零士

スタコーン

第1話脱線

(黒木さーん。黒木零士さーん?)


「……?」


ああ私か。


「はい」


「診察室一番にどうぞ」


……恥ずかしい。


病院の待合室で本格的に寝てしまっていたようだ。


「……」


つまらない夢をみた。


俺の人生を振り返る夢だ。


小中高大、そして就職して結婚して今に至るまでの夢。


夢の中に収まってしまうほど私の人生は空っぽだった。

私はレールから外れたことのない退屈な人生を30年過ごした。



学校と職場と自宅を行き来するだけの毎日。


辛いことも楽しいこともなかった。

それはある意味幸せなのかもしれない。


でも空っぽだ。


私の人生の最大の冒険は佐和子と結婚したことだろう。


佐和子は私より9も年上のバツ2の子連れの女だ。


佐和子と結婚した理由は『刺激が欲しかったから』にままならない。


会社の女子社員や合コンで仲良くなった女とズルズル結婚するのだけはごめんだった。


プロポーズしたとき『こんな私を貰ってくれてありがとうございます』と言った佐和子の涙も夢に出た。


……あれは私の人生で少しだけ幸せだった瞬間かもしれない。




よく思い返す。




佐和子の連れ子の輝貴は私とほどよい距離感を保ってくれる頭のいい子供だ。


佐和子の前夫の外国人の血がそうさせるのかハンサムで誉め上手。


きっとモテるのだろうな。


息子としては文句なしだが16才という年齢が私たちに違和感を与えている。

30の私は彼を息子と、輝貴は私を父と受け入れがたかった。

結局、輝貴は私を『零士さん』と呼び私は彼を『輝貴君』と呼ぶ。


多少変わった家庭を得ても私は空っぽに変わりなかった。


会社と自宅を行き来し、週に三度飲み屋に行き、月末に給料を佐和子に渡し二人を養っていた。


「結局……結局」


死ぬまでそれを私は繰り返すのだろう。


私は死ぬことよりもその直前に人生を振り返るのが恐ろしかった。


私の人生は薄っぺらい。




……




「それで……あっちはいかがでしょうか?」 


担当医が曖昧な質問を投げかけてきた。


「薬の効果はないようです」 


私は簡潔に伝えた。


「そうですか……そうなってくるとやはり精神的な問題なのかなぁ……」


「……」


退屈な私に起きた小さな……しかし空っぽな私の人生のなかではベストスリーに入るほどのアクセント。


私はED。


つまりインポテンツの治療を受けていた。


二年ほど前からピクリとも反応しない。


私が人生について考え、私の人生が空っぽだと気がついた時からだ。


不幸中の幸いというか佐和子にはあまり性欲がない。


私は自分と同じ血が流れる子供というものに興味があったので佐和子を孕ませた後はどうなっても構わないが、今は困る。


「精神科には……?」


「もう通っています」


こちらも通って長い。


「そうですかぁ……じゃあ今回も一応薬を出しておきますか?」


「よろしくお願いします」


やれやれ。


実りのない通院ほどむなしいものはないな。


私はトイレの個室に入り、佐和子の裸体を思い描きながらペニスを左手で何度か撫でた。

『俺』はぐんにゃりと柔なままだった。





……





私は病院を出てまっすぐ帰宅することにした。

今日は飲みに行く日と佐和子も知っているだろうから夕飯は用意されていないだろうが、買い置きのカップメンがあるだろう。


私は日常の小さなルーティーンを崩してみたくなったのだ。






それが俺の人生を変えた。








玄関の鍵を開けて扉を開くと懐かしい匂いがした。


これは……


佐和子とのセックスの匂いだとすぐに思い出した。


落ち着け。


「……何かの間違いだ。玄関には佐和子と輝貴君の靴しかないじゃないか……」


硬直していると佐和子の甘いあえぎ声が聞こえた。


違う。


指で己を慰めているのだろう。


「そうに違いない。佐和子は浮気なんてしない」


なのに……なぜ私は二階の寝室に足音を立てずゆっくり昇っていくのだろう?






