第7話イチコ

「ふうっ!」


「ふぬっ!」


「ふんっ!ふんっ!ふんっ!」


小田にボディを三回ガードさせたところで終了のブザーがなった。


最近はかなり理想に現実が近づいている気がする。


「やばいす黒木さん……やばいす……」


「お前が倒しにきてたら俺はノックアウトだ。付き合ってくれて感謝する」


「すごいす……プロテストいけますよ」


「……ならいいけどな」


「いや。本当にいけますよ」


「そうだみゃー。筆記でよほどの馬鹿やらん限りは受かるなら?」


箱崎も会長もやめてくれ。


「過剰評価だ」


俺には乗り越えなくてはならない弱点がある。

それを克服するために今日は練習を早めに切り上げる。


……メンタルの練習だ。





……





「うっ……」


人の多い夕暮れ時の飲み屋街。

とてもじゃないがサングラスを外す気にはなれない。


『視線恐怖症』


これを乗り越えなければプロテストはともかく観客の入った会場のリングには立てない。


くそっ!どいつもこいつも俺を笑っているように思える。

インポ野郎だと陰口を……落ち着け。

俺がインポなことを知ってるやつなんかいるか。


「……うおっと」


「ひゃっ!」


黒髪のロングヘアーの女と肩がぶつかってしまった。

軽くぶつかっただけなのに女は派手に転んだ。


「大丈夫か?」


「ええ……すいませんすいません……あれー?杖は?」


杖?


転がってるあれか?


女は探し物をしているのに目を閉じている。


……ピンときた。


こいつ目が見えないのか?

よく見たら俺が歩いていたのは視覚障害者のためのブロックの上じゃないか。


……俺が悪い。


「杖ってこれか?」


拾って渡した。


「ああ!そうです!ありがとうございます!ご親切に!」


「ご親切にって……俺が悪かったんだよ。怪我はない?よかったら目的地まで送るけど?」


「まあ!そんな優しいこと言ってくれた人初めてです!本当に優しい方ですねー」


「そんな単純なことじゃだめだよ。俺が本当は悪い奴だったらどうするの?」


「いいえあなたはいい人です。私は目が見えませんが心を見る目は肥えてるんです」


「そうなんだ?」 


……おい。


気持ち悪いぞ俺。



佐和子と別れてからずっと荒々しく刺々しい話し方だった俺がかなり昔の柔らかい話し方に戻ってしまってる。


理由はすぐにわかった。


こいつは目が見えないからだ。


視線を感じることもないし卑屈になることもない。


「それじゃあお言葉に甘えて送って貰っても?」


「もちろん」





……


「まあボクシングのプロを目指してらっしゃる?」


「うん。受かるかどうかはわからないけどね」


俺は軽くシャドーをしながら女と歩き、自己紹介を交えながらゆっくりゆっくり駅に向かった。


女の名前は『一子』24歳。



ゼロの俺にとってイチコとはうらやましい。


イチコと話すのは楽しく、久しぶりに心穏やかな時間を過ごした。


駅についたときにはガッカリしたぐらいだ。


「……黒木さん。よろしかったら私とお友達になりませんか?」


「……いいのかい?」


待て俺!何をすぐに食いついてるんだ?こういうときはじらさないと後々女に舐められる。


「……嫌ですか?時々こうしてお話しながら歩いてくれるだけでいいのです。私をふしだらな女だと思いますか?誰にでもこんなことを言う訳じゃありません。黒木さんが心優しい人だと思ったからお願いしているのです」


「そりゃあ私もあなたとこのままお別れするのは忍びないと思っていたところで願ってもないことですが……いや、俺でいいのか?」


……あぶねぇ。


今一瞬完璧に昔の『私』に戻っていた。


昔の俺は捨てたんだ。


今更戻れるか。


「それでは連絡先を……」


「えと……」


俺はイチコの携帯番号を受け取り、自分は携帯を持っていないことを詫びた。


……明日買いに行こう。


その前にギャンブルだ。


「聞いて欲しいことがある」


「……なんでしょう?」


イチコには知って欲しいと思った。


「俺は女房を寝取られ、その相手をぶん殴るためにボクシングをするダメ人間だ。今は無職だし友達と呼べる人間もいやしない。お前はそんな俺と友達になれるのか?」


結構大声で言ったので周りの視線が集まったが気にならなかった。


「全て小さな事です。私はあなたを素晴らしい人だと直感し、私にとって大事な人になると思ったからお友達になりたいと思ったのです。……ああ電車がくる……それでは黒木さん。ご連絡お待ちしております」


「……えあ?……必ず!」


イチコは駅に消えていった。


まだ何人かが俺を見ている。


だけど怖いとは思わない。


俺はサングラスを外した。


目眩もしないし被害妄想も起きない。


「イチコか……」


俺は10キロほど走ってジムに帰った。


俺はまだ佐和子を愛している。


だけど俺もイチコが俺にとって大切な人になると予感がした。


なぜか大きくプロに近づいた気がした。




……






深夜、俺はジムの掃除を終えサンドバッグを軽く叩いていた。


「いよいよ明日だーね」


「ん?」


誰かと思ったら会長か?なんだこんな夜に。


「おみゃーがきてからジムが三割増し綺麗になったみゃー」


「なんでも学ぶ場所は誠心誠意綺麗にするのは当然だろ?」


会長はニカッと笑った。


前歯が三本ない。


「若い奴にはそれがわからんだに。年の功だね」


「うるせ」


「褒めてるだね。いいかい?お前さんは受験者のなかじゃ年寄りみたいなもんだろう。でも恐れるな。人生経験は無駄にはならない。生かせるか生かせないかなんだ。お前は若いものがもってない武器がやまほどある。飢えた虎の目、あきらめない心。なにより人生をかけている。筆記テストはチョロいもんだし実技だってお前は十分なものを持ってる。指導者のプロがお前はプロになれると送り出してるんだからお前はできる!」


「おっ……おう」


急に真面目な口調で真面目なこといわれて面食らった。

なんだ会長。


よくみたら男前の部類に入るし、白髪で年寄りにみえたがよく顔を見たら40そこそこってとこじゃないか。


あーくそっ!


なんかムカつく。


ざわめいた気持ちが落ち着いてきた。

こんな男の言葉に。


「緊張して眠れないんらろ?明日はおみゃーがプロになる一生忘れられない記念日だてはよねろ」


……お見通しか。


会長はいつもの会長に戻り帰って行った。


「半分当たり」


半分は緊張。


半分は興奮で眠れない。


俺は人生のレールを外れて初めて挑戦をする。


確かに明日は記念日になるな。


寝よう。



更衣室に布団を敷いて横になった。


「俺はできる……俺は駄目じゃない!……おっと」


ねる前にスクラッチくじを削った。


千円当たっていた。



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