


「こらこら。まだ負けたわけじゃないよ。勝ったら日本タイトル。それにも勝ったら世界が見えてくるんだよ?」


「あなたには悪いけど私は黒木さんを応援するわ。お兄ちゃんも「剛君はいつ熊本にくるんだ」って待ちわびてるわよ~」


「あらら。どっこにも味方がいないね。困った」


引退したら熊本の妻の兄の元でトラクターの運転手をやる予定になっている。


「走ってくる」


「こんな時間に?」


「芦屋くんは強いからね。鍛えないと。ママもおやすみしてなさい」


「いわれなくても!」






……



佐渡はフードをすっぽり頭に被って走っていた。


正面から彼を見た人はボウボウに生やした佐渡のヒゲしか見えないのでギョッとするだろう。


(……悪いけどまだ現役をつづけるぞ)


佐渡は世界を見据えていた。


(芦屋……東洋に世界!俺は追いかけ続けるぞ!待ってろ!)





……



「ファントムと形容されたボクサーはたくさんいるけど……佐渡は本当にファントムって感じでしたよ」


ジムのあるビルの裏にある空き地スペースで小田と話をしていた。

小田はスパスパ強いタバコを吸っている。

結構なヘビースモーカーだったらしい。


「ファントムってつまりどういうことだ?」


「どういうといわれても……」


「説明できる範囲でいい」


「ん~?」


タバコの火を足で消して三本目に火をつける。


「佐渡とは新人王と八回戦で二回やりましたが……記憶にないんす」


「記憶にない?それだけ強烈な失神KOされて……」


佐渡はハードパンチャーなのか?経歴だけみたらKO率は20%弱だが。


「ちがうすよー。『記憶にないぐらい内容がない』というか……気がついたら判定負けくらってて……ビデオをみてやっと『あー。佐渡と試合したなー』って」


「なんだそれ?」


それじゃあ本当に幽霊と試合したみたいに感じるってことか?


「でも時には1ラウンドKOしたり反則負けくらったり……異名もファントムから破壊王……ダーティハリーとか……コロコロかわって」


戦法を相手によってコロコロ変える未だに自分のスタイルをみつけてないボクサーってことか?それなら付け入る隙はありそうだが。


「……勝ってほしいっす。黒木さんに。僕に引導を渡したんだから」


「何を言ってるんだ?」


俺は結局小田に一度もスパーで勝てなかった。

最後のスパーでダウンをとったが俺は二度ダウンさせられたし内容としては大差の判定負けだったはずだ。

そのスパーの次の日、小田は引退を会長に願い出た。


「いやぁ……黒木さんにダウンさせられたときね『こいつに追い抜かされる。そして二度と追いつけない』と思ったす。ああ自分の限界を知ったなって」


「アホぬかせ。勝ち逃げしやがって!」


「ざまあないっすね!」


小田は笑いながら4本目のタバコに火をつけた。

こんなヘビースモーカー止めて正解だよ馬鹿やろ。


「『上にいくのは……世界にいくのはこういう人なんだな。自分は違うんだな』って思ったす。黒木さんは俺にそう思わせた責任があるす。どうせなら世界目指しましょうす!」


「馬鹿」


世界どころか今は佐渡のことで頭がいっぱいだ。


日本ランカーで元日本チャンピオン。

これまでの相手とは控えめにいっても三段階は強敵だろう。


負けたら輝貴への道は閉ざされるのは今までと変わらないが今度の壁は高すぎる。 

天狗崖クラスだ。


ファントム、破壊王、ダーティハリー。

俺はどの佐渡を信じればいい?


『自分のボクシングをぶつけるだけ……』というほど俺のボクシングは完成しているのか?


……試合の日は驚くほどはやく近づいてくる。


子供の頃の夏休みなんて比べものにならないぐらい。






……




「佐渡……計量パスです」


前日計量。


佐渡は大きく安堵の息を吐いた。


減量にそうとう苦しめられたのだろう。


佐渡は手足が長いからな。


筋肉を維持してわずかな肉を落とすのは大変だったろう。


俺はむしろ増量してライト級に合わせているので減量苦を経験してないコンプレックスがある。


「握手のショットお願いします」


「あいよ。ブン屋さんよ」


「はい」


俺と佐渡が握手をすると大量のフラッシュがたかれた。


(これまた漫画通りだね……『明日のシュン』くん)


「う……うるさい」


確信に変わった。



こいつは俺の演技に完璧に気がついてやがる。


(……同世代だからね。僕も読んでたよ)


「う……うるせー!熊顔おっちゃんがよ!」






スポーツ雛。


ボクシング欄。



『佐渡。囁き戦術でロッキーに大ダメージ?』


前日計量。二人が握手した瞬間佐渡が黒木の耳元で囁くと黒木は明らかに同様していた。


試合前の心理戦は佐渡に軍配が上がったようだ。





『芦屋またも1ラウンドKO宣言』


ライト級チャンピオン芦屋輝貴は今回も1ラウンドKO宣言だけして会場を素早く後にした。


すべて実行するだけにこの男、たちが悪い。


そして強い。



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