「……」


扉を僅かに開け、夫婦の寝室を覗くと私はブラックアウトしそうになった。


「ん……ああっ!」


「ふっ!ふっ!ふっ!」


なんてことだ……よりにもよって。


ゴン。


力が抜けすぎて頭を扉にぶつけてしまった。


佐和子と佐和子を衝く『輝貴』と目があった。

佐和子はそれなりに動揺したようだが輝貴は腰を振るのを止めず冷静に私に語りかけた。


「お父さん。すぐ済みますので外でお待ちください。説明はあとでします。途中では終わらせられないのです」


輝貴がそう言うと二人は『二人だけの快楽の世界』に戻った。


私は


「わかりました」


とだけ言い扉を閉めて廊下に座り込んだ。


老若男女誰にでも敬語を使ってしまう自分が情けなかった。


息子の命令にあっさり従ってしまった自分が情けなかった。


「性欲はないんじゃなくてみたされていたのか……」


そういえば輝貴は佐和子の最初の旦那の連れ子で……だから近親相姦ではなく……


「いやいやいや……」


そういう問題じゃないだろ。


あれだけ人生にイレギュラーを求めていたのにいざとなったらこのざまか?


涙が止めどなくあふれてきた。


情けない。


……違う。


情けないから、惨めだから泣くんじゃない。


私は……


今頃気がついた。


「佐和子を愛していたんだ……」


自分が思っていた以上に。


私は佐和子を愛していた。


そしてその佐和子は義理とはいえ私たち夫婦の息子とセックスをしている。


「お父さん……泣いているんですか?」


「おっ!?……ええ。終わりましたか?」


いつの間にか佐和子と輝貴が廊下に出てきていた。

ああ、なんて情けないことをきくのだろう私は。


「あなた……ごめんなさい!」


「待ちなさい!佐和子!」


泣きながら階段をおりていく佐和子を追いかけようとしたら輝貴に片腕で止められた。


私は自分の突進力がそのまま自分に返ってきて情けなく床に転がり倒れた。


「お父さん。大丈夫ですか?」


なんて逞しい腕だ。


上半身裸の輝貴は美しい、まるで彫刻のような美しい筋肉……また泣けてきた。


佐和子も腹が出てきた30男より、この美しい身体の少年に抱かれたいだろう。


「あなたたちがそんな関係だとは思いませんでした。私が飲み屋にいく日はいつもしていたのですか?あなたたちは私を……」


「お父さん」


言い終わるより先に輝貴が私の前に正座した。


その姿がまた美しく腹が立った。


「私を好きなだけ殴ってください。佐和子さんは悪くありません」


「よくそんなことが言えますね!」


私はお望み通り輝貴を殴ってやるつもりだった。


だが振り上げた拳を輝貴に向けて放てない……私は人を殴ったことなんかない。


「どうぞ」


美しい少年は目を閉じ、私の暴力を待っている。


「あっ……あっ……だらっ!きっしょおおぉ!」


「……お父さん!?」


私は寝室に入り、まずは花瓶を窓から投げ捨てた。


そして二人が愛し合ったシーツをベッドから剥ぎ取り、それも窓から投げ捨てた。


タンスを蹴り、頭をかきむしり私は叫んだ。


「二人ともでていけ!ここは『俺』の家だ!でていけ!」


叫んだ。


「バカにするな俺を!ふざけやがって!バカにするな!バカにするな!でていけ!頼むから!でていってくれ!」


「お父さん……」


「……」


「……ごめんなさい」


「……でていけ」


こうして私はひとりになった。




……




深夜になっても電気もつけず廊下に座っていた。


ふと左手でペニスを揉んでみた。


何の反応もなかった。


「……お前がだらしないから……」


立ち上がって寝室に入り、佐和子の三面鏡の前に立った。


「おい黒木零士……お前なんであいつを殴れなかった?」


鏡に映る俺は涙でぐしゃぐしゃで醜かった。


「お前は名前通り0だ。何もない。こういう時どうしていいかわからない。自分が信じれられる物を探そうとしなかったからだ!」


鏡の前の自分に怒りをぶつけた。


「なにがレールから外れたことのない退屈な人生だ!外れたらなにもできないからレールに沿って歩いていたくせに!俺は人のせいにして……なんで殴れなかったぁ!?」


鏡に映る自分が輝貴に見えた。

逞しく美しい身体のあの輝貴に。


「……うらあっ!」


俺はガラスを思い切り殴った。


粉々にガラスが割れ、破片が拳に刺さった。


痛かった。


痛かったがそれでも心の痛みに比べたらそんなもの屁みたいなものだった。



「……佐和子」




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